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碁盤の目のように整然と区画整理された「名古屋市中区」の街並み。 かつては「第二次世界大戦」によって
焦土と化した「名古屋」を復興する際に、「100m道路」をはじめ東西南北に道路を巡らせて交通網を再整備し
来たるクルマ社会に備えた事による物ですが、実際は「清洲城」がこの地に移転して来た事に始まります。

「清洲城」と共に「城下町」もまとめて移転して来た、いわゆる「清洲越」により、主に「名古屋城」の南側に
「武家屋敷」や「寺院」に「町人長屋」が配置されて「碁盤割」と呼ばれる区画が並んだのでした。 しかし各地
にあまりにも「十字路」が増えてしまったので、何か目印をと言うことで設けられたのが「通り」の名称。
これを定めることで『「○○通」と「××通」の交差する位置』などから現在地を測ったようです。 ただし
先に住所(町名)が定められていて、それらの地名が由来となる「通り」名の制定でしたが。

その「通り」の名前を定めるにあたっては、「通り」ごとの特色が良く反映されており、例えば「魚ノ棚通」
には「魚屋」や「料理屋」など、「魚」を扱うお店が多かったそうです。 他に「清洲」の存在していた時の地名
をそのまま反映した「桑名町通」や「七間町通」、「伊勢町通」なども。 計20の「通り」によって「碁盤割」が
形成されているそうです。

画像にあります案内板は「名古屋市中区役所」前に設置されていた物で、「通り」の解説と共に、所在地が
色分けされて現在の地図に落とし込まれています。 さらに「清洲越」の頃の地図も添えられていますので
当時と現在の違いを知る事も出来ます。

この案内板にある解説を元に、ここに登場する20の「通り」を順次ご紹介して参ります。