しなやかな心のための
[しあわせ自家発電]
笠松まさみです
自己犠牲という言葉からの響きはそれぞれに感じ方も違うでしょうが、多くの方は陰のイメージを持たれるかもしれません😌

ニュースなどを見ていても犠牲者何人とか言いますものね‥
ひとり娘はわたしの願いからモンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園に通わせました🍀

モンテッソーリも最近では広く知られる様になり、その教材を使って英才教育を謳う塾の様なものもある様です

元々は大脳生理学に基づいてマリア・モンテッソーリが発達障害児のサポートを目的に考えられたと伺っています

それを健常児に用いて英才教育となる訳ですが‥

わたしがモンテッソーリ教育を選んだのは単に縦割り保育で、通常の幼稚園では味わえない1クラスに年下の子もいて年上の子もいてもちろん同い年もいるという環境😊

それは兄弟が欲しいという、叶えてあげられなかった娘のお願いに少しでも近付くためでした🌱

それと、その頃の小学校や中学校は荒れ気味で不安もありましたので幼稚園ぐらいは自分も納得して決めたかったのが本音です✨

今日はそこで真理子先生が子供達に読み聞かせて下さっていた本から自己犠牲のお話が出来たらと‥
この本をご覧になった方もいらっしゃると思いますが、わたしはなかなか深いものを感じてしまいかれこれ30年手元に置いて何度も読み返しています😊

いわゆる大人が読む絵本ですね✨

りんごの木🍎と男の子のお話‥

要約するとりんごの木🍎は与える側、男の子は年齢に応じてその時に欲しいものを与えられる側

どんな要求にも出来る限りの精一杯で応えて最後は「もう何もあげるものは無いんだよ」と切り株だけになってしまった木

年老いた男の子はそう言う木に「わたしはもう欲しいものは何も無い、年老いてゆっくり休める場所が欲しい」とつぶやき‥

そして木は喜んで「わたしに腰掛けゆっくり休んでいきなさい」と言う

めちゃくちゃ端折ってますから伝わるかどうか心配ですが、全文を是非読んでみて欲しいなぁ❣️

ここで大切なのは何だろうとわたしは今でも考えさせられます😌

繰り返し繰り返しでてくる言葉が木は嬉しかった

不思議と自分がこの本を読んだ年齢や状況の違いで受け取り方も違ったので、みなさんの心に響くかはわかりませんが‥

自己犠牲の中に哀しみの欠片を残してはいないという事の凄さに感動し、それがわたしに出来るだろうかと今も考え続けている様に思います🧩

健全な自己犠牲ってそう簡単な話では無さそうなので何度かに分けてブログでこの続きを‥✨

近くに図書館などあればそれまでにおおきな木を是非読んでみて下さると嬉しいです❣️

ではまたブログでお会いできます様‥😊