南町奉行大岡越前と杉の市、そして杉の市の叔父、仙臺屋輿兵衛の三者会談は、薮原検校一周忌の後、検校邸の大広間にて、膝を突き合わせて行われた。
中々二代薮原検校となる事を拒み、出家すると言っては聞く耳を持たなかった杉の市。二度三度と三人で話し合ううちに、少しずつ折れて漸く五回目に、
叔父輿兵衛が後見人となり、仙臺屋の番頭・彦次を検校邸に派遣して、亡くなった藤兵衛が仕切っていた番頭の事務仕事一切を引受けると言うので、話は纏まった。
さて、仙臺屋輿兵衛と初めて逢った越前の印象は、あまり良い印象ではなかった。元武士で岡山藩に仕えたと聞いたが、感情を表に出さず目の奥に冷徹さを強く感じたからだ。
侍だった事もあり感情を押し殺す癖が身に付いているのだろうが…、それにしても温か味の欠片もない。また番頭の彦次、こいつは間違いなく悪人顔だ。
この二人を見て杉の市の将来に一抹の不安を大岡忠相は感じたが…、自身が推挙して二代薮原検校にしたのだからと、その行く末を見守ろうと、固く心に誓う越前だった。
そしてまんまと杉の市の筋書き通りに、薮原検校の三万両の身代は杉の市が二代目となり相続した。
すると身代のうち、直ぐに五千両分が為替で仙臺屋一味に譲渡されて、首領輿兵衛も大いに喜んだ。
初めのうちは、二代薮原検校となった杉の市は、按摩や鍼灸に真面目に励み額に汗して働いていましたが、徐々に「タガが緩み出して…。」
酒を口にする様になり、療治の客先に酒臭い姿で現れたり、酷い時は二日酔いで休んでしまう。また、女郎屋や賭場にも又出入りして散財を始めます。
二万五千両有った身代も、相続したばかりの頃は使い切れない!一生遊んで暮らせると、鷹を括っていましたが、見る見るうちにお足は消えて無くなります。
奉行大岡越前に「杉の市、この忠相が、薮原検校を殺めた仇は、必ずや召し取る召し捕る!」と、言わせたんだから、大人しく療治に精を出して、
江戸近郊の盲人(めくら)を助けて、地道に座頭金を貸付ていれば、悪事が露見する心配は無かったのに、人間、一度欲に走り出すともう止まりません。
一つ欲が叶うと増長し、二つ目、三つ目、四つ目と、無尽蔵に欲は膨らみまして、思わぬ所から馬脚を表し、それが命取りに成るものです。
一方ここから噺はガラッと変わって脇道へ。もう一つの伏線噺へ。ちょうど同じ頃備前國岡山藩に、戸澤三吾という三百石取りの武士が有りました。
そうです!"戸澤"という姓。あの戸澤輿左衛門改め仙臺屋輿兵衛の実の兄なのです。この兄三吾は現在五十二歳、数年前に妻に先立たれて娘お登勢と二人暮らしです。
仙臺屋輿兵衛は、先にも申した通り、十数年前、酒の上での喧嘩が元で朋友を斬り殺して、藩を改易浪人となり備前國岡山の家を逐電致します。
そして約七年前に、その輿左衛門から手紙が届き、現在は江戸の音羽、櫻木町という所で商人渡世をして、「備前屋喜兵衛」と名乗っていると言う。
そんな戸澤三吾。兎に角堅い性格で融通が利かない石頭です。ある日、殿様池田左近衛権少将継政公の逆鱗に触れて、今度は兄三吾が改易となります。
さぁ〜、戸澤三吾、五十二歳で突然浪人に。十八の娘登勢と二人露頭に迷います。備前國岡山に居ても、親子二人食い扶持など御座いません。
頼る相手は七年前に便りをくれた舎弟、今は備前屋喜兵衛と名乗る輿左衛門しか御座いません。そこで三吾は娘のお登勢を連れて江戸へと向かいます。
備前國岡山から海路灘の湊へ。灘から大坂へ陸伝いに出て再び船に乗って駿河の國は三島へ。
三島からは東海道を歩いて東下り、御殿場、箱根、小田原、藤沢、川崎と巡り六郷の渡しへ。
ここまでは"護摩の灰"にたかられるなど無事何事もなく、無事に済んだのですが、鈴ヶ森を前にして雲助に絡まれて危険な目に遭いますが…。
大工の伊三郎、通称・愚図(グズ)伊三と出会い、この難局をどうにか切り抜けて、逆に愚図伊三からは命の恩人と、戸澤三吾は感謝されます。
そして江戸に着いた戸澤親子は早速、音羽の櫻木町を訪ねて「備前屋喜兵衛」を探しますが、一日中足を棒にしても、舎弟輿左衛門の行方は知れません。
江戸での唯一の頼り「備前屋喜兵衛」が見付けられなかった二人は、仕方なく浅草福井町の大工伊三郎を頼る事に。すると、袖振り合うも多生の縁と、
伊三郎は自分の棟梁、助五郎を紹介してくれて、五十人からの弟子が居て、大名旗本屋敷にも普請で出入りしている助五郎は、戸澤親子が探している、
「備前屋喜兵衛」と名乗る舎弟探しも、快く手伝ってくれると言う。なんとか親子は、親切な伊三郎、その棟梁助五郎の助けも有り江戸に住まいを設ける。
こうして江戸浅草に住むようになった戸澤三吾と娘のお登勢であるが、突然の改易で蓄えは乏しく、何か食い扶持を探さないと、舎弟探しも儘ならぬ。
そこで、三吾は長年の趣味である「八卦見」を生かして、辻占で売卜を始める事にする。すると助五郎が開店祝にと算木、筮竹を指物師に拵えさせ、
古道具屋からは手相見用の天眼鏡、路上占い用の折り畳み式机と床几は自らが木を切って削り、細かい細工も施して、売卜渡世の準備をしてくれました。
こうして戸澤三吾が浅草に近い柳原土手で始めた辻占は、大層当たる!と評判になり、柳原土手の路地に行列が出来る始末で、奉行所から苦情が入る盛況ぶり。
流石に、路地裏での辻占をこれ以上続けても、通行の妨げになるので、柳原の空き地を借りて、占い用の庵を構えて、予約を取りながら売卜を続けます。
辻占では娘と二人という訳には参りませんでしたが、庵を構える事で、娘のお登勢を助手において、親子二人での売卜渡世となります。
するとまず、お登勢は助手をしながら、まるで門前の小僧で、三吾の占いを見ているうちに徐々に業を覚えます。
そして最初はお登勢が占う時には、後ろに三吾が立って、適宜、助言をしながら占いを行い、
手相、人相、失せ物・訪ね人探し、四柱推命、開運占いetc。半年ほど1対1の指導を受けると、お登勢も一人前の占い師になります。
"占い戸澤庵"
誰が呼んだか三吾とお登勢の売卜庵は、「戸澤庵」と呼ばれる様になり、父と娘が三坪ばかりの庵を、衝立でふた部屋に分けて占う様になります。
すると、まぁ〜お登勢の人気は絶大です。特に手相!200文で手を握って貰えると大評判!バカな推しは手相を三日おきに見て貰いにやって来る。
こうして柳原の戸澤庵は江戸中の評判で、西は芝品川や東の新宿、板橋、千住、果ては麻布や目黒などからも、十八のお登勢に占って欲しさに、若い男のどうする連が集まります。
また噺は、杉の市の二代薮原検校に戻ります。呑む・打つ・買うが復活した杉の市。最初は、番頭役に彦次ダケが横山町の屋敷に住み込みとなったが、
杉の市が二代薮原検校となって三ヶ月を過ぎた頃から仙臺屋輿兵衛も、横山町の薮原検校邸に住み始めて、悪党三人が連み出し贅沢三昧、酒池肉林な生活が始まります。
完全にタガが外れて、彼らの悪事はもう止まらない。座頭金を借りに来た得意先に、輿兵衛一味が盗賊に入り、貸付た銭を盗むという悪行三昧です。
また二代薮原検校になった杉の市は、女郎買いには飽きた様子で、街中で美人小町と評判の娘の噂を聞くと盲人のくせに、これを欲しがり外妾に囲います。
既に、銭に明かして色白美人を三人も妾にしているのです。盲人だから器量など見えないくせに、美人が良い!色白に限る!と、意味不明な贅沢を言う。
そしてその為に、やり手婆のような役回りの大年増。三十五歳になるお虎と言う女を雇入れ、江戸市中の小町情報を集めさせ、銭を使って外妾にします。
そんな二代薮原検校の妾捜査網に、なんと!!あの戸澤三吾の娘、お登勢が引っ掛かり、お虎が二度三度、柳原の「戸澤庵」へと探りを入れます。
お登勢は勿論、色白美人、武家の娘で躾が出来ているし、実に武士の妻女らしく凛として控え目。しかも何より特質すべきは気娘だと検校に報告します。
この報告を聞いた杉の市、俄然、お登勢が欲しくなります。妾にして囲い者にしたいので、お虎を使って戸澤三吾との交渉を進めようと致します。
戸澤三吾が元岡山藩の侍で、備前の國から江戸に流れて来た、単なる食い詰めの浪人だと思い、二代薮原検校の杉の市は、上から目線で噺をします。
売卜をする素人同然の占い師ならば、支度金百両と月々の手当に二十両も渡せば、簡単に娘は売り渡すに違いないと、完全に見下した物言いです。
交渉条件をお虎と綿密に打合せを致しまして、杉の市はお虎を戸澤庵へと交渉に向かわせますが、まさか戸澤三吾が仙臺屋輿兵衛の実の兄とは、知る由も御座いません。
さて、薮原検校を仙臺屋一味を利用して皆殺しにした、杉の市は、まんまと奉行大岡越前を騙して、検校の身代、三万両を奉行の推薦で相続致します。
そして、二代薮原検校となった杉の市は、検校の一周忌が済む頃には、また、呑む・打つ・買うの三道楽に戻り、盗賊の首領仙臺屋輿兵衛、子分の彦次らと悪行三昧を始めます。
一方、同じ頃、同時進行で仙臺屋輿兵衛の兄が、地元岡山藩を改易となり、浪々の身となっているのですが、備前國岡山には食い扶持無く、頼る兄弟親戚は有りません。
そこで、七年前に輿兵衛から受け取った手紙を頼りに、江戸表に出て娘のお登勢と二人、新たな生活を始めようと思い立つので御座います。
ここまで、だいたい30分くらいの噺になると思いますが、ここから、江戸に出た戸澤三吾が売卜を始めて「戸澤庵」を立ち上げるまでが、中々のダレ場です。
速記本の三代目伯龍のお噺だと、六郷の渡しで大工の伊三郎と出会い、その棟梁助五郎との滑稽な落語チックな掛け合いがあるので、30分はゆうに越える噺になります。
だから、三代目伯龍の通りにやると、1時間では終わらない長講!に。だから、江戸入りから戸澤庵までを10分以下に纏めて、
この噺全体を45分くらいに編集するか?二話に分割するか?神田伊織さんはどう言う噺にするか?かなり興味があります。
滑稽なダレ場を、落語風にちゃんと語るか?切るか?は、講釈師自身の好みで分かれてしまいますよね。個人的には滑稽噺も聞きたいです。