
に於いては分岐点となる宿場「御油宿」。 読みは「ごゆしゅく」となるそうで、「じゅく」と濁らない
表現になっていました。 また書物によっては「ごゆ」を「五位」や「五井」としているものもあるよう
です。 現在では「豊川市御油町」地区が、かつて「御油宿」が存在した場所となります。
「本陣」は4軒もあり、現在の「愛知県」に存在した宿場の中では最多の数に。 また「旅篭」の数も60
を超えるなど、現在では想像が付かないほど「御油宿」に滞在する旅人が多かったようです。 ただし
「旅篭」が多い故に宿泊客の取り合いになり、「歌川広重」が描いた「東海道五十三次」の「御油宿」
でも旅人を無理やり「旅篭」へ誘い込む姿が描かれています。
現在も「御油宿」の名残を見せるものはありますが、中でも「御油宿」から西隣の「赤坂宿」にかけて
整備された「松並木」が「観光地」としても人気を得ている上、地元の方々の働きかけにより1944年に
国の「天然記念物」に指定されています。 また1988年には「御油の松並木資料館」が開館、「御油宿」
に関する資料などが展示されています。
ちなみに「東海道」が通過しながらも「御油」の町が廃れてしまった理由は「鉄道」の敷設を嫌った為と
言われていまして、現に「JR・東海道本線」は海沿いのルートで「蒲郡市」を経由しています。 諸説
によると「勾配がきつい」「産業に悪影響」など、当時は「鉄道」へのイメージが悪かった事もあった
ようですが、結果的には「鉄道」を避けた事により他地区が繁栄してしまった要因があるようです。
それでも現在の「愛知御津(あいちみと)駅」は1888年の開業当初に「御油駅」を名乗ってはいましたが
「宿場」のあった場所からは遥か4kmも離れた場所だった事も有り、現在では改称されています。 後に
「愛知電鉄(現・名古屋鉄道のひとつ)」が「御油宿」があった付近に駅を開業させてはいますが、先に
「御油」の駅名を採用されていた為に「本御油(もとごゆ)駅」と名乗っていた時期もありました。