さて前席、更には前々席よりお噺させて頂いております、中山重左衛門と養子勝三郎の親子は、作州勝山領主の三浦家に代々伝わる宝剣『重宝天國宝剣』を盗まれたが為、
お家は断絶!浪々の身となり全国六十余州を、親子二人して手分けして其の行方を探索し、父の重左衛門は中國西國筋から九州・四國と廻り漸く大坂の地に辿り着きまして御座います。
茲、大坂は諸國より人々の出入りの激しく繁華な街で御座れば、暫くの間は留まり刀屋、質屋等を探索して廻る事に忙しく、日本橋は南詰の枡屋市兵衛と申す旅籠に滞在しています。
併し、既に中國路から九州、四國を巡る間に路銀は乏しくなり、大坂での滞在費を捻出する為に、重左衛門は身の周りの物を質草にして何とか探索を続けていた。
此の様子を見ていた、人の宜い旅籠の主人、桝屋市兵衛は重左衛門の事が気の毒でならない。そこで自らが身元引受人に成るからと、旅籠住まいから長屋住まいに変える様に提案します。
市兵衛「中山様、こんな事を旅籠屋渡世のアッシが謂うのも変ですが、連日、質屋通いで旅籠代を私どもに納めて頂くのは心苦しゅう存じます。
どうでしょう?まだ、蓄えが有るウチに旅籠住まいは止めて、借家を借りては?!其の方が格段に安く上がります。どうでしょう?アッシがお世話させて頂きますよ。」
重左衛門「誠でしょうか?枡屋殿。其れは誠に忝い。」
市兵衛「此の旅籠の裏に在る九尺二間の長屋であれば、月に一分二朱。イヤイヤ、月一分で貸して貰える様に私が交渉致します。
ところで、中山様。つかぬ事を伺いますが、貴方様は謡曲、浄瑠璃など謡いはなさいますかな?如何で御座いますかな?!」
重左衛門「ハイ、月に家賃が一分であれば非常に助かりまする、是非、お願い致します。又、拙者が謡曲を嗜むか?と、お尋ねでしょうか?余り上手では御座らぬが少々嗜みまする。」
市兵衛「其れでしたら其の長屋の近く、長堀橋と謂う所に、海老床と謂う屋号の髪結床が御座いまする。其処の奥に街道に面した五、六坪の空地が御座いまして、
其処で謡曲、浄瑠璃を何段か謡って聴かせて、木戸銭をお取りになれば、大道芸ですが日銭が幾らかは稼ぐ事が出来ますれば、暮らしには困らぬかと存じます。」
重左衛門「嗚呼、其れは妙案!拙者の謡いなどで鳥目が頂けますかな?!」
市兵衛「大坂の商人衆は浄瑠璃が三度の飯より大好きですから、五文拾文の木戸銭ならば、二十数人は直ぐに集まりまする。」
重左衛門「市兵衛殿、何から何までご親切にして頂き忝のう存じ奉りまする。」
重左衛門「いいえ、困った時はお互い様で御座いまする。」
こうして長町一丁目と謂う所に九尺二間の裏長屋を、枡屋市兵衛が保証人となり、中山重左衛門は晴れて借家住まいと相成ります。
そして、午前中から昼過ぎ迄は大坂城下を駆け摺り廻り盗まれた『重宝天國宝剣』の行方を探索し、昼食後八ツ過ぎになると、
深い網笠を被り、浪曲師が使う演壇の様な机の前に立って、髪結床『海老床』に集まる客を相手に謡曲を謡いまして、大道芸人として浄瑠璃を語り聴かせます。
そんな暮らしを始めて十日余り。相変わらず、中山重左衛門は『重宝天國宝剣』を見付けられずには居ましたが、茲大坂地で周囲の人々に助けられて、
長堀橋の海老床で、浄瑠璃を語り聴かせてながら、浪人生活を元気に送っており、この日も昼過ぎ、八ツの鐘を聴いて辻講釈ならぬ辻浄瑠璃の準備を、
海老床の主人六兵衛と其の女房お虎、そして重左衛門の三人は、大道で浄瑠璃を語る見台を用意して、客席となる椅子の番子を空地に並べたりしていた。
すると、其処へ二人の若い侍が街道筋から突然現れたかと思うと、深い網笠姿の重左衛門に対して、何やら命令口調で、上から話し掛けて来るのである。
若侍A「ヤイ!浪人、こんな街道に面した空地で、お主は何をしておる?!」
重左衛門「何をしておるとは、突然、無礼であろう?!拙者が何を致そうと、お主達には関係御座らん。」
若侍B「何を申す!浪人の分際で。我等、恐れ多くも紀州御三家、中納言様の家来で有るぞ!口の利き方に注意致せ!無礼者。」
さぁ、重左衛門。養子息子の勝三郎と歳の変わらぬ様な若侍から、かような口を利かれてムッとは致しましたが、揉め事を起こすと勝山藩領主三浦志摩守様の名前に傷が付く。
そう考えた元家老職の中山重左衛門は、深い網笠を取り、二人の若い侍に向かって大道芸の準備をしている事を説明すると、若侍は相変わらず横柄な態度で重左衛門に物を謂う。
若侍A「相判ったが、今申した様に紀州大納言様の行列が、此の前を間もなく通る。呉々も無礼の無き様に致せ!宜いなぁ?!」
若侍B「大道芸などは、行列が通り過ぎてからに致せ!宜しいなぁ、浪人。」
重左衛門「承知、仕りまして御座います。」
そんなやり取りを往来でしておりますと、此の時分、大層流行りました往来の商売に『飴や』と申す商いが御座います。其の飴やが此の様子を仕切に見ております。
さて飴や、其の姿はと見てやれば、箱櫃を背負いデンデン太鼓を手にしておりまして、飴やの昇に子供寄せの為、風車を回して一文笛を鳴らし太鼓を打ちます。
又、成り拵えはと見ますれば、印半纏に下には黒い江戸腹の腹掛け、頭には豆絞の手拭いを身内被り、徹甲脚絆にステテコ姿で素足に駒下駄を履いて御座います。
重左衛門、此の飴やに見覚えが御座います。あれは?!確か、作州美作で三浦家に仕えていた折りに、武家屋敷の隣にあった浅野の家に仕えて居た仲間(ちゅうげん)の駒蔵。
駒蔵「貴方様は、中山様では御座いませんか?!」
重左衛門「おぉ、懐かしや?!お前は駒蔵、達者であったか?!」
駒蔵「達者かと他人を心配している場合ですか?中山の旦那!聴きましたよ、三浦家の宝刀『重宝天國宝剣』を盗まれて、大変だったッて噺を。勝三郎さんはどう成りました?」
重左衛門「何んだ、駒蔵、お主の耳にも這入っておったかぁ。勝三郎は東へ『重宝天國宝剣』を探しに出ておる。」
駒蔵「ッて事は、勝三郎様は江戸表ですか?」
重左衛門「嗚呼、恐らくは。ところで、駒蔵!お前は此の大坂で何を致しておる?!」
駒蔵「イヤ、何って、作州美作では色々と有って…浅野の家からお暇を頂戴して、女房のお染と二人して着の身着のまま、茲、大坂へ参りました。」
重左衛門「して、女房のお染は元気か?!」
駒蔵「旦那、有難う御座います。お染の奴は、城下本町の東雲亭で酌婦をしながら相も変わらず元気にしておりやす。」
重左衛門「そうかぁ、其れは宜かった。お前は飴やで、女房のお染は酌婦。生きて居るから又の出逢いがある。して、汝は何処に住んで御座る?!」
駒蔵「この先の長町六丁目で御座います。」
重左衛門「なんだ!二丁ばかりしか離れていないではないか?拙者は、此の海老床の三軒隣。長町一丁目、長兵衛長屋に暮らしておる。明日にでもお染を連れて遊びに参れ!」
駒蔵「ヘイ、喜んで!!」
さぁ、飴やに成った駒蔵と、『重宝天國宝剣』を探しに滞在する中山重左衛門は、ひょんな機会で出逢う事になるのだが、更に偶然が重なり此れを見ている侍が居ました。
侍「飴や!飴や!貴様、今の御浪人の知り合いなのか?!」
駒蔵「ヘイ、作州美作に居た時分は隣家同士で御座したが、なんと!三年ぶりに茲、大坂の地で今、再会致しました。」
侍「ほぉ〜、左様であったか。では、貴殿に頼みたい事が一つ有るのだが、宜しいかな?!」
駒蔵「頼みたい事と謂われても…。」
侍「イヤイヤ、心配致すな!拙者からあのご浪人に渡して欲しい物が在るだけの事じゃぁ。」
駒蔵「渡すと申しますと?!」
侍「武士は相身互いと申すであろう?茲に金十両が在る。此の金子を先程のご浪人にお渡しして欲しいのだ飴や!?」
駒蔵「金子、十両を…。あのご浪人、中山重左衛門様は決して見ず知らずの貴方様が、お恵みになる金子を受け取る様な御仁では有りません。」
侍「判っておる!だから、飴や!貴様を漢と見込んで頼んで御座る。なぁ、飴や!頼む。」
駒蔵「左様に謂われましても、ガキの使いじゃ有りませんから、旦那のお名前も訊かずに、十両何て大金を預かる訳には参りません。お名前と何方のご家中かをお教え願います。」
侍「ちょいと訳が有って身分を明かす訳には参らぬ。どうかぁ、飴や!お主を漢と見込んで、頼む。」
若い侍は、そう言うと駒蔵の手に、十両の小判を握らせると、逃げる様に其の場を立ち去って行って仕舞う。
さて困ったと思う反面、駒蔵は漢と見込まれたからは捨て置く訳には行かないし、何より中山重左衛門の困窮を見れば渡りに船であるに違いない。
そんな事を考えながら、箱櫃を背負い風車を藁柱に刺して飴やの駒蔵は、長町六丁目の長屋へと帰って参ります。
駒蔵「お染、今帰った。」
お染「アラ?!お前さん、早かったのね?!今日は飴が大層、売れたのかい?!」
駒蔵「イヤ、そうじゃねぇ〜んだ。今日はちょいと珍しい人に逢って仕舞っなぁ。」
お染「珍しい人ッ?一体、誰なんだい?!」
駒蔵「作州の美作に居た時分、お隣さんだった、中山の旦那さぁ。」
お染「エッ、中山様と謂えば、お殿様の大切なお刀を盗賊に盗まれなさって、今はご浪人の身なのでは?!」
駒蔵「そうだ!其の通り。中山の旦那は、其の刀を、ご養子の勝三郎様と御二人して、日本全国六十余州をお探しで、中山重左衛門様は大坂へ其の刀の探索に来られているのだ。」
お染「ご養子様も一緒なのかい?!」
駒蔵「イヤ、勝三郎様は江戸表にどうやら居らっしゃるご様子だ。中山重左衛門様、一人、大坂にはいらっしゃる。」
お染「其れは本にお気の毒な事。一日も早くお刀が見付かると宜しいが…、雲を掴む様な噺だからねぇ〜。」
駒蔵「まぁ、そんな訳で、中山重左衛門の旦那が、同町内の一丁目の長屋にいらっしゃると知ったからは、ちょいとお世話に出掛けて来る。」
お染「アタイは、今日は東雲亭で仕事があるから、中山の旦那さんには宜しく謂って於いてお呉れ。明日の昼前には挨拶しに行くからと。」
駒蔵「あぁ、宜しくお伝えして於くから、必ず、ご挨拶に行きなよ!」
と、駒蔵夫婦は其の様な会話を致しまして、駒蔵は例の十両の金子の噺はお染には聴かせる事なく、長町六丁目の我が家を出て一丁目の中山重左衛門宅を訪ねます。
駒蔵「旦那!中山の旦那、いらっしゃいますか?駒蔵で御座います。」
重左衛門「おぉ、駒蔵。宜く参った、無彩所では在るが、遠慮のう上がって呉れ。」
駒蔵「旦那、お邪魔します。さて、うちの女房のお染が旦那に宜しくと、今日は勤めが有るから挨拶にも来れねぇ〜がぁ、明日お昼前に顔を出すからと申しておりやす。」
重左衛門「何んのぉ、気を使わないで呉れ、駒蔵。儂もまだ暫くは大坂に居る積もりである。」
駒蔵「イヤ、旦那。早く探しておられる刀が見付かると宜しゅう御座いますなぁ。」
重左衛門「確かに、其れに越した事はないが…、既に盗難より三年半が経つ由え、容易には見付からぬと覚悟は致しておる。」
駒蔵「左様で御座いますかぁ、ところで、中山様。茲に十両の金子が御座いまして、之を黙って受け取って欲しいと、アッシがお願い致したら、旦那!受け取って頂けますか?!」
重左衛門「何を田分けた事を、問われる迄も無い!拙者は武士(もののふ)ぞ!喩われ無き金子を恵まれるなど有りえん。」
駒蔵「そうでしょう。左様に仰るとアッシも予想して御座いました。ただ、此の十両は勿論、アッシの持ち金じゃ御座いません。
歳の頃は三十二、三の極、人品の宜しい丸に違い鷹の羽の紋所を付けたお武家様から、中山様に是非渡して呉れと頼まれた金子に御座います。」
重左衛門「成る程、読めた。其の御仁は高濱文之助様と仰る方で、備前岡山藩、松平内蔵頭様のご家中だ。
恐らく、大坂へは藩の御用で参られて、拙者の見窄らしい姿を見て、其の十両の金子をお前に託されたに相違ない。」
駒蔵「あの若侍が、高濱某と名前も、ご家中も知れているのならば、中山様!借用なされば良いではありませんか?」
重左衛門「相手が拙者の朋友であらば、其れも考えるが、養子に参った勝三郎の兄貴だ文之助殿は。左様な相手から情けは受けられぬ。」
駒蔵「旦那!勝三郎さんの兄上ならば、尚更ですよ。この十両を元手に取り敢えず、江戸表に行かれて勝三郎殿に逢われては如何です。
其の上で、今後の身の振り方をお決めに成って、十両の金子も何か型を相手にお渡しになって、『井戸の茶碗』になさいませぇ。」
重左衛門「貴様は、飴やだから左様に気楽な物言いを致すが…、十両の型など儂は持ち合わせぬぞ?!」
駒蔵「だから、百貫の型に笠一蓋の喩えです。其の仏壇に置かれている、ご先祖の位牌で宜しいですから、其れを型に十両を借用なさいませぇ!」
重左衛門「誠に、其の様な事で良かろうか?!」
駒蔵「宜しゅう御座いますとも武士は相身互い、跡はアッシが高濱文之助様には、借用の旨を申し上げ致します。」
重左衛門「左様か!相判った、駒蔵、忝い。」
駒蔵「では、お染とも相談致しまして、高濱文之助様の元に、明日ご挨拶に参ります。中山様も江戸表への出発は早い方が宜しいかと存じます。」
重左衛門「何から何まで、駒蔵!忝い。拙者は明後日には、今いる長屋を立って江戸表に参る事に致す。」
駒蔵「左様で御座いますかぁ、本当に早く、失われた宝剣が見付かると宜しいですねぇ、中山様。」
重左衛門「本当に、江戸表に参り、何か良い手懸かりが掴めると嬉しいのだが…、では、駒蔵!此の位牌を其方に託す。呉々も、文之助殿に宜しくお伝え願います。」
駒蔵「万事、お任せ下さい。」
こうして、中山重左衛門は、まさか、養子の勝三郎が江戸表に於いて、『重宝天國宝剣』を盗んだ張本人、倉田玄龍より返り討ちに遭い既に殺されているとは、
全く夢にも思いませんから、勝三郎の兄、高濱文之助が恵んで呉れた虎の子の金子十両を懐中に、三年半ぶりに勝三郎に逢えると信じて、東へと下るので御座います。
さて一方、中山重左衛門より十両の型の位牌を授かった駒蔵はと見てやれば、女房のお染にも此の事を話しまして、文之助に逢う算段に付いて相談致しますと…。
お染は「お前さん、流石に借金の型はカタチばかりとは言っても位牌一つ持って行く訳にはいかないワぁ。お酒を二升角樽で上等な蕎麦の十枚も手土産に持って行きなさい。」と言う。
謂われた駒蔵は、中之島にある酒屋『立浪屋』で角樽の二升灘の生一本と、堂島橋筋にある老舗の蕎麦屋『砂場』で蕎麦十枚を仕入れます。
大坂に元々本店の有った『砂場』は、正しく太閤秀吉が大阪城を築城した折に、大工や人足の食事を提供した食堂の一つだった蕎麦屋が起こりである。
元々は、大阪城建設の資材置場、『砂場』に設けられたお食事処が天満橋にあり、大阪城建設後に遊廓に近い淀屋橋から堂島筋へと『砂場』は移転し大層繁盛した。
そして、蕎麦屋として大坂を代表して江戸に商いで打って出たのは、旧大名家・阿部氏の敷地の一部を譲り受けるなど、武家との縁が深かったからである。
かくして、江戸は虎ノ門琴平町に店を構えて、『大坂屋砂場』と謂う屋号で蕎麦屋渡世を営み、江戸三大蕎麦と呼ばれる迄に繁盛する事になるのである。
因みに江戸三大蕎麦とは『藪』『更科』そして『砂場』の3つを指す言葉である。猶、虎ノ門大坂屋砂場の創業者、初代・稲垣音次郎は下記の様な言葉を残している。
人に貸すことなかれ。
人に借りることなかれ。
唯一心に勤め励美て家門を思ふべし。
〜 琴平町砂場 稲垣音次郎 〜
今も此の言葉は、「琴平町砂場」店舗二階に、明治三十五年卯月の日付で、初代・稲垣音次郎の家憲の額があり、代々、跡継ぎが寝起きする部屋に飾られているらしい。
さて、駒蔵は二升の角樽と蕎麦十枚を手土産に重左衛門の先祖の位牌を懐中に納め、天満橋、淀屋橋の北、南森町にある岡山藩の藩邸へと出向くのであります。
駒蔵「今日は、ちょいと伺いますが、高濱文之助様に御用が御座いまして罷り越しました。お取次願います。」
門番「何奴だ?!」
駒蔵「ヘイ、長町に住む飴やで、駒蔵と申します。実は作州勝山藩三浦志摩守の御家来、中山重左衛門様の件で大切なお噺が御座います、お取次を願いまする。」
門番「相判った。其方の小屋で待っておれ、奥で伺って参る。」
そう謂うと取次役の門番は屋敷の奥へと消えて行き、駒蔵は手土産を持ったまんま、門の脇の狭い番小屋で待たされます。
そして、かなり長い間待たされた後、門番が戻って参りますが、是が妙な顔をして、駒蔵の方を何度もチラ見を致します。
駒蔵「其れで…、高濱様は?!」
門番「貴様は、十両の件で参ったのか?」
駒蔵「ハぁ?」
門番「十両を返しに参ったのか?と聴いておる。」
駒蔵「いいえ、高濱様から預かった十両は、ちゃんと中山重左衛門様にお渡ししました。高濱様の願い通りに…。」
門番「エッ、誠か?!」
駒蔵「本当です。」
さぁ、駒蔵がそんな会話を門番としていると、屋敷の植木の陰から高濱文之助が現れます。
駒蔵「アッ!高濱様、居たんですかぁ〜、早く来て下さいよ。貴方に渡したい物が、コッチは沢山在るんだから。」
文之助「イヤイヤ、飴や!お主が、てっきり中山重左衛門殿に、受取を断られて困り果てゝ十両を返しに来るのではと思ったので、様子を確かめさせて貰っていたんだ。」
駒蔵「酷いなぁ〜、高濱の旦那!アッシは苦労して中山様に十両の金子を、知恵を絞りに絞って、やっとの事で渡したのに…。あぁ、そんな事より、高濱様、之をどうぞ!!」
文之助「何んだ?之は。」
さて駒蔵、中山重左衛門から預かった先祖の位牌を先ず渡して、百貫の型に笠一蓋の喩えを出しカクカクしかじか云々かんぬんと、是までの経緯を語り聴かせて、
女房のお染から謂われて用意した気の利いた手土産、二升の角樽と砂場の蕎麦十枚を渡してやると、高濱文之助は大いに喜びまして、駒蔵への感謝を口に致します。
文之助「いやはや、飴や!お主には大変な骨折りをさせて仕舞った。之は些少では在るが骨折りの手間だ、いやいや、受取って呉れ!拙者の気が済まぬ。」
そう謂うと二両の金子を改めて半紙に包んで、文之助は駒蔵の手に握らせます。駒蔵、礼金欲しさじゃないからと一旦は断りますが、文之助の気持ちに押し切られて仕舞います。
駒蔵「そうですかぁ〜、高濱様がそこまで仰るならば、有り難く頂戴致します。其れから、中山の旦那は今日朝七ツ立ちで、江戸表を目指して勝三郎殿と逢う為に東へ下られました。」
文之助「左様であったかぁ。拙者は何もしてやれんのでなぁ。舎弟の義父に当たる中山殿が、一日も早く宝剣を取り戻して、帰参が叶うと良いがぁ…。」
駒蔵「誠に、アッシも同じ気持ちで御座います。」
こんな遣り取りが大坂では、高濱文之助と飴やの駒蔵との間で行われていた頃、東海道を東に下る中山重左衛門は、京都を過ぎて近江國は石山へと差し掛かり、
今日中に栗東から草津を抜けて、琵琶湖の湖畔に沿って進むと、彦根から米原辺りまで足を延ばしたいと考えての道中で御座いまして、多賀の峠路を北へと参ります。
愈々、峠路は日が大きく西に傾き、夜道は何があるか判らないので、さぁ、旅籠に泊まるか?辻堂などが在れば野宿にするか?と思案を致しておると、
街道沿いの杉林の途中に、比較的新しい造りの辻堂が御座います。中山重左衛門、ヨシ!この御堂に今夜は一泊しようと、中へ這入りますと先客は無く誰も居りません。
中で燭台を見付け是に蝋燭の火を灯しますと、オレンヂ色の薄ぼんやりした明かりとなりまして、如何にも何か妖怪、幽霊、化物が現れそうに返って不気味に思えます。
併し、かと謂って真っ暗闇に致すのは、身の危険を感じます由え、その不気味な炎の中で、謡曲など謡いながら過ごして居りますと、遠くの方から声が聴こえて参ります。
「父上!父上様…。勝三郎は無念に御座いまする。」
重左衛門「其の声は?!婿殿、勝三郎殿ではないか?其処に居られるのか?勝三郎殿。」
勝三郎「父上、勝三郎は最早、この世の者では御座いません。」
重左衛門「何んと申された?この世の者では無いとは?一体全体、どう為されたと謂うのだ?!」
勝三郎「拙者は誠に悔しゅう御座います。既に、この世には御座いません。」
重左衛門「何ぃ〜なんだと?如何致した。」
勝三郎「お家の『重宝天國宝剣』を盗みしは、お抱え医師の倉田玄龍と、其の仲間(ちゅうげん)大野林蔵だったので御座いまする。其の仔細はカクカクしかじか、
某が迂闊、粗忽で御座いました。偶然にも世話に成っていた屑屋の種訳の屑の山の中に、彼等の悪事の証拠を見付け、勇んで倉田玄龍を訪ねたばっかりに…、
油断した積もりは無かったのですが、玄龍の奴に騙されて、事も有ろうに『重宝天國宝剣』で斬り殺されるとは、無念で無念で…、未だ成佛できませぬ!!
どうか父上、貴方様には此の無念を晴らして頂きとう存じます。急いで、江戸表の本所相生町に在る屑屋、尾張屋吉之助方へとお越し下され、全て仔細は吉之助殿がご存知です。」
重左衛門「おぉ〜嘸(さぞ)無念で有ろう。拙者、之より江戸表に出向き、其の尾張屋吉之助殿の元へと出向き、倉田玄龍並びに大野林蔵の両名を討ち取り、
きっと勝三郎!其方の無念を晴らし成佛させてやるぞ!而して『重宝天國宝剣』を取り戻した暁には、中山家を立派に再興してみせるぞ、勝三郎。」
勝三郎「父上!宜しくお願い奉りまする。そして之は些少で有りますが…。」
と、そう謂うと、中山勝三郎の亡霊は、蝋燭の炎を掻き消して、姿が見えなく成って仕舞います。ハッ!と、目覚めた気分の中山重左衛門。
御堂の壁に背中を預けて、刀を握り座ったまんまコックリコックリしていた様子で、御堂の入口の障子戸の隙間から光が射し込み、外は東雲の御様子。
良かった!縁起でもない夢を見た。養子勝三郎の亡霊は夢だったかと、少し安堵したのも束の間、目の前に何やら紙包みが御座いまして、開けてみると五十両の金子で御座います。
包みし紙には、明らかに勝三郎の手で『江戸本所相生町尾張屋吉之助方へ』と書かれて御座います由え、あれは夢では無かったのか?!では誠、勝三郎の亡霊が…。
と、改めて、中山重左衛門、養子勝三郎の仇討ちを決意致しまして、米原の辻堂を跡に大垣、名古屋と東海道を下りまして、十日余りを要しながら百三十里、品川宿に到着致します。
さぁ、同じ頃、当講釈の主人公、えらい長きに渡りご無沙汰の業平文治も、漸く、流刑地佐渡ヶ島より江戸表に帰って参りまして、この中山重左衛門の仇討ちに一枚噛んで参ると謂う、
実に、是からが益々、物語は面白くなるのでは御座いますが、続きは次回のお楽しみとなり、愈々、役者が江戸表に集結して参ります。では、本に乞うご期待!!
つづく