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本業以外にも自身の半生が「TVドラマ化」されたりと、一時期は色々な方面で有名になりました。
元「中日ドラゴンズ」の外野手「平野謙(ひらのけん)」さんも「愛知県」出身の方です。
ですが「パ・リーグ」の球団に所属していた時期のほうが長いので、最近ではあまり「名古屋人」と
知られていないんでしょうか?

<生涯成績>右投両打
 1683試合 打率.273 1551安打 53本塁打 230盗塁
※画像は1986年のカルビー製のプロ野球カードより

1955年生まれで出身高校は「県立犬山高校」。 「名古屋商科大学」を経て1977年に「ドラフト外」
にて「中日ドラゴンズ」に入団しました。 身長179cmと小柄ながらも投手を務めていましたが直ぐに
外野手へとコンバート。 それからの「スイッチヒッター」への挑戦と、打撃で慣らした現役生活の
基盤は「プロ野球」入りしてから築かれた物でした。 さらに取り組んだのが「バント」の確実性。
これは現役生活の大半を「バント」で稼いだような物となり、さらには堅守と強肩も合わさって
1981年頃から出場機会が増え、スタメンに名を並べる選手へと成長してゆきました。
また1982年には当時の「犠打記録51」を、1986年には盗塁数48個で「盗塁王」に輝いています。

ただ第一期「星野政権」の際の1987年オフに監督から嫌われた事もあって「西武ライオンズ」へ
「トレード」で移籍。
それでも培った打撃・守備が衰えた訳では無いので新天地でも「スタメン」を掴み取っています。
そして迎えた「西武黄金時代」。 破壊力抜群の「西武打線」にあって、その屋台骨を支える陰の
功労者として欠かせない存在となりました。 しかし1993年を持って、成績不振より戦力外に。

1994年に「千葉ロッテマリーンズ」へ移籍、翌年からコーチ業を兼任しながら現役を続行しまして
1995年には遂に「犠打記録」が451となり、当時の球界記録を樹立させました。 しかもその舞台は
「ナゴヤ球場」と、プロ入り後親しんだ球場での快挙でした。 残念ながら同年で引退されています。

引退後は「ロッテ」で約7年、コーチを務めましたが、一旦はグラウンドから離れて「解説者」に。
ただしその間も「社会人野球」のコーチを務めたり、シーズンオフの「マスターズリーグ」に出場
したりとユニフォーム姿を見かける事もしばしば。 現在は「北海道日本ハムファイターズ」で
コーチを務められていますが、いつかは「中日ドラゴンズ」に帰ってくる日があるでしょうか?

そんな「平野謙」さんが全国的に名前を知られる機会がありました。 引退後の1996年、実の姉で
「作家」の「内藤洋子(ないとうようこ)」さんの著書「わが故郷(ふるさと)は平野金物店」が
NHKでドラマ化されました。 放送時のタイトルは「ようこそ青春金物店」と改められましたが
11歳で両親を失い以後は姉と2人で「金物屋」で生計を立てた、平野選手が幼少時代に過ごした数々の
エピソードはそのまま放送され、大きな話題を呼びました。