駅が存在していた頃は「難読駅」として有名でしたが、それ以外にも運行本数の少なさや営業時間の偏りなど
話題には事欠かなかった「名鉄・椋岡駅」。 地名にもある「椋岡」は「むくおか」と読みます。
駅の開業は「河和線」の前身である「知多鉄道」の開業と同時で1931年(昭和6年)の事でした。 周辺には住宅
が多く、正式なものかは判りませんが「駐輪場」や「駐車場」もある事から利用者は多そうに見えましたが
「駅舎」の無い駅で、しかも「自動券売機」すら無し。 向かい合う「名古屋方面」「河和方面」それぞれのホーム
には、雨風からベンチを守る程度の木造の小さな屋根があるのみの「無人駅」でした。
さらに不思議なのが、当駅に停車する電車は「通勤通学時間帯」のみだったんです。 普通しか停車しない駅
にもかかわらず、同路線を走る一部の普通は当駅を通過。 朝は6時代から9時代の4時間で10本未満(土日は
それ以下)しか停車せず、日中は全ての列車が通過。 そして15時以降は1時間に1本のペースで停車が再開
されるも、終電が19時代という不思議なダイヤ。 これじゃあ利用者が増える訳がありませんね。
実は当駅の北側、約500mの位置に「阿久比(あぐい)駅」が開業(1983年・昭和58年)した事が大きな転機となり
ました。 この「阿久比駅」には「急行」までの車種が停車(現在は「特急」も停車)することから、「椋岡駅」の
利用者は多少歩いてでも便利な駅の方を選択しました。 たぶん「阿久比駅」が開業するまでは当駅も全ての
普通が停車していたと思われますが、激減した利用者数から珍しいダイヤが運用されたようです。
そんな窮地に舞い込んできたのが「駅集中管理システム」などの導入。 同時期に廃止となった駅と同じく
利用者の一日平均数が一定の数を超えなかった事により廃止となった訳ですが、当駅に限ってはもっと他に
廃止の理由があったんですね。 ちなみに南隣の「植大(うえだい)駅」とは約1.0km離れていました。
話題には事欠かなかった「名鉄・椋岡駅」。 地名にもある「椋岡」は「むくおか」と読みます。
駅の開業は「河和線」の前身である「知多鉄道」の開業と同時で1931年(昭和6年)の事でした。 周辺には住宅
が多く、正式なものかは判りませんが「駐輪場」や「駐車場」もある事から利用者は多そうに見えましたが
「駅舎」の無い駅で、しかも「自動券売機」すら無し。 向かい合う「名古屋方面」「河和方面」それぞれのホーム
には、雨風からベンチを守る程度の木造の小さな屋根があるのみの「無人駅」でした。
さらに不思議なのが、当駅に停車する電車は「通勤通学時間帯」のみだったんです。 普通しか停車しない駅
にもかかわらず、同路線を走る一部の普通は当駅を通過。 朝は6時代から9時代の4時間で10本未満(土日は
それ以下)しか停車せず、日中は全ての列車が通過。 そして15時以降は1時間に1本のペースで停車が再開
されるも、終電が19時代という不思議なダイヤ。 これじゃあ利用者が増える訳がありませんね。
実は当駅の北側、約500mの位置に「阿久比(あぐい)駅」が開業(1983年・昭和58年)した事が大きな転機となり
ました。 この「阿久比駅」には「急行」までの車種が停車(現在は「特急」も停車)することから、「椋岡駅」の
利用者は多少歩いてでも便利な駅の方を選択しました。 たぶん「阿久比駅」が開業するまでは当駅も全ての
普通が停車していたと思われますが、激減した利用者数から珍しいダイヤが運用されたようです。
そんな窮地に舞い込んできたのが「駅集中管理システム」などの導入。 同時期に廃止となった駅と同じく
利用者の一日平均数が一定の数を超えなかった事により廃止となった訳ですが、当駅に限ってはもっと他に
廃止の理由があったんですね。 ちなみに南隣の「植大(うえだい)駅」とは約1.0km離れていました。