



が非常に少なかった頃、ネタ切れを懸念して幾つかの「お手軽ネタ」を投稿をしていた時代を思い出します。
で、「東海の珍地名⑫」に登場した「<夜寒町>よさむちょう」なんですが、現地を訪れる機会が有りました
ので、行ってみましたら画像のような碑を発見しました。
『尾張名所夜寒里』と記された石碑は「千舟翁自建」の文字が添えられて有りましたが、この「千舟」とは誰
を指しているんでしょうか? 「尾張名所」とあるので地誌「尾張名所図会(もしくは尾張名所圖會・おわり
めいしょずえ)」の「愛智郡の巻」に登場する、由緒ある土地だったんでしょうね。
この石碑の隣には「名古屋市教育委員会」によって建てられた案内板が有りまして、「夜寒里跡」の説明が
なされていましたが… 今度は『尾張の歌枕のひとつ「夜寒里(よさむのさと)」』とありました! この
「歌枕」と言うのは『和歌に多く詠み込まれる名所・旧跡(大辞泉より)』という事だそうですが、そんな
古い時代より「夜寒里」は存在していたんですね。 案内板には、「宝暦(ほうれき)」の時代に発行された
地誌「張州雑志(ちょうしゅうざっし)」や「元禄(げんろく)」に発行の「熱田旧記(あつたきゅうき)」
にも登場しているとの事です。
但し、現在は存在しない地名である「夜寒里」の所在地に関しては諸説あるそうで、先の「張州雑志」内では
『春敲門(しゅんこうもん・熱田神宮の東門)の北、森の辺(あたり)とか、本宮の森の北とか、各々の説
未だ詳(つまび)らかならず』とあるそうで、また「熱田旧記」でも『大宮の北、高蔵の南』とされている
だけで、それが現在の「夜寒町」の周辺ではないかとされているそうです。
石碑は「愛知県名古屋市熱田区夜寒町5丁目」、「市立旗屋小学校」の北側にあります。