さて前席。大坂にて不思議な再会をした作州美作藩、三浦家を浪人となった中山重左衛門。美作藩で家老として勤めて居た時分、隣家浅野家に務める仲間(ちゅうげん)駒蔵と出逢う。
養子の息子、勝三郎と三浦家の宝剣『重宝天國宝剣』を未だに探している苦労噺をすると、今は飴屋の駒蔵は色々世話を焼いてくれて、勝三郎の兄、高濱文之助からの十両を届けてくれる。
そして、その十両を路銀に重左衛門は江戸に居る勝三郎と合流する決意をするが、東へ下る道中、米原の多賀峠で辻堂にて野宿をしていると、なんと!勝三郎の亡霊に『重宝天國宝剣』の行方と、
自らは既に殺害されて仕舞い無念である事、その仇は元美作藩の御殿医師、倉田玄龍であると告げられて、江戸で仇の玄龍を討って下さい!と懇願されるのであるが…、夢か?現か?半信半疑。
取り敢えず、勝三郎の亡霊のお告げに従い中山重左衛門は、江戸は本所相生町の尾張屋吉之助が営む、屑屋を訪ねる事に…、さぁ、来てみるとその屑屋は重左衛門の想像を超えて、デカい!大家である。
重左衛門「御免!頼もう。尾張屋さんは此方ですかなぁ?」
お熊「ハイ、尾張屋に御座います。」
重左衛門「拙者は作州浪人、中山重左衛門と申します。ご主人、尾張屋吉之助殿はご在宅ですかなぁ?!」
お熊「生憎、主人の吉之助は所用が御座いまして、吉原の半蔵松葉屋と申します廓へ伺って留守です。何か火急の御用でしょうか?」
重左衛門「実は、中山勝三郎の事で、些かおお窺いしたい儀、之有り。」
お熊「中山様の…、では玄関では何んですから、此方(こちら)へお上がり下さい。」
そう謂うとお熊は中山重左衛門を、奥の客間へ案内すると、お茶を出し煙草盆を薦めた。
お熊「さて、御用の向きは如何(いか)に?」
重左衛門「実は、勝三郎は我が養子息子で御座る。その勝三郎の身に何か不吉な事が起きたと聴いて、大坂より江戸表に馳せ参じた訳に御座る。何か?心当たりは御座いませんか?!」
さぁ、突然、勝三郎の父親と名乗る武士が訪れて、息子、勝三郎と謂い出すので、留守を守るお熊は少し焦りを覚えた。
と、謂うのも亭主の吉之助から、勝三郎の変死については固く口止めされているので、安易な返答は出来ないのである。
お熊「父君でしたかぁ〜、確かに、中山の若君は当家に居候なさって居ります。併し不吉な件とは聴き捨て成りません!一体何を仰っているのか?具体的にお聴かせ下さい。」
重左衛門「実は倅、勝三郎が或る人物に殺されたとの噂を耳に致し、取る物も取り敢えず江戸表に罷り越した次第であるのだ。」
お熊「まさか!お戯れを。其れは良からぬ噂で御座います。」
重左衛門「では、倅!勝三郎は生きているのか?!」
お熊「ハイ、ピンピンして居られます。」
重左衛門「して、今、何処に?!」
お熊「そ、そ、そッ、其れは…、中山の若君は、一寸ばかり外出しておられて、例の宝剣を探しに…。今は不在ですが時期にお戻りになります。」
重左衛門「では、倅が戻りるまで、此方に待たせて貰って構わぬかな?女将。」
お熊「ハイ、どうぞ!ごゆっくりお待ちになって下さい。」
お熊は、勝三郎の変死を重左衛門には伝えられず、亭主吉之助が早く帰る事を祈りながら、重左衛門を客間に置いて待たせる事に致します。
一方、客間で一人手持ち無沙汰の重左衛門は一服煙草に火を点けるか?と、煙草盆を引き寄せた時に、隣の部屋から線香の匂いが致します。
『隣は佛間か?』と心で呟いた重左衛門、次の間との堺の襖を開け、隣を覗いてみると新しい位牌が佛壇に置かれ線香の煙が立っております。
刃勝龍虎剱信士
拵えたばかりの真新しい位牌には、『刃勝龍虎剱信士』と書かれており、是は勝三郎の戒名に違いないと直感する父、中山重左衛門。
改めて勝三郎の死を受けて、米原の多賀峠の辻堂に現れた亡霊は、本物の勝三郎の霊だったのだと確信します。と、謂う事は……………。
あの亡霊が謂った事も、全てが真実に違いない。と謂う事は、『重宝天國宝剣』を盗んだ相手は藩の御殿医師だった倉田玄龍と仲間の大野林蔵。
更に、『重宝天國宝剣』を取り戻す為に、本所森下町の倉田玄龍の屋敷に向かった勝三郎を殺害したのも玄龍、其の人だと謂う事になる。
ポン!と、一つ膝を叩いて、煙草盆を引き寄せた重左衛門は煙管を雁首を叩いて、「ご内儀殿!ご内儀殿!」と、お熊を呼ぶのでした。そして、…。
お熊「何んで御座いますか?中山様。」
重左衛門「ご内儀、倅は既に亡くなったのですねぇ?!」
お熊「エッ!何を仰っしゃいます。」
重左衛門「もう、隠さなくても結構です。お内儀殿実は、私は大坂から江戸表へと来る途中で、勝三郎の亡霊と、近江國米原の多賀峠に在る辻堂の中で遭遇しました。
だから、単に噂を耳にしたと謂う不確かな伝聞ではなく、ある程度確かな角度からの情報なのです。その証拠に亡霊から聴かなければ知り得ない、ここ本庄相生町の、
尾張屋に勝三郎が厄介になって居る事を、亡霊から聴いて知っているのです。とは謂え、亡霊の存在が夢か?現か?確信は有りませんでしたが…、併し、この隣の佛間で、
新しい位牌が仏壇に祀られて、戒名が『刃勝龍虎剱信士』と記してあるのを見たからは、あの亡霊は夢ではないと確信し、今ここに勝三郎の死を受け入れてまして御座いまする。」
さぁ、勝三郎さん位牌を重左衛門に見られたからは、お熊は嘘で誤魔化す訳に行かず「実は、勝三郎さんの元女房の梅川花魁も…。」と、カクカクしかじか、云々かんぬん、と、お熊は亭主の吉之助から聴いた噺を全て重左衛門に全て伝えるのでした。
重左衛門「倅、勝三郎の死が誠ならば、一刻も早く尾張屋殿にお目に掛かりたい。ご内儀、駕籠をご用意下されぇ、拙者、吉原の半蔵松葉屋へ参りまする。」
お熊「判りました。では、お駕籠を。」
お熊が用意した駕籠に乗った中山重左衛門は、本所相生町から新吉原の半蔵松葉屋へと向かう事に致します。
未だ日が高い新吉原。駕籠を飛ばして半蔵松葉屋へ到着した中山重左衛門、コレを迎えるのが松葉屋の主人半蔵、尾張屋吉之助、そして勝三郎の内儀お雪、今は半蔵松葉屋の太夫で梅川の三人です。
さて、積もる噺を語り合う重左衛門と吉之助に梅川。特に重左衛門と梅川は互いに是非伝えたい物語が多過ぎる由え、掻い摘んで噺は致しますが、それでも一刻語り合っても終わりません。
それでも、カクカクしかじか、云々かんぬんと是までの事情の一部始終を語り尽くすと、而して尾張屋吉之助が中山重左衛門に向かって、口を開きます。
吉之助「そんな訳で御座いまして、中山様、只今申し上げた次第で、仇である倉田玄龍と大野林蔵を成敗致すのは、勝三郎殿の実兄、業平文治親分が佐渡ヶ島から戻られてからでは如何でしゅうか?」
重左衛門「尾張屋殿、並びに松葉屋殿には、多大なる御恩を勝三郎と内儀が頂戴しておきながら、この様な事を申し上げるのは心苦しいのですが…。文治郎殿の帰りをお待ち申し上げていると、
万一、遅きに失し倉田玄龍を捕り逃す虞れが有らんと、拙者悔やんでも悔やみ切れません。既に三年近い歳月を日本全国六十余州を放浪して、漸くここ江戸表で見付けた仇で御座る。
今宵、本庄森下町の倉田玄龍宅に殴り込み、倅、勝三郎の仇を討ち、盗まれた勝山藩の宝刀、『重宝天國宝剣』を取り戻す所存で御座いまする。吉之助殿、どうか拙者を玄龍の家まで案内下され!」
吉之助「判り申した。其れでは案内させて頂きましょう。」
半蔵「尾張屋さん、まさか?二人だけで殴り込む積もりですか?流石にそれは不用心です。真夜中の事です。仇に逃げられては無念でしょうから、うちの若衆を二人ばかりお伴させましょう。」
吉之助「それは忝い。お借りさせて頂きます。」
そう謂うと、尾張屋吉之助は松葉屋の若衆二人をお伴に、森下町の倉田玄龍の屋敷へと、中山重左衛門を案内して夜道を四人(よったり)フラッカ、フラッカ歩きます。
そして四人が玄龍の家の玄関口に着いたのは、四ツ亥刻に差し掛かる頃、針を落としても音が聴こえるくらい四方は森閑としています。さぁ、これ幸いと中山重左衛門は身支度も厳重に、
戸傍から中の様子を窺いまするに、灯りの点る気配なく玄龍をはじめ家人は、早寝静まったる様子で森々としておりますから、傍に在る天水桶の上に在る石を、やわら小脇に抱えた重左衛門、
エイッと気合いを入れると、その石を玄関口の表戸へ勢い良く投げ付けます。ガラン!ガッシャン、それはもう耳を劈く(つんざく)けたたましい爆音を立てて、表戸はうち壊れてしまいます。
さぁ、それを見た中山重左衛門、腰の大刀をズラりと抜くと、表戸の無くなった玄関口から中へと飛び込むと、ゆっくり土足のまんま、奥へ奥へと注意深く乗り込んだり!!
一方、この時、奥の寝処で寝臥していた倉田玄龍は、先の爆音で目を覚まし、玄関の方から聴こえたと察して床間に置いた『重宝天國宝剣』を取り、起き上がり様子を窺う為に寝処を出ます。
真っ暗な長い廊下を玄関へと掏り足でゆっくり進む玄龍、そこへ反対方向から重左衛門が大刀片手にやって来て、両者、この廊下の真ん中で鉢合わせになります。アッ!とばかりに両者ビックリ仰天!
玄龍「何者!盗賊かぁ?!」
重左衛門「ヤぁ、ヤぁ、珍しいや盲亀の浮木、優曇華の華、倉田玄龍!ここで逢ぅたが百年目、貴様が仲間(ちゅうげん)の大野林蔵と企んで、
我家へ忍び入り、殿より預かりし『重宝天國宝剣』を盗み取ったる事実、既に明白也!もう、逃げられぬぞ!玄龍、尋常に勝負!勝負!」
そう、中山重左衛門は叫ぶと倉田玄龍に斬り掛かりますが、玄龍は咄嗟に部屋に有った火鉢を抱えると、重左衛門に目掛け是を投げ付けます。
火鉢ん中の灰が煙幕の様に部屋中に飛散し、一瞬、前が全く見えなくなる重左衛門。「己!卑怯者、倉田玄龍!」と叫び悔しがる中山重左衛門ですが、
倉田玄龍は、寝衣のまんま『重宝天國宝剣』を片手に庭へ降りて行き、兼ねて逃走用に隠して置いた庭の石燈籠の脇の松の根方に隠した金子を持って立ち去ります。
寸での所で倉田玄龍を逃した中山重左衛門、地団駄踏んで悔しがりますが、是非もなく、事の一部始終を翌朝、北町奉行、榊原主計頭忠之公の元へお恐れながらと訴えて出ます。
すると北町奉行所も、倉田玄龍の行方を追ってはくれますが、中山重左衛門も跡の始末を尾張屋吉之助と松葉屋の半蔵に頼んで、自らも玄龍の行方を探索に出掛けます。
一方、寝衣姿、着の身着のまま森下町の家を抜け出した倉田玄龍は、浅草新堀端の大野林蔵が住む長屋へ転がり込み、旅衣装を拵えて二人揃って千住まで逃げ延びます。
さぁ、このまんま二人連れでは目立つし、奉行所の追手に捕まる虞れがある。後日の再会を約束し、玄龍が林蔵に二十両の路銀を恵んで、二人は別れて別々の路へと逃げる事に致します。
さて、まず倉田玄龍の方は日光街道から奥州路を北関東へ、草加、越谷、春日部、幸手、古河、野木町、小山と進むと、少し土地勘の御座います下総國は結城の宿の城下へ参ります。
一方、大野林蔵はと見てやれば、こちらは鴻巣、熊谷、深谷、本庄、藤岡と中山道から上州高崎、安中を通りまして、信州碓氷峠を越えて軽井沢、佐久、小諸へと逃げる事に致します。
さて、下総國結城宿に着いた倉田玄龍。小松屋という旅籠に宿を取りますと、玄龍の部屋の奥に陣取りますお客が、芸者、幇間(タイコ)を上げてドンチャン騒ぎの真っ最中で御座います。
玄龍「ちょいと、お姐さん、奥の座敷は偉いハシャギ様だが?!」
女中「申し訳御座いません。アレは城下の金萬家で有名なお大尽、萬屋の旦那が、江戸表からの商い帰りという事で、大層、芸者・幇間を上げて騒いで御座います。」
玄龍「ほーう、そうかい。」
そんな会話を玄龍が女中を掴まえて致しますと、俄かに奥の座敷の騒ぎが止んで、突然、慌ただしくなったかと思うと、「お大尽!しっかり。」「誰かぁ〜、お医者様を!」と芸者の叫ぶ声が致します。
『オッ!之は〆子の兎!』
そう、心で呟いた倉田玄龍。唐紙を開けて奥の間で萬屋禽左衛門が宴会をしている部屋に入り、腹を押さえ脂汗をダラダラ流し苦しむ所へ近寄って脈を取ります。
玄龍「私は、とある藩のお抱え医師である。どうやら、この御仁は疝気を患い苦しんでおられるご様子。拙者が治療して進ぜようか?」
芸者「どうか、宜しくお頼み申します。」
脈を取った玄龍は、禽左衛門を仰向けに寝かせると、腹部を露出させて慎重に指で腹部を押しながら患部を探る。そして、針を取り出し腹に打ち込む。すると…。
見る見るうちに、禽左衛門は息すら出来ないくらの腹の痛みが、嘘の様に消えてしまったのである。さぁ、もうこんな経験をすると、玄龍は禽左衛門の神と呼んで過言ではありません。
禽左衛門「先生!本当に貴方は、私の命の恩人です。私はこの結城宿で、呉服問屋を営む萬屋禽左衛門と申します。もし、お急ぎでなければ、我が家へ来て下さい。先生に是非お礼がしたいです。」
玄龍「拙者は、西國のさる大名のお抱え医師で、中川周庵と申します。薬草の研究をしながら諸國を巡る旅をしていて、旅先々で病気に苦しむ方の手助をしながら旅を続けておるのです。」
禽左衛門「ならば、急ぐ旅ではないので御座いましょう?!是非、私に恩返しをさせて下さい、周庵先生!?」
玄龍「萬屋さん、貴方がそうまで仰るのを、無碍に断る訳にも参りません。では、暫く、お世話になる事に致します。」
こうして、江戸表を危機一髪で命からがら逃げて結城宿に来た倉田玄龍は、まんまと、萬屋禽左衛門の屋敷へ転がり込み、命の恩人と呼ばれて大事にされながら過ごします。
そして、萬屋へ厄介になった倉田玄龍。中川周庵と偽名を使い半月ばかりは、猫を被り大人しく過ごしていたのですが、半月を過ぎると馬脚を表して本性を覗かせます。
兎に角、酒癖が悪いは大酒呑み。結城宿の小料理屋や女郎を於く旅籠に上がり、大乱行の末に萬屋へ付けを廻すので、一ヶ月に三百両もの掛取りが店にやって来る。
更に、城下の仲間(ちゅうげん)部屋に出入りして、ガラッポン!と、盆茣蓙へも顔を出し、こちらは勝手に店の金子を持ち出し使い込むので、二ヶ月目には浪費が千両を超えて仕舞います。
さぁ、是には金萬家の萬屋禽左衛門も参ってしまう。医者なんてモンは長袖を着て堅いモンと相場は決まっていると思って居候させたら、店の半年分の儲けを僅か二月でチャラにする浪費ぶり。
さて、如何にとやせん?!と、浅野内匠頭みたいな思案に暮れていると、風の噂に結城宿の元締、顔役の結城ノ音五郎が佐渡の島流から赦免になり、近々結城に戻って来ると謂う。
是の『結城ノ音五郎』。皆さんは覚えておりますでしょうか?掻い摘んで申し上げますと、業平文治が三千石の旗本服部平太夫、志乃、お久羅、以下三十八人を皆殺しにして、伝馬町の牢屋へ入れられた。
その際に当時の牢名主の、富士太鼓ノ留吉以下四人の子分と揉めた時に、文治に合力したのが此の結城ノ音五郎で、二人は義兄弟の契りを結び、佐渡でも協力して流刑の艱難辛苦を乗り越えます。
業平文治と伴に佐渡ヶ島金山へ水飼人足として流された結城ノ音五郎。二人共に申し渡された金山の掟を能く守り、流人互いの諍を仲裁し、金山奉行及び役人からの想い愛でたく流人頭を正副勤める。
そんな二人が正副頭として身を粉に励む或日の深夜。大嵐の為、銚子沖から新潟へ向かう船が難破する大事故が発生すると、二人は命を顧みず船の乗組員を救助致します。
そんな救助した乗組員の中に、あの戸崎屋が売ったイカ物の花嫁衣装の為、騙されて女衒に売られ船で連れて来られた、彼の三浦三左衛門の娘、勝乃だったので御座います。
因果は巡る麻縄の如く
父、三浦三左衛門の仇は倉田玄龍、舎弟、中山勝三郎の仇も倉田玄龍。そんな二人が偶然佐渡ヶ島で出逢い、更に此の後、萬屋禽左衛門から倉田玄龍の処遇を相談される結城ノ音五郎も一緒です。
さぁ休止に一生得た勝乃は、命の恩人である業平文治に父、三左衛門の不慮の死から心機一転、上総國一之宮郡玉前村での、イカ物を掴まされての婚礼の噺まで、一部始終を聴かせると、
文治は勝乃をいたく不憫に思い、役人へ本所業平橋の自宅へ送り届けて欲しい旨を願い出て、子分立川ノ岩松宛の手紙を持たせ、助けた勝乃を一足先に江戸表へ返します。
軈て勝乃を返して二月後、文治と音五郎の両人は満期御放免となり、愈々、佐渡の金山奉行から月番の江戸町奉行へと身柄が引き渡しと相成ります。
この時、月番の北町、奉行の榊原主計頭忠之公より、本所業平橋の家に赦免の沙汰が下り、一報を受けた子分の立川ノ岩松は、兄弟分のに組の頭、成田屋富五郎、天野光雲斎、そして尾張屋吉之助へと其れを知らせに走ります。
岩松「御赦免の文治親分は今月十五日、船で佐渡ヶ島を出て、八丈島、大島を経由して、日の出桟橋に四ツ、辰刻に着くんだそうです。」
富五郎「判った。出迎えには、俺と天野の兄弟と吉之助、お熊、それと松葉屋の半蔵、あと、勝乃さんも連れて来てくれ岩松。」
岩松「ヘイ。それで、垢を落としの一席は、芝口の紫錦楼でどうですか?」
富五郎「いいなぁ、上等の酒、肴と、江戸らしく鮪の良い所を仕入れて貰え!」
岩松「ヘイ、ガッテン。」
天野「それから尾張屋のぉ、十五日まで奉加帳を廻して親分の満期祝いを集めて呉れ。俺と富五郎は景気付けだ!各五十両と頭に書いて於いて呉れ。」
吉之助「承知しました。三百両は集められる様に体裁を整えます。」
島帰りの業平文治を、仲間達は、宴席と奉加帳で集めた祝金で迎える算段をして、それぞれが半月余りの日々を、今か?今か?と心待ちにするのでした。
そして、いよいよ迎えた九月十五日。雲一つ無い晴天の日の出桟橋には、火消し半纏、背中には丸に「に」の字の成田屋富五郎と、黒門付に仙台平博多の帯の正装は一刀流の道場主、剣豪、天野光雲斎。
更には一の子分にして唯一の子分、立川ノ岩松と、文治を命の恩人と尊敬する屑屋、尾張屋吉之助と其の女房、お熊。そして、文治が佐渡で助けた勝乃、並びに松葉屋半蔵とその女房を連れて一同は首を長くしていた。
品川沖に見えた船が、段々、大きくなり軈て日の出桟橋に着岸した。船からは釈放された流人達が、ヨロヨロ歩きながら船を降りて来る。そんな中に、居ました!我らが業平文治です。
岩松「親分、ご苦労様で御座んす。皆さん、お待ちで御座います。」
真っ黒に日焼けした業平文治、白い歯を見せて満面の笑みを見せるが、頭は月代が伸びて鳥の巣の様である。又、髭も伸び放題、縄紐で前半分がはだける様にして木綿単衣のボロを纏っていた。
富五郎「兄弟、本当にご苦労だった。」
天野「文治、元気そうで何より。」
文治「兄貴、並びに皆んなぁ、留守中はご苦労をお掛けしました。業平文治!無事、佐渡から生きて帰る事が…、出来ました。」
文治の目から堪えていた泪が溢れると、お熊と勝乃は耐え兼ねた様子で貰い泣きする。すると、尾張屋吉之助が口を開く。
吉之助「お熊!泣く奴があるかぁ!今日は文治親分の新たな門出だ。さぁ、親分、こんな所で立話も何んなんで、直ぐこの先に宴席が用意してますから、其方へ。」
文治「有難う、吉之助。でもその前に、伝馬町の牢屋で知り合い、佐渡の苦役を共にした兄弟分を皆んなに紹介したい。コチラは結城ノ音五郎さんだ。」
音五郎「皆様、お初にお目に掛かります。下総は結城宿にて、三十人ばかり子分を抱えて侠客、博徒を生業とする、結城ノ音五郎と申します。
業平の親分さんとは、七年前に伝馬町の牢屋で知り合いまして、義兄弟の契りを結んだ仲で御座んす。以後、お見知り置き下さい。ヨロシクお頼、申します。」
深々と一同に頭を下げる結城ノ音五郎。直ぐに一同から暖かく迎えられて、男連中は早く酒、肴で積もる噺を始めたいと、紫錦楼!紫錦楼!と逸り(はやり)ますが、ここでお熊が提案です。
お熊「お前さん!業平文治親分を、こんな衣装(ナリ)をさせて、紫錦楼へ連れて行く積もりかい?」
吉之助「エッ!まさか…。」
お熊「そうだよ、半蔵松葉屋の女将と相談してね、この先の船宿を借りてあるんだ。髪結を呼んで風呂を沸かして、沢山着替も用意してある。親分に気に入った着物を選んで貰おうとねぇ。
だから、紫錦楼に行く前に、業平の親分と音五郎さんには、島の垢を落として男前に成ってから、紫錦楼へは行って貰いましょうねぇ、皆さん!!」
吉之助「流石!うちの上さんだ、気が利きいた演出をやりやがる!」
富五郎「尾張屋、早速惚気かぁ。」
吉之助「違いますよ、頭。」
もう、泪は消えて日の出桟橋に笑い声が木霊する一同、尾張屋の女房、お熊を先頭に船宿へと文治と音五郎を連れて行き、風呂に入れ髭と月代をあたり頭を結い直す。
そして、文治はちょっと派手な蒼いめくら縞の大島紬に着替え、一方の音五郎は渋い結城の対に茶献上の博多帯を締めると、両人をまさか島帰りと思う者は有りません。
こうして、一同は紫錦楼へと参りまして、業平文治の満期祝いを行いながら、勝三郎と重左衛門親子の一件など、文治の留守中の出来事を云々かんぬん話します。
文治「それでは、今、舎弟勝三郎の内儀、お雪と謂う方が、吉原の貴方の店に居るのですか?姪っ子のお松と一緒に。」
半蔵「ハイ、親分の留守にその様な縁が出来ました。初めまして吉原の遊廓、松葉屋の主人で半蔵と申します。以後、ヨロシク御見知り於き願います。」
文治「こちらこそ、舎弟、勝三郎がお世話になりました。お雪とお松には近いうちに逢いに行くとお伝え下さい。」
半蔵「ハイ、勿論、申し伝えます。」
音五郎「それより、文治兄貴、弟さんの義理のお父さん、重左衛門さんの事が心配ですね。その逃げた仇の二人が直ぐに見付かると宜しいのだが…。」
吉之助「そうなんです。私も勝三郎さんを居候させて居た責任が有りますから、重左衛門さんの仇討ちだけは成就させ『重宝天國宝剣』を取り戻させてやりたい物です。」
そんな思いを語り合う一同の紫錦楼での夜は更けて行きます。この様にして結城ノ音五郎は暫く、業平文治の家に厄介となり、江戸見物など楽しんで佐渡の島流しの垢を半月ほど落とします。
軈て、故郷、下総國結城には三十人からの子分が待っている結城ノ音五郎は、後ろ髪を引かれる思いを感じつつ、必ず、結城宿へ遊びに来て下さいと、文治に別れを告げて旅立つので御座います。
つづく