


にありました物をご紹介。 当ブログで紹介すると言う事は、ちょっとしたネタがあると言う事でして…
有名な「五街道」をはじめ、日本各地に「街道」が設けられた際に移動の目印として設けられたのが「塚」
で、その目安として「1里(約4km)」ごとに置かれた事から「一里塚」と総称されるようになりました。
実際には「松」や「榎(えのき)」も併せて植えられている事が多かったそうです。
と言う事で今回の「一里塚」も、東西4km離れた場所に「一里塚」がかつては置かれていたんでしょうね。
ちなみに西へ一里進むと「小幡一丁目交差点(名古屋市守山区小幡一丁目)」付近、変わって東へ一里進む
と「瀬戸市」の「川西町一丁目」「田端町一丁目」の界隈となります。 今もあるのかな?
さてさて、今回の「一里塚」が置かれた経緯なのですが「江戸時代」のこの一帯は「守山区」に今も存在
します「大森寺(だいしんじ)」の寺領だったと言う事で、このお寺の「門前」より一里離れた場所として
この「一里塚」が置かれたと言われているそうです。
ところが、のちの調査で測定してみると3km程しか離れていない事が判ったそうです。 実際に現在の地図
で測定して見ますと「大森寺」の山門より「瀬戸街道」を通じて「一里塚」まではせいぜい2.4km! 今は
「瀬戸街道」が整備されてほぼ直線となったからか、「大森寺」が移転したからかで誤差が生じているんで
しょうけども、まさか「一里」に満たない場所に置かれていたとは。
ちなみに現在の物は「一里塚」の裏側に『昭和十四年一月修築』とありましたので作り変えられた物のよう
ですね。 さらにその下部には『慶長九年二月徳川家康江戸日本橋ヲ基点トシ諸道ニ一里塚ヲ築カシ●此
★●其一也 旭村旧蹟保存會』と、その「発起者」の名前も記されていました。
(●は読み取れない文字、★は「土へん」に「候」)
「名鉄・旭前(あさひまえ)駅」より南へ歩き、「旭前交差点」を西へ曲がるとすぐの所に「どんどん庵」
という飲食店があります。 その駐車場の南端に「瀬戸街道」に面して置かれています。 ちなみに隣には
「一里」という「寿司屋」がありました。