久しぶりの更新です。
先日久しぶりに
中学の友人のマミさんから電話があり、
「ブログを更新してないね」と言われました。
母のこと、少しずつ書いていこうと思います。
実は・・
昨年7月に母が亡くなりました。
毎年お正月やお盆には帰省をしていたのですが、母に少しずつ変化がありました。
おかしいと感じて主治医に電話をしました。
お医者さんは感じていたようですが、だからといって認知症の検査をやってくれたり父に相談したりしないんですよね。
気がついた時には進行していて、季節感もわからなくなっていました。
足が悪くなって、這うようになりました。
寒い寒いとストーブの前で横になって、肌は焼けて網のようになっていました。
一時は実家に戻って一緒に暮らそうかとも考えました。
そこで、ちびまる子ちゃんの認知症のCMを見て、すぐに電話をしました。
「包括支援センター」というところにつながり、そこから介護サービスの手続きをするようになりました。
でも、認知症の親を説得するのは本当に難しいものです。
今、現在は全くいつもの母と変わらないわけですから。
同時に父にも納得をさせることも難しい。
お金もかかってきますしね。
はじめはトイレで失敗をして、夜中寒いなか震えながらトイレを掃除していた母。
頭の中では、掃除もするし買い物もしているわけですから、周りの家族が認知症を理解するまではかなりの時間が経ちました。
特に男性陣で全く理解をしようとしないもんですから、母を怒らせることばかり。
それから3年以上寝たきりの状態が続き、父が介護をしてきました。
介護サービスを利用しながら、私は毎月新幹線で様子を見に帰りました。
とにかく母は医者嫌い。
子宮脱の症状が出るようになって、外に出ることがなくなりました。
庭仕事が好きなので、重い石や草むしりをして、薬に負けて爪が溶けていたり、転んで怪我をするようになりました。
「お父ちゃんはな~んにもせん」とカンカンに怒っていました。
定年退職をしてからは、それまでは家事には手を出さなかった父に対して
私が先に死んだ時に自分でも出来るようにと父に食事の支度をさせるようになりました。
朝食の準備は父がするようになり、またそれが本を見て、シェフ並みの料理をするようになった父。
その頃はまだ良かったんだろうな?
今思えば、私の主人が病気になったり、長女が心臓病になったりと仕事や好きなバレーなどに追われ、忙しくしていたせいか、母からの電話にきちんと付き合ってあげなかったことが悔やまれます。
「ぜんぜん電話をしてくれんね。寂しいよ」
「ごめんごめん、また電話するから」
もっと話をしてあげたら、認知症にならなかったかも?
それは、主人の母との電話のやりとりにもありました。
私にもそういう時期が来るかもしれません。
引越しをして周りに友達がいなかった母。
寂しかったのかな?
今、同じ世代の人達は、娘の出産子育てか親の介護でいろいろな問題が山積みですね。
それでも、空いた時間は有意義に使って元気に生きなきゃ。
また母のこと書きます。