話は遡ること「江戸時代」、現在の「清須市西枇杷島町」一帯には「枇杷島市(びわじまいち)」と呼ば
れた「市」が定期的に開かれ、「美濃街道」を通じて様々な品や人が集まり繁栄を見せたそうです。
その賑わいは「祭」へと移り、各地域ごとに「山車」を持つに至ります。 それも財のある地域が持つ
「山車」ですので見事な「からくり人形」が搭載されたものでした。

「享和時代」の1802年より開催されているといわれる「尾張西枇杷島まつり」は「清須市」を代表する
「祭」のひとつ。 かつて存在した「名古屋東照宮」の「祭礼」の形態が元となっているそうですが
開催については「尾張藩」がきびしく取り締切りを行っていたそうです。 1802年に各地区の「氏神」と
なる神社の境内に「山車」を出した事が「尾張西枇杷島まつり」に「山車」が登場するルーツとされて
いますが、今の様に各地区を引き回るよう認められたのは1808年の事、さらに「からくり人形」を飾る事
も1812年になってやっと認められたくらいだそうです。

祭に登場する「山車」は「王義之車(おおぎししゃ・橋詰町)」「頼朝車(よりともしゃ・問屋町)」
「泰亨車(たいこうしゃ・東六軒町)」「紅塵車(こうじんしゃ・西六軒町)」と、現在一番新しい山車
「頼光車(らいこうしゃ・杁西町)」の5つ。 中でも「頼光車」を除く他の4台は製造が祭が開催された
1802年と言われていますので、ゆうに200年を越える歴史があるものでした。 「山車」は「名古屋型」
と呼ばれるもので「擬宝珠」や「透かし彫り」などの装飾が見られ、また「からくり人形」も複数体が
設置されているのが一般的のようです。

毎年6月の第一土曜日と第一日曜日に亘って開催されています。