今や「東北楽天ゴールデンイーグルス」の主砲となった「山﨑武司(やまさきたけし)」選手も
「愛知県」出身のプロ野球選手であります。 元々、地元の「中日ドラゴンズ」に所属していた事も
あって、名古屋での知名度は非常に高いものと思われます。

1968年11月7日生、愛知県知多市出身。 右投げ右打ち

「愛知工業大学名電高等学校」より1986年オフの「ドラフト会議」にて2位指名で「中日ドラゴンズ」
へ入団。 当初のポジションは「捕手」でしたが、1989年のシーズン終盤には外野手への転向を
言い渡されてしまいました。 それでも打撃面は絶好調で「ウエスタン・リーグ」ながらも
「本塁打王」と「打点王」の二冠を達成しています。

一軍定着は1993年からで出場機会が増えるも、打撃面はイマイチ。 それでも1995年より本塁打に
打点が徐々に増加すると1996年にはそれが爆発! 自身初の「月間MVP」獲得に、初の「オールスター
出場(監督推薦)」、そしてシーズン終了後には「本塁打王」の獲得と「ベストナイン」への選出も
あり、記録尽くめの1年となりました。 あとはチームが優勝をしていれば…

2001年オフには「FA残留」で3年契約を結んだものの、翌年はシーズン前から不調が続き、また
この年に監督に就任した「山田久志監督」とも合わなかったようで、2002年のオフにトレードで
「オリックスブルーウェーブ(当時名)」へ移籍することとなります。 新天地での1年目は
まずまずの成績を残したものの、翌年には新たに監督との確執が生まれ調子を失い、オフには
「戦力外通告」を受けました。 この時点で本人には「引退」の選択肢もあったようです。

高校の先輩でもある「工藤投手(現:横浜)」の勧めもあり「現役続行」を決意した山﨑選手が
次に所属した球団は、その年のオフにプロ野球へ「新規参入」を表明した球団「東北楽天ゴールデン
イーグルス」。 チームには4番として迎えられ、怪我による二軍落ちを経験しながらもチーム最多の
25本塁打を放ち、チームを牽引しました。 翌年から就任した野村監督とは努力型の選手と言う事で
ウマが合い、また他の選手へは精神的な支えとなり、山﨑選手の存在は今やチームにとって欠かせない
ものとなっています。 そして2007年、11年ぶりの本塁打王とチーム初の日本シリーズ出場を掛けて
「クライマックスシリーズ」出場へ向けて今日も山﨑選手のバットが唸ります。