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遠い外国から渡り飛んできて日本にも定住した「文鳥(ぶんちょう)」。 「江戸時代」に「中国」
から輸入されたものもはじまりとされていますが、その多くは「武家屋敷」で観賞用として飼育された
そうです。 時は流れて「元治時代」の頃、その「文鳥」は「弥富」の地へとやって来ました。
 
「尾張藩」で「奉公」をしていた女性が嫁入り道具のひとつとして、当時仕えていた「武家屋敷」で
世話をしていた「文鳥」を分けて貰い「又八地区」へ持ち込んだそうです。 この時の「文鳥」の品種
は「桜文鳥」と言われていまして、胴体は灰色、頭部と尾先は黒ながら頬が白いのが特徴です。
 
地元の方々の「趣味」として、「副業」として「文鳥」の飼育が広まる中で「明治時代」になって
全身が真っ白の「文鳥」が誕生しました。 どうやら「突然変異」によるものだったそうで、研究の末
品種の固定に成功し「白文鳥」と名付けられました。 これが「弥富」の「特産品」のひとつとなった
訳ですが、人の手が加えられた品種なので劣勢の「遺伝子」となっており、同じ品種同士の掛け合わせが
困難などの問題は残っているそうです。 日本唯一となる「白文鳥特産地」へと発展しましたが
近年では「台湾品種」の流通により「国産文鳥」のシェアも危ういものだとか。 
 
この「又八地区」には「又八神社」がありまして、その片隅に「白文鳥発祥地」という石碑が置かれて
いるのですが、これは「発祥地」を表しているだけでなく、1959年に発生した「伊勢湾台風」の際に
水死してしまった、たくさんの「文鳥」の「慰霊」も目的に設けられています。 多くの「農家」が
水没した際に、カゴの中の鳥は逃げる事も出来ず水死してしまったそうです。 この地を訪れ、その
事実を知った方々が1970年に「石碑」を設置したそうです。