進化をするには感情を捨てなければならない。
退化をするには物質的貧しさを甘受しなければならない。
感情を捨てずに物質的充足を得ることはできないし、ロボットなることを否定すれば原始人になるしかない

これが今後、人類が直面する二項対立の問題である。

にわかには信じられない人もいるだろうが、これを証明する事例は多くある。

例えば、出生率。
昔から出生率の高い層は奴隷や肉体労働者のような被支配者層であり、学者、医者、資本家などのプチブルやブルジョアの値は低い。
被支配者層には価値がないので、
これは、非動物性が人類の進歩に貢献していることに他ならない。

現代でも学歴と出生率は反比例している。日本の上位の大学を卒業した人は、高卒の人よりも出生率が低い、かつ所得は高い。
所得の高さとは生産性の高さであり、生産性の高さは人間としての価値の高さであるから価値の高い人ほど非動物性を身につけていることになる。

おまけに現代のポピュリズムを覗けば、いかに進化した人々と退化した人々の差異が判る。

もちろん、進化した人々とは資本家や政治家(日本の政治家場合は進化したとは言えないかもしれない)エスタブリッシュメント層である。
退化した人々とは大衆である。

体裁良く振舞ったり、論理が浅薄でも強いリーダーシップを演じれば大衆は熱狂する。
大衆を煽動、先導する進化した人々と盲従させられる退化した人々がこれに顕れている。

毎日バカバカしいテレビ番組が流れ、
分かりやすい言葉でストーリーを作り
表面的、一面的な理解を促す。

日常にはあまりにも衆愚が溢れている。

しかし僕が言いたいのは、この支配者と被支配者の二項対立ではない。

トランスヒューマニズムとアナルコプリミティヴィズムの二項対立である。

支配者層と被支配者層がこの対極にいずれ別れるだろうという先見でもない。

階級やら能力の差やら何もかも取っ払って、全人類、いや、殆どの人類がどちらかの極みに正解を見出すだろうという先見である。
そして、僕は既にどちらに向かうか予想が立っている。

おそらくトランスヒューマニズムの方向であろう。
なぜなら今までの人類の進化自体がこの方向だからである。
人間に潜在している方向そのものがトランスヒューマニズムだ。
そうでなければ、人間は猿か原始人のままなはずなのだ。

確かに現代に退化の現象は見える。
テクノロジーは発展して食べ物が溢れ豊かになっているにもかかわらず、
年々若年層は変化してないどころか稚拙化しているように見える。
写真を撮ってはSNSに載せ承認欲求を得るという無意味な遊びが流行り、過去では殺し合いを愉しんでいたのが、現代ではテレビ画面の中での殺戮を愉しんでいる。

しかし、これらは変化していないわけではない。
現代では地動説が真理なのだ。
一部を抜粋しただけでも地動説と天動説には大きな違いがある。
大きな進歩の違いがある。

さて皆さん、進む方向は何となく分かったところで、どちらか選択を迫られる日がくる。
そのXデーまでに感情のないロボットか原始人になるかの英断をしましょう。

P.S.
話がまとまらない