さて、二通の勘文が招いた『双子の日輪問答』の幕は閉じ、是を招いた三悪党、大納言藤原基方卿と蘆屋道萬清太、そして貫空庵酔巖は問答終了直後に召し捕られて、

司廳送りと成り引き続き厳しい吟味を受ける事に相成りました。実行犯の怪僧酔巖は斯くの如く全てを白状したからは別に是以上の吟味無く、以来悪人の見せしめに、

厳罰を喰らう事と成り、三条河原に竹矢来が組まれ其の中で、公開処刑の上斬首、その首は十日間晒し者と成り目玉はカラスに食われて悲惨な末路と相成ります。

一方、蘆屋道萬清太との問答には又も勝利した安倍播磨守晴明ですが、肉体的にはボロボロになっており、一条堀川の屋敷で暫くは静養する事と相成ります。

併し、酔巖の呪が無くなり唐土から日の本への環境変化へも日々順応し、医師と薬師の治療も効果が現れて、晴明は七日後には床を離れ十四日後には愛でたく全快致します。

こうして、大納言基方卿と元陰陽頭道萬清太の二人の吟味が、司廳の役人、検非違使の使命となるのですが、兎角官位の有る者で御座いますから迂闊に扱う訳には参らず、

結局、休職の道萬だけ牢に留置かれて、基方卿は帰されて謹慎が申し付けられます。屋敷に戻ったものゝ薄氷を履む思いの基方卿。既に問答の場で酔巖が全て白状したからは

其れにしても、輿勘平の奴は何をしている!あんな大見栄切って安倍晴明を暗殺します、刺客に成ります!と宣言して於きながら梨の礫だ。若しや道萬が謂う様に晴明側の草だったのか?

其の様な思いが心を駆け巡る基方卿、謹慎とは謂え居ても立ってもいられません。さて、此の大納言藤原基方と謂う人物について、此処でもう少し詳しくお噺致しましょう。

此の基方卿と謂う人の御内儀は、所謂歳の差婚と謂う奴で未だ三十路を越えたばかりで、極低い身分の娘で、容姿に優れ艶っぽい御方なれば、好色家の基方卿の目に止まり、

能く有る噺で、外妾の囲い者から先妻の死をきっかけに本妻に直ります。ですから年齢は倍半分の関係で御座います。そして此の夫婦には二人の男子が御座います。

長男を玉若、次男を勝若と申しまして、兄は十二、舎弟は八つに御座います。共に基方卿が四十を過ぎてから授かった御子で、御内儀は菊乃様と申しまする。


菊乃「旦那様!いらっしゃいますか?」

基方「おーッ、菊乃かぁ早よう!這入って参れ。」

菊乃「些か申し上げたい儀が御座います。」

基方「何んじゃぁ。」

菊乃「昨日の問答の後、司廳へ連れて行かれ、本日お戻りとなり安堵致したのも束の間、今度は謹慎と伺いました。

斯くの如く引き籠られて、旦那様の思し召しや如何に?其のお覚悟を承りとう存じます。」

基方「之れは異な事を申す。麿は道萬を常より贔屓にしておる由え、道萬があの様な問答の負け方をしたので、司廳へ連れて行かれ吟味となり道萬の処分が決まる迄の謹慎だが、案じる事は無い。」

菊乃「仰せでは御座いますが、暗に罪造りし者は天は之れを許じ必ず罰す也。明らかに罪を成す者を人は必ず罰すと承ります。

恐れながら、旦那様は六十の坂を越えておられる身の上なれば、最早、野心は捨てゝ覚悟遊ばれてはと存じます。今の内に罪を悔いて懺悔遊ばし独り自害なされるなら、

お家は残ろうかと存じまする。愈々詮議極まって罪の露見となれば、隠岐國や讃岐國辺りに流されて、お家は潰されて子供達も散り々りに相成りましては、ご先祖様に不孝と存じます。」

さぁ此の奥方様、お若いのに基方卿よりも思慮深く中々偉い。此の時代、貴族階級は何をやらかしても死刑にはまずならない代わり、流刑と謂っても離島に流される事などまずない。

だから、武士や僧侶、一般人は三条河原で斬首されるが、悪い釘(公卿)は金槌で叩いて直されるだけだ!何んて小噺が残っている位に、公卿は優遇されていたのである。

基方「黙れ!控えおろー。自らの主人を悪人と呼び独り自害せよと薦める内儀など、聴いた事がないぞ、菊乃。左様な料簡なれば麿が手討ちにして呉れん!

其の曲がった不忠不孝の料簡を改めず、左様な悪口を今後も謂い続けるならば、菊乃!貴様許しは致さぬ。其処へ直れ!麿が直々に成敗して呉れん!」

菊乃「お手討ちにして下さいますならば、喜んで従い申します。妾は貴方に手討ちにされるなら望む所に御座います。玉若!勝若!お前たちも父上の手に掛かり落命致せ、

其方等ばかりではない、母も手討ちにされて冥土へと一緒に罷り越す所存なれば、お父上もいずれは時満ちれば御出に成るに相違ない。サぁ我ら三人をお手討ち下さい。」

と、母が申すのを傍で聴いた幼い玉若勝若の兄弟は流石、此の母親に育てられた子供だけあって、腹が据わっており泣く様な事はなく、父に物謂います。

玉若「お父様、母様が仰る通り手討ちに下さいまし。」

さて兄玉若は母親の申し分は重々理解を致し、涙を堪えて申しますが、舎弟の勝若の方は理解しておらぬ様子で、無邪気が由え涙を誘います。

勝若「お父様、勝若も手討ちが宜いです。手討ちになると母様がお人形を買って下さると仰るので、勝若も手討ちが宜しゅう御座います。そして手討ちの後でお人形で遊びまする。」

基方「あぁ、頑是なき幼児や!母と兄が良いと謂わば死ぬとも知らず手討ちになりたいと申す。死後に人形で遊ぶとは無邪気にも程がある。」

そんな会話を基方卿と妻の菊乃、そして二人の息子が死の宣告をして来た事に、基方卿は激怒を越えて虚無感を知り、家族が共鳴しないなら自分独りだけでも悪足掻きをと誓うのである。

其処へ皐月と謂う名の腰元が参ります。腰元として藤原基方の屋敷に仕えて、主に奥方菊乃の世話を担当し二人の息子の世話も率先して行う乳母代わりでも御座います。

皐月「ご内儀様、ご主人様が物凄い形相で、奥の書斎へ向かわれましたが何か?御座いましたか?!」

菊乃「聴いて呉りゃれ、皐月。基方卿はカクカクしかじか、云々かんぬん。そんな訳で今日明日にも、蘆屋道萬清太共々、司廳の検非違使に捕らえられて縄目を受けまする。

後に隠岐國や讃岐國辺りに流刑にされ、お家は潰されて私と子供達は散り々りに寺院などに預かりとなり、官位は剥奪されて一生仏門に身を捧げる事に成りましょう。」

皐月「其れで、ご内儀様は?お寺に這入り尼に成る御覚悟ですか?!」

菊乃「笑止千万!寺へなど参る積もりは有りません。」

皐月「では、ご内儀様は如何なさるお積もりですか?」

菊乃「お前にだけは本当の事を話して於ます。玉若と勝若を連れて冥土へ旅立つ所存です。」

皐月「本気ですか?ご内儀様!」

菊乃「本当は還暦を過ぎた基方卿に、独りで責任を取り自害をと懇願しましたが、此の後に及んで、道萬清太と言葉を交わし相談してからだと謂うので望みを失いました。」

皐月「大納言様はまだ、上を望まれるので御座いますか?!」

菊乃「基方卿が望まれたとて、大納言の地位すら危うい今、妾は詮方ない夢に見えまする。由えに寺に閉じ込められて、尼にされる位ならば死を選びます。」

皐月「貴女の御覚悟は、皐月、承知致しました。では、此の皐月が介錯を承りまする。幼い玉若様と勝若様には、絶命に及ぶ刀傷を自らに負わす事は難しゅう存じます。」

菊乃「おぉ、皐月!宜う申した。では其方に介錯人の役目を申し付ける。」

皐月「慶んで承りまする。」

と菊乃が玉若と勝若を連れて自害する覚悟を、腰元皐月に伝えた丁度其の頃、基方卿のお屋敷は五、六十人の司廳の検非違使に囲まれて再び謹慎中の基方卿は連行されようとしていた。

さて、ザワザワと検非違使が屋敷内に踏み入る気配を感じた菊乃と皐月は、お屋敷の中央の十二畳の広間に白衣を敷いてその上で、自害に及ぶので御座います。

武家の娘である皐月は襷十字に綾なして、白い長鉢巻をだらりと締めると、手には薙刀を持ち構えて御座います。最初子供二人、玉若が短刀を手に喉を突きますが、

頸動脈をズレて苦しそうに致しますから、皐月、直様薙刀を振り下ろして首筋を斬り血煙る中玉若は絶命致します。さぁ、此れを見た勝若はビビリます。

ワンワン火の点いた様に泣き叫び、狂った様子で御座いますから、母の菊乃が腹を匕首で刺しますと、すかさず皐月も薙刀で首を撥ねて仕舞い大人しく成ります。

最後に、匕首を握り締めた菊乃が自らの喉を突き、介錯の皐月が首を撥ねて絶命させます。そして、三人が絶命した事を見届けた皐月も、薙刀で自らの首を掻いて死ぬのでした。

さぁ、奥の書斎に居た基方卿、外が騒がしく司廳の役人が自分を捕まえに来たと悟りまして、其処を出て十二畳の居間へと来てみると、一面血の海で真っ白い衣が紅に染まり、三人と一人の死骸が御座いますから、流石の基方卿も絶望し其の場に佇みます。

其処へ司廳の検非違使達が大勢にて踏み込んで、彼等も事の次第に気が付きまして、力無く佇んでいる基方卿を捕まえて縄も打たずに司廳へと連行いたします。

嗚呼、大納言藤原基方卿、此処に一連の安倍播磨守晴明との長きに渡る対立に終止符を打ち、蘆屋道萬清太と伴に、司廳へと連れて行かれ評定の末、流刑となるので御座います。


さて、此の講釈の一方の主役、善玉側の安倍晴明側に登場した源満仲。此の長男で晴明邸の大元宮より邪正明断の箱を盗もうとした怪僧酔巖を捕まえた源頼光のお噺をお届け致します。

此の当時、洛内を騒がせていた盗賊に『藤原保輔/通称・袴垂保輔』と謂う者が御座いました。この男は右京大夫・藤原致忠の実子で官位は正五位下・右京亮、日向権介ですから、

然程低い身分ではないにも関わらず、兎に角、乱暴狼藉を繰り返した末の元祖大泥棒で御座います。此の袴垂保輔と源頼光の因縁について少しお噺を致しますが、所詮、講釈ですから

『講釈師、見て来た様な嘘を吐き!』などゝ名吟が御座いますが、此の物語も多少盛ったり、嘘を混ぜたり年号が合わぬ所も御座いますが、宜しく御判読願いまする。

時は又してもかなり遡る事に成りまして、時は人皇六十一代朱雀天皇の御宇に当たり、下総國にて平将門が反乱を起こし、逆意を示して決起致します。

此の将門は滝口小次郎平将門と謂って、関八州に起こり、猿島郡石井郷に『偽宮』を造り、其の勢いは正に破竹!北上すると常陸國を攻め土浦城を攻め落とし、

平良方を討取ると治安は崩壊し、関八州は忽ちの内に戦場と化し領民は苦しみ、実に容易ならざる事態に陥ります。時に天慶三年二月朔日、大内にて御前詮議ありて、

将門追討の下知是有り。其の総大将に参議右衛門尉藤原忠文、是に従い補佐致す軍師に刑部大輔藤原正信、又参謀には右馬権頭藤原友忠など軍勢は総勢四万六千での行軍です。

さぁ愈々四万六千兵の一行は『打倒・将門!』を掲げて三条河原で出陣式も勇ましく、京の都を発足致し、已に二月十五日には駿河國富士の裾野まで参り、清見ヶ関に陣を敷きます。

茲に皇軍は滞在し予め要請を掛けた味方援軍が集まるのを暫くの間待つ身と相成ります。と申しますには、平将門軍は総勢八万とも十万とも謂われ、関八州の精鋭揃いの軍団であり、

特に将門率いる騎馬隊は、百騎無双と恐れられた部隊でもあり、四、五万の兵力で戦いを挑むのは些か無謀な賭けに成りますから、軍馬と兵卒を補充し十万越えの部隊編成を狙います。

さて、京都を立った折りの皮算用では半月の内に十二、三万の軍団を組織して下総國豊田に挙兵する平将門を一気に叩く算段なれど総大将藤原忠文に届いた注進書面を見てやると、

常陸大掾で父・平国香の時代から従兄弟である平将門とは敵対し、其の父を将門に殺された怨みから、常々、将門の命を狙っていた平貞盛が京を出た藤原忠文達よりも先に将門を討ち取り、

貞盛は将門の首を手柄に、既に上洛していると謂う通知で御座います。

忠文「正信、何んと致すべきか?平貞盛は僅か一万足らずの兵で、平将門を北山の決戦にて討ち負かしたと謂うぞ?余は信じられん。」

正信「御大将、将門の軍勢が八万とも十万とも、京の都へは伝えられて御座いましたが、恐らくは下総から京へと伝わる迄に尾鰭が付いた物と存じまする。

そして、大将首は平貞盛に取られて仕舞ったからは、吾妻に軍を進めても討ち取る首は無く

仕方御座いません、不本意なれど軍本隊は京へと引き返しましょう。

ただし、下総國には平将門に組みした残党がまだ、少なからず居りましょうから、友忠卿!お主は騎馬を中心に二千の兵を連れ、下総と常陸での将門軍の残党狩りを命じる。」

友忠「御意に御座います。」

忠文「友忠卿、下総國及び常陸國の領民は将門に大層苦しめられたと聴く、残党狩りも大事だが広く検分し、領民を慰めて来て呉れ!帝は必ずや民をお助けなさると伝えて呉れ!」

友忠「畏まりまして御座いまする。」

右馬権頭藤原友忠卿は下総國から常陸國を検分して廻り、参議右衛門尉藤原忠文公の指図通りに領民を労い労り且つ、残党狩りも同時に行う事で治安を回復し領民の絶大な支持を得ます。

さて、十分な治安回復も相成り、友忠卿は二千兵を京都へと返す運びとなり、一旦、武蔵國は豊島郡浅草まで軍を引いて、金龍山浅草寺近くの空き地に休ませる事に致します。

既に、浅草寺は此の平将門の乱より二百五十年前の飛鳥時代、推古天皇の治世には建立されていて、祀られた観音様を参詣する武人は少なくありませんが、

ただ、本格的に繁華な街に成ったのは江戸時代以降でして、此の友忠卿が七、八人の家臣を伴って参詣した時は、実に閑静な所、ド田舎で御座います。

『浅草寺縁起』を紐解き其の伝承に依りますと、金剛山浅草寺の創建の由来は以下のとおりである。 

飛鳥時代の推古天皇三十六年、宮戸川で漁をしていた檜前浜成と竹成兄弟の網にかかった仏像があった。之が浅草寺本尊の聖観音像である。

この像を拝した兄弟の主人・土師中知(土師真中知)は出家し、我が屋敷を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。

その後大化元年、勝海という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めた。観音像は高さ一寸八分の金色の像と伝わるが、

公開されることのない秘仏のためその実体は現在も明らかでない。

平安時代初期の天安元年(一説には天長五年とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったそうである。

これらを機に浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。天慶五年、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、

雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建と謂われているから、此の友忠卿が来寺した時には未だ造られてはいなかった事に成ります。


此の本尊、観世音の霊験新たかなることは、能く人々の知る所だから、友忠卿も之を参る為に愛馬を門傍に繋いで、従者を連れて参詣を成し戻り来て見ると、

彼の愛馬、東雲号の姿がなく、馬に附けていた舎人の姿までもが有りませんから、友忠卿は驚く事頻りです。

友忠「粗忽なき様にと、万一に備えて東雲に附けたのに其の舎人ごと消えて仕舞うとはしたり。何処へ行ったか?皆の者!探し出せ。」

「畏まりました!」と浅草寺へ参詣に一緒に参った従者七、八名が血眼になり四方八方探し廻るが馬も舎人も見付からない。そうしていると、舎人二人が息を切らせて戻って来ます。

舎人A「恐れながら申し上げます。一大事が発生仕りました、ご主人様!」

友忠「一大事となぁ?之は容易ならざる様子じゃなぁ〜、何が起こった?有体に申せ!?」

舎人A「其れがぁ、其のぉ〜、我等両名が馬に水を飲ませて休ませていると、突然、一人の荒くれ者が現れて、いきなり手綱を取り馬を奪おうと致しました。」

舎人B「馬泥棒!と叫び、二人で男を捕り押さえ様とは致しましたが、恐ろしく怪力無双な奴で、私達二人を殴り飛ばして馬を奪いました。」

舎人A「私達も必死に馬に乗って逃げる男を追掛けましたが。」

舎人B「所詮、人間の足では馬には敵わず、仕方なく報告に戻った次第です。」

舎人AB「申し訳有りません!ご主人様。」

友忠「早々に詮議を致せ!まだ、そう遠くへは行ってはおるまい。此方も馬で探せ!馬で。」

友忠卿の下知が飛び家臣の者、二十数名が馬で四方八方へと散り、友忠卿の愛馬・東雲号を探索に出ますが、暮れ六ツに成りましても一向に成果は上がらず一旦諦めて本陣に戻ります。

友忠卿は、『嗚呼、無念也!』と酷く落ち込み溜息を漏らしておりますと、馬のパカランパカランとの足音と、ヒヒ〜ンヒヒ〜ン!と嘶く(いななく)声が遠くから致します。

そして足音も嘶きも次第に大きくなり、是は間違いなく東雲号の嘶く声だと友忠卿が確信しますと、彼の家来の一人沼田正道が馬に女性と捕縄で高手小手に縛られた男を連れて参ります。

友忠「おぉ、正道!佳くぞ我が愛馬を取り戻して呉れた。後で褒美を取らせるぞ。して、何処で東雲を盗賊から奪い返した?!」

正道「実は拙者、今朝から品川へ出掛けておりまして、寺社を廻り京へ上る軍資金の相談を致しておりました。そしたら帰りに友忠卿の馬が盗まれたとの連絡を受け、

帰る途中偶然、友忠卿の愛馬、東雲号を盗んだ曲者を宮戸川の近くで見附けました。と、謂うのも女の悲鳴を聴いたからで、行って見ると女と揉めている曲者が馬を連れていて、

見るからに荒くれ者で是まで下総や常陸で、我々が戦った残党と同じ目をしていて、板東武士だと直ぐに分かり、馬を見ると友忠卿の鞍が乗っていて東雲号だと直ぐに分かりました。

だから気付かれ無い様に背後から近付いたのですが、結局は相手に気付かれて大太刀廻りとなり、物凄く怪力の持主で苦戦は致しましたが、何んとか捕り押さえ馬を取り戻しました。」

友忠「左様で有ったか正道。其れにしても相変わらず武芸に秀でゝ頼もしい奴だなぁ。して、捕らまえた曲者の吟味は如何いたす積もりじゃぁ?!」

正道「之より拙者が行う所存なれば、友忠卿も見聞なさいますか?!」

友忠「ヨシ、麿も詮議を見聞致そう。オーイ、誰か曲者を本陣の評定所へ連れて行け!明日朝、辰の下刻より曲者の詮議を致す。」

家来「ハイ、畏まりまして御座いまする。」


こうして友忠卿の愛馬、東雲号を盗んだ盗賊は、友忠の本陣内で評定に掛けられ吟味を受ける事と相成り、翌朝、彼を捕まえた沼田正道に依って吟味が進められた。

正道「さて、恐れ多くも浅草寺の門前にて、右馬権頭藤原友忠卿の愛馬、東雲号を盗みし儀に付いて之より吟味を致す。之なる男!曲者に問う、姓名と出身地、及び年齢を有体に申せ!」

曲者「喋る積もりはない。馬は盗んだ事は認める。とっとゝ殺せ!拙者は武士だ、潔く罪は認める、早く!早く殺せ。」

正道「まだ、吟味中だ。楽に殺したりはせぬ。痛い目に遭いたく無いなら、正直に喋れ!曲者。」

曲者「話す気は無い!早く殺せ。」

そう謂うと、曲者はタンを沼田正道の頬に向かって吐き掛けて、傍若無人な態度で毒付き罵り『早く殺せ!』と喚き散らすのだった。

正道「ヤイ、曲者。人が優しくしてやったら付け上がりやがって貴様の其の態度や目付きで大方の見当は付いている。貴様、平将門一味の残党だろう?

そして、名乗りたくないなら黙っていろ。仕方無い、暴力や拷問で白状させるのは、拙者の本意ではないが、判らぬ馬鹿には止むを得ぬ!身体に訊いてやる!覚悟致せ。」

そう謂うと、沼田正道は細身の木刀を持って、曲者を殴り始めたのだが削ぐ様に先ずは両耳を一発ずつ。次は喉を突き、更には鼻を曲がる位に叩き潰した。

正道「まだ、白状する気にならぬか?次は口で前歯を折るぞ。そして、手足の指先を攻撃する所存で、最後は目玉を突きで抉るぞ!覚悟致せ、曲者。」

曲者「判った!俺が悪かった。正直に話す。汝が謂う通り、拙者は将門公の組みした下総國は猿島郡石井の郷士で樫田太郎と申します。

将門公が北山の決戦で平貞盛に討たれたので、石井郷へと戻り、金持ちの領民を襲って金品を奪い、あの女も上玉だから連れて逃げたんだが

女は足が弱くて下総から上総、そして武蔵へと逃げて来た頃には『もう、歩けない。』とか謂い出す始末。其れであの馬を奪い逃げたって訳だ。」

正道「左様で有ったかぁ。さて、友忠卿、曲者は平将門一味の残党と判り、名前は樫田太郎と申し、下総國は猿島郡石井の住人だそうですが斯奴!如何いたしましょう?!」

友忠「もう宜い用は無い、首を撥ねて楽にしてやれ。」

正道「御意に御座います。」

さぁ、沼田正道は腰の大刀を抜くと、電光石火の早技で樫田太郎の首をチョン斬ります。血飛沫が上がり、鉄の臭いが辺りに立ち込めると、哀れ太郎、首が転がり冥土へと旅立ちます。

さて、もう一人。樫田太郎が連れて来た女はと見てやれば、高く豪華な衣装では御座いませんが、何処となく品格が有り大変美しい二十歳に成る位の娘で御座います。


友忠「さて、娘。其方はあの盗賊、樫田太郎から誘拐(かどわか)されて浅草に参ったと聴いたが、自ら身の上を申してみなさい。」

女「妾の父は下総國相馬郡磯橋の郷士で猫實氏朝(ねこざねうじとも)と申します。二千石の地行を持っておりましたが、平将門の挙兵に際し将門に組する様に要請を受けましたが、

父は此の将門の要請には従わず、蹴ってしまうと之に怒った将門が兵を率いて我が屋敷を襲撃し、父母兄弟、妾以外は皆殺しにされて、

金品は奪われ屋敷には放火されて妾は一人逃げ出しました。島廣山の麓に親戚が有り其処へ暫くは匿われて居たのですが、平将門が討たれたと聴いて安堵していた矢先、

今度は平将門の家来の樫田太郎が、妾が匿われていた親類の家を襲い、一家を皆殺しにして金品を奪い、妾は誘拐(かどわか)されて茲へ連れて来られました。」

友忠「天涯孤独に成ったと申すのだなぁ?娘。名は何んと申す?」

伊織「ハイ、名前は伊織と申します。今年二十一に御座いまする。」

友忠「判った。寄る辺ない身なれば、麿の屋敷で女中なり腰元なりとして奉公致せば宜い。依って我が軍に同道し京都へ付いて来なさい。決して悪い様には致さん。」

伊織「有難う存じ奉りまする。」

こうして、右馬権頭藤原友忠卿は下総國相馬郡磯橋の郷士の娘、伊織をヒョンな事から京の都へと連れ帰り、屋敷に住まわせて面倒を見る事に相成ります。


つづく