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「東山動植物園」を「正門」より入場しまして、しばらく真っ直ぐ進みますと右手に「アジアゾウ」が住んで
いる「ゾウ舎」が見えてきます。 その建物の側面には「ゾウ」がコミカルに描かれた「石版」が展示されて
いました。 これ自体は「作品」という意味合いは無いようですが、すぐ横にあった「案内板」によりますと
かつて運行された「ゾウ列車」の意味合い、出来事を絵で表現したもののようでした。

1935年に「鶴舞公園」より、この地へ移転して「東山動物園」に改称したものが、現在の「東山動植物園」の
はじまりで、当時はその規模から『東洋一の動物園』と呼ばれていたそうです。 しかし「第二次大戦前」が
勃発すると、エサの確保や空襲により柵や檻が壊されて展示動物が脱走した際の問題などにより、全国各地で
多くの動物が餓死したり処分されたりしたようです。 「ゾウ」に至っては「東山動物園」で生き残った2頭
が全国唯一の生存となってしまったそうです。 戦前は4頭が生存していたそうですが…

戦後、各地から「貸し出し」の依頼が殺到。 特に「上野動物園」からの熱望は強く、「東山動物園」側も
それに協力する姿勢では有りましたが、肝心の「ゾウ」が高齢化していた事、また2頭の絆が非常に強かった
為に、試しに引き離してみると大暴れした事もあって「貸し出し」を断念せざるを得なかったそうです。

次に考えられたのが「見る側」が移動すること。 要は「東山動物園」に「ゾウ」を見に行こうという事で
当時の「連合国軍最高司令官総司令部」に状況を説明して懇願し、なんとか「臨時団体列車」の運行を認めて
貰うことが出来たそうです。 これが1949年の出来事だそうで、まだ「日本国有鉄道(国鉄)」は「連合国軍
最高司令官総司令部」の管理下にあった時代との事。 簡単に「臨時列車」が企画できなかったんですね。
正式には「エレファント号」という名前で運行され、延べ1万人を越える子供たちを運んだそうです。

イラストでは、汽車に連結された客車には様々な動物たちが乗車し、その上空には「ゾウ」にのった子供たち
が描かれています。 全国から「ゾウ列車」ではるばる「名古屋」までやって来た子供たちは、実際にゾウに
触れ、ゾウに乗ったそうです。 このお話の詳細は「東山動植物園」公式HPにあります『総合案内』より
『園の概要』→『動物園の歴史』→『3. 昭和20年代』にも掲載されております。