





だった地に、二つの「街道」への「道しるべ」の役割を成す、大きな石がありました。 その石は意図的
に置かれた物では無く、少々黒ずんだ「大きな石」は「つんぼ石」と名付けられていました。
今からおよそ400年前、「名古屋城」を築き上げる際に使用する「城石」が各地から切り出されて運び
込まれていたのですが、その道中に置き去りにされた石であったそうです。 搬送中のトラブルで石を
落としてしまったそうですが、再び乗せ戻すのが面倒だと考えた大名は「無かった事」にしようと考え
事を知った村人へ固く口止めを強いたそうです。 その為に村人は意思に関して一切口を閉ざした事から
いつしか石には「つんぼ石」との名前が付けられたそうです。
一般的に「城石」には切り出した土地を判断する目的で「文字」などの目印を彫る習慣がありて、この
石の調査が実施された際に「笠原(岐阜県土岐郡笠原町)」の彫りが見つかり、元々は「名古屋城」へと
運ばれるはずの石であった事が判りました。 調査とは別に、一帯で区画整理が行われた際に「石」の
移転が決まり、現在では北東の「住宅地」の一角に置かれ「案内板」も立てられています。
ちなみに傍らの小さな白い石こそが「瀬戸街道」と「殿様街道」の「道しるべ」の役割を果たしていた物
でして、今もうっすらとですが『右 セト』や『左』などの文字が確認できます。 ただし「殿様街道」
は「区画整理」によって失われてしまっていまして、画像のように少しだけ名残が見られました。
尚、この石と関係があるかは判りませんが1905年から1942年まで、近くに「聾石(つんぼいし)駅」が
存在していました。 今では「名鉄・旭前駅」が駅廃止後の役割を担っているようです。