先ずやっぱり四十七士の、名を読み上げる道中付けをやらねば始まらないが、ここがどういう順番で読み上げるか?ここが、講釈師の好みによって分かれる所だが…。
やはり、ここは大石内蔵助が、隊を二手に分けて「大手門」側と「搦手門」(裏門)側を同時に攻める作戦、つまり『大手搦手』の戦法を取ったので御座います。
この『大手搦手』の計略は、源氏の平家福原討伐にも用いられておりまして、大手軍の総大将に源範頼が、一方、搦手軍の大将には源義経が担います。
更に、大石内蔵助の『大手搦手』の計は、二十四人を三人一組となる八組に分けて、大手門・搦手門に配置したのが特徴です。
本来なら毛利小平太が四十八番目として搦手門側に加えられていたが、大石が小平太逐電を知るのは十三日以降であり、瑤泉院への清書など書面に名前が残されているし、
極月十二日に逃亡した矢野伊助と瀬尾孫左衛門の名前は無い事を考えると、毛利小平太の逐電は本当に直前で、本来なら搦手門側が二十三人となる所を大手門と直前に大石は隊を入替えています。
そんな経緯も踏まえて、『赤穂義士傳 本殿 〜吉良邸討入り〜』の道中付けを。
〜道中付け〜
時は元禄十五年極月十四日、会稽山に越王が恥辱をそそぐ大石の、山と川との合言葉、末代めでたき武人の亀鑑!!
その大石内蔵助良雄(よしたか)がぁ、打ちぃ鳴らすは、山鹿流の陣太鼓。響き渡る太鼓の音(ね)にも颯爽と、卍巴に降る雪を、掻き分け!掻き分け!サッさぁ〜さぁ〜、サクサク、サクサク、サッさぁ〜さぁ〜、サクサク、サクサク。
降りしきる雪を掻き分け、集いし赤穂義士❣️四十七士の、そぉ〜の出立はと見てやれば、黒地の羽織の袖が入山形に染められて、左の白襟には"播州赤穂浪士"と染め抜かれて御座います。
そして右の白襟はと見てやれば、ここには各自の姓名が、滲まぬ工夫"耳垢"を解いた黒墨で書かれて御座います。
そしてこの衣装は、火事場火消しの黒装束!小袖造りのその下は、鎖帷子厳重に、下履きは股引・脚絆・草鞋履きという出立に、首から下げるは呼子の笛❣️で御座います。
雪を掻き分け出し面目、内蔵助が打ち振る采配を見据えて、大手門方、搦手門方へと分かれる機敏に無駄なき有り様は、まるで日体大の集団行動かぁ?はたまた、モーゼの十戒かぁ!
さぁ〜てぇその大手軍はと見てやれば、・イの一番、い組には御大将、勿論、大石内蔵助ぇ〜良雄‼️四十四歳
その脇に控えしは、堀部彌兵衛金丸 、七十六歳と最年長❗️
更に江戸詰め重臣中の一人、原惣右衛門元辰五十五歳が後に続きます。
・次に控えし、二番手ろ組は、
間瀬久太夫正明 六十二歳と、村松喜兵衛秀直 六十一歳の還暦超えを、近松勘六行重三十三歳が露払い。
・更に続く三番手、は組。
其角と盟友、俳人大高源五忠雄三十一歳を隊長に、
吉良の首を獲った漢、間十次郎光興二十五歳と早水藤左衛門満尭三十九歳が脇を固めます。
・更に更には四番手、に組の面々は、
東海道中堪忍の人、神崎与五郎則休三十七歳、吉良邸の図面を手に入れた功労者、岡野金右衛門包秀二十三歳、そしてに組の殿は、母思いの美少年、矢頭右衛門七教兼十七歳‼️
・そして五番隊、ほ組には、
妻は居ないが妾がある変わり種、貝賀弥左衛門友信五十三歳、「風さそう 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとやせん」と、
内匠頭の最期を看取った忠臣中の忠臣、片岡源五右衛門高房三十六歳、江戸詰めの浪士の中では兄貴肌、そして吉良の茶会を探り当てた功労者、横川勘平宗利三十六歳。
・普通、へ組は欠番だが赤穂義士傳には、有ります❗️へ組。
吉田忠左衛門と泉岳寺へ向かう一行から離れて、幕府大目付仙石伯耆守の元へ向かった富森助右衛門正因三十三歳、
間十次郎が一番槍の手柄だが二番刀は武林唯七隆重三十二歳、そして杉野と仲良し勝田新左衛門武尭二十三歳
・そして、続くと組!
江戸急進派の急先鋒で二尺五寸を超える大太刀を操る赤穂の真柄十郎左衛門!奥田孫太夫重盛五十六歳、重臣吉田忠左衛門の倅!吉田澤右衛門兼貞二十八歳、江戸急進派として堀部安兵衛に従った一人!矢田五郎右衛門助武二十八歳
・さて、大手軍の殿、ち組は毛利小平太、逐電の煽りを喰らい二名だ!大石の命に従った岡嶋八十右衛門常樹三十七歳と、俳号・漸之と言う孤高の俳人!小野寺幸右衛門秀富二十七歳。
一方、搦手軍の二十四人はと見てやれば、
・御大将大石主税を要する"り組"、浪士最年少大石主税良金!元服間もない初々しい十五歳、赤穂の頭脳!吉田忠左衛門兼亮六十二歳、そして浪士で二番目に高齢の重鎮!間喜兵衛光延 六十八歳。
・言い難い組名が続くぜ!ぬ組。
瑤泉院に仕える女官・戸田局の身内として有名、大石派の代表!小野寺十内秀和六十歳、仇討ち介錯人と呼ばれた男!宮原久太夫頼安の逸話で超有名な木村岡右衛門貞行四十五歳、そして陽明学の学者としても著名であーる潮田又之丞高教三十四歳
・更に搦手門の三番手は"る組"。
前原伊助宗房三十九歳!この人は吉良邸探索中に小林平八郎、清水一学に怪しまれて拷問を受ける役所だが…、残念!史実じゃありません。
自眼流居合いの達人!茅野和助常成三十六歳、身分は低いが滅法腕は立つ漢、愛刀「貞宗」で最も討ち入りで敵を斬ったと言われている不破数右衛門正種三十三歳
・いよいよ言い難い"を組"。槍の名手で家宝の槍を操るのが、その家宝の槍を盗っ人侍に盗まれかけてブチ切れた!盗っ人に血の雨を喰らわせた千馬三郎兵衛光忠五十歳、父兄と親子三人で討ち入りに参加した間新六郎光風二十三歳、『忠臣蔵』では憎まれ役の家老大野九郎兵衛知房を殺す役回りの間瀬孫九郎正辰二十二歳だが、残念!史実ではない。
・実は、大手門/正門から討ち入った面々より明らかに搦手門/裏門の方が精鋭揃いなのだ。それはなぜか?と、問われたら…。
それは…、万一、上杉家からの援軍が来るならば両国橋に近い裏門だと言われていたから!
吉田・間の重鎮を大将主税の補佐として、ここに精鋭を搦手隊に配置したのである!さて、け組は。
中村勘助正辰四十四歳!彼は大石内蔵助の密命を受けて堀部安兵衛ら江戸急進派を懐柔する役目だったのに…、丸め込まれて逆に急進派になる。
また、奥田貞右衛門行高二十五歳!彼は父兵右衛門重盛と行動を共にした。そして、山鹿流の剣の達人!礒貝十郎左衛門正久二十四歳は超美男子。『忠臣蔵』の中では!背負い小間物屋に扮して吉良邸に出入りし、女中や女官をスケコマシて情報を得る役回りである。
・さて、搦手隊一番の精鋭部隊!さ組はと見てやれば、高田馬場の仇討ち以来赤穂義士随一の豪傑!堀部安兵衛武庸三十三歳、
さらに"徳利の別れ"で有名な赤埴源蔵重賢三十四歳、
そして弓の名手元禄の那須与一!倉橋伝助武幸三十三歳、さぁさ組!この三人が束に成って御座います。
・いよいよラス前膝のよ組、菅谷半之丞政利四十三歳は、父親に義母との不倫を疑われる程の美男子と『忠臣蔵』では描かれているが…、残念!史実は醜男?
また大石瀬左衛門信清二十六歳は、大石家の分家で内蔵助の甥、主税の従兄弟である、村松三太夫高直二十六歳は、『忠臣蔵』では薪割り屋に扮して吉良邸を探索するが、兎に角不器用で良い情報が得られず常にイライラしてる癇癪持ち!
・そして搦手隊の大トリ"た組"は、杉野十平次次房二十七歳!かの俵星玄蕃との逸話が有名で「夜泣き蕎麦屋の十助」役!玄蕃との名ゼリフ!
かかる折りも一人の浪士が雪をけたてて、サク、サク、サク、サク、サク、サクー、
『先生』『おうッ、そば屋か』
いや、いや、いや、いや、襟に書かれた名前こそ、
まことは杉野十兵次殿!!となる。
一方、三村次郎左衛門包常三十六歳は、寺坂吉右衛門に次ぐ低い身分なれど、台所役で江戸詰めだった事が幸いし、浪士の身の回りの世話して大石内蔵助から感謝された。
そして、赤穂義士唯一の生き残り、寺坂吉右衛門信行三十八歳。『赤穂義士本傳 〜二度目の清書〜』の使者役である。