かの源氏の開祖、六孫王経基。其の御子にして源氏の総領は左馬頭満忠公であり、伊勢國津の多田と謂う所に城を構えて住んでおられた。
満忠公は大変子宝に恵まれた人で、十三人の子供達の内分けは、男子九人女子四人で御座いまして、満忠公、國の基は農業である!との思いから、一家を上げて荒地の水田の開墾に励む日々なので御座います。
そんな或日今年の豊作を祝う祭事が行われて、男女交えての酒宴が開かれて、本日は農作業はお休み各々方に対し、酒が配られて其の日だけは満忠公と御内儀が働く側に回られて、
『御身等一同客であるから左様心得よ!』との仰せで、今日だけは無礼講である!との御意を以って誰、彼無く遠慮なく飲食致せとの仰せなれば、殊に女中連中は大いに慶び燥ぎます。
さぁそんな盛り上がり賑わう酒宴の中に、卜部次官季國(すえくに)の倅、季武(すえたけ)、此の人は後に頼光四天王の一人に数えられた忠臣にして只今の年齢は早二十六歳です。
そして、兎に角美男子にして高身長でスラリと背が高く小顔でモテモテの独身ですから、当然周りの女子が放って置きません。さぁご一献!ご一献!と盃には絶え間なく酒を注がれて…、
もう、飲み過ぎてフラフラに酔った卜部六郎季武。庭へと漸く抜け出して、夜風に当たって酔いを醒まそうと致しますと、築山の松の向こうに人影が…月明かりにぼんやりと映し出されたのは、
アレは間違いなく女性。しかも、美しくて若い女性で歳の頃なら十七、八で、帯から細紐(シゴキ)を取り出して、松の太い枝に其の紐を掛けてアワヤ首を吊らんとする有様?!
季武「之れ御婦人、考え違いはお止めなさい!」
さぁ、細紐で首吊りしょうとしていた女性はハッと驚いた様子で四方辺りをキョロキョロ見渡して声の主を探しますが、まさか、築山を挟んで垣根の向こうからとは思いません。
季武「コレ!コレ!御婦人、只今見ておれば俄に思い詰めた様子で死なんと致すとは、うら若き身の上で早まる出ない!某が声を掛けた由え築山に松で首吊りは止めた様だが、
又、別の場所に移りて某の居らぬ場所で死なれては堪らぬ。満忠公の多田のお城で自害など起こして如何いたす?満忠公は下男下女にも優しい良い殿様ぞ!家来や奉公人と共に汗して、
一緒に田畑へ出てお働きになられる。殿様の鏡であるぞ!満忠公は。常に情けを掛けて下さる御夫婦のはずなのに、御婦人、貴女は何由えに其の様な無分別をなさいますや?!」
女子「恐れ入りまして存じまする。どこのどなたかは存じ上げませんが?妾(わたし)の覚悟の體をご覧になり、お止め頂きましたる事は大変感謝いたしまする。」
季武「して、貴女様は何ん人なるや?!」
姫松「妾は姫松と申します腰元に御座います。満忠公の奥方、御内儀様の身の周りのお世話係で御座いまする。そして今日は夕刻より豊作の祝宴と相成りまして、
妾は御内儀様のご寵愛めでたい小鳥の世話を仰せつかって御座います由え、餌などを与えてやろうと鳥籠の餌とお水を替えよう致した折りに、小鳥に逃げられ仕舞ったので御座います。
依って、御内儀様に正直に小鳥を逃した噺をしたのですが…今日は愛でたい祝宴だから小鳥を逃した事など気にしなくて良いと謂われて、慰められて逆に笑顔を返されて…。」
季武「そうであろう、そうに違いない。満忠公も御内儀も慈悲深い御方だ。其れなのに何故貴女は自害など考えたりした?!」
姫松「其れは返って恐縮したからです。御内儀様があんなに可愛いがっていらした小鳥を、妾の不注意から逃したのに、全く責める事なく御許しになるとは返って心苦しくて…。」
季武「其れで、自ら死のうとしたのか?」
姫松「左様で御座います。」
と、二人が垣根越しに、其の様な噺をしていると、松の枝から枝を一羽の小鳥が飛び交いまして、甲高い声で囀ります。
季武「姫松殿、小鳥とはあのメジロでは御座いませんか?!」
姫松「ハイ、アレに相違御座いません。」
季武「ヨシ、ならば少しお待ち下され、拙者がアレなるメジロを捕まえてみせまする。」
そう謂うと六郎季武は一旦、屋敷に戻ると弓と矢を手に帰って来た。
姫松「何をなさる積もりですか?矢でメジロを射てはメジロが死にまする。」
季武「矢を直接メジロには当ては致さぬ。まぁ、見て居なさい。」
さぁ、そう謂うと六郎季武、垣根を越えて姫松が居る方の敷地へ、弓矢を持って這入って来ようとするので、まずは是に姫松が驚きます。
姫松「イヤ、女人が独りで居る此の庭に、殿方が這入り込まれては…流石に妾が困ります。垣根を越えないで下さいませぇ。」
季武「何を謂われまする姫松殿。垣根を越えねば逃したメジロは捕まえられません。其れに某はメジロを捕まえるだげで、貴女には指一本触れません!ご安心下され。」
姫松「そうは仰いますが…。」
と、困惑する姫松を他所に、六郎季武は垣根をズカズカと越えて、池の辺りを廻って築山の松の木の下へとやって来ては、弓を満月の様にしならせてメジロが止まる枝に狙いを定めます。
そして一気に矢を握っている右手を解き放つと、矢は勢いよく風切り音を立てながら、メジロが止まって居る松の枝目掛け飛んで行きました。ガッシャン、ポキリン!!
矢は見事に松の枝に突き刺さり、枝を激しく揺らすと、其の振動にメジロは驚き飛び立つ事も出来ずに枝からポトリと落下して仕舞います。其れを真下で待ち構えて居た季武がナイスキャッチ!
季武「早く!捕まえたぞ、メジロ。」
姫松「ハイ!有難う、御座います。六郎季武様!貴方は命の恩人です。だから、此れを御礼の印にお納め下さい。」
と、自らの手鏡を差し出す姫松。此の当時の手鏡ですから、勿論、現代のガラスにニッケルやスズをメッキした鏡ではなく、銅を磨いた金属製の鏡で御座います。
季武「イヤ、之はお前さんの大事な鏡で御座ろう?!拙者が受け取る訳には…。」
姫松「確かに、祖母の形見に御座いますが、妾の命に匹敵する高価な物は之しか御座いません。どうか!季武様、お受け取り下さい。」
季武「イヤ、其れでは尚更、受け取れぬ。」
姫松「どうか!命の恩人なれば…どうか?!お受け取りを、お願いします、季武様。」
季武「相判った!仕方ない。」
そう謂うと六郎季武は姫松より手鏡を受け取り懐中に仕舞い込みます。又、一方、姫松は季武が捕まえたメジロを受け取ると、
素早く是を鳥籠へと仕舞い深くお辞儀をして、嬉しそうな顔をして足早に屋敷へと戻ろうと振り返るのですが、其の時!!
なんと、二人の様子を見ている影が背後に御座いまして、其れは誰あろう左馬頭満仲公!而も御連中、倅仲光様、姫君と御内儀を伴ってのご登場。
さぁ、何やらんと見てやれば、御内儀付の腰元姫松と卜部家の御曹司、季武が二人ッきりで、築山の山水縁、松の木に隠れる様に密通かぁ?
と、見える様な體で相引きして御座います。なんせ、姫松は帯を解いて細引を外しており、まさか首吊り自殺を季武が止たとは知りません。
更に二人は堂々と姫松が手鏡を差し出し、其れを季武が受け取り、二人の契りの証に見えて仕舞う有様で、季武が是を懐中に仕舞います。
満仲「オイ、確とご両人!不義は当家の御法度なれば、予が見付けたからは許す訳に参らぬぞ!」
そう満仲公が大声を掛けて参りまして、二、三歩、歩み寄りになり猶も仰ります。
満仲「オイ、仲光!其の方に一任致す。両人の処分、良きに計らえ。」
さぁ、そう謂うと左馬頭満仲公、女人には此の不義を見せたくないご様子で、直ぐに姫君と御内儀を連れて奥の方へと去って行かれます。
流石に、父に不義の始末を振られた仲光の方は困ってしまいます。其れでも家長から任せる!と、謂われたからは、不義は御家の禁制。
不義の二人重ねて四つにするのが掟では有るのだが…誠忠なる才智、仲光!朋友でもある卜部六郎季武が、此の様な不義密通をする様な者に在らず。
又一方の姫松も、母の世話係の中でも硬いので有名、ハスッ葉な噂は聴かないし、熱心に小鳥の世話をする腰元です。兎に角、問い質してみる事に致します。
仲光「季武、如何いたした?!姫松の帯を解いて…あらぬ姿にして、斯様な所で二人ッきりで密談するとは!」
季武「武士たる者、李下に冠瓜田に靴、疑われる様な事は致さぬに限ると知らぬ訳では御座らんが…依って、返す言葉も御座いません。」
姫松「いいえ!若様、悪いのは妾で御座います。季武様は一切悪く御座いません。実は、妾、姫松は仲光様もご存知の通り、奥方様のメジロのお世話係りを致して居ります。
ところが、此のメジロを屋外に逃し、其の罪に心を打ち拉がれて、自害を致す所存で帯を解いて、細引を取り出し此の築山の松の枝で首を吊ろうと致して居りました。其処へ!!
偶々、季武様が通りかゝられて、垣根の外より声を掛けられカクカクしかじか、云々かんぬん有りまして、最後にメジロを捕獲して頂き、その御礼の印に手鏡をお渡し致しました。」
仲光「季武!姫松が申す事に間違いないか!?」
季武「ハイ、相違御座いません!!」
さて、二人の証言、申し開きを聴いた仲光でしたが、だからと謂って即無罪放免には出来ず、父である領主、左馬頭満仲公に『不義密通ではない!』と納得して頂く必要が御座います。
そこで『不義密通ではない!』とは思いつゝ、仲光は自身の屋敷にある牢屋に一旦、二人を留め置く事と致しまして、明日以降に正式な吟味を致した上で、其の処分を下す事に致します。
如何に聡明且つ慈悲深い仲光とは謂え、簡単に沙汰を下す訳には行かず、胸の痛む中、朋友の季武を不義者として、其の相手として姫松と一緒に一晩、牢に留め置く事と相成ります。
然るに此の一件、仲光は部下に任せて捨て置く訳には参りませんから、早速、先ずは姫松の父の所へ此の一件を、知らせてやる為に使者を立てます。
さて、姫松の父と申しますのは、摂津國玉瀬の郷士、玉瀬平太夫と申して三千五百石取り中々、裕福な身分の侍で御座いまして、蔵の五戸前も在る大きな屋敷に、
男女三十数人もの奉公人、家来を抱える大家で御座いまして、姫松は其の家の一人娘で御座いますから、季武が不義により傷物にしたとなると、其れはもう一大事で御座います。
そんな大家の一人娘が、行儀見習いで上がった左馬頭満忠公のお屋敷で、傷物にされたなどゝ噂が立つなど許される事では御座いませんが、
一日、又一日と日が経つに連れて、此の事は人の口に戸は建てられぬの喩え通り、津國の多田発の噂は伊勢の國中を駆け巡り都まで轟く事に相成ります。
当然、娘の不義密通の噂は摂津國玉瀬の玉瀬平太夫夫婦の耳にも届き、間もなく兵衛守仲光の使者と申す若い侍が、姫松は左馬頭満忠公の屋敷内の牢屋に留め置かれていると伝えます。
さぁ、もう両親は気が気では御座いません。主だった玉瀬の親戚一同が平太夫の館に集まり、姫松救出の良い方法は無いか?と、算段して居りますが…中々、名案が浮かびません。
そんな論議の最中に、門番の取次役の家来が慌てた様子で、此の輪の中へ飛び込んで来て、平太夫に向かって物申します。
取次「卒爾ながら、殿様!只今、玄関に来客が御座いまして、火急の御用にて罷り越した!と申しておりますが…如何、致しましょう?」
平太夫「何事じゃぁ?!今は、大事な話し合いの最中だ!誰が参ったと謂う?!」
取次「ハイ、人品宜しい方々で、都より参られたご様子で、伴を連れた十四、五人の軍団で…。」
平太夫「都より?名は、名は何と申す?!」
取次「殿様に直接逢うてから、全て話すの一点張りで…。」
平太夫「えい!何用か?だけでも、聴いて参れ!」
謂われた取次役の家来は、玄関先に戻りまして、用件だけでも聞き出そうと致しますが、相手は直接玉瀬平太夫殿に逢うまではお答え出来ないの一点張り。
取次と来客が玄関先にて、何やら騒動に成り始めた様子に、平太夫、自ら出向きますと、確かに取次が申す通りで、大層人品宜しい侍風の者が、十四、五人の伴を連れて御座います。
平太夫「さて、どちら様でしょう?拙者が玉瀬平太夫に御座います。御用件は?」
来客「身共は、山﨑播磨守房明と申します。お嬢様、姫松様の件で参りました。」
平太夫「姫松の?!播磨國の守護職様が?!」
播磨守「茲では噺難い事なれば、サシでお話し致したく存ずる。皆の者、門の関根で待っておれ!」
と、山﨑播磨守房明と名乗る其の男は、六尺は在る大男でガッチリした体格、歳は二十四、五にしか見えませんが、播磨國の守護職と謂うからは三十凸凹なのでしょうか?!
其の男、山﨑播磨守房明を、玉瀬平太夫、奥の座敷に通しまして、家来には人払いをして二人きりになり噺を始めます。
平太夫「播磨守殿、我が娘、姫松の件と仰られたが、如何なる用件で御座いましょうや?」
播磨守「単刀直入に申します。噂によりますと、ご当家の姫君、一人娘の姫松様が不義密通の嫌疑を掛けられて、津國は多田の左馬頭満忠公の屋敷内にて牢屋に留め置かれている由。
さぞ父上である玉瀬様はご心配の事と存じ奉ります。かく申す私は関白藤原実頼卿の使者として、お忍びで此方へは参った次第なれば、正装では御座らぬ点は平にご容赦願います。」
平太夫「いいえ、勿体ない。して、使者の御用向きは?」
播磨守「このまま、牢屋に留め置かれますと時期に姫松様は満忠公の命により処刑は免れません。そこで若し金百貫目を用意下されば,拙者が関白殿下の意向を持って、
左馬頭満忠公の館より、姫松様を助け出す事が出来まする。金百貫目は姫松様救出の後で構いません、ご用意出来るか?否か?そのお返事を今日は賜りたい。」
平太夫「おぉ、誠でしょうか?今も親戚一同が集いまして、姫松の事を如何せんと評議の最中でしたが、良き思案は生まれず難儀しておりました。本当に!金百貫で娘は助かりますか?」
播磨守「ハイ、金百貫目あれば私が責任を持って救出致しましす。武士に二言は御座いませんし、金百貫目の引き渡しは、後日、姫松様が無事に戻ってからで構いません。」
平太夫「承知しました。金百貫目、間違いなく準備致します。」
播磨守「では、兎に角、善は急げです。姫松様が処刑される前に救出せねば成りません。由えに、五日以内に姫松様を牢屋から助け出します。
本日が九月四日なれば、九月九日には此方へ姫松様を必ずお連れ致しますので、同時交換で、金百貫目のご用意をお願い致します。呉々もお間違い無き様願いまする。」
平太夫「御意に御座います。では、九月九日に。」
こうして、関白藤原実頼卿の隠密利の使者と謂う、山﨑播磨守房明公は門に待たせていた家来を引き連れて、都の方へと帰って行った。
さぁ是で、金百貫目で一人娘、姫松の命が助かるならば安いもんだ!と、玉瀬平太夫夫婦は大喜びするのだが、実は此の山﨑播磨守房明は真っ赤な偽者。
そうです、卜部次官季國の倅、季武と玉瀬平太夫の娘、姫松が不義密通の罪で多田の満忠公館の牢屋に留置されている噂を耳にした、
大泥棒、袴垂保輔が仕組んだ芝居でして、関ノ次郎に十四、五人の手下を用意させ、関白殿下の使者に成り済ますと、玉瀬平太夫を騙して金百貫目を準備させます。
さて此の後、どの様にして多田の満忠公館の牢屋から姫松を連れ出して、金百貫目を騙し取るかは、次回のお楽しみで御座います。
つづく