地元「一宮市」に生まれ、「名古屋市瑞穂区」の「享栄(きょうえい)高」では1986年に春夏2回とも
チームを甲子園に導き同年の「プロ野球ドラフト会議」で「星野仙一」監督の手で見事「ドラフト1位」
の栄誉の下で地元球団「中日ドラゴンズ」へ入団した「近藤真市(こんどうしんいち)」投手。
輝かしい経歴を背負い、鳴り物入りで「プロ野球界」へ進んだ「悲運のエース」。

<通算成績>投手・左投左打
52試合12勝17敗 防御率3.90 ※登録名が「近藤真一」の時期もあったようです

地元出身の名選手が「中日ドラゴンズ」へ入団したとあって、シーズン前から注目はされていましたが
プロ入り一年目での「初登板」、しかも「初先発」とあってはファンの期待もひとしおでした。
そんな背景の中で挑んだ「ナゴヤ球場」での対巨人戦、ここで近藤選手が「プロ野球史上初」の快挙を
成し遂げる事となります。

破壊力抜群の巨人打線に対して「ノーヒットノーラン」を達成! さらに以降の試合でも3試合連続で
勝ち星を挙げた快投が評価されて「1987年8月度」の「月間MVP」に表彰されました。 これがまた
「史上最年少」での選出で「中日ファン」ならずとも「プロ野球界」に大きな衝撃を与えました。

翌年も順調に勝ち星を挙げたものの、シーズン途中で次第に成績が悪化。 かねてより左腕に故障が
生じていた事が判明して1989年に手術を受けています。 懸命なリハビリを経て1990年に復活登板
しましたが、勝利を手にする事はありませんでした。 そして1994年に引退。 輝かしいデビューから
8年、非常に残念な結果に終わってしまいました。

引退翌年からは裏方としてチームを支え、「打撃投手」と「スコアラー」を兼任。 その翌年には
「スカウト」へと転身されています。 その際に見出した選手の中には現在の守護神「岩瀬仁紀」
投手も含まれていました。 熱い闘志は若手選手に確実に受け継がれているようです。 そして遂に
2003年からは「投手コーチ」に就任し、再びユニフォーム姿を見る事が出来ました。 今年も
「投手コーチ」として手腕を発揮、陰ながら新たな栄光への橋渡しとなってくれる事でしょう。