①吉保の生い立ちの巻

② 隆光易占

③ お歌合わせ

④ 采女探し

⑤采女の巻

⑥ 刀屋の巻

⑦ 将軍饗応

⑧ 浅妻舟

⑨ 白菊金五郎(上)

⑩ 白菊金五郎(下)

11 隆光の逆祈り

12 光圀公・淀屋との出会い

13 藤井紋太夫お手討ち

14 河村瑞軒

15 徂徠豆腐

16 葛の一壺


一昨日12月8日はあの柳沢吉保が亡くなった日、ご命日なんだそうです。いよいよ物語は、最終話へと進み1番有名な『徂徠豆腐』から『葛の一壺』です。




◇徂徠豆腐

♬荻生徂徠に、逢ったかい

男らしくて純情で

燃える憧れ豆腐屋で

じっと見てたよ学問書

僕のようだね 君のよう

オオ マイ・ボーイ

朗らかな 朗らかな荻生徂徠 🎶


荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666~1728年)は江戸時代中期の有名な儒学者、実在する人物です。この『徂徠豆腐』は徂徠が幕府側用人の柳沢吉保に重用されたことから「柳沢昇進録」の一部として読まれることがあり、

また、元禄赤穂事件の際には赤穂浪士の切腹論を主張したということで「赤穂義士外伝」のひとつとして読まれることもある。最近は落語でも演じる人が増えている名作中の名作です。


さぁ、側用人柳沢吉保だから、まだ吉保が出羽守時代にまで時計の針は遡ります。そう‼️元禄の頃のお噺で御座います。

儒学者の荻生徂徠は芝に学問所を開くが、弟子はなかなか集まらない。最初のうちは身の回りの物を売って生計を立てるが、

鍋釜を売り箪笥を売り、そして着物を売り、勿論夜具なんかは真っ先に質に入れる。まもなく売る物も質ぐさも無くなりいよいよ生活が成り立たなくなって来る。

霜月の中頃のこと、今日で三日間なにも食べていない。「とーふ、とーふ、油揚、雁もどきぃ〜」、と威勢の良い売り声と伴に表を豆腐売りが通り掛かる。

徂徠は冷奴を1丁買い求め、醤油を少しかけあっと言う間に食べてしまう。豆腐売りは上総屋七兵衛という増上寺の門前に住む豆腐屋だ。

代金は四文だが、細かい金がないからと支払いは次回にしてもらう。その日その後に口に入れるのは水ばかり。

翌日の朝、七兵衛からまた冷奴を買い求める。今度はなにもつけずに食べてしまう。今日も細かい金がないからと支払いはツケにして先延ばしにしてしまう。

この繰り返しで五日目、ツケは二十文溜まった。そして今日の七兵衛は釣銭を準備してきたという。ここで徂徠は「馬鹿を申すなぁ❣️細かい金がないくらいだ、大きい金など在ろうハズない‼️」と開き直る。

おかしな理屈に妙に納得してしまう七兵衛。ならば晦日にまとめてと七兵衛はいうがそれも当てがないと答える。

聴けば豆腐1丁で1日を過ごしていると言う。そんな徂徠の家には書物が山ほど積まれているが、本は学者としての自分の魂だがら決して売らないとの言葉に七兵衛は感心する。

七兵衛はおにぎりを毎日持って来ようと言うが、自分は乞食ではないからとこれを断る。またも感心した七兵衛は商売の残り物である「切らず(おから)」を煮付けて持ってくることにし、徂徠もそれならばと受け入れる。

それから毎日毎日、雨の日も雪の日にも、親切な豆腐屋上総屋七兵衛はおからを、せっせと徂徠の元に届ける。


そんな或る日、七兵衛は熱を出し七日間ほど自宅でウンウンうなされ、徂徠の家には行けなくなる。元禄十五年極月十四日、久しぶりに家を訪ねるが学者先生の徂徠は不在である。

そしてその夜半、本所松坂町の吉良邸に四十七士の赤穂浪士が討ち入りをし、翌日江戸の町はこの噂で持ち切り❗️大騒ぎである。

その最中のこと、隣家が火事になりそのもらい火で上総屋は全焼。七兵衛夫婦は着の身着のままで逃げ出すが、何もかも失い一文無しになる。

着の身着のまま逃げ出した上総屋夫婦。友達の家へ身を寄せているが、そこへ大工の吉五郎という者が、突然、七兵衛を訪ねてやって来る。

吉五郎は当座の分だとして十両の金を与え、焼け跡に普請をしていると言うが、何のことだか七兵衛はさっぱり分からない。言われるままに十両受け取るが…。


年が明けて新珠の春。松も取れて如月の初旬のこと、吉五郎が立派な姿の武士と共にやってくる。このご武家こそ「冷奴の先生」荻生徂徠である。

七兵衛が家に来なくなって二日目のこと、老中に出世したばかりの柳沢美濃守様から登用され八百石取りの身分になったと徂徠は語る。

七兵衛から受けた恩を深く感謝し、その時の豆腐代及びお礼として今日また十両の金を与え、さらに七兵衛夫婦のため豆腐屋の店を新しく普請して引き渡した。

徂徠の口利きで芝・増上寺への出入りが許され、またこの上総屋の豆腐を何もつけないで食べると出世するということで評判になったという。いつしか江戸名物『徂徠豆腐』の誕生です。



◇ 葛の一壺

さて時は宝永四年霜月、富士山が大噴火をする。関東一円は大変な被害である。翌、宝永五年弥生には京都で大火災、同じ年の皐月、今度は京で大洪水が起こる。

日本中が大恐慌になり、五代将軍・綱吉公は困り果てる。毎日大奥に籠って鬱々としている。こうなると綱吉公の寵愛を受けて権勢をふるってきた柳沢吉保も気が気でない。

そこで六代将軍を継ぐことが決まっている綱豊卿に吉保は上手く取り入って、綱吉公が亡くなった後も自分の地位、大老格に相当する老中職を守ろうと考える。

綱豊卿のいる西の丸に参上し、ご機嫌伺いをする。綱豊卿のお側御用役を務めるのは、綱豊公が元服前から傅役(もりやく)を務める間部越前守だ。

越前守は柳沢のことが良く分かっているので、なるべく綱豊卿に会わせないようにする。ますます心配の募る柳沢は、今度は越前守に進物を贈るようになる。

或る日、越前守は訪ねて来た柳沢に「そこもとの国許で出来た『葛』を一壺所望したい」という。これを受けた柳沢。柳沢は考える。自分の領地は武州・川越で葛など名産物ではない、どういうことだ❓

屋敷に帰った柳沢が家臣に尋ねると、渡辺九左衛門の顔色がさっと変わる。かつてこんなことがあったのだ、それは…。備前岡山の大大名、池田綱政は官位が欲しいが、それには柳沢に話を通さなければならない。そこで柳沢に莫大な進物を贈る。

綱政の家臣が柳沢の屋敷を訪れたところ、柳沢は『葛一壺』を所望するという。『葛一壺』とはなにか。家臣一同が考えるが、これは『紹鴎(しょうおう)の茶入れ』のことである。

紹鴎から織田信長、豊臣秀吉と伝わった金には代えがたき逸品である。毎年、虫干しをし、箱にしまう時には破損しないよう葛を一緒に詰める。

『葛一壺』とはこの掛け言葉だったのだ。柳沢には逆らえない。結局、紹鴎の茶入れは柳沢に送られた。これに満足する柳沢。

そんな話をすっかり忘れていた柳沢だが、渡辺九左衛門に告げられて思い出した。一旦「譲る」と言ったので、仕方なく紹鴎の茶入れを間部越前守に渡す。越前守はこれを綱豊卿に献上する。綱豊卿もご満悦である。


いよいよ綱吉公の身体の具合が次第に悪くなっていく。熱を出し床に臥し、治ってはまた床に臥す、これを繰り返す。

宝永六年正月十一日、今日は具足開きの日である。心持の良かった綱吉公は御酒を召し上がり、かなり酩酊する。『船弁慶』を舞うが、足元がふらつき、パッタリと倒れる。

この時、燭台が倒れ、狩野探幽の描いた犬の絵の衝立に燃え移った。犬の絵が半分燃えているのを見て、綱吉は震え上がり、酒宴は中止になった。

この日の真夜中、綱吉公はにわかに発熱し、医師薬師が枕元に呼ばれお付きの者は必死に介抱するが、この夜亡くなる。享年六十四歳であった。

西の丸の綱豊卿は六代将軍となり、綱豊公は徳川家宣(いえのぶ)となる。同時に柳沢はお役御免を願い出でる。

そして吉保は神田橋の上屋敷は取り上げられて、下屋敷、今の六義園に隠居する。その五年後、五十七歳でこの世を去ったのである。