イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

さてさて、今回も無事に終わった「名古屋遠征」。 実は大阪滞在時からトラブルが発生! 今回は
初の試みとして「青春18きっぷ」で行動する予定でした。 朝4時起床、始発の次の電車で一番近い
「JR・阪和線」の駅へ向かい、「新大阪」へ直通で向かう快速に乗り込みました。 「新幹線」駅へ
向かうのに乗り換え無しとは、これまたお誂え向きなダイヤがあるもんだと運の良さを感じていたら…

「JR・新大阪駅」に付きまして、「乗車券」があるので「券売機」にて「特急券」「指定席券」のみ
を購入して有人改札口へ向かった時「新幹線遠征」に警鐘をもたらす、驚愕の真実を知りました…

『青春18きっぷでは新幹線に乗車できない』んだって。

手元には既に「指定席券」、しかも出発3分前。 構内の「券売機」では「乗車券」を販売していない
ようですし、窓口には長蛇の列。 機転を効かして一度外へ出て「自動券売機」で「豊橋」までの
「乗車券」のみを購入して再入場、小走りで「新幹線改札機」を抜けた時には発車2分前。 階段を
駆け上がりホームに着いた頃には発車のベルが鳴り続いていました。 手近な乗車口から乗り込み
自席のある車両へ移る頃には「のぞみ102号 東京行」は「JR・新大阪駅」を離れたのでした。

思い起こせば「速報版」でもお伝えした通り、「新幹線」での「名古屋」入りは中学の「修学旅行」
以来。 実際には今回は「豊橋」まで向かうのですが、車窓から見える景色が次々と移り変わる様に
すっかり見入ってしまいまして50分はあっという間に過ぎていくのでした。 「岐阜羽島」を通過した
頃からはなじみの風景がお目見え。 名鉄の「羽島線」「尾西線」に「ユニー」の総本山。 一度だけ
「新幹線」の高架を見上げた事がある「名鉄・大里駅」に「清洲城」、そして改装・移転で新しく綺麗
になった「JR・枇杷島駅」に恐ろしく狭い「名鉄・西枇杷島駅」も確認。 「名鉄・栄生駅」を横目
にする頃には減速を開始し、無事に「JR・名古屋駅」へと到着するのでした。

続いて「名古屋」からは「こだま632号 東京行」にて「豊橋駅」を目指します。 途中「三河安城駅」
で後続2本に追い抜かれる為に5分の停車が有りましたが、そこを過ぎれば「豊橋」まではすぐ。 途中
から車窓に「三河湾」を眺めつつ計79分の「新幹線乗車」は終わってしまいました。 しかし速い!
景色の変わり方、目的地への到着時間の速さは「近鉄特急」にはない快適さですね。 ただし運賃は
およそ3倍! 価格に見合った快適さでした… 「青春18きっぷ」が使えなかったので予定外の出費!

さあ気を取り直して「名古屋遠征」と言う名の「三河遠征」の開始です。 今回は殆どが「再訪問」と
言う事もあってサクサクと進んで行けました。 一番の新規開拓地は「豊橋市東部」の「二川地区」
だったんです。 一帯が元「宿場町」と言う事で色々な史跡や当時からの民家、それに配慮した建物が
多く「二川宿本陣資料館」などの施設も見所でした。 「ハイキングコース」もありましたよ。

が、訪問が月曜日と言う事もあって「資料館」は休刊日。 「御衣黄桜(ギョイコウサクラ)」 と
言う、緑色の花を咲かせる珍しい桜に関しては芽すら出ていないフライング訪問。 それでも予定時間以上

に巡り呆けて、きっと二度と訪れる事はないと思われる土地を後にしたのでした。

続いて訪れたのは「豊川市」の「豊川稲荷」。 およそ1年ぶりの訪問で、前回見学を見送っていた
敷地内の各所に、門前町の各店舗では前回購入できなかったお土産の品々を購入。 画像も追加撮影
しながら予定時間ぎりぎり一杯まで滞在しました。

次が「蒲郡市」。 ブログを始める遥か前に何度か訪れ、ぶらぶらと各地を散策してはいましたが
写真を撮影していなかったので今回の機会に再訪問をしてデジカメ撮影を繰り広げました。 当時は
まだ「JR・東海道本線」は地上を走っていたのですが、いつの間にか高架になっていましたよ…

隣の「額田郡幸田町」は訪問済みなので飛ばして「岡崎市」へ、次いで「刈谷市」向かいましたが以降
も「蒲郡市」と同じコメントとなりますので割愛いたします。 こんな具合に、主に「東海道本線」を
利用しましたので、そればかりは「青春18きっぷ」が大活躍。 在来線での利用合計3490円が1枚の
「企画切符」でチャラになりましたが… 購入金額が3000円だったので、ほとんど同じ?

名駅西側の「世界の山ちゃん 則武店」で晩御飯を食べ、帰りも「新幹線」でと思っていたものの朝の
顛末を繰り返すわけには行かず、思わぬところで今回も「近鉄特急」にお世話になるのでした。 夜の
乗車と言う事もあって景色は望めず、携帯でブログへ投稿する為に記事を考えつつ、大阪から持って
きていた本を読み耽りながら「大阪難波」への到着を待ち望むのでした。