プロレスラー小橋建太「ラストマッチ」で奇跡の月面水爆.「練習の鬼・小橋」プロレス界に鉄人魂を伝承 | 大家 サムの気になる話(°°;)

大家 サムの気になる話(°°;)

#気になる話 #不動産投資家 #心に響く話

訪問ありがとうございます。
ポチっとな<(_ _)>
よろしくお願いいたします>

↓↓↓
  ブログランキング・にほんブログ村へ

人気ブログランキングへ
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
ポチっとな<(_ _)>
幸運をよろしくお願いいたします
m(__)m
ペタしてね   読者登録してね


Yahoo!ニュース
YAHOOニュース引用

「練習の鬼・小橋」プロレス界に鉄人魂を伝承

東スポWeb 5月11日(土)20時43分配信

「練習の鬼・小橋」プロレス界に鉄人魂を伝承

レスラー最後の日。小橋は本紙が発売数する「引退特別号」を手にラストマッチへの気持ちを高めた

「練習の鬼」「24時間戦う男」と呼ばれた鉄人・小橋建太(46)。入門以来25年にわたった中毒者級トレーニングはもはやプロレス界の無形財産。不屈の精神と飽くなき向上心は永遠に語られ、そして受け継がれていく――。

小橋建太「ラストマッチ」で奇跡の月面水爆

 誰より練習好きな「24時間戦う男」。新弟子時代から1日12時間以上を超えたその練習量は、往々にして周囲に脅威を与えた。2000年ノア旗揚げ当時から取締役を務めるようになっても、その姿勢は変わらなかった。午前7時に道場もあるオフィスに一番乗りして自ら道場の鍵を開け、一人で練習を開始するのだから新弟子はもちろん、社員までが戦々恐々。故三沢光晴社長も「そんな取締役いねえよ…」とあきれ果て…いや、驚いていたものだ。

 また05年の英国遠征時には出発前にトレーニングをしようと、ゆりかもめの始発より早い朝5時に道場にいたという証言もある。

 小橋:道場に対して、感謝の気持ちはいつもあるよね。神聖な場所でもあるし、気軽に行ける場所でもあるし…。それが俺にとっての道場かな。

 中毒性すら感じさせる鍛錬を続けた小橋の誇り高き精神は、今後も脈々と受け継がれる。ノアの丸藤正道(33)は「プロレスラーとはこうだと体で示してもらった」と振り返る。地方大会前に小橋に誘われるがまま腕立て伏せをしていたら、気がつくと回数が1800回を超えていたこともあった。

「道場には小橋さんの汗が染み込んでる。練習に対する姿勢は小橋さんから教わった。三沢さんもそうだし、先輩方が残してくれた財産は大きい。それを絶やさぬようにしていくのは義務」とノア、そしてプロレス界に鉄人魂を伝承するつもりだ。

 小橋は07年に腎臓がんから復帰後、腎臓への負担減のため食事制限を行っている。たんぱく質の多いプロテインは飲まなくなり、以前のような大きな体を維持することも難しくなった。それでも「今できることをやらないと。前に進むために、自分でできることをやってきた」と練習だけは欠かさなかった。

 数々の困難に見舞われながら四半世紀、24時間磨き続けた鋼の肉体。日本武道館で放つ最後の輝きは、未来永劫プロレス界に刻まれる。



 
プロレスラー小橋建太「ラストマッチ」で奇跡の月面水爆
2013年05月12日 00時00分

鉄人・小橋建太(46)が11日、東京・日本武道館でラストマッチを行い、25年間のレスラー人生にピリオドを打った。詰め掛けた1万7000人超満員の観衆から特大の「小橋」コールを受け、魂のチョップ185発と奇跡の月面水爆で有終Vを飾り完全燃焼した。幾多の困難を乗り越え激闘を繰り広げた鉄人伝説を残し、小橋はリングを去った。

 鉄人最後の舞台は、故三沢光晴さんらと幾多の名勝負を生み出してきた日本武道館。小橋は秋山準、武藤敬司、佐々木健介と夢の共闘を果たし、歴代付け人のKENTA、潮崎豪、金丸義信、マイバッハ谷口組と対戦した。

 リングに立つのは両ヒザに重傷を負った2012年2月19日の「ALL TOGETHER」仙台大会以来、実に447日ぶり。レスラー生活の集大成を見せるべく聖地に帰ってきた小橋が「GRAND SWORD」で入場すると、17000人のファンから耳をつんざく大歓声が巻き起こった。腰には絶対王者時代の2代目GHCヘビー級ベルトが巻かれている。

 午後7時58分、運命のゴング。もっとも小橋にブランクの心配は不要だった。最初にKENTAと対峙した小橋は、何といきなりチョップを22連発。その後も付け人たちの胸板に思いをぶつけるかのように、チョップを打ち込んでいく。さらに25分過ぎにはKENTAにハーフネルソンスープレックス、マイバッハにはマシンガンチョップ86連発、金丸には雪崩式ブレーンバスターと、全盛時をほうふつとさせる動きで見るものの度肝を抜いた。

 クライマックスは35分過ぎだ。小橋のショートレンジ式ラリアートで意識もうろうの金丸に、武藤が月面水爆を発射。小橋が呼応するかのようにコーナーポストに上ると、場内のボルテージは最高潮だ。誰もがもう見られないと思っていた小橋のムーンサルトプレスが炸裂し、有終の3カウントを奪ってみせた。

 特大の「小橋」コールを受けた鉄人はリング上で「プロレスが好きで、応援してくれる皆さんがいて、プロレスを続ける力になった」とあいさつ。母・都さんと真由子夫人から祝福の花束を受け取った。また師匠の故ジャイアント馬場さん、三沢さんに対して「心の中で引退しますと、天国に届くように言いました」と、ラストマッチに秘めた思いも明かした。

 88年2月のデビューから約25年。全日本プロレスとノアで活躍しプロレス大賞MVPを2度、ベストバウトを8度獲得するなど数々の金字塔を打ち立てた。その一方で、激闘の代償で体は満身創痍となった。度重なるヒザの大手術を経験。さらに06年には腎臓がんが発覚し、レスラー生命最大の危機に立たされた。

 しかしそのたびに鉄人・小橋は、不屈の闘志で困難を乗り越えてきた。この日も完全燃焼するため、ファンにケジメをつけるために、リングに戻ってきたのだ。そしてその責任を全うした。

「プロレス人生、自分の青春でした。しかしまだ青春は続きます。自分自身で歩んできたプロレス人生に悔いはありません。プロレスで学んだ精神で、これからも頑張っていきます。小橋建太にかかわる全ての皆さんに感謝です。私は最高のプロレス人生を送ることができました」。最後の最後までプロレスを愛し、そして愛された鉄人・小橋。プロレスに人生を捧げたその姿は、ファンの記憶に永遠に刻まれる。


【関連記事】