①吉保の生い立ちの巻
② 隆光易占
③ お歌合わせ
④ 采女探し
⑤采女の巻
⑥ 刀屋の巻
⑦ 将軍饗応
⑧ 浅妻舟
⑨ 白菊金五郎(上)
⑩ 白菊金五郎(下)
11 隆光の逆祈り
12 光圀公・淀屋との出会い
13 藤井紋太夫お手討ち
14 河村瑞軒
15 徂徠豆腐
16 葛の一壺
昨日12月8日はあの柳沢吉保が亡くなった日、ご命日なんだそうです。つづきは、柳沢吉保の妻おさめと五代将軍綱吉との関係の、第七話"将軍饗応"からです。
◇ 将軍饗応
側室采女とお世継ぎの徳松を失った綱吉公は気鬱で仏間に閉じこもったまま、日々を過ごしていた。そんな上様に大名諸侯は、自身の構える江戸屋敷に御成を願い、
ここで目先の変わった催しをお見せして楽しんで頂こうということで話がまとまるが…、能・狂言、平家琵琶や琴のしらべに、老人ばかりの素人相撲。
最初のうちは楽しんでいた綱吉公だったが、そう毎日違った催しができるはずがない。似通ったものが多くなり、綱吉公も諸大名の接待に飽きてきてしまった。
貞享四年十月、綱吉公が神田橋に在る柳沢出羽守の屋敷へお目見えになる番が来た。当日は老中からお小姓まで総勢二百人が綱吉公にお供する。
柳沢が綱吉公に御覧にいれたのは、能で演目は『楊貴妃』である。途中で麻裃を身に着けた牧野備後守が登場し、采女の方の魂を呼び寄せるという趣向が演出として用意されていた。
すると舞台正面に生前そのままの采女の方が現れた。采女は舞台中の岩室の中に消える。綱吉公は柳沢に連れられて大広間へ来る。
采女と思っていた美女は、柳沢の養女、「おたか」であった。おたかの後ろには柳沢の妻、おさめ、その他選りすぐりの美女が20人ほどが控えている。
まさに玄宗皇帝と楊貴妃の長恨歌の世界が広がる。
綱吉公は左右から酒を勧められ酩酊する。それから牧野備後守の案内で次の間へ行くと、吉原の造りになっている。さきほどの美女たちは遊女の装いになっている。
美女のなかでもおたかとおさめの美しさは際立っている。泥酔した綱吉は左右からおたかとおさめに支えられご寝所へ入る。
千代田の城ではいくら待っても綱吉公が帰ってこない。留守居役が馬を飛ばし、神田橋の柳沢屋敷に向かう。すると廊下にいたのはおたかで、寝所で綱吉公のお相手をしていたのはおさめであった。
不義密通❣️将軍が家臣の女房を寝取ってしまった。
おさめがすっかり気に入った綱吉公はたびたび柳沢の屋敷へ赴き、寝所を共にする。また養女のおたかにも手を付けるようになる。
綱吉公のお気に入りになった柳沢は加増を繰り返し、ついには十七万石、甲州府中の大大名へと出世し、名も出羽守から美濃守に改める。綱吉公はおさめやおたかを相手に泉水に船を浮かべてお楽しみになるが、ここでひとつの騒動が起こる。
◇ 浅妻舟
五代将軍綱吉が、柳沢美濃守の妻おさめと不義密通を繰り返すころ、江戸の町に洒脱な風俗画で有名になる英一蝶が、まだ多賀朝湖と名乗っていた頃の噺である。
知られた通り紀伊国屋文左衛門は一代で巨万の富を築いたという豪商であり、今日も大勢のお伴、文人墨客を連れて吉原へと赴く。
宴席で一同は楽しく酒を酌み交わしている。ふと見ると朝湖の足元に1本の女性物の扇が落ちている。これを拾って開いてみると、湖なのだろうか海なのだろうか?
そこに一隻の船が浮かび、そこに貴人と白拍子姿の一人の女性が乗っている。朝湖はこの絵の構図と赴きが大変気に入った。
そしてその夜、自宅で年老いた母親が待っている朝湖は一足早く、宴席の場から去り家路へと向かう。実に親孝行な朝湖らしい行動だ。
家に戻った朝湖はさっそく拾った扇の絵を元に下図を描き始める。翌朝、土産を持って宝井其角が朝湖の家を訪れる。
其角はその絵に『浅妻船』という名を付け、絵草紙にしたらどうかと提案する。絵草紙になったこの絵は江戸の市中で飛ぶように売れ、大評判になる。
ちょうどこの頃、十七万石、側用人に出世した柳沢吉保は五代将軍綱吉から寵愛を受けていた。吉保は出世のためなら金でも女でも使うという男であり、今飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
こともあろうに自分の女房、「おさめ」を将軍に差し出した。綱吉はしばしば吉保の別邸・六義園に通い、園内の池に船を浮かべ、おさめとともに遊興にふけっている。
いつしか、『浅妻船』の絵は将軍と吉保の妻、おさめを描いたものだとの噂が人々の間で広まり、これは将軍を愚弄するものだとして、朝湖は役人に捕らえられる。
即効お白州に出された朝湖、三宅島への流罪が決まる。流刑地に向って船が出帆する際には其角が別れを告げに訪れる。だが、病弱な母の姿はない。
朝湖は家に残した年老いた母親の面倒を其角に頼む。また島ではムロアジの干物を作る作業をさせられるが、鯵の干物のエラには松葉を挟んでおく。
もし鯵のエラに松葉が挟まった干物を見たら私のことを思い出してくれと朝湖は最後に言い残す。
朝湖が頼んだ通り、其角は彼の母親の面倒をみる。鯵のエラに松葉の挟まった干物はないか。其角は河岸の問屋で干物をむしって手当たり次第に探すが見つからない。
毎日河岸に通っているうちに其角が来ると干物問屋では慌てて干物を隠してしまう。
或る日、其角の住む町内には新参の魚屋の棒手ィ振が訪れる。さっそく其角はムロアジの干物を全部買い上げ、一枚一枚むしっていくと、エラに松葉の挟まった干物が見つかる。
これを朝湖の母親に見せ、朝湖は三宅島に元気でいると喜び合う。其角は干物を白木の台に乗せ、これを床の間に置く。干物の前で一服茶を立てる。この時詠んだ句が
シマムロに 茶を申す日の 寒さかな 其角
やがて島にいる朝湖は手紙を出すことが許されるようになる。朝湖は其角宛てに島での様子を伝え、また残してきた母親の身を案じる長い手紙を送る。その手紙の最後には
初鰹 からしが無くて 涙かな 朝湖
という句が添えてある。其角は返事の手紙で
そのからし 聞いて涙の 鰹かな 其角
という句を書き添える。この時代、初鰹はからしで食べるものだった事を知る句でもある。まだ、山葵や生姜は使われていないのだ。
或る年の正月、朝湖は初夢を見る。自分が蝶々になって懐かしい江戸の町へと戻り、母親と再会する夢だった。この夢は正夢だった。
松が明けて大赦で朝湖は江戸への帰還が叶う。これを機に朝湖は英一蝶と名を改めて、ますます名を高め、江戸期を代表する絵師のひとりになったという。