神田愛山先生の

『白子屋政談』を読む会に、先々週21日と22日に行って参りました。『白子屋政談』は、芝居の「梅雨小袖昔八丈」、俗に言う"髪結新三"で御座います。

"政談"と呼んでおりますが、お白州の場面は無く、大岡政談なのにお奉行、大岡越前も全く登場いたしませんで、本に不思議な物語で御座います。



物語のあらすじは、材木商白子屋は主人殁後、盗賊に入られたりもして、五百両の大金を盗まれて経営難にひんしている。

そこで、後家お常は一人娘お熊に持参金付の聟を迎えて、店の立直しをはかろうとする。そんな折りに、真面目一徹、

大伝馬町桑名屋の番頭で、もう四十を越えている又四郎が長年貯めた三百両と、主人が暖簾分にくれた退職金二百両。合計五百両の持参金を持ってお熊の婿養子に入を願い出る。


しかし評判の小町娘お熊は、店の手代忠七と恋仲だった。母に懇願されていったんは婿取りを承知したものの、忠七と駆け落ちをしようと思い詰める。

この恋仲の2人の事情を知った廻り髪結の新三は、お熊を連れて逃げるようにと忠七をそそのかす。新三自身が手引きをしてやるとお熊を駕籠に乗せるのだが…。


そうして於いて、お熊の駕籠を一足先に新三の長屋へ走らせた後、忠七を連れて雨ん中を、新三はふらっかふらっか、一本傘の相合傘で歩いていると忠七の下駄の鼻緒が切れる!

ここが、この噺の最初の見せ場で、新三が忠七に向かって、自分は悪党でお前は騙された大馬鹿野郎なんだと、永代橋の前で芝居らしく啖呵を切ります。


新三 「これよく聞けよ、普段は得意場を廻りの髪結、いわば得意のことだから、うぬのような間抜け野郎にも、ヤレ忠七さんとか番頭さんとか上手をつかって出入りをするも、一銭職と昔から、下がった稼業の世渡りに、にこにこ笑った大黒の、口をつぼめた傘も、並んで差して来たからは、相合傘の五分と五分、轆轤のような首をして、お熊が待っていようと思い、雨の由縁にしっぽりと濡れる心で帰るのを、そっちが娘に振りつけられ弾きにされた悔しんぼに、柄のねえ所に柄をすげて、油ッ紙へ火のつくようにベラベラ御託をぬかしゃがると、こっちも男の意地づくに覚えはねえと白張りの、しらをきったる番傘で、うぬがか細いその身体へ、べったり印をつけてやらぁ」。


新三 「ざまぁみやがれ!」

忠七 「騙しやがったな!」


さて私は講釈で『白子屋政談』を聴いたのは初めてで、愛山先生のも勿論初めてでした。流石、講釈師の啖呵です。これを明治座でもやるそうですが、そちらは拍子木の"チョキ!!"が入るのかしら?!

私は、落語では柳家小満ん、五街道雲助、柳家さん喬、隅田川馬石、蜃気楼龍玉、そして柳家三三で聴いていますが、雲助師匠とさん喬師匠のは、派手に鳴り物入りの芝居台詞でカッコ良かった!

多分、講釈師・神田愛山先生だと、鳴り物は無く硬派な方が似合うと感じました。雲さん・さん喬師匠は派手な鳴り物が似合うけど。


こうして新三は態度を一変させ忠七をののしり、傘で打ちすえて、お熊はおれの女房だと捨て科白を吐き立ち去ります。

だまされたと悟った忠七だが、新三の家がどこにあるのかも見当もつかない。とぼとぼと店に戻り、事の次第を主人お常に話すと、白子屋は蜂の巣を突いたような大騒ぎとなるのです。


翌五日の端午の節句はからりと晴れていい天気。お熊が新三に連れ去られたと分かったお常は、白子屋の抱え車力の善八に十両の金を持たせて、富吉町の新三の所へお熊を連れ戻しにやる。

しかし当然、十両ポッちで新三は納得などしないから、善八は困り果てる。女房にこの事を話すと、毒には毒だと言われて、女房から知恵を付けられる善八。

こうして、善八は葺屋町の弥太五郎源七と言う親分の所へ菓子折を下げて出向き、かくかくしかじかと、事の次第を説明しお熊救出を源七に依頼するのだが…。


愛山先生の講釈も、小満ん師匠、雲助師匠、さん喬師匠と同じ筋立。ただ、愛山先生のは簡潔!善八の女房が超ひょうきんで物語を高速展開させます。

一方、芝居は少し筋が違い忠七が新三に騙されたと知ると永代橋から身投げしようとするが、それを通り掛かった源七親分が助け、理由を知って人肌脱ぐ展開だ。


ここまでで、前半「車力の善八」は終わり、翌日が有名な「鰹の強請」となります。



二席目は『水戸黄門記』より「出世の高松」。理想的名君として名高い水戸黄門光圀公。『水戸黄門記』はその黄門様と周辺の人物の虚実交えたエピソード集。

因みに黄門記は二代目神田山陽一門が、一方、黄門漫遊記は五代目宝井馬琴一門に伝わっているようです。

諸国を巡り悪を成敗するというお馴染みの『水戸黄門漫遊記』『水戸黄門記』は、全くの別物であります。

 この読物「出世の高松」は光圀の兄、頼重の出生にまつわる噺で、光圀とは直接関係ないが兄の頼重の関係はその後の光圀の人生に重要な影響を与えている。


さて、徳川家康の十一男の鶴千代、後の徳川頼房が京にいた時分のこと。屋敷奉公をしていた「おしま」という女中に鶴千代のお手が付き懐妊します。

江戸へ戻ることになっていた鶴千代は、おしまから子が出来た旨を告げられる。公には出来ない鶴千代は、産まれた子供が、

「もし男子なら訴え出よ」「もし女子なら十分な手当てをつかわす」

こう書付けをしたため、さらに証拠の品として備前友成の短刀と香木「蘭奢待(ランジャタイ)」を残し、京を去る。

これを受け取ったおしまは両親のいる実家へ戻る。しかし両親とも流行病に罹り間もなく亡くなってしまった。

叔父の宗右衛門とその女房が2人の菩提を弔い、身重のおしまの世話をする。

おしまは鶴千代から受け取った品々を風呂敷に包み、叔父夫婦には「決して見ないで下さい」と言って、家の天井裏に吊るす。

間もなくして元気な男の子が産まれるが、産後の肥立ちが悪く、その際おしまは命を落としてしまった。


宗右衛門夫婦はこの子を寅松と名付け、我が子のように大切に育てる。月日は流れ寅松13歳の時、雨降りが続き仕事が出来ず、夫婦は寅松に食べさせる物がない。

どうにもならなくなった宗右衛門はおしまが残した風呂敷包みを思い出し、屋根裏からこれを下ろして中を見る。

書付と短刀と良い香りのする木片があるが、宗右衛門にはこれらに何の価値があるのか分からない。

香木の香を嗅ぎ付け道具屋の"七六"という者がやってきてこれらを調べ、寅松の父親が今は水戸中納言となられた頼房だと判明する。


宗右衛門夫婦、寅松、七六の4人は江戸へと赴く。水戸様ともなれば普通はお会いできる方では無いが、七六が一策を講じる。

水戸家へ出入りをしている鑑定家の治太夫に友成の短刀を見せ、これを買ってくれる先を探して欲しいと頼む。

少しでも高く売りたい治太夫が刀を頼房公に見せると、これに見覚えのある頼房は刀の出所を聞きただす。

こうして寅松は頼房公のご落胤だと判明し、三ヶ月後には親子の対面が叶うのである。

 

一方で、頼房には千代松という男子がいる。寅松の方が年上なのだが、今まで千代松がお世継ぎとして育てられてきた事から、寅松改め頼重は常陸・下館五万石の藩主、さらに三年後には讃岐・高松十二万石の藩主になると言うお噺です。