こんばんは、かみうらです。


今日は株主総会があって疲れ果てました…
2年目と言えど、会社内では最若手なのでかなりこき使われたんですが、いくらなんでも限度がありますよね。




株主総会と言えば東電の株主総会がかなり注目されてましたが、あれじゃあ怒号が飛び交うのは当たり前ですよね。
本来経営者は責任が大きいからこそその報酬も大きいはずです。
その会社を株主から預かってる以上、利益を出せば報酬がおおきくなるのは当然。
ならば、こういう有事の場合には全力を尽くして責務を果たすのが道理でしょう。
例えば全財産を処分して、それらを補償に補填する。
それをしても人生を奪われた人のことを思えば足りないと個人的には思うのですが。
経営陣の財産を没収したうえで廃業すべきだったのです。
今でもまだ東電の役員は給料賞与をもらっている。


有事の時に責任をとる為の対価としての役員報酬が、なぜ責任とれてない今も払わなければならないのでしょうか。
その上政府は金融機関に債権放棄を求めて東電を存続させようとしている。
電力はどうしても必要ですから簡単に廃業できないですけど、これじゃちゃんちゃらおかしいですよ。
せめて国有化のような手段がとれたはず。
会見を開けば失敗の報告ばかりの会社が倒産を免れるなんて誰も納得しないですよね。




そして。
うちの会社を見てよく感じるのは、みんな人ではなく肩書きに対して敬意を払ってるなってことです。
確かに社長さんはエラい。
僕なんかをやとってくれた。
でも雇われた以上は一人の人間として、仕事を共に遂行するパートナーとして扱ってほしい。


僕の考え方ですけど、会社の全ての業務は本来一人でやらなくてはいけないんです。
でも現実にはそれが無理だから誰かにお願いして手伝ってもらう。
お願いされた僕らは給料という対価をもらってお手伝いする。
だからあくまで全社員はパートナーなんです。
もちろん人数が増えて組織として円滑に運営するには肩書きだとか敬語だとか潤滑油が必要になってきますが。
じゃあ肩書きや経歴が目下の者はぞんざいに扱っていいのか?
もちろんおかしいですよね。

どんな肩書きの経歴の浅い者でも、一人の人間として扱わなければただのクズ扱いです。
僕である必要はない。
もちろん指示されたら動きますけど、やって当然というか、慮りがまったく感じられない。


会社は人で成り立っています。
誰の人格を無視することはできないのです。
しちゃいけないんです。


自分の会社のいけない所を考えつつ、しかし少人数を活かして自分の周りから少しずつ変えていきたいと思います。
来年入ってくる後輩は滅茶苦茶可愛がります。
好きな会社とは胸をはって言えないですけど、ご縁があって今いる会社なので。


仕事に忙殺されてましたけど、ちょっとずつ気持ちが上向いてきました。
さて行き着く暇も無く第1四半期決算頑張ります。
お久しぶりです、かみうらです。

何とか生きてました…


今日まで忙しい日々が続いてました。
経理部員の方は共感できるハズ。

決算、予算、納税が続き、僕は資格試験もある怒涛の日々でした。

特に本決算と確定納付は初めてなのに、指導も無く丸投げされた状態だったのでかなり苦労した。

ここ数ヶ月で繁忙期を迎え、仕事もかなり任せてもらえるようになったのでそれに報いたいと必死に頑張ってきました。

プライベートでも良くないことが続いて辛かった…


でもいつまでも低空飛行してるのはかみうららしくありません。

夏は経理的には閑散期。

プライベートで色々改革してこうと思います。

今はちょっとだけ小休止。


iPhoneからの投稿
ご無沙汰してます。

仕事が急に増え、充実した日々を過ごしてたので、更新が疎かになってました。
忙しいを理由にしちゃいけないんでしょうけどね。


先日、「歳上には敬語でなければならないのか」ということについて考えてました。
「そんなのは悪しき習慣で、尊敬できる人にだけ敬語をつかえばいい」という意見があったからです。

こんな習慣のせいで横柄な態度をいる大人がいるのも事実です。
しかしながら習慣として定着しているからには何らかのメリットがあるのではないでしょうか。

私が考えるに、それは先人の人間関係を円滑にするための知恵だったと思います。

人間は集団で生活しますから、どうしても人間関係という悩みができてしまいます。
全員フラットな関係というのは難しいくて、どこかで上下関係を作らなければならない。
だからあくまで1つの方法として、人間関係の潤滑油として歳上を敬うという習慣ができたのでしょう。


歳上を敬うなんてのは確かに時代遅れの儒教文化かもしれません。
敬語使われてるんだからそれに見合う人間になろうとする大人も少なくなりました。
それでもなお、先人の知恵であることを受けとめ、考えなければならないでしょう。

「尊敬できる人だけに~」なんて言う人はきっと尊敬されない。
今ある習慣を否定するにも今一度その習慣が定着した理由を考えなければ、ただの自己中心的な意見にしかなり得ないのです。

欲は自己中心的だけどそれが研ぎ澄まされて志に
なればみんなと共有できるはず。




もうしばらく忙しい時期が続くので更新もあまりできませんが、やめずに頑張ります。
二十歳を過ぎてから、時間の流れ方が早くなった気がします。
そういえば先輩が「二十歳から一年が短く感じる」と言ってたような。
でもそれってよくよく考えてみれば当たり前のことなんですよね。

もし仮に生まれた時からの記憶がずっとあるとすると、10歳の時、一年間はそれまでの人生の1/10。
つまり、全ての記憶の1/10。
50歳での一年間は全ての記憶の1/50。
一年間の長さなんてみな平等で4年に1回の例外を除けばずっと同じ。
分子は変わらないけど分母だけは増え続ける。

だから一年が自分の人生の中で相対的に短くなっているだけなんですね。
感覚的に人生の折り返し地点は二十歳と言われるのも、きっとそういうことなんだろうと解釈しています。





子供の頃、無限に成長していく気がしてました。
勿論無意識的にですけど。
体力も知力も精神力も身体も、全てが成長していましたし、衰えなんてありませんでしたから。
ただ今となっては体力の衰えを感じずにはいられないし、何となく限界も見えてきました。
「成長」にも限りがあると感じてきたんです。

もうこの歳になってしまっては子供の頃のように全てが成長するわけじゃない。
ある程度自分で考え、成長させたいポイントを意識していかなければ成長も難しい。

私は、人が成長するには「受容」が必要だと考えています。
自分の悪い所、足りていない所をきちんと知り、理解し、受け入れることです。
自分が「成長させなければいけない所」、つまり欠点を認めるというのはかなりのストレスが溜まりますし、どうもプライドが足枷になってしまいがち。
でも、自分の欠点を認めず成長しようなんて、見えない敵と戦ってるようなものだと思うんです。
成長のための方法や手段なんて二の次です。

だから、自分のコンプレックスを受け止めることができずなよなよしてる人は成長できないと思う。
「コンプレックス」だなんて便利な言葉に委ね、開き直ってしまっている。
コンプレックスをバネにして成長しなければ。



今、とある友人と何か面白いことをしようと企んでいます。
こうやって積極的に活動できるのも若いうちです。
その友人の積極さに憧れながら僕も便乗していこうと思います。

TAKE ACTION!!
表題の件。

私には全く理解できません。

どうやら某人気マンガのセリフを引用しているようです。

そのマンガを読んだことはないので、本当はどのような意図のセリフなのかわかりませんが、どうやら「何もしないよりは何かした方が良い」というようなニュアンスで使われているようです。



しかし結局偽善だと認めてしまっているじゃないですか。

それに偽善という言葉は善行を行っているのか前提条件だと思うのですが、果たして「善になりうる行為」をちゃんとできているのでしょうか。

不本意ながらも形だけは善行をしていることが「偽善」だと思うのですが。

自分が良かれと思ってした行為が善にならなかった場合の言い訳をしているように聞こえます。

つまり、自分の為した行為が良かったのかどうか自己精査する機会を自ら進んで放棄しているように思えるのです。




今日本は国難と言うべき未曾有の災害に見舞われています。

当然現時点では被災者支援に注力すべきですが、いざ復興の段になったらそれこそ国民全員で乗り切らなければいけないはずです。

すでに経済大国である日本の経済の中心の東京は100%の機能を果たしていません。

こうして今この瞬間にも日本の体力は削られているのに、非被災者の私達は言葉遊びをしている場合でしょうか。

ヤシマ作戦だのウエシマ作戦だの有名どころのパロディでただの言葉遊びじゃないですか。

そんな作戦、名付けなくても当然のように行うべきです。

言いたいだけじゃないかと疑ってしまいます。

ヤシマ作戦でキャンドルナイト?

被災地ではその火すら無くて困ってるのに、そんなことも考えず美化し過ぎです。

それを同年代の若者が真面目にリツイートなんかして広めている。

いくらなんでも幼稚過ぎる。




今の若者は綺麗事ではなく辛辣な言葉を言えないのでしょうか。
http://xdl.jp/diary/index.html#20110313

西宮市議会議員の方のブログです。


辛辣な言葉が並んでいますが、非常に参考になります。


特に3月13日と3月14日更新分は必読です。
こんばんは、相変わらずかみうらです。


友人のブログで面白い記事を見つけました。

「大人は後ろ向きに生きる」というものです。


幼少の頃は毎日が新鮮で、真っ直ぐ前を向き生きていく。

しかし大人になると昔を振り返ることはあっても歩みを止めることはできず、後ろ向きのまま生きていく。

後ろ向きのまま生きるようになったら、それが大人になったと言うことだ。

確かそんな記事でした。








昨夜は学生時代の友人と久しぶりに会う機会がありましたが、その友人が「思い出話を肴に酒飲むようになったなぁ」とこぼしました。



もう僕らは会っても久しぶりですから、近況報告か思い出話しか話すことがない。

昔を懐かしむことは非常に重要です。

過去の成功は自信に、失敗はコンプレックスとなり新たなモチベーションに繋がり、今の自分を支えてくれますから。


しかし現在の私はどうでしょうか。

未来に生きる私を支える経験を積んでいるでしょうか。

「社会人」という学生にとって得体のしれない生き物がようやく解ってきた今、何かアクションを起こさなければいけないのかもしれません。

まずは行動を。

TAKE ACTION!
こんばんは、かみうらです。

今回の犠牲者の方にはご冥福を、幸いにもご無事な方にはいち早い復興をお祈りしています。

壊滅などという言葉は日本においては聞き慣れず、それだけにNHKのキャスターが「壊滅」という表現を使った際には絶望感を覚えました。

日本はどんなにやられても立ち上がってきた不屈の精神があります。

「どうせ復興するから日本とは戦争するな」なんてジョークがあるくらいです。

twitterなんかは暖かい呼び掛けで溢れています。

私達もできることから始めなければなりません。



しかしながら私達が良かれと思ってやってることが、実は何の効果も無かったり、場合によっては悪影響を与えてしまってることもあると思います。

政府の呼び掛けに応じて関西でも節電の呼び掛けが広がっています。

おそらく多くの人はそれが人から聞いたりtwitterなどのSNSで知ったりした不確かな情報のはずです。

この呼び掛けを知った何人の人が関西電力に問い合わせたでしょうか。

関西電力のHPを見れば、確かに東日本へ送電を開始しているそうですが、特段節電は必要無い旨のメッセージが載っています。

与えられた情報を鵜呑みにしてしまい、精査することなく実行・流布をしてしまう。

勿論節電は普段から心掛けるべきですが、知った情報は偽善者による嘘だった場合、ただ混乱を招くだけです。

皆さんの暖かい呼び掛けやメッセージを見て日本という素晴らしい国を再認識する一方、その気持ちを無駄にしないためにもより合理的な、効果的な方法を考えるべきです。

暖かい呼び掛けに単純に反応して「何か良いことをした気でいる人」が多過ぎる気がします。

残念ながら災害初期は被災地へのパイプは寸断されてたりか細くなっていたりする状況です。

初期支援は大きな組織に任せる方が良いでしょう。

届かぬ善意ばかりにならぬよう気を付けたいですね。




そんなつまらぬことを考えてしまった週末でした。

初めまして、かみうらです。

まずは簡単な自己紹介をば。






社会人ですが、「若手」と呼ばれる年齢の会社員です。

Q州出身でアジアの極東あたりに住んでいますが、どこに住もうとやはり九州男児の性は抜けないようです。

文才は皆無ですが、自分の思うこと、感じること、考えていることを上手に紡ぎだせるよう努力します。




友人がブログのルールを決めていましたが、僕も一つだけルールを設けたいと思います。

それは

「自分だけが判る文章にしないこと」

です。



自分が感じたことを吐き出すだけならただの愚痴になりかねません。

言葉は伝達手段ですから、相手に伝わるようにしないと。

それに日本語が上手ならば、きっとその文章は美しい。


自分の気持ちや考えを上手に紡ぎだすことで、自分を再認することで、僕はもっと成長できるはず。

このブログがその一助になれば、という自己満足なブログです。




僕が目指すのは「大人」です。

昔から憧れていた「大人」という存在。

スーツ格好いいし、校区外にも自由に行けるし、お金も持っている。

でも世間一般に「大人」と言われる年齢になった今、憧れていた「大人」と自分のギャップに驚いています。

では一体「大人」の定義とは何なのか。

僕が目指すべきものはどんな人間なのか。

「おとなになること」をこのブログのテーマにすえ、初回の更新を終わります。

それでは。