
最初の「宿場」となる「二川宿(ふたがわじゅく)」は今の「豊橋市」にあたります。 そういえば
当時は「豊橋」って地名よりも「二川」や「吉田」のほうが名高いんでしたね。
「東海道」が定められた当初はまだ「二川宿」は存在していなかったそうで、双方が1km以上離れた
「二川村」と「大岩村」がその役割を担っていたそうです。 これに手を加えたのが「江戸幕府」で
40年以上たってから2つの村を互いに近付けさせて「二川宿」と「加宿大岩村」と定められました。
但し「本陣」や「旅籠(はたご)」が置かれたのは「二川宿」一方だけだったそうです。
現在「JR・二川駅」があるのは2つの「宿場」の中間付近だそうで、賑わいを見せた「二川宿」の
中心部には開発の手が現在も進んでいないそうです。 その甲斐あって何度も難にあった「本陣」は
「改修」されて「豊橋市二川宿本陣資料館」として現在もほぼ昔の姿を残しています。 19世紀以降の
「宿帳」などの資料が保存されている他、当時を再現した展示もあるんです。