五月三日〜六日までの四日間、墨田区向島にある僕亭さんの特別企画、"神田愛山4DAYS"と銘打って行われた『清水次郎長傳』の特集を聴きに通いました。久しぶりに連続講釈の醍醐味を堪能させられた四日間でした。






【神田愛山】

当代愛山先生は、"二代"と言う事になっているが、厳密には"三代"なのだが、その二代目になるはずの六代目小金井芦州先生が、「神田愛山」を数ヶ月間名乗っていたが直ぐに「五代目西尾麟慶」と言う大きな名前を襲名、愛山は無かった事にしています。

どうも芦州先生の黒歴史だったかの様に忘れ去られていたが、1987年、二代目神田山陽門下神田一陽改二代神田愛山が正式に誕生する。実に芦州先生が名乗った36年後の事である。因みに、愛山先生は四代宝井琴調先生と1974年同期入門である。

愛山先生は、酒に溺れてアル中となり二代目山陽門下を破門になりますが、そこから禁酒しアル中を克服し破門が解かれて高座復帰。現在は、健康オタクな生活で有名です。

尚、愛山先生はトムとジェリーの大ファンでグッズコレクターでもある。そして最近のお気に入りは、花を下を向いて咲かせる"越の小貝母"こしのコバイモと言う花で、俯いて花を咲かすなんて俺みたいと愛山先生は言います。


【清水次郎長傳】

講釈の『清水次郎長傳』は、山本鉄眉こと山本五郎が、最晩年の次郎長本人から聞き取りして伝記に拵えた『東海遊侠伝』が大元の作品だと言われています。

この山本鉄眉(五郎)と言う人物は、本名を天田五郎、次郎長の養子となった息子さんで、正岡子規と交流があった禅僧で漢詩や歌人としても知られています。

そしてこの『東海遊侠伝』を三代目神田伯山が講釈に直して、講釈場の寄席に掛けるようになり、八丁荒らしの伯山が清水次郎長を関東近隣に広めます。



軈て三代目伯山の『清水次郎長傳』は活字になり、新聞、雑誌、速記本として全国に知られる様になり、昭和になり戦前のラジオでこの伯山の講釈が、

二代目広沢虎造によって浪曲/浪花節となり一気に大ブームが起こり、虎造の浪曲『次郎長傳』はレコード化されて後世に音源が残された。

更に、虎造の『清水次郎長傳』は映画化もされ、特に大人気の「森ノ石松三十石船道中」は何作品も、当時の人気銀幕スターを主演で映画化されています。

尚、広沢虎造は三代目神田伯山直伝と謳って「森ノ石松三十石船道中」を唸っていたそうですが、本当は弟子の神田ろ山から習ったものなんだとか。

それでも特にこの石松代参から閻魔堂の最期に登場する決め科白。「呑みねえ食いねえ」「馬鹿は死ななきゃなおらない」「悪い野郎は都鳥!」は三代目伯山オリジナル。


さて一方、『清水次郎長傳』の内容はと中身に目を向けると、①次郎長の生い立ち ②不吉な死相を占う僧侶 ③秋葉山の火祭り(仙右衛門の仇討ち)

④三馬政の悪事 ⑤次郎長・お蝶の上方遊山旅 ⑥亀崎の代官斬り(深見ノ長兵衛の仇討ち) ⑦石松代参〜閻魔堂の最期 ⑧都鳥一家との抗争

⑨武井安五郎一家の内紛〜清水一家vs黒駒一家(飯田の焼討ち/七久里初五郎の仇討ち ⑩血煙、荒神山

このように兎に角、ダレ場が少なく事件が次から次に起こるし、登場する敵味方の個性が強い!また、次郎長の行動パターンが大体同じで、清水溱にはあまり止まらず旅に出ています。

そして、事件が起こり仲裁を試みるも、大体は決裂し血の雨が降る。場合によっては仇討ち、牢破り、代官斬り!と、お上に逆らう行為も厭わない。

だから、凶状持ちとなり長らく山中に隠れたり、武州、総州、上州、相州、遠州、はたまた三州や尾張、伊勢まで草鞋を履く事になる次郎長です。

この任侠噺に欠かせないのが、侠客・長脇差は必ず鰹節とスルメの乾物を持って山に逃げ込む。彼らの非常食に乾物が役に立つと必ず語られます。


【最近の講釈は…】

最近の講釈の傾向は、大人気の松之丞の六代神田伯山がそうだから仕方がないが、兎に角、ダレ場が極々短く工夫されていて、結構大胆にト書きで物語を繋ぎます。

また、一席の時間も40分を超えない。早口なのも確かにあるのだが、昔の講釈は基本一席60分。長講と銘打ってやると90分コースを覚悟したが…。

今の講釈は、結構、力んで啖呵を長尺に繰り出すからか?60分なんて一席は珍しくマクラ込みで30〜40分である。

六代目伯龍先生を1990年ころから聴いていた頃は基本60分のダレ場がたっぷりだった。それでも『天保六花撰』『鼠小紋東君新形』はまだマシだが『越後傳吉』はかなり痺れるダレ場ラッシュだった。

もう、昔のスタイルを守りダレ場の長い60分語りで連続ものを読む講釈師は現れないのか?二代目山陽先生が寄席用に15分、20分の講釈を始めた時は、

山陽先生の講釈の方が、あんなもんは講釈じゃないと言われていたが、40年以上が過ぎると、全く逆転しています。山陽先生、時代を先取りしていた。