後に天下の大泥棒となる『藤原保輔/通称・袴垂保輔』は、京の都に藤原友忠卿の三男、朧丸として生まれるが、実は武蔵権頭興世の胤だと三歳の時に友忠卿に知れて、

母親の伊織と二人して都の友忠卿の館より追放されてしまう。途方に暮れる伊織は上野國の知人を頼り旅を続けるが、武蔵國滑川の里で出逢った尼僧妙藏尼の助言で、

まだ三つの朧丸を熊谷宿白波坂に在る『白波亭』と謂う料亭兼酒屋を営む六郎兵衛の店先に捨て子する。其の朧丸の背中には、友忠卿から頂戴した守刀を背負わせて。

そして、この熊谷宿の白波亭で成長した朧丸は、名前を彌助と改めて、六郎兵衛とお澤夫婦の子供として育てられ、十八と成り両親の会話を偶々聴き自身が捨て子と知る。

更に捨てられた時、彌助には高価な守刀が背中に背負わされていて、是を生活苦に悩む両親は売り払う算段をしていた。併し、何としても守刀を取り返し京の都へ上りたいと願う彌助。


そんな或日。珍しく白波亭に客が訪れる。四十絡みの男性、徹甲脚絆に草鞋履き大きな菅笠を被り、見るからに旅人と判る服装(ナリ)をし、商人風の言葉には上方訛りがある。

男「御免ヤス。酒を二合ばかり熱燗にしとくんなはれぇ。」

六郎兵衛「ハイ、いらっしゃいませ!旦那様、御一人で?酒は自慢の品を川越より仕入れております。江戸表に負けぬ自慢の逸品です。」

男「ホーッ、地酒やおまへんのかいなぁ、珍しいなぁ、宜しい其の自慢の逸品を頂戴しましょう。あと、肴は何ぞ有りますか?!」

六郎兵衛「すいません、肴と謂われても芋煮と山菜のお浸し位しか御座いません。」

男「何を謂うネン、芋と山菜、上等でんがなぁ。ソレに呼ばれます。」

六郎兵衛「畏まりました。少々お待ちを!」

そう謂って六郎兵衛は奥に下り、代わりにお澤が酒と肴を運んで来ると、其の男はえらく腹が空いている様子で、酒と肴を美味そうに勢い宜く吞み食いします。

六郎兵衛「旦那さん、お言葉からすると西國、上方の御方とお見受けしますが。」

男「ヘイ!ワテは、都、洛内のさる高貴(やんごとなき)御方の召使いでおまして、大切な使命を頂戴して、之から信濃路へ向かう途中でおます。」

六郎兵衛「信濃路へ、高崎、安中、碓氷峠を越えてですか?」

男「ヘイ。まだまだ道中は長ごうおます。ですから、キバらんとボチボチ行こうと思てます。」

六郎兵衛「ところで、往生の地より此の東の果てに、何を探しに見えたんですか?イヤ、無理に聴く噺やないかも知れませんが。」

男「イヤ、別に秘密にせなアカン噺やおません。主人に謂われたんは、信濃には今、刀鍛冶の名工が集まってはるさかいに、誰か一人!これぞ名人と謂える御仁を連れて来いと、

お金はなんぼ掛かっても構わんさかいに、名人の刀鍛冶を、弟子も一緒に京都へ連れて帰る事が私の使命なので御座います。」

六郎兵衛「信濃國まで名工と呼ばれる刀鍛冶を?!大変なお仕事ですねぇ〜。本当に見付かるんですか?!名工。」

男「兎に角、見付かるまで京の都には帰って来るなッ!てご主人様には謂われました。何年掛かってもどんだけ銭が掛かっても宜いから、名工の刀鍛冶を連れ戻れ!と謂われました。

そんな訳で之から信濃路へと参る事になるのですが、私は全く信濃は初めて。名工の刀鍛冶職人と謂われても名前も判らヘンし心当たりもおまへん。旦ハン、誰か知りまへんか?刀鍛冶。」

六郎兵衛「イヤ、藪から棒に刀鍛冶をと謂われても、一膳飯屋の私には判りませんねぇ〜。併し、西國、上方にも名工の刀鍛冶は居るのと違いますか?何んで又、信州なんですか?」

男「ハイ、確かに奈良や備前にも有名な刀鍛冶は居てましたが、既に主だった名工には、贔屓筋が付いていて、中々、新参の旦那では刀を造りまへんのですワ。

其れで、ワテの旦那が何処ぞで聴いて来て、信州にはまだ埋もれた名工が居てるさかいに、ワテ、藤兵衛謂うんですけど、藤兵衛!探しに行って来い!と謂われて参りましてん。」

六郎兵衛「其れは難儀な事で、ご苦労様です。」

藤兵衛「本間に、雲を掴む様な噺で旦那の命令やさかいに行かん訳にも参りまへんで、仕方なく京都を跡に東へ下りましたが、中々、手掛かりが掴めまへん。

併し、子供(ガキ)の使いやおまへんさかいに、名工なんて居てまへん!と、簡単に引き返す訳にも行かんから、取り敢えず、信濃國へは行く積もりなんです。」


六郎兵衛「そうだ、お客人。信州に行っても中々良い刀鍛冶が見付からないと困るだろう?!そこで予め保険を掛けてから、信濃路へ向かいませんか?」

藤兵衛「何んですか?其の保険と謂うのは?!」

六郎兵衛「実は、此の家には先祖傳来の素晴らしい宝刀が御座いましてなぁ。其れをお客人、貴方になら売って差し上げても宜しいと思うのだが如何であろう?宝刀、欲しくはないか?」

藤兵衛「さぁ、其れは品物次第じゃぁ。取り敢えず、其の先祖傳来の宝刀とやらを見せて貰ってからじゃぁ。」

六郎兵衛「見せるのは構わないが、之は確かな品じゃぁ。之ならば名工の刀鍛冶を京都へ連れ帰る手間要らずの名品間違いなし!而も絶品の割には安い買い物間違いなしだ。」

そう謂うと六郎兵衛は例の彌助が捨て子された時に持たされていた、友忠卿より授かった守刀を、錦の袋に納められたまんまの状態で取り出し、藤兵衛の前に差し出して見せた。

六郎兵衛「如何じゃぁ、きっと気に入るであろう?幾らで買って呉れるか?!儂はこうみえても昔は其れなりの武士の家庭に育った者なのだ。」

そう謂われて六郎兵衛から渡された、九寸五分の短刀を藤兵衛は錦の袋から出し、鞘を払うと短刀にしては反りの強い其の刀を繁々と眺めて再び鞘に収めると高笑いを始めた。

藤兵衛「アッ、ハッハハぁ〜、イヤイヤ、コレはコレは。買い取る訳には参りませんぬ。」

六郎兵衛「何を失礼なぁ。人の刀を見て笑うなどとは無礼千万!」

藤兵衛「貴方、此の守刀。如何なされました?普通、この様な守刀は高貴な御方が我が子の証に授ける守刀で、東に居る関東武士風情が持ち合わせる代物やぁ、おまへん。

而も、此の短刀は日本人の刀鍛冶が造れる作品やのぉ〜て、唐土の名工が細工した作品ダス。恐らく子供と高貴(やんごとなき)御方が、別れ別れになる門出に渡した形見でおます。

そんなモンを、あんさんが持ってはるのはおかしい。盗品と違いますか?ワテがこんな品物、買うて帰ったらご主人様に大目玉ですワ。依って買う訳には参りまへん。」

さぁ、六郎兵衛、腹の中では金二十匁に成るか?五十匁か?イヤ金一貫目か?と皮算用していたら、商人風の藤兵衛に『盗品じゃないのか?買う訳にはいかぬ。』と謂われて、

所詮、自身に刀剣を目利きする力量などない、元博徒の居酒屋の主人ですから、幾らかでも銭になるならば、足元を見られない様に、此の機会に銭に変えてしまえ!と開き直ります。

六郎兵衛「判ったよ、お客人。兎に角さぁ〜、安くするから、この唐土の鍛冶屋が拵えた短刀、買っては呉れねぇ〜かぁ。アンタ位の目利きになら判るはずだ、品物は確かなんだから。」

藤兵衛「まぁ、アンさんが捨て値でワテに預けると謂わはるのなら、勉強して引き取らん事もないが。」

六郎兵衛「之は盗品などではなく、百年は私の家に代々伝わる家宝なんだ。如何だろう?金二貫目で買わないか?お客人。」

藤兵衛「アホ!何が金二貫目だ。金一貫目出したら、刀鍛冶の名工が京都に呼べるッて!その二倍払うって、保険やのぉ〜て本命ヤンケ!ダボ。噺に成るかぁ〜ボケ、カス、死ね!」

六郎兵衛「悪かった、冗談やがなぁ〜。本気ちゃうちゃう、幾らなら買うて呉れますか?藤兵衛さん!!」

藤兵衛「金二匁でどうや?二匁なら今出しますよ。」

六郎兵衛「流石に、二匁ッて其れは無理!無理!二匁で売る位なら持って於きます。売りません。」

藤兵衛「アッ、旦那ハン。済みません、ワテ、少々商売ッ気出し過ぎましたなぁ、ホナぁ、金二十匁出します。之で其の守刀、売りまへんか?」

六郎兵衛「駄目だ!足元見やがって、五十匁より安くは売らねぇ〜。俺も白波亭の六郎兵衛さんと呼ばれる商人だ!

もう、此の刀、今日は売る気は無ぇ〜帰って呉れ、そして金五十匁より安値では売らねぇ〜、畜生、欲しけりゃ金一貫だ。」

藤兵衛「待って下さい、六郎兵衛さんとやら。ワテが失礼でした。金三十匁までなら払います。どうかぁ、怒りを鎮めて短刀を売って下さい。無礼は詫びますさかい堪忍して下さい。」

六郎兵衛「駄目だ!気分が悪い。貴様みたいな、上方の守銭奴、業着く者に此の刀は売れねぇ〜、一昨日来やがれ!ベラ棒めぇ〜、お澤!塩撒け、塩を。」

さぁ、六郎兵衛は上方からの旅人、藤兵衛と例の守刀を売る交渉をしたが、値段の折り合いで喧嘩となり、金三十匁と謂う好条件を蹴って決裂して仕舞う。

隣の部屋で此のやり取りを聴いて居た家人は驚いた。金三十匁の申出を蹴って『塩を撒け!』と怒鳴り散らし、藤兵衛を追い返すのだから、さぁお澤も彌助もそしてお雪も説得します。

お澤「馬鹿だねぇ〜、お前さんって人は金三十匁をドブに捨てる人が有りますかぁ?!」

六郎兵衛「馬鹿はどっちだ!あの上方商人の料簡がいけ好かねぇ〜。人の足元を見やがって、業着くな料簡で値切りやがる。確かに、金二貫目は謂い過ぎたが畜生めぇ!!」

彌助「併し、オヤジ。金三十匁なら家宝だか先祖傳来だか知らないが、其の刀一つで白波亭の商売が生き返るなら安いもんだぜぇ。だって家に刀が在っても腹の足には成らねぇ〜し。」

お雪「そうだワ。金三十匁有ればねぇ、お母さん。」

お澤「本当だよ、アンタ!刀を天井の梁に吊るして居ても、おまんまは食えないよ。」

彌助「オヤジ!早く、今なら間に合うぜ!あの上方の御仁を追い掛けて、宝刀を金三十匁で売って仕舞いなよ。」

さぁ、家人に背中を押されて、一時の怒りで刀を売るのを躊躇った自身に、後悔する様な気持ちに成った六郎兵衛は、慌てゝ表に飛び出して藤兵衛の跡を追い掛けます。

六郎兵衛「オーイ、上方のお客さん!一寸、一寸待って於くんなせぇ〜。アッシが悪かった、謂い過ぎた。刀を売るから引き返して呉れ!頼む。」

藤兵衛「???、どないしはりました?急に。」

六郎兵衛「兎に角、一度、店に戻って呉れ。俺が短気だった。済まない、刀を売るから噺を聴いて呉れ!お願いだ。」

藤兵衛「どう謂う事です。金五十匁だ!イヤ、一貫目と仰るから交渉決裂しましたなぁ?まだ、何かおますのか?」

六郎兵衛「失礼しました。売り言葉に買い言葉で、行き違いが御座いました、申し訳ない。改めて、金三十匁で此の守刀を買っては頂けませんか?」

藤兵衛「なら、改めて確認致します。金三十匁で本間に宜しいですか?」

六郎兵衛「ヘイ、異存有りません、金三十匁で宜しくお願い致します。」

藤兵衛「では、刀を改め下さい。間違いなく金三十匁でおます。」

六郎兵衛「ハイ、確かに金三十匁。さぁでは今直ぐ、刀をお渡し致します。」

そう謂うと、六郎兵衛は天井に吊るしてある守刀を、踏台に登り梁から下すと丁重に藤兵衛に手渡します。

藤兵衛「確かに此の守刀、頂戴致します。」

六郎兵衛「私は熊谷白波坂で一膳飯屋を営む白波亭の六郎兵衛と申します。貴方様は?何んと仰る御仁でしょうか?」

藤兵衛「ワテは京の三条寺町に有る諸家に出入りの呉服、小間物問屋、大野屋龍太郎方の手代で山田藤兵衛と申します。」

六郎兵衛「山田様、之を縁に信州のお帰りには、熊谷宿では当店にお寄り下さい。宜しくお頼み申しまする。」

藤兵衛「ヘイ、又寄らせて貰います。」


こうして、取引は二転三転は致しましたが、例の守刀は旅人相手に六郎兵衛が金三十匁で売り払い、其れを元手に商売を立て直しに掛かります。

一方、自分の大切な守刀を売り払われた彌助はと見てやれば、事の次第を見届けると白波亭の裏口からこっそり表に出て七、八丁先の大きな松の根方に有る岩に座り旅人を待受ます。

さぁ、先程来、彌助の父親、六郎兵衛さんと守刀の売買交渉をしていた、件の上方商人、藤兵衛が彌助の所に駆け寄ると、守刀を手渡して呉れます。

藤兵衛「彌助、アレで宜かったのかい?!」

彌助「あぁ、御の字だ。俺が描いた絵図通り、やっぱり、権左衛門さんは上方訛りが上手いワ。」

藤兵衛「だいたい、白波亭のあの不味い酒と肴を美味い!美味い!って呑み食いした時点で、芝居(かたり)に気付かないと駄目だよ。」

彌助「併し、お陰で金三十匁で大切な守刀が取り戻せた。正攻法でオヤジ殿から守刀を取り上げ様としたら、金五十匁、下手すりゃ金一貫目は取られていた。有難う!権左衛門さん。」

藤兵衛「いいって事よ。俺も手間を金五匁貰ってあるから、又、儲け噺が有ったら乗せて呉れ。ところで、其の短刀は氷を割った様にギラギラしてやがるぜぇ。」

彌助「権左さん、斬れ味は良かろうかねぇ〜。」

藤兵衛「そりゃぁ〜良いに違いねぇ〜。」

彌助「そうかい、なら、試してみようかねぇ〜。」

そう謂うと彌助は守刀の鞘を払うと、いきなり、藤兵衛と名乗り先程まで六郎兵衛を騙して呉れて居た権左衛門の首に斬り付けます。

まぁ〜見事な斬れ味。権左衛門の首は地びたに転がって天高く血飛沫は上がり、辺りに血潮独特な鉄混じりの臭いが漂って正に地獄絵図。

冷徹な彌助は面倒臭げに権左衛門の懐中から金を盗み返すと、其の死骸を松の木の裏手の崖から谷底に向け落としまして、何事も無かった様に是が信濃路の見納めと、

守刀の血拭いをして腰に差し、熊谷宿白波坂を跡に西へ西へと進み始めます。一人殺し突然我家を飛び出し逃げて居る訳で、若しかすると追っ手が掛かるかも?との料簡で居ます。

成るだけ本街道を避けて、避けて、白波坂を出て三日が過ぎ漸く山道を尾張路へと這入り、主に夜の闇に紛れて進み昼間は山蔭で眠る旅で御座います。

すると、遠くの方に焚火らしき灯りを見付けた彌助、是がまともな連中の焚火じゃないと感じながらも、恐い者を知りませんから平気で声を掛けに参ります。

彌助「えぇ、卒爾ながら火を御貸し願お〜う。」

猟師「宿屋仇か?!何処へ行く積もりだ?」

彌助「山道に迷って仕舞った。之より峠を越えて尾張に着いたなら旅籠にでも泊まり休みたいと思っている。」

猟師「馬鹿は止めなさい。この山は昼間は山賊、夜は狼が群れていて大層危険なんだ。私は猟師だから仲間と二、三人で、焚火して狼避けをしながら猪や鹿を獲っておる。

だから、お前さん!迂闊に火も焚かず山道をウロウロしていると、アッと謂う間に狼の餌にされちまうぞ!お前さん、山の暮らしを何んも知らん様子だなぁ?」

彌助「済みませんね。確かに、山の決まりなど何も知らぬ藤四郎でして。」

猟師「そりゃぁ遺憾。せめて、火を、松明(たいまつ)なんぞ持って歩かねば、山道で狼に喰われて仕舞うぞ、旅の人。」

そう謂うと猟師は、焚火ん中に半間ばかりの長さの松の枝を突っ込んで即席の松明を拵えて、親切にも彌助に渡して呉れた。

彌助「之は親切に有難う御座います。何かお礼を致しますよ。」

猟師「礼には及びません。山家者の猟師が金銭を恵み受けても、使う機会が有りません由え、お気持ちだけ頂戴致します。」

彌助「そうですかぁ〜、誠に有難う存じます。」

と、彌助、本当に親切な猟師だと思いますから、頂いた松明で猟師を照らして、顔を覚えて於こう又会う機会が有るかも知れないと思いシゲシゲと見る。

そして見た猟師は、歳の頃は三十四、五で色は浅黒く体格が宜い。頭は月代が伸びて目はギロッと鋭く鼻が高い。口は常に真一文字で一癖も二癖も有る感じに見える。

言葉が丁寧で口調が柔らかいから闇に居る時は優しい猟師かと思ったが、飛んだ喰わせ者かも知れないぞ!この野郎。何せ足元に隠す様に弓矢を所持してやがる。

猟師だから弓矢を持っていても不思議じゃないが、腰には山刀を差しているし、こいつ、俺に松明を持たせたのは、あの弓矢で狙う的にする為じゃないのか?!

さぁ、本人が根っからの悪党ですから、こう謂う場合にも彌助は、勘が鋭く相手の悪巧みにも、十分用心して対処できる様に術が整って御座います。

少し山道を進んだ彌助は、道端に落ちている竹を素早く拾うと、松明に竹を継ぎ足す様にL字に縄で止めると、松明を身体から離して山道を歩き出します。


ヒュン!ヒュン、ヒュン!


三発、四発と羽響の矢を放つ音が響いたのを聴いて、松明に矢が命中した拍子に彌助は、態と矢を受けた體で、地びたに倒れてその場で死んだ振りをします。

更に、松明に当たっている矢を素早く取ると、其れを自分の身体に刺さっているかの様に艤装工作すると、静かに倒れたまま相手の到着を待つのです。

そして、先程の猟師が来たなら不意に斬り掛かり、首を取ってやると謂う位の気概で待ち伏せしていると、松明を持った猟師が用心しながら彌助に迫ります。

彌助の左足を自身の右足でツンツンと致して、動かないのを確認すると、片足を彌助の肩に掛けて抑え込み、山刀を抜き首筋を突いてトドメを刺そうと致します。

併し、彌助が突然起き上がり、油断している猟師の軸足を蹴り付けて払い倒して仕舞います。死んで居るか?重傷で動けないハズの彌助が突然動き反撃したので、

流石に騙し討ちに仕留めた積もりの猟師は面喰らいます。『お前!生きてやがったのか?!』と叫ぶと、山刀を振り被り、一太刀、二太刀と彌助に斬り掛かる猟師。

彌助は朧丸時代を含めても一切、剣術の指南を受けた事は無い。だが、生まれながら無双の怪力と俊敏さを兼ね備えている。だから、山賊如きに負けたりはしない。


素早く腰に差している件(くだん)の守刀を抜くと、力任せに振り下ろして来る猟師の山刀を守刀で受け止めると、すかさずお返しにとばかり渾身の一撃を浴びせる。

其れを猟師が間一髪、山刀の中央で受け止めたが、脆くも山刀は真っ二つに折れて仕舞う。『畜生!之でも喰らえ。』そう叫んで折れた刃を彌助目掛けて投げ付けたが、

彌助は素早く體を交わし猟師に飛び掛かると、是を捕まえて地面に強く投げ飛ばす。一回、二回、三回と容赦なく投げる彌助。遂に、猟師は口から血反吐を吐き動かなくなる。

さて、トドメを刺そう!守刀で喉を刺す仕草をする彌助だが、ここで情けを掛けた訳ではないが、気紛れから権左衛門の時とは違いトドメを刺そうとしない選択をする。

其の代わり容赦なく懐中の金目の物は全て盗みます。この野郎、猟師とか謂いながら小銭を懐中に持っている所を見ると、追剥ぎ山賊の類に違い有りません。

最後に山道の脇の遥か下を流れる谷川を見付けて、ぐったりした瀕死の猟師を其の谷川目掛けて投げ捨てゝ仕舞うのである。結局是で猟師は生きて居る保証は無い。


再び、松明を拾った彌助は真っ暗な山道を進み始めた。暫く行くと一刻もしない内に松明の火は燃え尽き辺りは漆黒の闇に包まれて仕舞う。

五里霧中、狼の恐怖を感じつゝ彌助は妙な確信を覚えながら山道を進む。すると微かな灯りが目に飛び込んで来る。十二、三丁先の様だ。

その朧な光だけを頼りに、彌助は急ぐ気持ちを抑えて先に進むと、割木柱に萱葺屋根。炭焼小屋か?イヤ、其れにしてはデカい家に辿り着く。

彌助「御免下さい!夜分遅くに済みません。山道に迷った旅の者です。」

男「ハイ、誰方ですか?こんな山奥へ。」

彌助「怪しい者ではありません。旅の途中、山道に迷って仕舞いました。」

男「貴方ねぇ、こんな夜中に狼の巣窟の様な深い山間を、独りで歩いて来るなんて!松明も持たずに命知らずにも程が有りますよ。」

彌助「済みません。山が不慣れな旅の者で狼が居るとは知らずに足を踏み入れて仕舞いました。」

男「貴方、何処から来て、何処へ行く積もりなの?」

彌助「イヤ、西も東も判らないのですが取り敢えず尾張へ行きたいのですが、どの峠を越えれば良いかも判らぬまま旅をしておる次第で。」

そう彌助が正直に答えると、小屋に居た男は彌助が露骨に邪魔だ!何しに来た!と、謂わんばかりに厭な様子に不機嫌な顔を致します。

男は歳の頃は二十五、六。是又色が黒くて痩せコケて、猟師にしては華奢に映ります。ただ、此の辺りの人は皆んな狼を矢鱈と警告します。

そして茲で、彌助は一つ注意点に気付き、是には用心しないと大変な事になると思いまして、一層気を引き締めて掛らねばと確信します。

彌助「済みません、旦那さん。今日はもうこんな夜中で御座います。狼が群れているなどゝ聴かされちゃ表に出られません。今夜は泊めて頂けませんか?」

男「仕様が無いなぁ〜。情けは人の為成らずだ!泊めてあげましょう。ただ、此の家は俺の独り暮らしじゃねぇ〜んだ。

兄貴と二人何で兄貴が帰って来るまで、囲炉裏の火は消せねぇから、お前さんは先に寝て構わないがそんだけ承知して呉れ。」

彌助「そいつは構いません。泊めて頂けるだけでアッシは天国、極楽です。昨日は山で野宿だったから天井が有るだけでも有り難いです。

其れに持ち付けない大金を今日は持って居るから、野宿でないのは本当に助かります。後でタップリお礼を致しますので宜しく頼みます。」

さぁ、さっき山賊から小銭をせしめた程度なのに、彌助、態と大金を持っている振りをして、この男を其の気にさせるので御座います。

男「其れは心配ですね、大金を持って此の山奥で野宿など言語道断ですよ。そうだ、お名前をまだ聴いていませんでしたね、何んと仰るんですか?」

彌助「彌助と申します。三歳までは王城の地に居たのですが、色々と有りまして、母と東へと下り直ぐに養子に出されて、武蔵國は熊谷の白波坂と謂う所で育ちました。」

男「私は次郎と謂います。そして、兄は太郎と謂う名で、山の仕事を兄弟で生業にしています。猟師をしたり木こりをしたり、もう此の地に来て二十年位に成ります。」

彌助「ご兄弟、仲が宜しくて何よりですね?私は義理の姉が居るだけなので羨ましいです。」

次郎「そうだ、お酒は呑みますか?地酒の濁酒ですが、少し呑みませんか?」

彌助「実家が酒屋ですから、濁酒は存じていますが、少しの酒は頭が痛く成るから呑みません。」

次郎「酒屋の倅なのに少しの酒で頭が痛くなるんですか?だらしないなぁ〜。」

彌助「ハイ、酒は何時も二升酒じゃないと、宜い気分に成らないから『少しの酒』は中途半端に酔って頭が痛く成るんです。」

次郎「判りました。沢山、呑みますか?彌助さん。」

彌助「ハイ、慶んで!」

次郎「庄屋かぁ?!」

さぁ、勿論、次郎が毒を盛るのでは?と、彌助は落語『鰍沢』の卵酒的な展開を十分注意します。

次郎「ささぁ、自家製の濁酒です。」

彌助「いきなりグビリとはやりません。次郎さん、お毒味を。」

次郎「用心深いですねぇ〜、彌助さん。」

次郎「いきなり、濁酒を呑んで痺れたり眠くなるのは不本意だから、一口、次郎さんが毒味した徳利から残りを頂戴致します。」

そう謂われると、次郎は厭とも謂えず、盃に一杯だけ呑むと、徳利の酒を彌助が湯呑に注いで一気呑みに致します。

彌助「さぁ、次郎さん、次のお毒味を。」

次郎「ハイハイ。」

次郎の無事を確認した跡、彌助が酒をガフ呑みする。是を繰り返して、アッと謂う間に、彌助は一升の濁酒を呑み切ります。

さぁ、是には次郎はまいっちんぐ!ただ酒と思ってガンガン呑む彌助、毒味に安心し遠慮なく呑む姿に怒りを覚えた次郎は、彌助に肴を薦め腹をクチくし眠気を誘う作戦に出ます。

次郎「彌助さん、山には山ならではの酒の肴が御座います。一寸、摘みませんか?マズは之です。」

彌助「おや?!之は?干し肉ですか?美味い、美味い、何んの肉ですか?」

次郎「ハイ、其れは獅子の肉です。」

彌助「猪ですかぁ〜、暖まりますね、酔いが速く廻る気がします。」

次郎「次は、之です。」

彌助「何んですか?之は、河豚の白子の様な濃厚な珍味!美味い、美味い。此の様な山家には珍しい、魚介の白子とは絶品。」

次郎「之は、魚介の白子では有りません。」

彌助「ホーッ、何んですか?!」

次郎「猿の脳味噌で御座います。」

彌助「猿の脳味噌!インディー・ジョーンズか?!」

さぁ、そんな事を謂いながら次第に、次郎のペースで酒肴を薦められて、流石の彌助も腹がクチくなると目の皮は弛みます。お眠の時間と成りにけりで御座います。

次郎「彌助さん!お疲れのご様子ですね、船を漕いでいますよ。慣れない山歩きで、お疲れですか?」

彌助「ハイ、流石に二升呑み、美味しい肴で腹が張ると些か眠くなりました。」

次郎「では、煎餅より薄い掛け布団しか有りませんが、之を引っ掛けて、囲炉裏端の暖かい所でゴロンと成って寝て下さいネ。」

彌助「へえ、お気遣い有難う御座います。」

そう謂うと彌助は、次郎に渡された薄い布団とは思えない掻巻の様な薄い布を着て横になると、アッと謂う間に鼾を掻いて白川夜船のご様子です。

さぁ、そこに次郎の兄、太郎が帰って来るので御座いますが、不覚にも寝込んだ様子の彌助の運命や如何に?!この続きは次回のお楽しみで御座います。


つづく