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「名古屋テレビ塔(中区)」のお膝元「セントラルパーク(地上の公園部分)」には小川あり、木々の茂みありと
大都会の中のオアシス的存在なのですが、そこに生える1本の「松」にはドラマチックな伝説がありました。

「名古屋城」が築城されて次第に町が拡大される中で、この一帯は自然が多く残される場所だったそうです。
そこに「小袖掛けの松(こそでかけのまつ)」と呼ばれる、1本の「古松」がありまして「古書」に多くの伝説が
記されているとの事でした。 現地では2つの伝説が紹介されています。

治承3年(1179年)に「平清盛(たいらのきよもり)」によって京を追われ、この地で「謫居(罪により遠くの地へ
送られる事)」していた太政大臣「藤原師長(ふじわらのもろなが)」。 およそ1年余りを過ごした後で許しを
請うて京へ戻る事となる際に、身の回りを世話していた奉公娘に別れの品として「琵琶」を贈ったそうです。
しかしその奉公娘は「師長」の事を慕い続けていましたが、それは身分違いの恋。 結局は結ばれる事なく
「師長」の帰京を見送る事となったのですが、その帰路でこの近くの川に入水してしまったそうです。 その
際に身に付けていた衣を「古松」に掛けた事がきっかけで「小袖掛けの松」と呼ばれるようになったという説。

時代背景は不明だそうですが、この地に「兵乱」が起こった際、周辺の人々は散り散りに逃避して身を守った
そうです。 しばらくして混乱が収まった事を知り、再びこの地へ戻ってきた人々。 ところが長者の娘が
戻らず、姿が見当たらないとの事で良心は必死で娘を探しますが「古松」に娘の小袖だけがあるのを見つけた
そうです。 両親はそれを見て悲嘆するも、その小袖を埋めて「塚」を造ったと言う伝説。

これらの説により人々はその「古松」を『小袖掛けの松』、もしくは『小袖松』と呼ぶようになり、この辺りを
『小袖塚』と言うようになったそうです。 現地には「名古屋中央大通連合発展会」によって「立て札」が設置
されていまして、上記の2説が記されておりました。 また現在画像にあります「松」は平成10年10月に植樹
されたもので、伝説に登場する「古松」とは関係が無い(実物ではない)ようです。