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現在「知立(ちりゅう)市」が存在する一帯には「池鯉鮒宿(ちりゅうじゅく)」と呼ばれる「宿場」
がありまして「東海道」を旅する人が多く通ったそうです。 江戸の「品川宿(しながわじゅく)」
から数えますと39番目の「宿場」となります。 

現在も残る「一里塚」などでは「ちりふ」という表現が見られ、これが転じて「ちりゅう」になったと
考えられていますが「東海道」が整備されて「池鯉鮒宿」が整備された時点で既に「ちりゅう」との
発音が一般的になっていたようです。 以降は「刈谷藩」の領地「知立村」、「碧海郡」の「知立町」
を経て1970年に「知立市」が誕生しています。

その「ちりゅう」の由来となると、今度は「智立(ちりゅう)」「知利布(ちりふ)」などの文字が
歴史書に登場するほか、かつて「茅(かや)」が生い茂る「湿地帯」が存在した事から字を当てられた
「茅立(ちりゅう)」という説があります。 ちなみに「池鯉鮒」の文字は「知立神社」の境内にある
「御手洗池」に「鯉(こい)」や「鮒(ふな)」がたくさんいた事から名が付いたとか。

「池鯉鮒宿」は毎年4月末から10日間ほど、宿場の東側で開かれていた「馬市」が有名で、この期間
ばかりはより賑わったそうです。 「東海道五十三次」で知られる「歌川広重(うたがわひろしげ)」
も宿場の町並みよりも、すこし離れた一本松の下に開かれた「馬市」を大きく描いています。