
では古くからたくさんの人々が生活をしていたようで、各地で「遺跡」が見られます。 そんな土地だった
だけに「集落」が発達していき、「村」や「町」が出来るのは必然的だったのかもしれませんね。
「桶狭間(おけはざま)の戦い」では一帯が戦地となるものの、それに伴い「岡崎城」が誕生。 戦後は
「城下町」が整備されて「東海道」も「城下町」を通るようになり、「江戸時代」になって「岡崎宿」が
置かれました。 その歴史全てが、今の「岡崎市」の歴史となるようです。
当時は「三河国」に属していた「岡崎宿」、お江戸の「品川宿」から数えて38番目の宿場でした。 ここは
先に挙げた「矢作川」と「乙川」が合流する事もあって「水運」によっても栄えました。 そういえば1つ
手前の宿場「藤川宿」を流れる「山綱川」も、いずれは「乙川」に流れ入っていましたね。
現在「名鉄・東岡崎駅」から北へ500m程の所にある「伝馬通」の辺りに「本陣」が置かれていたようで
その数は「脇本陣」と併せて6つ、「旅籠(はたご)」は100以上あったとされまして、現在も市内には
当時を髣髴とさせる姿が見られます。 また「岡崎宿」は「大岡越前」も晩年に僅かながら「陣屋」を
置いていたそうです。
「歌川広重(うたがわひろしげ)」の作品「東海道五十三次」では大きな木造の橋が描かれています。
1601年に掛けられた「矢作橋」を描いた物だそうで、当時としては日本一の長さを誇っていたそうです。
その背景、東側には「岡崎城」と「岡崎宿」が描かれていますが、その姿が遠く見えるほどに橋が長い
様子を描いた物なんでしょうね。