さて、独り端舟に乗り込み嵐の大海原へ漕いで出た姫松の安否が気になるとは思いますが、ここで姫松と端舟の行方は暫時お預かりという事で…。
噺はガラッと変わり、玉瀬平太夫のお屋敷の様子はと見てやれば、夜廻り係の下男が庭を提灯ぶら下げて火の用心と見てまわります。すると…、
娘、姫松の部屋の前、切戸口が開け放たれて、誰かが出入りした様子です。さぁ〜下男は盗賊が侵入したかも知れないと、用心しながら中へ入ると…、
更に驚いた事に、部屋には姫松の姿が御座いません。「旦那様!一大事に御座いまする、誰か曲者が侵入したに相違御座いません!」と叫びます。
玉瀬平太夫と謂えば、摂津國に於いては三本の指に数えられる資産家です。盗賊が侵入した可能性は十分に考えられますから平太夫は手練れを集めて、
三人一組にして、屋敷内を隅から隅まで探索させるので御座いますが、鼠一匹見付かりません。そりゃそうです、賊の侵入ではなく娘の家出だから。
さて、平大夫。この異変が起きた場所が、即ち、娘の居間の正面廊下に近い事に気付くと、娘の居間へと踏み入ります。すると、娘は不在蛻の殻!
そして、そこに一通の置き手紙を発見します。「探さなで下さい!父上様、母上様!」と短く書かれておりますから、両親、是は家出だと察し嘆きます。
併し、まさか袴垂保輔一味が手引きして、姫松自身を欺き誘拐したとは知りませんから、翌朝、玉瀬住人に呼び掛けて、褒美を払うからと娘探しを村人に依頼すると…、
集まった村人は実に二百人。大金持ちの玉瀬平大夫がご褒美の金子を出すと聴いて、村中の因業な村人が目を算盤玉にして、俺も!アタイも!と集まったので御座います。
そんな連中が、金!金!金!と謂いながら東西南北、玉瀬の國中を虱潰しに探したのですが、残念ながら平大夫の娘、姫松は影も形も無く、誰も見付け出すどころか目撃情報すら得られません。
結局、二百人もの人手を掛けて五日間、玉瀬を隅から隅まで探索したものの、姫松が何処へ行ったのか?!その手掛りとなる様な噂噺を、誰一人として掴んで帰る者は有りません。
さて、國内をこれだけ探しても見付からない娘を心配する両親、父玉瀬平大夫と母親であるご新造は、多田の左馬頭満忠公の館より救い出した後の様子を鑑みて、娘、姫松の行方を相談し合います。
平大夫「之ほど玉瀬と摂津領内を探しても、姫松の消息が知れぬとなると、姫松は陸路を逃げたのでは無いのでは?」
ご新造「陸路でないとすると、船に乗って逃げたと謂うのですか?若い女子が独りで、どうやって船を手配したのでしょう?」
平大夫「拙者も左様考えて、陸路に違いないと探してはみたものの、全く足取りが掴めぬのは船を用いたに相違ない。」
ご新造「では、どうやって姫松は船を?!」
平大夫「恐らく、家出する様に手引きした相手が在るハズだ。」
ご新造「誰が?何の為に?」
平大夫「それは、姫松が帰ってからの様子から想像するに、多田のお城に奉公していた時分の知合い?傍輩?イヤ、懸想していた相手かも知れぬ。」
ご新造「貴方!姫松に、好きな相手が有ったと謂うのですか?」
平大夫「そう考えると辻褄が合う。多田から戻ってからの様子は恐らく『恋煩い』だ。そして、その恋の相手から艶書を貰い、この家(や)を飛び出したに違い無い。」
ご新造「すると、船は艶書を渡した主、つまりは姫松の恋人が船を用意したんですか?!」
平大夫「そう考えるのが自然だ。兎に角、乳母のお粂を呼びなさい。あの者が何か知っており、姫松から口止めされているやも知れぬ。」
そんな相談をした両親は、乳母のお粂を呼んでここ数日の姫松の様子を厳しく問い詰めると、小僧の亀吉に付文を渡した人物があり、お粂を経由して手鏡に添えて其の文が姫松に渡った事を白状した。
是を受けて平大夫は、下男で湊街に顔の利く治助と謂う者を濱ヘやり、昨夜、柱本の桟橋から淀川を下り尼崎の元濱か?大濱辺りから船を出した者が居ないか?調べさせる事にした。
すると丸一日、淀川から尼崎の湊界隈を聴き込んで、その治助が息を切らして屋敷に戻って来ると、荒い息のまんま部屋に飛び込んで参ります。
治助「旦那様、ご新造様、治助、只今戻りました。」
平大夫「おぉ〜、治助。それで姫松の行方は知れたのか?!」
治助「ハイ、まず三人組の男に頼まれて、姫松お嬢様を此の館の近くから、柱本桟橋まで運んだ駕籠やを見付けまして御座います。
そして駕籠やが申すには、小舟で淀川を下って湊へ向かい、三人組の仲間が尼の湊、大濱沖には大きな海賊船が待たせて有り、其れにお嬢様を乗せた由に御座います。」
平大夫「何んだと!?海賊船に姫松は乗せられて、拐われたのか?」
ご新造「本当に、海賊に姫松が誘拐されたのかい、治助?!」
治助「大濱で聴いた限りでは、間違い御座いません。併し、あの日は大嵐が来た日で御座います。沖に居た船の多くが難破して沈んだと謂う噂です。」
平大夫「では、姫松が拐われた船も沈んだのか?!」
ご新造「娘は、姫松は死んで仕舞ったの?!」
治助「其れが…。こんな物を拾っていた漁師を見付けました。定置の網に魚と一緒に掛かって在ったそうです。」
ご新造「之は!?姫松があの日着ていた着物の袖ではありませんかぁ?!」
そう謂うと、平大夫の内儀はその場に泣き崩れてしまいます。
治助「旦那様、シテ見れば疑う余地は御座いません。お嬢様は昨夜、間違いなく船に乗せられて当地から誘い出され様と致しましたが、
あの大嵐に依って船は難破、沈没したに相違ありません。そして此の通り御召し物の片袖が海中より見付かったからは、残念ながら…。」
平大夫「判った治助。奥よ!もう、泣くでない。姫松は今日を命日に、葬儀を執り行い追善供養を致そう。娘、姫松の鎮魂こそが第一である。」
玉瀬平大夫は、家臣に命じて各方面に娘子である姫松が、船上で大嵐に巻き込まれて、不慮の事故で亡くなったと御触れを出し、しめやかに葬儀を執り行います。
一方、あの大嵐の中、悪運強く難を逃れた袴垂保輔一味は、船を尼崎沖からやっとの思いで、淡路島の西岸室乃津湊へと停泊させ休止に一生を得ていた。
さてここは、其の室乃津に在る備前屋左次郎と申します遊廓です。こんな目に遭った後は、女郎を買って憂さを晴そうと、連中、丘へ上がると遊廓へ。
ただし、船の番が御座いますからジャンケンポンに負けた五人は悔しい留守番です。そんな競争に勝った関ノ次郎、美濃ノ喜藤太、忍術使栗山五郎など、
十八人は親分保輔に連れられて、備前屋へと参ります。さて、船頭衆、海の男達の遊びは豪快です。それにも増して今の保輔は豪快を越した金使いです。
なんせ、偶然知った多田城の事件をキッカケに、描いた絵図がまんまと当たり、沖の船の中には泡銭、金百貫目が在ると思うと自然財布の紐も緩みます。
一味の全員が好みの相方を選び終わると、酒池肉林の世界は続く事、なんと!四日四晩、十八人もの連中が備前屋へ居続け!居続け!しての散財です。
普通の客であれば、どんなお大尽、貴族と謂われても、是は怪しい!と疑いの目を向けるものですが、室乃津の遊廓は船頭衆の遊びに慣れて御座います。
しかも、あの大嵐に巻き込まれて、板子一枚下は地獄の商いです。その地獄から命からがら助かった連中ですから、銭を使うのなら『今でしょう!』と、
全財産を散財し遊ぶ姿を何度も見ている備前屋左次郎、袴垂保輔一味が大盗賊だなどと疑うような心配は御座いません。この上ない良客ともてなします。
さて、五日目の朝。流石に遊び疲れた袴垂保輔は、子分の船頭衆に目をやりますと、まだまだ、元気に朝から酒を喰らい更に三、四日は居続けそうです。
保輔「次郎、拙者はもう女郎買いには飽きた由えに、此の辺りを散策してから、播州姫路に渡り書寫山を参詣してまいる所存だ。」
次郎「それならば、アッシもお伴を致します。」
保輔「イヤ、其れには及ばぬ。汝は連中と遊廓で遊んで居れ。金子は汝に預けて於くから、暫く、命の洗濯でもしていなさい。」
次郎「承知致します。」
さぁ、袴垂保輔は独り淡路島から播州姫路にある由緒あるお寺、書寫山圓教寺が御座います。残念ながら私は詣でた事は御座いません。
現在は書寫山(書写山)にはロープウェイが有りますから、簡単に圓教寺をお詣りできますが、この袴垂保輔が登った頃は実に険しい山路で御座います。
圓教寺は西国三十三所のうち最大規模の寺院で書写山に位置し、「西の比叡山」と呼ばれるほどで、西国三十三所の二十七番目に数えられるお寺です。
その寺格は高く、この保輔の時代には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹である。京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かったらしい。
境内は、仁王門から十妙院にかけての「東谷」、摩尼殿(観音堂)を中心とした「中谷」、三つの堂(三之堂)や奥之院のある「西谷」に区分される。
伽藍がある標高371mの書寫山は、兵庫県指定の鳥獣保護区に指定されている山で、個人の写真撮影について、圓教寺では「ご自身の目で見えるものは自由にお撮りください」と告知されている為か?
ネット上に、圓教寺の画像、映像が多数アップされている。なんか、それを見ていると自身が行った気になるのが、不思議な気持ちである。
山内には、姫路藩本多氏の墓所である本多家廟所があり、そこには本多忠刻に仕え殉死した宮本武蔵の養子・宮本三木之助などの墓もある。
この武蔵の養子、伊織、宮本三木之助の墓が意外と人気スポットらしく、テレビや映画で『宮本武蔵』をやると参拝客が増えるらしい。(意外と多くの映画、ドラマのロケ地になっています、書寫山)
室町時代の応永五年から明治維新まで女人禁制であったため、女性は東坂参道の入口にある女人堂(現・如意輪寺)に札を納めて帰ったそうです。
さて、そんな圓教寺の在る書寫山へ、大悪党の袴垂保輔が心から参拝し釈迦の教えに縋る(すがる)気持ちになるはずもなく、登る理由は他に有ります。
さて其の理由とは、他ならぬ書寫山を新たな自らの住まいにし、播州一國を手に入れてやろう!そんな野望を抱く保輔は室乃津を出たので御座います。
そんな訳で播州姫路湊に着いた袴垂保輔。目指す先は書寫山で御座います。保輔は只一人山路をてくてく山頂を目指して書寫山を登りますが…、
ただ意外な事に書寫山は途中の景色が素晴らしい。それに見惚れる保輔は何度も山路に座り込み、其の絶景を食い入る様に見詰めていました。
すると、そこへ忽然と現れたのが白髪白髭の仙人の如き老翁。見るからに古希を過ぎた老翁は、年齢に似合わぬ鋭い視線を保輔に向けている。
保輔「お爺さん、一寸、休んで行きませんか?素晴らしい紅葉の眺めですよ。」
老翁「老いては子に従えじゃぁのぉ〜、ぢゃぁ休んで参ろう。」
そう謂うと老翁は杖を置き、どっこいしょ!と、袴垂保輔の隣に腰掛けた。そして、ゆっくりと保輔の顔を覗く。
老翁「小僧!」
保輔「エッ!はい。」
保輔は少しムッとした。六つ、七つの童ならば小僧だろうが、三十前の青年を掴まえて小僧とは何んだ!死に損ないの糞爺。と、心で呟いた。
老翁「小僧と呼ばれて怒ったなぁ?小僧、儂を糞爺と心で申したなぁ?其れにしても、悪人相の人非人な人相をしておる。何人も人を殺した悪相だ!
その癖、野望、欲望、大望だけは一人前以上の飛んでもない輩だなぁ?!ただ、塩梅に成就できるなら宜いが其の知恵の足らぬ間抜け面では…。」
保輔「ヤイ、爺さん。人に大望や野望が有って何が悪い。人として生まれたからは老若男女を問わず、望みは有るものだ!其れの何が悪い、糞爺!」
老翁「其の大望が貴様の場合はタチが悪い。天下國家が望まぬ大望、即ち野望だ。悪しき日々を送り、無益に人の命を断つと謂うは宜からぬ輩だ!」
さぁ袴垂保輔、悉く心の中を此の老翁に見透かされて驚きます。そして此のまま生かしては於けると直感致しますから、腰の大刀を抜いて立ち上がります。
保輔「ヤイ、糞爺。生意気な事を抜かしやがる、成敗してやる、覚悟致せぇ〜!」
老翁「∂Å√∬∩∫∮…§∪∞⊃⊿∂∈」
何やら老翁が妖しげな呪文を唱えますと、大上段に大刀を振り被った袴垂保輔の身体は、一瞬にして固まり動かなくなります。
そして、次第にガタガタと震え始めて、斬り掛かるどころか大刀を握っている事が出来なくなり、大刀を地面に落としてしまいます。
軈て、首を絞められた様な心持ちで、息が出来なくなり始めた保輔は、飛んでもない化物に喧嘩を売って仕舞った事に気付き、命乞いを始めます。
保輔「拙者が悪かった!どうぞ、勘弁願いたい!全く拙者が逸まった。」
振り絞るような声をやっとの思いで発し、必死に命乞いをする袴垂保輔を見て、老翁はニタニタと笑いながら、術を解き保輔に問い掛けた。
老翁「どうだ?!驚いたか?小僧。」
保輔「イヤはや、参った、驚き申した。」
袴垂保輔は漸く息をする事が出来て、大量に掻いた脂汗を拭いながら、『何んだ?此の爺は、摩訶不思議な術を用いやがる?!』と心で呟いた。
保輔「其れにしても、凄い技で御座る。」
老翁「ナニ、別段不思議な術には有らず。之、即ち『振動の術』也。依って儂が見込んだ者には、この術を伝授する事、吝かに有らざる也。
儂は今朝、庵にての瞑想中、大盗賊の袴垂保輔なる人物が書寫山に現れると知る。彼の保輔は天下を狙う悪党也。而らば保輔!天下を望むと申すならば、
『振動の術』の一つも身に付けて於かねば、大望の成就は無いと心得よ。儂はもう長くない、由えに保輔!汝に此の術を伝承して後に亡くなる所存也。」
さぁ、是を聴いた袴垂保輔、地びたに落とした大刀を鞘に納めると、大地に土下座をして此の老翁に対し、心底謝罪の弁を申し上げるのです。
保輔「へ〜イ、恐れ入りまして御座いまする。左様な御仁とは露知らず…、知らぬ事とは申せ大変ご無礼を致しました。拙者、摂津の禪司保昌の舎弟…」
老翁「皆まで申すな、貴殿が袴垂保輔であると存じておる。まだ若い頃より悪事を重ねて人を殺す。そして、盗賊の頭となってからは更に悪事は深くなる。
そんな貴様に、なぜ、儂が奥義『振動の術』を授けるか、判るか?其れは貴様が悪党なりに天下を取る!と謂う大望を抱いているのが気に入ったからだ。
邪悪な心で太く短く生きる其の料簡。儂は其れをいたく面白いと思う。決して嫌いな料簡ではない。保輔、宜しいか?術はくれてやる!見事、天下を取れ!」
保輔「ハイ、有難う御座います。さて、老翁!貴方様は何んと仰る御仁ですか?!」
老翁「儂か?儂の名は『道魔法師』である。」
保輔「ど、ど、どッ道魔法師様!!」
老翁「左様に驚くでない。儂も若き日に、京都(みやこ)にて世を揺るがす様な大罪を犯せし者なれば、汝に説教できる様な聖人君子に有らず。
京都を追われて茲、書寫山を住処と定めてからは、木の実を喰らい雨水を啜る毎日だった。臥薪嘗胆、再起を願い魔道の術を必死に身に着けたが…。
既に、死期の近付いている事を知るに至り、我が後継者となる悪童を探しておった!其処に汝が現れると我が易が知らせて呉れたと謂う訳なのだ。」
保輔「法師様、『世を揺るがす様な大罪』とは如何に?!」
老翁「知りたいか?保輔。しからば、謂って聴かせましょう。」
そう謂うと、道魔法師と名乗る其の仙人の様な陰陽師は、ゆっくりと自らの過去を語り始めた。
儂はまだ年若き時分、陰陽頭天文博士加茂保憲と謂う御方を師事し、一心に陰陽道を学んだ。其の甲斐有って保憲様に気に入られ一身に寵愛を受けた。
終始奥義を相伝される一番弟子の地位を守り、仕切りに陰陽道を極めつつ、師匠、保憲様も親身に儂を指導して下さった。併し、朱に交われば赤くなる。
儂は、十七に成る頃より悪しき友と交わり遊び始める。そうなると、修行で得た奥義を誤った道に用い、更には邪教に手を染めて悪事を働く様になる。
当時、儂は京都六波羅の坊門に住居を成し、夜な夜な坊を抜け出しては邪教を用い悪行を行う毎日だった。そして遂にこの事が師匠、保憲様に知れる。
即日、師匠の陰陽頭天文博士加茂保憲様は儂を破門にし、儂は六波羅の坊門より追放された。夢を絶たれた儂は益々、邪悪な魔道を用いて悪事を重ねた。
そんな時、儂は 関白忠平卿の側近で、天下取りの野望に燃える大納言藤原基方公と出逢い、互いの大望に共感し、そして二人三脚で天下取りに邁進する。
こうして、儂は『蘆屋道萬清太』を名乗り、大納言基方公の書生となるのだが、先ず儂が行ったのが、破門にされた師匠加茂保憲への復讐だった。
儂は保憲の娘葛子が安倍保名と謂う弟子と密通し、葛子のお腹に赤子が宿っておる事を知る。コレを利用して大納言の力を借りて保憲を京より追放する。
京都(みやこ)を追放された保憲親子と安倍保名は、全ての官職地位を奪われて津國の安倍野へと移り住む。そして儂が正式に陰陽頭天文博士となる。
思えば此の頃が一番幸せだったのかも知れぬ。そして軈て、大納言と儂の野望は大いに膨らみ、政の上で関白忠平卿と真正面から度々衝突する様になる。
そんな中あの者が突然京都へと現れる、僅か十歳の童子、尾花丸!後の安倍晴明だ。晴明は保憲の実の孫に当たり、小野参議好古卿を後ろ盾にして、
好古卿からの口添えで関白忠平卿に近づき、時の天皇・朱雀院の御悩を平癒させる役目を賭けて、『祈祷問答勝負』で、儂と晴明は戦う事に相成った。
そして儂は僅か十歳の晴明に問答で敗れ、帝の御悩平癒の役目を逃して仕舞うと、儂は邪悪な道魔の祈りを捧げて安倍晴明の平癒の作業の邪魔を致した。
併し、之れすらも安倍晴明は見破り、儂の道魔としての邪悪な力は奴には通用しなかった。かくして、儂は陰陽頭のまま隠居、晴明に取って代わられた。
軈て、安倍晴明は陰陽道の修行の為、本場、唐土へと渡り京都を留守にする。そこを狙って儂と、大納言藤原基方公は再び暗躍し天下を狙う野望を懐く。
時の天上人は父、関白忠平卿から息子の関白実頼卿へ移って間もない、政が不安定な時に乗じた陰謀だったが…、又しても安倍晴明に阻止されてしまう。
結局三度敗北し、儂の一番の理解者で後ろ盾だった、大納言基方公は中里流罪となり伊豆へ送られ、又、近親者と家来一同は京から追放されて了う。
彼くして、儂は京都を追われて茲書寫山へと参り、いつの日にか再び表舞台に立ち天下を望む野望を胸に隠遁生活の中で、邪教を磨き道魔となったのだ。
そして漸く『振動の術』を編み出したものの、儂は自らの死期が近い事を悟ってしまったのだ。だから、お前なのだ!袴垂保輔、この奥義の継承者は。
汝に此の術を授けるからは、必ずや関白実頼卿を討ち天下を取れ!そして儂と大納言基方公の無念を晴らすのだ!宜いか?夢々忘れるでないぞ、保輔。
保輔「承知致しました。其れに致しても、貴方様があの高名な蘆屋道萬清太様とは、お逢い出来て光栄です。必ずや、仇を討てご覧に入れまする。」
法師「儂にはもう時間がない、直ぐにも『振動の術』を汝に授ける為の修行を始める。我が庵へ付いて参れ、保輔。」
保輔「誠に忝く、慶んで先生の庵へ参りまする。」
法師「我が庵は険しい崖に建っておる、用心して儂の跡に従いなさい、呉々も注意してお伴致せよ。」
こうして袴垂保輔は書寫山へ着くや否や、道魔法師と名乗る元陰陽頭天文博士の、既に古希を過ぎた蘆屋道萬清太と出逢い『振動の術』を授る事になる。
その道魔法師の庵は、家、棲家と申すには名ばかりで、丸太が五本立てられて柱となり、屋根は編んだ竹に茅が積まれて有りました。
そこで、一日、二日、三日、四日と七日間。昼夜を問わず『振動の術』の厳しい修行は、食事を摂る間も惜しんで続けられて漸く保輔は是を物にします。
法師「之で、もう儂が貴様に教える事はない。よく頑張った、小僧。」
保輔「誠に、有難う御座います。必ずや天下を取り、時の関白、実頼卿一族を討ち、先生の仇を取って見せまする。」
法師「頼んだぞ!保輔。併し、汝に一つだけ苦言がある。」
保輔「苦言?ですか?!」
法師「汝は、自らの怒りを制御できぬ。而も、些細な事に直ぐに怒りを爆発させる。短気は損気だ!よーおく心して、怒りを我慢する術(すべ)を身に着けてなさい。儂からの苦言は其れだ。」
保輔「判りまして御座います。安易に怒り、理性を失う様な真似は二度と致しません。」
法師「宜いなぁ、保輔。儂が汝を小僧と呼んだくらいの事で、二度と怒ってはならんぞ!!」
保輔「ハイ、肝に命じまする。」
こうして、袴垂保輔は道魔法師から『振動の術』を授かり書寫山を降りて、淡路島の室乃津に居る子分達の元へ帰るのだった。
つづく