次郎「親方!上手く行きましたねぇ。」
保輔「まだ、序開きよ、次郎。之からが大変だ!跡四日の内に、平太夫の娘、姫松を多田のお城から攫って来ないと、お宝の金百貫目は手に入らない。」
次郎「でも、どうやって姫松をお城内の牢屋から連れ出すんです?!まさか、左馬頭満忠の館を、此の十五人で襲って攫う訳じゃ有りませんよねぇ〜。」
保輔「当たり前ぇ〜だぁ。そんな馬鹿な真似はしねぇ〜。正面から芝居の続きをやって、姫松を牢屋から騙して救い出す算段さぁ。」
次郎「騙して芝居の続きッと申しますと!?」
保輔「次の幕は、正装が必要だ。直ぐに都に戻って、今夜は公家の屋敷を襲うぞ!!衣冠束帯を手に入れるんだぁ。」
そう謂うと袴垂保輔は、摂津國玉瀬を出ますと都へ向けて、宝塚、高槻、枚方を通って、京都の田辺へと到着し、跡十里程で都の中心へと近付きました所で、
偶然、大きな二丁の輿に乗った御公家様の行列に遭遇致します。是は昨日、酬恩庵一休寺に於いて、月見の宴にお呼ばれなされた高貴な天上人、
久下宰相藤原衡高(これたか)卿と大江式部太夫匡平(まさひら)卿の、日頃から仲の良いお二人が、田辺の土地から京の都へと帰る道中の行列でした。
さて日頃から頗る仲のお宜しいお二人は、輿を二丁横に連ねて会話など楽しみながら、実にゆるりゆるりと月見帰りの道中を楽しんでいるご様子にて、
是を目撃した袴垂保輔は『しめしめ、この跡の十里、道中の手間が省けた!』と北叟笑むと、手下に目配せし此の二丁の輿を襲う様に下知を飛ばします。
さぁ、まだ夕間暮れと謂うには早い、影が長い秋の日の七ツ時分。突然、物陰から現れた十四、五人の盗賊が、突然、刀を抜いて輿に襲い掛かる!
曲者じゃ!出会え、出会え。
大江式部太夫匡平卿の老臣で、平信俊と謂う家来が一人長い刀をズラりと抜いて、此の様に叫ぶと輿の列に襲って来た、関ノ次郎と十五人の盗賊の前に仁王立ちと相成ります。
次郎「ヤイ、爺い!年寄りの冷水だ、怪我をしたくなければ其処を退きやがれ!」
信俊「笑止千万、老いたとて貴様如き野盗に遅れをとる某に在らず。さぁ、尋常に勝負、勝負、勝負!」
そう謂うと御歳六十二歳の御大は、歳に似合わぬ長い刀を手に致しまして、関ノ次郎に向かって斬り掛かります。
チャリン!チャリン!
火花散る氷の刃、老臣は口だけに在らず。勇猛に繰り出す刀は、関ノ次郎が何とか受け止めてはいますが、終始押されッぱなし。
軈て、受け損なって肩を御大の刃で浅く斬られて仕舞ます。さぁ是を見た手下達にやや動揺の色が見えた頃、是はまずい!っと真打登場。
御大将の袴垂保輔が、満を辞して長刀の鞘を払い正眼に構えると、平信俊と関ノ次郎の間に這入り、次郎を逃してやると信俊と正面から対峙致します。
保輔「今度は、拙者がお相手致す。」
信俊「お主、出来るなぁ?!」
擦る様に間合いを詰める両者ですが、体格に勝り若い保輔が先に剣を振るい、老僕の信俊に斬り掛かりますが、百戦錬磨の信俊はそうそう簡単には斬られません。
併し、刀同士が交わりチャリン!チャリン!と音を立てるうちに、老僕信俊は体力を削られて行きます。そして、ややよろめいた次の瞬間、
縦真一文字に力任せに振り下ろした、保輔の面が信俊の脳天を捉えて、哀れ信俊、唐竹の様に真っ二つに斬り裂かれて、赤い血潮を吹き出して絶命致します。
さぁ、是を見た袴垂保輔の子分達は士気が上がり、一方の二人の公家の家来達は、ご主人様の輿を放り出し、丸で蜘蛛の子を散らす様に逃げ出します。
保輔「次郎!怪我は大事ないか?」
次郎「ヘイ、大丈夫。擦り傷です。」
保輔「ならば、輿の中に居る公家を引き摺り出して、身包み剥いで仕舞いなさい!」
次郎「合点、承知。」
そう謂うと関ノ次郎は、まず、大江式部太夫匡平卿の輿の下りを開けて、匡平卿を引き摺り出そうとしますが、何んと!匡平卿、刀を抜いて抵抗致します。
匡平「不埒な盗賊めぇ、公家と侮る事なかれ!内大御所に仕える身なれば、我は天子様の家来なるぞ!日頃の鍛錬、目に物見せて呉れる!」
そう叫ぶ言葉は勇ましいのでは有りますが、完全にへっぴり腰の上に、恐らく初めて刀を抜くので御座いましょう。赤鰯とは申しませんが、刀に光り無く黒く鈍より致しております。
次郎「ヤイ、お公家さん!悪い事は言わない。刀を捨てゝ此の場で衣服を脱ぎやがれ!」
そう脅されても、大江式部太夫匡平卿は全く抵抗を止めません。黒い秋刀魚の様な刀を振って次郎に勇敢にも襲い掛かります。が、併し…、
全く歯が立ちません。軽く次郎に鯔されて地びたにツンのめりまして泥だらけに成りますが、其れでも大江式部太夫匡平卿は諦めない。
次郎「いい加減にしろよ、お公家さん。之が最後だ、大人しく衣服を脱いで素ッ裸になれ!」
さぁ、やや切れ気味に関ノ次郎、刀を抜いて、その抜身をギラりと匡平卿に見せ付けて脅しましたが、此の匡平卿と謂う人、馬鹿なのか?全く抵抗を止めません。
又しても三度、焦げた黒秋刀魚で斬り掛かろうと致しますから、佛の次郎も、思わず横一文字に刀を払い、匡平卿の腰の辺りを斬りまして絶命させて仕舞います。
さて是を脇で見ていた親方、袴垂保輔が怒ります。何と謂う馬鹿な真似を!公家の正装を調達する目的で京の畿内まで行くはずが、十里も手前で入手が叶う場面なのに…。
此の田辺で調達出来るから、公家の輿を襲い。かなりの手練れ平信俊を苦労して保輔が討ち取ったにも関わらず、肝心の服を泥塗れの血塗れにするとは!?
保輔「ヤイ、次郎、貴様は本当に馬鹿者だなぁ。正装の調達に公家の輿を襲っておるのが判らぬのか?!殺すのは服を脱がせた後に致せ、愚か者、早く次の輿から衣類を剥ぎ取れ!」
次郎「ハイ、申し訳御座いません。早速、衣服を剥ぎ取りまする。」
さてさて、関ノ次郎。先の武蔵介藤原義時公邸を襲撃した際は、家人の人数把握でドジをやらかしたのに、又、茲でも冷静に任務が遂行出来ません。
併し、もう一人の公家、久下宰相藤原衡高卿の方はと見てやれば、朋友、大江式部太夫匡平卿と其の家来、平信俊が斬り殺される姿を輿の中から見ております。
もう更々抵抗する気概などなく、多くのお伴は此の場を逃げ出しておりませんし、ただ腰が抜けて輿の中からは出られませんで、是に関ノ次郎が大いに苛立ち始めます。
次郎「早く、外に出て参れ!」
衡高卿「…。」
次郎「早く、輿の外へ出て来い!」
衡高卿「済まぬ、腰が抜けて出られぬのじゃぁ。」
次郎「嘘を申すな!早く出ろ。」
衡高卿「嘘ではない、動けぬのじゃ。」
次郎「グズグズ申すなら、輿の垂れ前に刀を刺して、串刺しに致すぞ!」
衡高卿「誠に、動けぬのじゃぁ〜。」
次郎「問答無用!串刺しに致す。」
衡高卿「ひぇ〜!!」
保輔「止めい!次郎。其の正装を血に汚すは許さんぞ、早く、貴様が輿の中へ這入り公家の服を速やかに剥ぎ取れ。」
次郎「拙者が?なぜ?」
保輔「公家は腰を抜かしておる。貴様が中へ参り脱がせてやれ。」
漸く、かなり厭そうにしながらも、関ノ次郎は輿に這入り、久下宰相藤原衡高卿の服を全て剥ぎ取り、何とか袴垂保輔は目的を果たす事が叶います。
次郎「親分、此の公家と家来は如何致しますか?」
保輔「全員裸にして、何処か?山奥に捨てゝ一日、二日では京都へ帰れぬ様に致せ。」
次郎「殺さずとも宜しいのですか?」
保輔「殺すには及ばぬ。無抵抗な者を殺すのは武士は致さぬものだ。」
次郎「親方が仰るのならアッシは従いますが…。」
と、久下宰相藤原衡高卿は命は許されたが、田辺の山奥に三人の家臣共々、素ッ裸にされたまんま放置されたのである。
さて、久下宰相藤原衡高卿から正装の衣冠束帯を手に入れた袴垂保輔は、是に着替えると関白藤原実頼卿の使者、山﨑播磨守房明公に成り済まし、
玉瀬平太夫の娘、姫松を救出する為に、津國は多田にある左馬頭満忠公のお城へと出向きますが、衣冠束帯が一人前しか手に這入りませんので仕方御座いません。
茲は保輔が一人、関白の使者、山﨑播磨守房明公を名乗りまして、満忠公の館へは潜り込み、何んとか関白殿下の御意向だと交渉の上、姫松を連れ出す所存で御座います。
さて、京都田辺から夜通し馬に揺られ津國多田へと参った袴垂保輔。少し仮眠を取りつつ刻限を見て、九ツ半過ぎに左馬頭満忠公の屋敷へと向かうのでした。
取次「殿様!玄関に、太政大臣関白藤原実頼卿の使者と仰る御方がお見えです。如何致しますか?」
満忠「何ぃ〜、関白殿下の使者となぁ?倅は、仲光は居るか?仲光を之へ大至急、呼びなさい。」
其の様に指示をされた取次は、袴垂保輔が化けた使者、山﨑播磨守房明公を玄関脇の使者の間に待たせて、若君、仲光を呼びに走ります。
仲光「父上、何んぞ、御用でしょうか?」
満忠「おぉ、仲光。今仕方、関白藤原実頼卿の使者と名乗る御方が見えられた、仲光、貴殿は如何思うか?」
仲光「まず、使者はどなた方ですか?」
満忠「其れが、取次が申すには山﨑播磨守、ただ独り。」
仲光「ただ独りとは珍しい。関白殿下の正式な使者ならば、正使、副使の二人で出向くのが必定。妖しい使者ですなぁ。」
満忠「仲光、お前も左様に思うか…如何致そう?」
仲光「山﨑播磨守房明公ただ一人とは妖し過ぎます。取り敢えず、父上は病と称して使者とは直接逢わず、某(それがし)が一人で一先ず応対致しましょう。
父上は次の間にて、某と使者との遣り取りをご覧に成っていて下さい。万に一つ、真の関白殿下の使者の可能性も有りますから、茲は一つ宜しく吟味願います。」
満忠「相判った。身共は次の間で様子を伺っておるから、其方は万事宜しく頼む。」
此の様に親子の間で算段が着きまして、取り敢えず、使者の間へは息子の兵衛助仲光が一人で参り、父の左馬頭満忠は次の間で此の様子を見ております。
仲光「お待たせ致しました、実に恐悦至極に存じ奉ります。拙者、当城の当主、左馬頭満忠の倅にて兵衛助仲光と申しまする。此の度は如何なる御用向きでしょうや?!」
保輔「満忠公に、直接申し上げよと関白殿下の命で参った由え、御領主の満忠公は何処へ居られますか?」
仲光「大変申し訳御座いませんが、父満忠は此の四、五日、病にて床に臥せりおりまして、言葉を発す事も儘成りません。不祥此の私が代理を勤めます様、仰せ遣って御座います。」
保輔「左様ですか…困りましたなぁ〜。関白殿下からは満忠公に直接申せと、懇ろに承りますれば、貴殿に話して宜しい物か拙者の一存では決め兼まする。」
仲光「さて、お使者は山﨑播磨守房明公と仰いますか?」
保輔「ハイ、如何も。播磨守房明に御座る。」
仲光「関白実頼卿の使者は、初めてで御座いますか?!」
保輔「ハッ?!なぜ、左様な質問を…初めてでは御座らんが…!」
仲光「いいえ、何度も当家では関白殿下の使者をお迎えして御座いますが、常に、使者は正・副の二名をお迎え致すのに、本日は播磨守様一名のみ。何やら仔細が御座いますや?!」
さぁ、何も畿内御所大内の仕来りと謂う物を深くは知らない袴垂保輔で御座いますから、『使者は常日頃、正・副の二名です。』と謂われドキッ!と致しますが、
そこは日本三大大泥棒と後世に語り継がれる袴垂保輔です。関白秀次公より太閤殿下の暗殺を依頼された石川五右衛門。残念ながら五右衛門は、
太閤秀吉の家来、仙石権兵衛と謂う人に謀られて捕まえられ、息子と二人、京の三条河原で煮える油の釜茹での刑に処せられます。
また、熊坂長範も義経公がまだ牛若丸の時代に、美濃國青墓の驛にて討たれるのですが、熊坂長範は大泥棒なのに後世では神格化されまして、
あの神田祭に用いられる山車、神田連雀町の山車の上に熊坂長範の人形が拵えられて、祭の祭事に用いられるのです。悪党冥利に尽きる!
さぁ、少し考えた袴垂保輔でしたが、もう茲は度強を決めて、本当らしい張ったりを咬ますしか有りません。少し考えながらも重い口を開きます。
保輔「嗚呼、実はで御座るなぁ。今度の用向きは『玉瀬平太夫殿の娘子、姫松様の不義の件』なので御座いまする。」
と、いきなり保輔が切り出したので、逆に不意を突かれた兵庫助仲光の方が驚いて仕舞います。
仲光「何んと!仰りました?」
保輔「隠さずとも宜しゅう御座います。此方へ参る前に摂津國は玉瀬に寄り、父君の平太夫殿には呉々も姫松様の事は宜しくと頼まれて御座いまする。」
仲光「判りました。相済みません、暫くお待ち下さい。父満忠とも相談して又参ります。」
やや意外な事を、使者、山﨑播磨守房明公から切り出されて、若い仲光は大いに動揺致します。そして、次の間で見ている満忠に此の件を相談するので御座いました。
仲光「父上、此の使者をどう見ます?」
満忠「間違いなく偽り、偽者の使者だ。」
仲光「決め手は?!」
満忠「正装の衣冠束帯を身に付けて御座るが、あれは守護職が身に付ける物にあらず。播磨守と申しながら、身に付けて居る服は宰相が付ける紫の衣冠束帯だ。
其れに播磨國の守護職ならば、摂津、津とは隣国なれどあの様な顔の守護、地頭を予は見た覚えが無い。仲光!汝も見ておるまい?アレは間違いなく偽者じゃぁ。」
仲光「成る程。では、即座に曲者を捕らえますか?」
満忠「否。泳がせて利用致そう。」
仲光「泳がせて利用とは?如何致すのです。」
満忠「硬いのぉ〜、汝の頭は。其方に任せた不義密通の件であるが、メジロを逃した事で姫松が自殺未遂をし、季武が其れを助けたダケだと致したいのは山々なれど、
之を法度に従い吟味致し証明するのは、一筋縄では参らん。何十日イヤ何ヶ月も要し其の間、季武と姫松は理不尽にも牢屋に留め置く事にもなる。
其れならばだ。此の偽者の関白殿下の使者が、不義の二人を関白殿下の命令で助命致せ!と謂うのであれば、之に便乗するのも悪くはない。」
仲光「成る程!流石、名君、左馬頭満忠公で御座いまする。」
満忠「馬鹿を謂え!自らの父を其の様に褒める奴があるか!兎に角、偽使者に騙された振りをして姫松と季武を助けてやれ。
また、偽使者が姫松を摂津の父親の元へ無事に返すか?之も必ず見届けよ。猶、季武は御構い無しと謂う訳には参らぬから、
一旦は、津國より所払いの処分に致すが、何やら手柄を立てゝ呉れた折りを見て、帰参の叶う様に計らって呉れ!頼んだぞ。」
此の様に、満忠、仲光親子の腹の内は決まりまして、袴垂保輔の化た播磨守房明にバレない様に事を運ぶ事に致します。
仲光「いやはや、長らくお待たせ致しました。父満忠はやはり床が上がりませんので、小生の一存にて決めても宜しいとの許しを頂戴しました。
依って、姫松の件。御使者の謂い分を説くと賜り、成るべく当家としては善処致しますので、早速、関白殿下の意向を賜りまする。」
保輔「然らばザックばらんに申し上げる。関白実頼卿曰く、玉瀬平太夫殿は長年、実頼卿に仕え並々ならぬ働きと、帝への献身的な働き之れ有り。
由えに、関白実頼卿は其の独り娘、姫松様を不義密通の角で死罪には致さぬ様にと懇願されており、どうか玉瀬平太夫殿の元へお返し願いたい。」
仲光「判りました。他ならぬ関白殿下の御意向ならば、津國の地頭職の我々が異議を挟む余地は御座らん。直ちに、姫松はご貴殿に引き渡す所存です。
だだ、何んの書き物も残さずして、姫松を引き渡して、万一、不都合が御座いましては、私どもが玉瀬平太夫殿ご夫妻に対して申し訳が立ちません。
そこで、ご無礼は重々承知なれど、関白殿下の使者として、播磨守様のお墨付きを此方に残して頂き、姫松の身柄の引渡しとさせて頂きたい。」
保輔「相判った。引き渡しの証、書き物として残しましょう。」
こうして、袴垂保輔は偽使者と知れながら、まんまと玉瀬平太夫の娘、姫松を多田の城から連れ出す事に成功致しますが、
流石に、左馬頭満忠と兵庫助仲光親子には、関白実頼卿の名を語る偽者と知れたに違いないと感じております由えに、
一日、イヤ、一刻も早く姫松と金百貫目の交換を成立させて、秘密の隠れ家へと無事帰りたい!とダケ願っております。
一方、姫松を関白の偽使者へ引き渡した満忠、仲光親子は、晴れて釈放となる卜部季武を牢屋から引き出し、是に至る経緯を事細かく説明を致します。
満忠「季武!カクカクしかじか、云々かんぬん。依って、其方を釈放致すが、御構い無し!とは相成らん。許せ、津國追放と相成る。」
季武「滅相も御座いません。不義の罪で死罪は免れぬ物と覚悟を決めておりました。」
満忠「お主を助けたからは姫松の行方をお主がしかと!見届けて欲しい。山﨑播磨守房明を名乗る者が姫松を連れて此の城を出た。例の手鏡を頼りに姫松の行方を汝が見定めて欲しい!」
季武「御意に御座いまする!!」
と、卜部季武は主君である左馬頭満忠よりの密命を受け、表向きは津國から追放された體で、摂津國の父親、玉瀬平太夫元へ姫松が無事に戻されるか?跡を付けるのだった。
さて、金百貫目との交換を目論む袴垂保輔は、疑いを掛けられながらも、津國は多田の左馬頭満忠の館から摂津の郷士、玉瀬平太夫の独り娘、姫松を連れ出す事に成功します。
津の多田から摂津の玉瀬へと、姫松を駕籠に乗せて、袴垂保輔は関ノ次郎達子分を十五名連れて約束の九月九日に着く為に、かなりの強行群で西へと進んでおりますと、
背後から一騎の騎馬が現れて、袴垂保輔の一団に近くと、突然、大きな声を掛けて参ります。さぁ、何事か?と、保輔達は列を止めて振り返りますと其れは一人の侍です。
保輔「はて?どなたで御座るかなぁ?!」
季武「卒爾ながら、拙者は卜部季武と申す者で、以前は津國は多田城主、左馬頭満忠公の元家来に御座いまする。
貴方様は、玉瀬平太夫殿の娘子、姫松殿をお救いになられた山﨑播磨守房明様とお見受け致します。どうか、拙者を姫松殿と引き合わせ下さい。」
保輔「其方は、姫松殿とは如何なる関係で御座いますか?!」
季武「拙者はお恥ずかしい噺では御座いますが、実は姫松殿と不義を致した容疑で詮議に掛けられた相方で、其の不義密通と言われた罪は全くの誤解なのです。
実はカクカクしかじか、云々かんぬんと、姫松殿が逃した小鳥、メジロを捕まえていた所を、誤解されて受牢の身となり吟味を受けたと謂う訳に御座います。」
保輔「成る程、其れで貴殿は何用で姫松殿を追って来られたのかな?!」
季武「実は命を助けた御礼にと姫松殿より此の手鏡を某は頂戴したのですが、此の手鏡は姫松殿が祖母より頂戴した形見の品と伺って、流石に頂戴致す訳には参らぬと思い返しに参りました。」
保輔「ほーッ、左様な仔細が御座いましたか、では、姫松殿の駕籠へと案内致しましょう。」
そう謂うと、山﨑播磨守房明と称している袴垂保輔は、何食わぬ顔をして姫松の駕籠へ、卜部季武を案内し二人を引き合わせるので御座います。
季武「姫松殿、ご無事で何よりで御座います。拙者が迂闊にお傍に近寄り、二人っきりで深夜にお逢いしたが為、有らぬ誤解を招きご迷惑をお掛けしました。
其の際に、御礼と称して此の手鏡を頂戴しましたが、之は貴女が祖母より頂戴した大切な形見と伺いました。由えに之は貴女にお返し致しとう存じまする。」
姫松「之は之は季武様。貴方様こそ、ご無事で何よりに御座いまする。妾は関白実頼卿のお情けにより、之なる播磨守様に助けられて何とか父親の元へと返されまする。
其の手鏡は妾の命を助けて下さった貴方様への御礼の気持ちを込めて差し上げた、妾のせめてもの思いを込めた品なれば、是非ともお受け取り頂きとう存じまする。」
季武「イヤ、姫松殿。拙者は今回の件で、津國を追放となり武士として、自らをもっと戒めながら精進しなければ、真の武士(もののふ)とは成れぬと気付きました。
由えに、此の貴女の形見の手鏡を受け取り、淡い気持ちに浸るのは、武士としてどうしても!正しい道だとは思えないので御座いまする。依って之を受け取る訳には参りません。」
姫松「季武様が真の武士の道だと意地を口になさるのは、女子(おなご)の妾にも重々判りますが、妾も命を助けられた其の気持ちを、形になる物でお返しがしとう御座います。」
季武「左様に謂われましても…之を拙者が受け取る訳には…。」
姫松「いいえ、是非とも之はお受け取りをお願い致します。」
そう謂う二人が、一つの手鏡を受け取り下さい!受け取る訳には参りません!と、駕籠の前で押し付け合いながら、中々、決着が付かぬ様子なので、袴垂保輔の方がジレて仕舞います。
保輔「卜部氏、宜しいかな?此方へ少し来て下さいませぇ。」
季武「ハイ、播磨守様。何で御座いますかなぁ?!」
袴垂保輔が、卜部季武を駕籠の前から呼び出して、姫松の傍から遠ざけて、ヒソヒソ噺を始めます。
保輔「卜部氏、拙者には関白殿下の命により、明日、九月九日の昼までに姫松殿を、父上であらせられる玉瀬平太夫殿の元へ送り届ける義務が御座る。
先を急ぐ身なれば、一旦、貴方が姫松殿より受け取っている、其の手鏡を某が預かり、此の道中で姫松殿に謂い包めて説得の上必ずお返し申しまする。
摂津國玉瀬へと姫松殿を連れ帰りますれば、父上様母上様もいらっしゃいますから、ご両親からも口添えを頂戴して、必ずや手鏡は姫松殿へお返し致します。」
季武「成る程、承知致しました。では、此の手鏡は播磨守様にお預け致しますので、宜しくお頼み申し上げ奉りまする。」
保輔「ハイ、確かにお預かり致します。」
何んとか袴垂保輔は、卜部季武から形見の手鏡を預かり、兎に角、約束した九月九日までに摂津國は玉瀬へと姫松を連れて這入る事に成功致します。
そして、姫松を駕籠に乗せて、九月九日の九ツ半過ぎに玉瀬平太夫の館へと到着すると、其の門の関根に駕籠を留めて、十五人の家来を引き連れ「開門願いまする!」と声を掛けます。
取次「ドーレ!ドーレ、どなた様ですかなぁ?!」
保輔「某、山﨑播磨守房明と申す。関白実頼卿の使者として、平太夫殿に面会に参りました。当家のお嬢様、姫松殿をお連れしたと、お伝え願いたい。」
取次「之は之はご苦労様に存じ奉ります。こちらで、暫時、休憩願いまする。」
そう謂うと、取次の家来は保輔が化けた播磨守を、玄関脇の使者の間に留め置いて、奥へと知らせに走ります。
取次「旦那様、玄関に関白殿下の使者と仰って、山﨑播磨守房明様と名乗る御方が、正装の衣冠束帯にて参られました。」
平太夫「正装の衣冠束帯で?!播磨守殿は何様で参られたと仰られた?!」
取次「ハイ、お嬢様、姫松様をお連れになったと仰って駕籠を伴ない、家来も十数人お連れに御座いまする。」
平太夫「左様であるかぁ。然らば、某がお出迎えに上がるが、正装に着替えてから参る由え、お茶など出して繋ぎ於け!」
取次「御意に御座いまする。」
半信半疑で九月九日を待っていた玉瀬平太夫は、取次から姫松を連れて、関白実頼卿の使者、山﨑播磨守房明が来たと伝え聴いて少し驚きます。
又、相手が正装の衣冠束帯で来たと報告を受けましたからは、こちはも正装に着替えて逢うのが礼儀で御座います。また、姫松を無事に連れて来て呉れた使者ですから、
勿論、金百貫目を引き渡して、其の上で膳部など用意して、酒、肴にて十分なおもてなしをして帰すのが常識だと心得ます由えに、奥に準備する様に申し付けてから現れます。
平太夫「お待たせ致しました、播磨守殿、誠に遠路ご苦労様に御座いまする。」
保輔「早速で御座いますが、津國多田の左馬頭満忠公のお城から、御姫君、姫松殿を救出いたして約束の本日、九月九日に無事お連れ致したのでお受け取りを願いたい。」
平太夫「畏まりまして御座います。」
保輔「次郎!御姫君を直ぐにお連れ致しなさい。」
次郎「御意に御座います。」
さぁ、袴垂保輔が関ノ次郎に命じまして、駕籠に居る姫松を連れて来させます。
暫くして現れた姫松は泳ぐ様に、出迎えた母親に近くと二人は涙を流して抱き合います。
保輔「如何かな?平太夫殿。間違いなく某が、姫君を助け出して参ったからは、お約束の金百貫目を速やかに頂戴したい。」
平太夫「勿論で御座る。金百貫目をお渡しするのに異存は御座らぬが、先ずは一献。膳部を用意致し宴席を模様しますので、羽を伸ばし口を湿らせて下さいませ!」
保輔「折角のお言葉なれど、関白実頼卿への用事がまだ他にも御座いまして京都へ急ぎ戻らねば成りません。金百貫目を頂戴したなら直ぐに立ちまする。」
平太夫「イヤ,せめて食事、昼食だけでもお取り下さい。」
保輔「残念ですが、金百貫目を頂いたら直ぐに立ちまする。」
さぁ、玉瀬平太夫が執拗に引き留めますが、山﨑播磨守房明は京に戻るの一点張りで、金百貫目を掻っ攫う様にして立ち去ろうと致します。
いや早、是には玉瀬平太夫も疑念を抱きます。兎に角、金塊を寄越せ!と露骨な態度であるし、平太夫も播磨守の正装、衣冠束帯が守護職の其れではなく、宰相の紫の正装だと気付きますから、全体を怪しみます。
そこで、金百貫目を持たせては帰しましたが、家来の隠密二人、和平、五郎助に、播磨守の跡を付けて何処へ行ったか?探らせる事に致します。
つづく