「東海ラジオ」では既に伝説と化してしまった深夜番組「ナゴヤフォークタウン」は1976年の放送開始
より放送回数999回を経て、1996年まで続いた「ラジオ番組」でした。 パーソナリティはご存知
「ゆき姐」こと「兵藤ゆき(名古屋市出身)」さんと、同局の元アナウンサーで代表格でもあった
「天野良春(あまのよしはる・三重県四日市市出身)」さん。
『浴びせ倒しの街頭アナウンサー天野良春と、小股すくいの兵藤ゆきです』
この文句で番組はスタート。 他の深夜番組同様、2人の軽快なトークと番組の冠にもある「フォーク
ソング」を流すスタイル。 日曜の深夜の放送(番組末期は土曜の深夜)にも関わらず、絶大な人気と
知名度に支えられて20年もの月日を歩んで来た事でしょう。
名物コーナーは、音痴な天野アナを鍛える「歌唱指導のコーナー」やリスナーの投稿をメインに進行
する「お手紙人生相談」といった、よく聞く内容のものもあれば、毎週番組のどこかで発表する
「キーワード」を一年間繋いで文章にして年末にクイズにするという気の長い企画や、放送には
乗らない「サブスタジオ」にいるディレクターの発言を想像して当てるクイズコーナーなど
非常に凝った内容のものまで幅広く繰り広げられていました。 手紙の宛先が毎回変わったり
妙に長くなっていたり、意味不明の文章が続いたりもしていたそうです。
番組はディレクターの急逝が原因で、常々「パーソナリティ」と「ディレクター」の誰かが欠けた時点
で番組は打ち切る、との約束が出来上がっていたそうです。 最終回が999回目というのは偶然なのか
番組改編に併せたものなのかは判りません。 それでも、終了から10年後の2006年に一夜限りの復活が
実現しまして、無事に通算1000回目の放送となりましたが、当然ながらパーソナリティ2人だけで
迎える少し寂しく懐かしいものになったそうです。
より放送回数999回を経て、1996年まで続いた「ラジオ番組」でした。 パーソナリティはご存知
「ゆき姐」こと「兵藤ゆき(名古屋市出身)」さんと、同局の元アナウンサーで代表格でもあった
「天野良春(あまのよしはる・三重県四日市市出身)」さん。
『浴びせ倒しの街頭アナウンサー天野良春と、小股すくいの兵藤ゆきです』
この文句で番組はスタート。 他の深夜番組同様、2人の軽快なトークと番組の冠にもある「フォーク
ソング」を流すスタイル。 日曜の深夜の放送(番組末期は土曜の深夜)にも関わらず、絶大な人気と
知名度に支えられて20年もの月日を歩んで来た事でしょう。
名物コーナーは、音痴な天野アナを鍛える「歌唱指導のコーナー」やリスナーの投稿をメインに進行
する「お手紙人生相談」といった、よく聞く内容のものもあれば、毎週番組のどこかで発表する
「キーワード」を一年間繋いで文章にして年末にクイズにするという気の長い企画や、放送には
乗らない「サブスタジオ」にいるディレクターの発言を想像して当てるクイズコーナーなど
非常に凝った内容のものまで幅広く繰り広げられていました。 手紙の宛先が毎回変わったり
妙に長くなっていたり、意味不明の文章が続いたりもしていたそうです。
番組はディレクターの急逝が原因で、常々「パーソナリティ」と「ディレクター」の誰かが欠けた時点
で番組は打ち切る、との約束が出来上がっていたそうです。 最終回が999回目というのは偶然なのか
番組改編に併せたものなのかは判りません。 それでも、終了から10年後の2006年に一夜限りの復活が
実現しまして、無事に通算1000回目の放送となりましたが、当然ながらパーソナリティ2人だけで
迎える少し寂しく懐かしいものになったそうです。