墨亭さんの特別企画、愛山4DAYSも折り返し。清水次郎長傳三昧のゴールデンウィークしています。今日は昭和44年1969年に"オール讀物"に掲載された結城昌治作、初の時代劇作品、
「森ノ石松が殺された夜」と言うミステリー小説で、『清水次郎長傳』の「森ノ石松、閻魔堂の最期」をモチーフに石松殺しは本当に都鳥三兄弟の仕業なのか?と、石松殺しに疑問を投げ掛ける推理ドラマです。
森ノ石松は深見ノ長兵衛の仇討ち、代官竹恒三郎兵衛と保下田ノ久六を成敗する願掛けの"願解き"の命を次郎長から申しつかり金毘羅様に代参します。
その道中に見受山鎌太郎から、お蝶への香典として二拾五両の金子を預かります。因みに、私が読んだ三代目伯山の速記では百両の金子でした。
講釈や浪曲では、この香典の金子を"お会式博打"のご祝儀として都鳥三兄弟に石松が貸す事で間違いとなり、閻魔堂で石松は都鳥に殺されます。尚、石松は一旦、最初の襲撃は難を逃れて兄弟分の小松ノ七五郎の元に匿われます。
ここが、あの有名なお噺「お民の度胸」で、石松を七五郎の女房お民が度胸満点に、啖呵を切り都鳥の追手と渡り合い森ノ石松を匿うのですが、結城昌治作品では石松殺しは次郎長が黒幕。
小松ノ七五郎は、次郎長に頼まれて石松を始末して、その罪を都鳥三兄弟に擦り付けます。実は、次郎長は都鳥一家の縄張りを狙って石松をスケープゴートにして絵図を描いたのです。
またなぜ、生贄が森ノ石松だったのか?それは、ぐーたらで働きはしないし、兎に角喧嘩ッ早く揉め事の種。酒癖が悪く博打好きで借金まみれで、清水一家の鼻摘みのお荷物が森ノ石松です。
これを厄介祓いに消す算段を次郎長が絵図を描いたと言うストーリーが結城昌治作「森ノ石松が殺された夜」です。次郎長、結構、原黒く描かれています。
この後、都鳥三兄弟は濡れ衣だ!と、池田の七坊主こと藤枝長楽寺ノ清兵衛親分に仲裁役を頼み、藤枝の親分が出張りますが、次郎長は全く相手にシマセん。そりゃそうです、縄張り欲しさの喧嘩ですから。
結局、この喧嘩は、「暗闇の代官」と呼ばれる大親分、安東ノ文吉が出張り手打ちになり、都鳥一家の縄張りは一旦は安堵されますが、後に、都鳥が次郎長の罠、河豚の毒事件に騙されて壊滅いたします。
さて、このあともう一席「蛤茶屋の間違い」がありましたが、ここは、千穐楽の「飯田の焼討ち」「仁吉の離縁場(りえんば)」と合わせて申します。