一方、噺は変わって横山町の薮原検校屋敷に目をやりますと、こちらは相も変わらず、二代検校の杉の市は素人娘を外妾を囲い、

更には女郎を三人ばかり身請けしては、これを屋敷に女中として、住み込みで働かせると言う好色三昧をしております。

また、座頭金。金貸家業の方はと見てやれば、流石に、毎度毎度、金を貸しては貸した先に、押込み強盗と言う訳には参りません。

金貸の方は、仙臺屋輿兵衛(戸澤輿左衛門)が仕切って、算盤の出来る奉公人を、盲人ではないのに立前は薮原検校の弟子として雇い入れては、

座頭金の貸付、借金の取立て、そして為替取引など、表の家業として金融業を廻しておりますから、根っからの悪党、番頭の彦次と護摩の灰だった亀五郎の二人は蚊帳の外。

五日、十日に一度くらいは、主人輿兵衛から一両、二両の小遣いは恵まれても、彦次と亀五郎が満足するハズもなく…。悪党の虫が騒ぎます。

そしてある日。亀五郎がある情報を齎します。京橋桶川町の鍛冶屋、吉兵衛という還暦過ぎの爺さんが、加賀藩前田家に売った大刀の代金、五百両を受け取るという。

この五百両を「家尻切り」をして盗み出す算段を、亀五郎と彦次の二人だけで、輿兵衛や杉の市には内緒にして事を進めますが…。

五十年刀鍛冶をして居る吉兵衛の、剣術の腕前を甘くみた二人。盗みに入った亀五郎は、吉兵衛に右腕を手首からスッパリ、斬り落とされて仕舞うのです。


結局、何も盗めず二人は横山町に逃げ帰りますが、右手を失った亀五郎は、命ばかりは助かりますが悪事を続ける気力も失って、仙臺屋輿兵衛に「出家したい!」と相談致します。

厭世観が心を支配する亀五郎を、不憫に思った輿兵衛は、五十両の路銀を与えて金比羅様を詣でる、巡礼の旅に亀五郎を送り出しますが…。

漆黒の僧侶袈裟衣に、真っ白な羽二重の薄造りの着物。白足袋に白い手甲脚絆の草鞋履き姿という、見た目は位の高そうな僧侶が出来上がりますが、

中身は元護摩の灰をやっていた悪党の亀五郎です。神妙に『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』と、静かな旅など出来ようはずがありません。

道中、横山町を出て東海道を品川宿から、六郷の渡場までは自ら歩いて船で川崎宿へと渡り、続く神奈川宿まで歩き続けると、駕籠に乗り替えます。

そして保土ヶ谷宿、続く戸塚宿へと入ります。丁度、この戸塚宿で時刻は午刻、昼飯時分となりますから、一軒の立場茶屋へ入り昼食です。

酒を呑み、生臭な肴を食う亀五郎。しかも、斬られた右手は懐中に隠し、箸が使えぬ左手に最初は匙で食べていましたが、酔いが回ると素手で食べる有様です。

そこにやって来たのが、南町同心、高梨斬九郎の配下で、岡っ引きの勘次。見るからに怪しい亀五郎を観察致します。


「なぜだ?右手を使わない!」


そう思った勘次は、三月ばかり前に起きた京橋の桶川町、鍛冶屋吉兵衛宅の家尻切りの一件を思い出します。盗賊が右腕を斬り落とされている!!

嫌疑を掛けられた亀五郎は、あくまでも僧侶の振りで押し通します。管轄違い!支配違いの町方風情がと、僧侶の自分は寺社奉行の支配であるからと言い張ります。

それでも勘次は右手の不自由な、この出家は鍛冶屋を襲った"家尻切り"の賊に違いない!と、思いますから、亀五郎の脇から離れません。

そして勘次が強引に亀五郎の横に座り込み、薄い衣の袂から強引に右腕を掴み、引き摺り出すと、その坊主は、手首から下が斬り取られて有りません。

もう言い逃れの出来ない亀五郎を、勘次は高手小手に縛り上げ、唐丸籠の乗せると江戸有楽町、南町奉行所の牢に留め置いて、直ちに高梨斬九郎へと報告致します。


吟味方与力の高梨斬九郎は、配下の岡っ引き勘次の報告を聞いて、縛り上げられて連れて来られた亀五郎と対峙致します。

「水責めからだ!吊るしたら、木刀で骨が砕けるまで、力一杯、折檻してやれ!気を失ったら、逆さ吊りで水に入れて起こしてやれよ。」

さぁ手慣れた指図を、配下に命じる斬九郎の様子を見た亀五郎。「水責めからだ…。」と、言うからは水責めで白状しないと、次から次に拷問が繰り出されるのか!?

考えただけでも背筋がゾクゾクします。拷問で散々、苦しい思いをしてから、結局、心証を損ねてから斬首になるのなら、

ここは一つ、痛い思いをする前に全部素直に白状して、少しでも役人の心証を良くした上で、お裁きを受けよう、お情けが有るかも?亀五郎は考えます。

親分仙臺屋輿兵衛と二代薮原検校の悪事を、知る限り素直に白状して仕舞う亀五郎。これを聞いた高梨斬九郎は直ぐ様、奉行大岡に報告致します。

越前は即座に捕り方の役人に命じて、翌朝明け六つ前に、横山町の薮原検校屋敷に向かわせて、兎に角、屋敷内に居る者は、全て縄目を打ち引ッ立てさせます。

こうして連れて来られた面々は、二代薮原検校の杉の市、番頭の彦次、お虎、身請け女郎の女中三人と、検校の内弟子が七人の合計十三名で、

何と!悪運の強い事に、戸澤輿左衛門こと、仙臺屋輿兵衛は髪結床に行っていて、この捕物騒ぎには、巻き込まれず逃げおおせます。


そして逃げた仙臺屋輿兵衛は、暖簾分して亀戸神社の裏で荒物屋をしている、忠次という元子分に暫くは匿われていますが、流石に一月が限界。

隠して於いた逃走資金三百両を懐中に、江戸を千住から出まして、房州の街道筋を北へと進み、下総國は結城宿へと参ります。

ヨシ!ここまで逃げて来たらもう安心。そう、輿兵衛は思ったのが運の尽き!結城宿は、権現様の時代からの譜代、水野日向守様の御領分なれば、

江戸と関八州の役人の連携が密な土地柄。よって、亀五郎から聞き取りをした、「仙臺屋輿兵衛」の人相描きが出回っており、旅籠にいた輿兵衛は呆気なく御用!となるのです。

捕縛されると、即座に唐丸籠で江戸に返された仙臺屋輿兵衛。与力高梨斬九郎の厳しい吟味が始まり、水責め、火責め、石抱き、爪の間への釘打ちと、

容赦なく拷問が繰り返されますが、流石、元武士の輿兵衛は悪事を全く白状せず、二代薮原検校の座頭金の管理、運用を手伝っていたダケだと申開き致します。


さて、亀五郎の供述から輿兵衛が、今は荒物屋を隠れ蓑に盗賊をやっているが、元は備前國岡山藩の武士で、剣術の腕前は大したものだと越前は聞き及び、

この仙臺屋輿兵衛が、もしかすると?!あのお登勢に七十五両を恵んだ叔父の戸澤輿左衛門ではないか?と、奉行大岡忠相は推量致します。

そう睨んだ越前、牢に留め置かれているお登勢を、呼び出してこの仙臺屋輿兵衛の、面通しをさせるが背格好と声はあの日の侍に似ているが…。

お登勢が金子を恵まれた際には、山岡頭巾姿だったので、その侍が目の前に居る輿兵衛だとは断定しかねるとお登勢は言うのである。

また奉行越前が、岡山時代に見た叔父、輿左衛門とは似ていないのか?と問い掛けますが、当時お登勢は十歳にも満たない稚児なれば、記憶の限りでは有りません。

これは、お登勢の父、戸澤三吾が江戸に帰還するのを待って、仙臺屋輿兵衛が実の舎弟、戸澤輿左衛門である!と、証言させるしかないと言う結論になる。

やがて戸澤三吾が、遂に江戸表に帰って来る。それは亡くなった。とばかり思っていた娘、お登勢の一周忌の法要を行う為である。

江戸浅草の福井町。昔、戸澤三吾が娘お登勢と住んだ懐かしい借家に、大工の棟梁助五郎を訪ねて、戸澤三吾が一年ぶりに舞い戻ったのである。

娘、お登勢が亡くなったとばかり思い込んでいる父三吾は、江戸に戻り娘の一周忌の法要を行う積もりでいたが、助五郎から娘の無事を知らされる。

そして恵んで貰った七十五両が元で、南町奉行所の牢屋に留置されていると知り、戸澤三吾は居ても立ってもいられずに、家主町役を通して奉行大岡に訴え出る。

さぁ〜これは渡りに船とばかりに喜んだのは大岡越前。早速、戸澤三吾と面会して、仙臺屋輿兵衛が戸澤輿左衛門と同一人物かの面通しを行います。


「間違い有りません!舎弟の輿左衛門です。」


急転直下!仙臺屋輿兵衛に、兄、戸澤三吾が証言した事を告げると、武士らしく全ての悪事を白状して、杉の市の二代薮原検校との出会いから、

初代薮原検校と、番頭・藤兵衛、並びに検校の弟子十八人の、合計二十人を殺害に到った経緯について詳しく説明するのである。


さて、それでも杉の市の薮原検校は、知らぬ存ぜぬと言い張り、検校職は寺社奉行支配である事を盾に、言い逃れする目論見だが、大岡越前は彼を逃さない。

横山町の薮原検校屋敷に、検校の弟子として潜入捜査させて、検校と仙臺屋一味が結託し、座頭金の押込み強盗を働いていた、動かぬ証拠を突き付けて遂に杉の市を白状させます。

そして最後のお白州。寺社方の与力同席の元、評定所にて、二代薮原検校の杉の市は、斬首死罪を言い渡されて、即刻、山田浅右衛門により刑は執行されます。

また、仙臺屋輿兵衛こと戸澤輿左衛門、番頭彦次、並びに亀五郎は、江戸市中引き回りの上、小塚原にて磔獄門。尚、斬り落された首は十日間の晒し首に。

更に、杉の市の弟子として悪事に加担した者は全員死罪。尚、女中お虎と三人の元女郎は、八丈島への終生遠島と決まった。


これにより二代薮原検校杉の市の事件は、一件落着。戸澤三吾とお登勢の親子は、また柳原での売卜家業に戻り、浅草福井町の借家暮らし始める。

そして、南町奉行、大岡越前守忠相は思うのだった。「罪を憎んで、人を憎まず。」と言うが、徳川天一坊、村井長庵、そして、畦倉重四郎。

この三人だけは、人を憎んでしまうと思っていたが…。もう一人、二代薮原検校、杉の市も、罪ではなく、人を憎んで仕舞う四人目の悪党だと。