イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

「名古屋市」において「市内最大敷地面積」の呼び声も高い「名古屋市立鳴海(なるみ)小学校」は「緑区」
にある、創立140年近い歴史ある「小学校」。 これまでに7回も改称しているのも記録的?

所在地は「名古屋市緑区鳴海町字矢切」で、創立は1873年(明治6年)。 最初は「第二中学区第十四番広道
学校」という名前で「鳴海万福寺」を仮校舎としていたそうです。 1876年(明治9年)には校名を「成海
小学校」と改称し3つの「分教場」を順次開設も、1887年(明治20年)には3つとも廃止。 そして「鳴海
学校」と改称するも1889年(明治22年)には、今度は「鳴海尋常小学校」と改称。

1902年(明治35年)に「高等科」を併設した事により「鳴海尋常高等小学校」と改称し、この名称が約40年も
継続されていました。 この間に開設された「東分場」は現在の「東丘小学校」の基礎となる物だそうです。
そして1941年(昭和16年)に「鳴海町国民学校」と久々の改称。  続いて開設された「平手分校」は現在の
「鳴海東部小学校」にあたるそうで、「平子小学校」も同校より独立して誕生しています。 

1つ前の「鳴海町立鳴海小学校」という名称には1947年(昭和22年)に改められ、1959年(昭和34年)には
「鳴海尋常高等小学校」時代に開設されていた「東分教場」が「東丘小学校」として独立し、続いて「鳴子
小学校」も独立。 「愛知郡鳴海町」が合併により「名古屋市」となった事を受けて、現在では最後となる
校名改称が1963年(昭和38年)にあり「名古屋市立鳴海小学校」となっています。 これ以降も「緑小学校」
「片平小学校」「旭出小学校」と計8校が同校から独立して誕生しています。 それだけ広い地域から生徒が
通っていた「マンモス校」だったんですね。 今も規模は相当大きいようですけども。

その『大規模な敷地』には様々な施設がありまして、驚くのが「運動場」が2面ある事。 「西運動場」と
呼ばれる側はメインとなる「運動場」の半分の広さでは有りますが、2面あるってだけでも凄いですよね。
さらに西側には「矢切の丘」と呼ばれる「タイヤ」や「丸太」で構成された「遊具施設」があり、文字通り
「丘」状となっています。 その頂上は4階建て校舎ほどの目線となるくらいあるそうですよ。 「運動場」
を挟んで対岸に位置するのが「ふれあいの森」。 文字通り木々が生い茂った「森」があり、四季を通じて
様々な植物と触れ合える憩いの場となっているそうです。

最後に気になった事が一つ。 これだけ大きな学校が「愛知郡鳴海村」に存在していた訳ですが、この地区で
1892年(明治25年)に出生されている「きんさんぎんさん(「成田きん」さんと「蟹江ぎん」さん)」も
ひょっとしたらこの「鳴海小学校(当時なら「鳴海尋常小学校」~「鳴海尋常高等小学校」時代 )」の出身
なんじゃないかと想像しましたが…