五街道雲助師匠が主任の5日目、興行全体の仲日に行きました。内容は、ダイジェストにして、座談会だけ少し詳しくお知らせします。
本日の井戸脇にこの写真がパネルが飾られていた。白黒は見た事のある有名な楽屋での集合写真だ。オールスター勢揃い、ただ、カラーはお初です。
【五日目昼席 11時40会場】
曇天の午後からは、雷雨の予報の中、この日も五十から六十人が行列で、早々に桟敷とパイプ席は満員になり、残りは立見へ。大盛況の五街道雲助師匠主任の芝居です。
・ぼんぼり・白酒一門 子ほめ
・菊之丞 たらちね、九段の如しまで!たっぷり
・黒酒 駒長 志ん生に因んだ噺だが、やはり陰惨
・杏寿 小粒 可愛いんだけど声が高い
・駒三 勘定板 ウンが付く根多。会場は大爆笑
・馬玉 替り目 オーソドックス、口調が現馬生ソックリ過ぎて怖い
・とんぼ・まさみ 漫才阪神タイガース根多
・志ん雀 紙入れ 雷⚡️が轟く中熱演
・馬の助 動物園 百面相 ベテラン演じるブラックライオンvs ホワイトタイガーが笑えます
・圓菊 安兵衛狐 コン!と鳴くメス狐が可愛い
仲入り 超満員、初日と同じ入りの大盛況!
座談会 馬生、志ん朝のエピソード 講道館の黒豹 菊春、美智、雲助、馬の助
・始 お花半七/宮戸川(前編) 明るい高座と外の雷が話の演出に
松旭斎美智・美登 奇術 毎度お馴染みロープとリングの手品
・菊春 目黒のさんま 旬の一席
・菊太楼 転失気 真打がやるに相応しい演出
・ぺぺ櫻井 漫談 雷がピークでも芸は淡々と!
・雲助 お直し 素晴らしいコレこそ、国宝の芸。夫婦の機微が益々円熟した物に
【座談会】
◇出演 菊春師匠の司会、松旭斎美智、五街道雲助、二代金原亭馬の助
昭和36年の讀賣の優勝祝賀会にて、志ん生の落語を讀賣ナインは理解せず、誰も聴かないから志ん生師匠は無駄に力み過ぎて倒れてしまう。
と、根多振りした司会の菊春師匠、昨日、志ん生の仇を阪神タイガースが見事に討ってくれました!と、言うので、掴みの笑いがドッカン!と、起きました。
そこから形見分けの話題となったのは、美智先生が「志ん朝」形見の半被姿で登場していて、馬の助師匠の黒門付も馬生師匠の形見。司会の菊春師匠も圓菊師匠の形見の着物だった。
雲助師匠は何を形見分けされたの?と、周囲に訊かれた雲助師匠、女将さんから雲ちゃんは、師匠の1番のお気に入りの弟子だからと、白薩摩の唐山を形見に貰ったが…。
汗シミが酷くて、何度も洗い針したが襟と袖口が汚くて着られないと、雲助師匠残念がっていました。
一方、美智先生は、志ん朝師匠が初めて取った色物で、まだ、松旭斎美智・幸子時代に弟子入りしている。すると、入門数日後に、聖子夫人に呼び出されて「あんた!うちの人・志ん朝、男としてどう思う?!」
と、訊かれたので、「正直に言います!男性としては、タイプじゃありません!」と、美智先生、正直に答えると、聖子夫人にド嵌りし、本当に公私に可愛がられたそうです。
ここから馬生師匠の話題になり、『講道館の黒豹』と渾名されたと言うのは真実なのか?って話題に。雲助師匠が志ん朝師匠から聴いた話では、真実らしい。
ドスの利いた声の強者が、4、5人連れで「美濃部!稽古に行くぞ。」と毎日迎えに来ていたそうで、道着に下駄履きで、馬生師匠は稽古に欠かさず通っていたらしい。
しかし、雲助師匠が入門した時には、既に40歳の馬生師匠は、頭は真っ白で、講道館の黒豹の面影はなく、日本舞踊坂東流の名取りで、踊りは咄家仲間では群を抜いていた。
馬生師匠の先輩師匠連中が嫉妬するくらいの踊りだったと言う話をしながら、美智先生が、馬生師匠から蕎麦屋に誘われて、東京の下町育ちの美智ですが、蕎麦の手繰り方を知らなかった。
すること、蒸籠の蕎麦には入口があると、美智先生が言うと、「入口?!」と、顔を見合わせる雲助、馬の助、菊春…。
「入口とは!?」と、美智先生が語るには、蕎麦の笊には、蕎麦を掴み取る、手繰り出すのに適した「入口」と呼ばれる箸を入れるべきポイントが有ると言う。
この入口を上手く見付けて手繰るのが、蕎麦ッ喰いの秘訣だと教えてくれたのが、十代目馬生。五十四歳、早逝した師匠は、四十を過ぎるともう枯れて居たと皆さん口々に仰っいます。
そして、十代目の馬生に食事に連れて行かれた話と言えば、と、振られて五街道雲助師匠は、一度もないと言うと、馬の助師匠は先代初代金原亭馬の助師匠が亡くなり、馬生師匠預かりに成った。
小馬吉と呼ばれる前座時代に、脇の良い仕事で、銀座の会に鞄持ちで同行した時に、よほどギャラが良かったらしく、飯でも食って帰るか?!と、銀座のステーキハウス『紅花/ベニバナ』に連れて行かれ、
当時、寄席の前座の日当が百円。脇に連れて行かれて貰う小遣い、手間賃が二百円だった時代に、五千円のステーキをご馳走になり、馬生師匠はワインをボトルで注文して堪能したが…。
それ以降、馬生師匠、半年くらい弟子を食事には誘わなくなり、よほど、ベニバナが高かったのだと、一門には噂になる出来事だったらしい。