①吉保の生い立ちの巻
② 隆光易占
③ お歌合わせ
④ 采女探し
⑤采女の巻
⑥ 刀屋の巻
⑦ 将軍饗応
⑧ 浅妻舟
⑨ 白菊金五郎(上)
⑩ 白菊金五郎(下)
11 隆光の逆祈り
12 光圀公・淀屋との出会い
13 藤井紋太夫お手討ち
14 河村瑞軒
15 徂徠豆腐
16 葛の一壺
一昨日12月8日はあの柳沢吉保が亡くなった日、ご命日なんだそうです。つづきは、第十三話 藤井紋太夫お手討ちから、河村瑞軒です。
まぁ、12月10日は坂本龍馬の命日として、有名ですが…。
◇ 藤井紋太夫お手討ち
時計の針を少し昔に戻してみます。なかなかお子様に恵まれなかった綱吉公。ようやく生まれた徳松君にも早逝され、鬱々として仏間に閉じこもっている毎日を送られていた。
突然、第六話、七話くらいまで話が戻るから、講談はややこしい…、皆さん❗️付いて来て下さいwww.
お世取りが中々生まれない綱吉公は護持院の大僧正・隆光を呼び寄せて、涙ながらに訴える。呼ばれた隆光は、前世において畜類を苦しめたのが原因であると説き、
生類を憐れみ、畜類、とりわけ綱吉は犬の年の生まれなので犬を大切にすれば、またお子様も生まれ、徳川家も末代まで栄えるという占いを授けました。
隆光のいう事ならなんでも聞き入れる綱吉公と母親の桂昌院。こうして「生類憐みの令」という悪法が発布される。
江戸の町はこの悪法に支配され、動物を大切にせよ、とくに犬については叩けば島流し、殺せば死罪という重刑が課せられる。以来、処罰されるものが続出する。
そして丁度その頃、常陸の西山に隠居されていた光圀公は、この「生類憐みの令」について聞かされ怒り心頭である。
無用な殺生を禁ずるというならともかく、これでは人間より鳥獣を上に見ていることになる。わが領内では、鳥獣を殺すことは勝手なりという御触れを出します。
これから、"黄門様"は領内の野良犬を三十匹あまり捕獲する。その皮を剥いで生製して立派な桐の箱に入れる。
そして江戸表の柳沢美濃守吉保に送り付け、吉保から綱吉公に献上するようにと伝えます。そしてこれを運んだのが、水戸家の重臣藤井紋太夫である。
箱の中を見た綱吉公は驚いた。犬の皮をなめしたものである。「早々に取り捨てろ」綱吉は叫ぶ。柳沢も驚き、ただただ平伏する。現場は大パニック❣️となるのだった。
狼狽しきりの柳沢は箱を運んできた藤井紋太夫を呼び寄せた。紋太夫曰く、「光圀公は学問に熱中しすぎて近頃奇妙な振る舞いをする」と言う。
この紋太夫、実は隠れ反光圀派の家臣で、柳沢の権勢を借りて水戸家の政治を牛耳りたいという野心があった。これをきっかけに紋太夫は柳沢に通じるようになる。
ここでとんでもない陰謀を企むようになる。水戸家の当主、徳川綱條卿のお子様、お世取りの菊千代君が身体が弱い。
この菊千代君を排除して、柳沢の次男に水戸家を相続させようと謀る。しかしこのためには光圀公が邪魔である。
そこで藤井紋太夫は、「光圀公は狂気乱心したようである」と柳沢美濃守に告げる。美濃守は大名諸侯にこの"光圀御乱心❣️"を江戸城内で吹聴して回る。
いつかこのことが光圀公の耳に入る。調べると藤井紋太夫が柳沢と通じていることが分かる。さらに柳沢の息子に水戸家を継がせようとしていることも露見してしまうのだった。
光圀公は久しぶりに江戸にご出府し、小石川の上屋敷で能の催しを開く。藤井紋太夫も妻子を連れて見物する。
光圀公は家来の者に命じて、この間に紋太夫の家の家宅捜索をさせる。すると柳沢美濃守と交わした密書が次々と出て来る、出て来る⁉️
能の番組が始まる。仲入り後、光圀公は『羽衣』を舞う。終わって楽屋に入って装束を整える。面をゆっくりと外した光圀公は楽屋に藤井紋太夫を呼びつける。
光圀は、柳沢との密書を証拠に見せ、小姓のころから寵愛してきた紋太夫を背中から胸にかけて一刀を振り下ろす。再び舞台に出た光圀は、渾身の『海人』を舞うが、人を斬った後だと気づくものは誰もいない。
泣いて馬謖を斬った光圀は、柳沢美濃守と言う漢、徳川家(とくせんけ)の行く末の為にならん❣️と、強く確信するのである。
◇河村瑞軒
噺は変わって、大坂の与八郎という者は早くに両親を亡くし、それならば江戸へ行って一旗あげようと東海道を東へと下っていた。しかし品川宿で路用の金を残らず巾着切りに盗まれてしまう。
与八郎が高輪から八ツ山下をトボトボ歩いていると、荷車を引いた二十二~三歳の威勢の良い男に呼び止められる。
この先の大木戸を通るのに荷車を後から押す人足が必要なので、与八郎に、後ろから歩いて付いてきて欲しいと言う。
荷車を引いていた男は清吉といい、与八郎が困っていることを聞くと、車屋の親方は面倒見のいい人だから、この親方の世話になったらどうかと持ち掛ける。
そんな縁で田町九丁目の三河屋という車屋へ帰り、清吉の頼みで与八郎はこの車屋で世話を受けることになる。
そして季節は夏の盛りを過ぎて、お盆になり、ご先祖様をお迎えするためにどこの家でも飾り付けをする。
大坂から来た与八郎はお盆を終えたらこの飾りは捨てられてしまうと車屋の親方から聞く。与八郎は親方の女房から紋付、羽織・袴を借り、清吉に荷車の用意をさせる。
荷車を清吉に引かせて町内の家を方々巡り、患っている父親・母親を治すために精霊を収集していると言って、真菰(まこも)を山のように集める。
お供えしていたご飯を再度蒸して、石臼で搗くとお餅のようなものが出来上がる。これに蜜をつけると得体の知れない甘いものが出来る。
これを箱に詰める。清吉がこれを食べてみると、甘いところと酸っぱいところがあってなかなか美味い。これを「酢甘(すあま)」と名付けて売ると飛ぶように売れる。
今度また与八郎は、やはりお盆飾りのお牛やお馬を細かく刻んで甘味噌に漬けたものを作る。これを「やたら漬け」と名付けて清吉は売りに行くが、これも見事に売り切れる。
小銭が山のように溜まって、これを車屋の親方と清吉に分けて渡し、自分はわずかばかりの金を持って姿を消した。
この後、麹町に今でいうところの商業学の塾を創る。大坂に戻って時の勘定奉行に取り立てられ、士分になる。この時名を与八郎から河村瑞賢と改めた。
いずれ大坂奉行・河村瑞賢は、淀川の支流、安治川を開削して川が氾濫するのを防ぎ、この時の土砂を集めた山は瑞賢山と呼ばれたのである。