さて噺はもう一方の悪党共はと見てやれば、怪僧貫空庵酔巖で御座いますが、黒ずくめの衣装で簡単な支度を致しまして刻限は九ツ子刻、
一条堀川の安倍晴明屋敷の塀の外周りを探りますと、既に人気無く静まり返っておりますから、釣縄を取り出して二重塀に引っ掛けて、
是を力強く曳きますと充分な手応えを感じ、酔巖大いに慶びて慣れた手付きで、誠に速やかに攀じ登ります。塀の天辺から辺りを見渡せば、
屋敷の内側は正に真の暗闇にて、裏側に釣縄を掛け直して園内へと這入、忍び足且つ牛歩にて主屋から二十間ばかり気を付けて屋敷中央へ。
其処は植木も池も小屋も障害物は何も無く、駄々ッ廣い空間に、突如石造りの倉が現れます。『之だなぁ?大元宮。』と心で呟く酔巖。
現れた大きな石倉には厳重な『海老錠』が掛けられておりました。さて、此の海老錠と謂うのは、次の写真の様な形状の錠舞を刺します。
実際、海老錠と呼ばれる錠舞は唐土から奈良時代には渡来していた錠舞で、平安・鎌倉時代までは写真よりもっとシンプルな錠舞でした。
其れが鎌倉末期から室町時代に『南京錠』が渡来。錠舞は実用的な南京錠と、装飾性の高いお洒落な海老錠へと二極化するので有ります。
さて錠舞の蘊蓄は是位にして噺を強盗に這入った酔巖に戻します。さぁ酔巖は二重扉に海老錠の掛かった大きな石造りの倉の前に立ちます。
江戸時代の盗っ人ならば、錠舞外しの技師が海老錠を錠舞技術で、針金みたいな物を使い開けるのですが平安時代の陰陽師は一寸違います。
怪僧酔巖は念力を用いて海老錠を開けるのです。だから酔巖は昭和のユリゲラーの如く超能力で二つの海老錠を難なく開けて仕舞います。
大正時代の講釈師はユリゲラーの登場をお見通しかの様に、合い鍵を用いずに念力で錠舞を外すと謂う発想は実に天晴れであると感じます。
酔巖は最も簡単に石造りの倉庫、大元宮より邪正明断の箱を盗み出すと、暗闇の屋敷内を一度学習した道を迷いなく釣縄のブラ下がる塀へ、
一直線に音も立てずに辿り着くので御座います。そして左右を警戒すると、箱に附いている連尺の如き物を使い、酔巖は箱を背負います。
そして宜い塩梅に、屋敷内の庭を手燭の灯で巡回する警護人とも出会す事無く辿り着いたので、又あの釣縄で二重の塀の天辺に登ろうと、
釣縄の在処を夜目を利かせて探しますが、全く見当りません。『何故だ!?』と心で呟く酔巖、塀に寄り添い辺りを用心深く観察します。
すると其処へ現れたのが左馬頭源満仲公の御曹司で源頼光と謂う人物にて御歳三十二歳。父上叔父上の命の恩人安倍播磨守晴明の一大事、
明日執り行われる『日輪双子問答』を前に、大納言基方卿と元天文博士の蘆屋道萬清太が、又悪巧みして晴明屋敷内に刺客を放つやも?と、
そう思った頼光は自身の右腕と呼べる家臣二人を連れて、昼は北野天満宮に参詣致してから夜は一条堀川の晴明屋敷の外塀を警戒していた。
今しも先に立って来て居た二人の家来、卜部六郎季武(すえたけ)と大宅太郎光政である。殊に大宅太郎と謂う人は頼光家臣の中でも屈指、
武芸に掛けては右に出る者の無い豪傑に御座って、肥代で店子と揉める家主とは訳が違います。(正に大正ギャグ)
一方卜部六郎の方も頼光の家来で、此方は身軽く足が速く兎に角半端無い運動神経の持主。更に忠義心が強い。そして七日祈願の万願日が、
偶々問答前日と重なったこの日、天満宮参詣は安倍晴明の病回復全快祈願だったが、この日は加えて三人は問答での勝利祈願も行って居た。
そして其の帰りは格の如く警護の夜廻りをと三人は一条堀川の晴明屋敷の長い塀を見廻りしていると、塀の上へヌーッと上がった奴が在る。
頼光「見たか?六郎、太郎!」
六郎「ハイ、見ました。」
太郎「拙者も見ました。」
頼光「二人して、あの曲者を追って呉れ。恐らく、基方卿か?道萬清太の患者に相違ない。」
六郎・太郎「御意に御座います。」
さぁ源頼光の下知に大宅、卜部の二人は暗闇に見た曲者の跡を追って安倍晴明屋敷へと潜入致します。一方、頼光は塀近くの松の木の傍で、
家臣二人の帰りと、万一、あの曲者が家臣二人を振り切って逃げ出した場合に備えて、此の松の木に隠れ潜んで居るので御座いました。
さて、大宅と卜部の二人は酔巖の残した釣縄を使って、晴明屋敷の園内に下り立ち、速やかに此の釣縄は緩めて内塀から外して仕舞います。
其の上で曲者酔巖の行方を探していると、母家からは離れて反対方向の大元宮を目指し抜き足差し足忍び足で進み、箱を背負って帰るから、
二人はいたく驚き更に様子を伺っていると、酔巖は釣縄が無い事に気付き、直ぐに妖術を使い呪文を唱えて一瞬にして塀の天辺に登ります。
さて多くのお客様は『そんな妖術が使えるのなら、釣縄何んて最初から使うな!!』と突っ込みたくなるのは御最もでは御座いますが…併し、
講釈には師匠がら引き継ぎました一門代々の台本(テントリ)と申す物が御座いまして、講釈は台本命の商売なので御座る。さて続きを…。
慌てゝ卜部六郎と大宅太郎も、今緩めて外した釣縄を再び塀に掛け、塀に登り始めますが酔巖も必死ですから、全力で逃げようと致します。
曲者めぇ〜待てぇ〜!
と、叫びながら大宅と卜部の二人は邪正明断の箱を背負って逃げる曲者を追い掛ける。一方、此の捕物劇を指図した源頼光はと見てやれば、
松の木に隠れて是を見て、曲者の背の箱に見覚えが御座いますから、ハッと驚きまして先回りすべく一条戻橋方面へと飛んで行くのでした。
此の様にして、安倍播磨守晴明が秘蔵の邪正明断の箱と中に納められた秘術奥義を記した書物と巻物類は怪僧貫空庵酔巖により盗まれるが、
其れを警邏中の源頼光と其の家臣、卜部六郎季武と大宅太郎光政の三人が、是を追跡中では有りますが果たして三人は箱を取り戻せたのか?
そんな夜中の盗難など知る由も無い晴明と吉平親子。石造りの倉大元宮は外観上、酔巖が元に戻して二重扉には、海老錠も掛けられており、
まさか邪正明断の箱が盗まれているとは流石の晴明も全く気付きません。そして今朝の病状はと見ると、全く宜く成ったとは謂えず平行線。
安倍晴明は御所禁中への参内と、問答中の介護役として実子の吉平を付き添い許可を、関白殿下と此の問答の実質責任者の右大臣に求め、
此の儀は蘆屋道萬清太側からは実に激しく反対されたが、右大臣藤原忠明公の鶴の一声で『吉平の付き添い、天下許す!』と相成ります。
一方、問答前夜から問答当日の朝に掛けて、大納言藤原基方と蘆屋道萬清太の様子は?と見てやれば、先ず基方屋敷の深夜の様子は如何に?
道萬も酔巖も帰りました後、自身の書斎に在って基方は独り。明日の問答に付いて気遣い、道萬の奴はなぜ?大凶の日輪が双つ並ぶを見て,
吉兆と申し勘文まで殿下に捧げたのか?判らぬ、愈々明日は問答当日だが…勝てるのか?道萬!病中で弱っているとは謂え相手は唐土帰りの晴明だぞ。
三十五年前の轍を踏まぬと謂う根拠は?理詰めで又やられる心配は本当に無いと謂えるのか?敢えて非なる説を称えて謂い逃れ出来るのか?
殊、安倍晴明の事になると否定的に成る基方卿は明日の問答を憂いて、アレコレ考えて居りますと庭の方から何やらガサゴソガサゴソ!と、
怪しげな物音が聴こえて来ます。床間に置く太刀の鞘を払うと、其の抜身を片方に手燭を持ち庭へと降りて音の方を照らし心得目を付ける。
すると生垣を突き破り、屋敷内へ侵入した怪しい人影と遭遇したので基方卿、何者と驚きながらも人影に灯りを近付け確かめ様と致します。
基方「曲者めぇ!大胆な、何奴だ。」
曲者「お待ち下さい、基方卿。決して怪しい者では有りません。」
基方「こんな夜中に生垣に穴を空けて侵入して於きながら、怪しく無い道理が在るのかぁ?!ヤイ、曲者。」
輿勘平「私で御座います、ご主人様。伊予國は松山の住人で貴方様の家来、輿勘平に御座いまする。」
基方「何ぃ〜、輿勘平だとぉ〜!?なぜ、斯くも深夜に訪ねて参った。」
輿勘平「余りに人目に附いては宜しく無い事由え、塀を越え垣根を破り茲へと忍んで罷り越しました。乱暴の段は恐れ入りますが,
之は全て忠義を尽くすの心得なれば…どうか?!お許し願いまする。決して基方卿の不利益に成る様な噺では御座いません、ご安心下さい。」
基方「何ぃ?忠義を尽くすの心得と申すか?如何なる心得かは存ぜぬが、家臣たる者、忠義が第一と心得るは正に本分と予も存ずる所也。」
輿勘平「大納言迄に出世する為には、不忠を尽くした貴方様の口から、家臣の第一は忠義だ!などゝ謂う言葉が出るとは大層意外でした。」
基方「何を申すか、輿勘平。」
そう謂うと基方卿、四方をキョロキョロ見渡して、
基方「壁に耳ありと申す比喩も有る。誰が聴いているやも知れん。迂闊に有る事無い事申すでない。併し何故、左様な事を申す?」
輿勘平「いいえ、拙者とて伊達に六年も七年も患者、草を勤めて来た訳では御座いません。奉公を始めてから基方卿と謂う御方の遣り口は、
表も裏も知り尽くしている積もりです。貴方は決して大納言で満足する御方ではないし、野心家で在らせられますから、行く行くは更に上、
必ずや左大臣!イヤ、太政大臣迄昇り詰める御人です。拙者は尊敬致すからこそ長年御奉公した次第で、我が夢、我が希望に御座います。」
基方「オーッ、汝は予の事をそこまで思い、予の存意を理解して呉れるとは、嬉しい限りであるぞ。」
輿勘平「弁えて御座いまする。之まで斯様な事を口には致しませなんだが、基方卿の大望の成就を願い祈りながら御奉公して参りました。」
基方「其方、確か伊予國の住人だと申したなぁ。」
輿勘平「ハイ、伊予國は松山の住人にして、謂う甲斐の無い卑しい身分の出に御座います。幼き時に両親を失いましたから、木の股より生まれも同然で、
伊予から安芸へ出て備前、播磨、大坂、そして京都へと流れ流され参りまして、縁有って基方卿に拾われて、意外と可愛いがられ思わぬ出世致しました。
そんな基方卿に大恩がある某が、明日の問答の事を知りました。もう居ても立ってもおられずに、何か私に出来る事は無いか?と考えました。そして…、
私が大納言様の為に出来る事はと、自分自身に問うて見た結果。其れは安倍播磨守晴明の暗殺しかない!と、そう謂う結論に達し深夜に罷り越しました。」
基方「オォーッ輿勘平!本当であるか?予は嬉しいぞ。道萬が必ず問答に勝つならば憂いは無いが、相手は安倍晴明だからな、石橋を叩いて叩いて、又叩いて渡らねばならん。」
輿勘平「御意に御座います。其処で拙者が基方卿の刺客となり、問答前の御所禁中へ参内する途上の安倍晴明を、密かに抹殺致しまする。」
基方「左様な事が誠に出来るのか?!」
輿勘平「其れは確実に間違いなく出来るとは申しません。由えに拙者とは主従の縁を御切り頂き無縁と致した上で、某刺客と相成りまする。
左すれば万一しくじりましても、基方卿と某が主従の縁無りせば、基方卿に害の及ぶ憂い無く。ご安心頂けると存じ奉りまする。」
基方「成る程、相判った。輿勘平!本に忠義の臣よ。予は嬉しく思うぞ。」
輿勘平「此の命は勿論、基方卿に捧げ奉りますが、輿勘平、一つだけお願いが御座います。」
基方「何んじゃぁ?苦しゅうない、有体に申せ!」
輿勘平「では、僭越ながらお願いの儀はただ一つ、若し播磨守晴明を討ち取りましたならば、此の輿勘平に苗字帯刀の官位を頂戴致したい。」
基方「宜しい!相判った。中納言を約束致す。その証に此の短刀を其方に遣わす。之は当家紋所『立ち葵紋』の鞘に収る安綱作の逸品也。
輿勘平、若し安倍播磨守晴明を見事討ち取りし後、此の大原安綱の逸品を持参致し、我が屋敷に名乗り出でよ、然らば汝を中納言と致す。」
輿勘平「有り難き幸せ、見事、晴明を討ち取ってお目に掛けます。」
基方「頼んだぞ輿勘平、期待しておるぞ。」
さぁ、そう謂うと大納言基方卿は輿勘平に、立ち葵の鞘に納められた安綱作の短刀を手渡すと、輿勘平は元来た生垣の穴から闇へと消え去ります。
さて、輿勘平を刺客として安倍晴明の元へ放った事で、大納言基方は少し心配の胤が無くなり、寝所へと這入り深い眠りに着く事が出来た。
そして目覚めた問答の当日。大納言基方の屋敷に蘆屋道萬清太がやって来た。愈々、未刻に安倍播磨守晴明との問答が始まるからだ。
道萬「酔巖は邪正明断の箱を持参し、我が屋敷には未だ現れません。基方卿の屋敷に持ち込みましたか?」
基方「酔巖は来ないが併し、代わりと謂っては何だが…思わぬ鼠が迷い込んだ。」
道萬「思わぬ鼠?!」
基方「予が六、七年前から飼っておる患者に輿勘平と申す男が有る。道萬、貴様も知りおるだろう、輿勘平を?!」
道萬「其の輿勘平が何か?!」
基方「播磨守を暗殺すると、昨夜お主が帰った後、自ら刺客に名乗り出た。」
道萬「輿勘平が刺客を引き受けたと仰いますか!?其れで、見返りは?!」
基方「大内禁中に這入る身分が欲しいと申しよった。安倍晴明抹殺を条件に、証として『立ち葵紋』の鞘入りの短刀を一振り呉れてやったワ。」
道萬「なんと!軽弾みな。基方卿、輿勘平などゝ謂う輩は三条の大橋に住み付いた乞食なれば非人同然の輩に御座います。
其れかて誠の乞食かは怪しく、陰陽頭晴明か?左馬頭源満仲かの患者、草かも知れません。素性も宜く判らぬ輩なれば、何か企みがあるやも知れません。」
基方「そうは申しても、縁切りして有る。喩え我が家紋入りの短刀を悪用したとしても、奴が盗んだ事に致せば問題無い。」
道萬「基方卿、そうは仰いますが貴方様と拙者は一連托生。何か策を巡らす際は必ず、此の道萬に一言ご相談願いまする。」
基方「判った!判った!其れより、そろそろ参内致して、問答の準備に係る刻現ではないか!?」
道萬「確かに、ではそろそろ御所の大内へと参内致しましょう。其れにしても酔巖の奴が少し気掛かりで御座います。」
基方「予も気掛かり由え、今仕方、東山の如意ヶ嶽に在る貫空庵へ使者を遣わして置いた。追って禁中へは知らせが参る。
道萬、安心せぇ〜。兎に角、貴様は問答に集中致せ。十中八、九、酔巖が邪正明断の箱は盗み出しておるハズじゃぁ。」
道萬「ハイ、では参内致しまする。」
こうして、安倍播磨守晴明と蘆屋道萬清太の両名は、関白実頼公を始め百位の重き身分の皆様が集まる御所大内の鳳凰殿に到着致します。
併し、問答が始まる前に『邪正明断の箱』を確保したとの知らせはなく、貫空庵に酔巖は居らぬ様子との知らせを聴く基方卿でした。
実頼「其れでは之より、双つの日輪に関する問答を始める事に致す。現・陰陽頭天文博士である安倍播磨守晴明!」
晴明「ハッ。此方に推参仕りまする。」
実頼「そして、今一人。前・陰陽頭天文博士の蘆屋道萬清太!」
道萬「オぅ!拙者も此方へ見参奉りまする。」
実頼「では、二人の天体博士による『双子日輪問答』の開催を、関白実頼、麿は此処に宣言致す。良いか?両名よーく承れ!
先日、麿の元に二つの勘文が届いた。一つは播磨守晴明より届き、同日やや遅れて次に道萬清太より届いたのでおじゃる。
そして両者の勘文は共に双つに連なる日輪に対する意見でおじゃったが併し、意見の結論が真逆なるが為、本日の問答と相成った。
因みに前者晴明は『凶変の前触れ』と忌み虞、後者道萬は『吉兆、双子の日輪即ち吉瑞也』と日の本並びに帝の繁栄を称える勘文である。
天文の玄人であり日の本の政を司取る立場の両人の意見が、真っ向から対立する由々しき事態なれば、麿も関白として是非を決めねば成らん、
先ずは『吉兆』と申す道萬より今回の勘文の真意根拠を示し、次に『凶変』と主張する晴明が之に対する異論、反論を展開する物と致す。」
道萬「では、前職では御座いますが僭越ながら、天文博士道萬清太、勘文の真意をご説明致しまする。抑々、日輪をして凶成りと謂うは、
易学、天文学、陰陽道の根幹に無く、明るい未来の象徴成り、其の日輪が双つも連なれば、吉兆、吉端と呼ぶに相応しいと存じます。」
晴明「播磨守晴明、勘文の真意を述べまする。日輪は確かに陽の象徴成れば吉左右に御座る。が併し、双子の如く連なるは大凶に変ず、
即ち、人間も同じく双子は吉左右に在らずして、凶変の始まりに御座います。決して双子は二人対では育てられず弟の方を養子に出す物也。
之れこそが陰陽道の真理なれば、双つ連なる日輪の理由(ワケ)を突き止める必要が御座り、其れは自然の為せる業に在らずと心得ます。」
道萬「之は否事を…唐土へ出向き修行なされた播磨守殿の言葉とは思えません。日輪は人に在らず。人間の摂理がなぜ、日輪に通じまするか?お答え願いたい!」
晴明「笑止!森羅万象、生きとし生けるもの摂理は変わらぬ物也。斯くの如き稚拙な真理を道萬清太殿とも有ろうお方が故意に曲げるは、
きっと何んらかの意図がお有りに相違ない。抑々、勘文が二通に成りしを誤算と思えてなりません。拙者が勘文を出すとは思わずして、
其元は『双子の日輪は吉兆、吉端』の勘文を、わざと関白殿下に捧げ奉った節が御座いまする。何故ならば其れは貴殿には都合の良い。」
道萬「何を突然、謂い出すんですか?播磨守殿。確かに病中重く寝た切りと伺っていた貴方も勘文を捧げたと聴いた時は驚きましたが、
てっきり同意見かと思いきや、凶変などゝ宣われる。其れには其れ相応の理由(ワケ)がお有りのハズだ!さぁ播磨守殿説明願いまする。」
晴明「若し芝居なら、知らぁ〜ざぁ、謂って聴かせてやしょう。濱の真砂と五右衛門のぉ〜!」
道萬「時代錯誤も甚だしい。能すら始まらない今で御座います。」
晴明「失礼、其方は吉端が見えるなどゝ仰る様だが、地震雷など天変地異は起こり、飢饉は続き畿内でも餓死者多く、三条や五条の大橋の下には乞食が溢れておる。
だから、怪しい僧侶が京の街を邪教を廣めて市民を扇動する由え、司廳の役人や検非違使と絶えず衝突が起こるのだ、此の何処が吉左右たるや!?」
道萬「イヤ、逆に日輪の双つ並びたるを機会に世相は良き方向に変わると予言したまでだ。だから拙者、其れを関白殿下へ勘文にて捧げ奉り申した迄だ。」
晴明「否!此の双子の日輪には、邪教、邪宗の邪悪な僧が悪霊、悪魔を祈り、此の晴明に対し呪を掛けたからに相違なし!!」
道萬「其処まで播磨守殿が謂い切るならば、確かな証拠!具体的な反証を示して頂きたい。」
晴明「宜かろう!吉平、邪正明断の箱と、箱の中に保管致す教典と奥義の秘文を此の場へ持ち込むのだ!直ちに屋敷へ取りに戻って呉れ。」
吉平「ハイ、承知仕りました。」
そう謂うと、吉平は播磨守の家臣二人を連れて屋敷へと戻り、御庭の粗中央に位置する石造りの倉庫『大元宮』へと這入ったが……………、
既に、お目当ての邪正明断の箱と、中に納められていた秘術の奥義が認められた巻物や書庫は酔巖の手に依って盗み出された後なので空なので有る。
さぁ、全く賊の侵入など青天の霹靂!の吉平は、茫然自失、空前絶後の『エッ!』と謂って暫し立ち尽くした後、問答中の禁中とへ戻り、
既に、何者かゞ大元宮へ押し入り邪正明断の箱と秘術の奥義は盗まれた事を報告すると、さぁ播磨守晴明の驚きと落胆は物凄く……………。
晴明「己れ!道萬、計ったなぁ?!」
道萬「何の事ですか?!」
晴明「卑怯者めがぁ〜、某の屋敷から邪正明断の箱を盗んだなぁ!」
道萬「失礼な!盗むなど致さぬ。証拠、証人無しに某を誹謗中傷するとは、言語道断!問答の負けに御座るぞ、播磨守殿!!」
晴明「己れ、蘆屋道萬清太、貴様の様な邪悪に我が正義は負けぬぞ!」
道萬「負けぬと申すからは、証拠、証人を御出しなされませ!」
晴明「ウーン。」
道萬「唸ってみても始まらぬぞ!晴明。」
さぁ、頼みの切札、邪正明断の箱を盗まれた安倍晴明。額に幣束を押し当てゝ何やら祈りますと、即座に顔が恵比寿の如く笑顔に変わります。
お待ち下され!!各々方。
そう叫ぶ声の後から鳳凰殿に、四人(よったり)男が打ち這入りまして、一人は縄目を受けている怪僧酔巖、もう一人は朱色の邪正明断の箱を持つ源頼光、
そして残る二人は頼光の家臣にして、卜部六郎季武と大宅太郎光政の両名です。さぁ、卜部と大宅の二人は素早く、蘆屋道萬清太と大納言基方卿の背後に立ち二人を牽制します。
実頼「何者じゃ!禁中に於いて縄付で踏み込むとは、法度破りなるぞ!」
頼光「拙者は左馬頭源満仲の倅で、頼光と申しまする。昨夜、安倍播磨守晴明様の屋敷の外塀を家臣二名を連れて警邏致して居りますと、
此の縄目を受けて御座います怪しき僧侶、之成るは東山の如意ヶ嶽に『貫空庵』謂う庵を構え其処に住み居る酔巖なる怪僧に御座いまする。
此の酔巖が、今正に問題の之なる邪正明断の箱を盗み出した盗賊に御座いますれば、是非、
此の場にて、関白実頼公の目の前で邪正明断の箱を盗み出した本意と、此の酔巖を裏で操る悪党共を明らかに致す所存で御座いまする。」
実頼「実頼、相判った。殿下許す、酔巖とやら全て有体に申せ!!」
さぁ此の遣り取りを見て、大納言藤原基方と蘆屋道萬清太は血の気が引き真っ蒼な顔色で、逃げる事を考えますが、頼光が家来の二人が仁王立ちに身動きが取れません。
頼光「さて、貫空庵酔巖!心の内を素直に申し述べよ。」
酔巖「ハイ、兎に角、一先ずは縄目を御解き願います。悪戯に法度に叛き頼光様に害となるは、拙僧の本意に在らず。」
頼光「判った。縄目を解いて進ぜ様。之で良いか?」
酔巖「有難う存じ奉りまする。さて早速単刀直入に申し述べますが、邪正明断の箱を盗み出した理由(ワケ)はご推察の通りで御座います、
問答にて播磨守晴明様を勝たせない為。又悪霊、悪魔の呪にて播磨守殿を苦しめたのも私の仕業で、之が素で日輪が双つと成らせ申した。
態々箱の神通力を用いる迄もなく、全ては播磨守殿が仰る通りで『凶変』へと導いたのは、拙僧の呪のなせる業に御座います。」
頼光「では更に尋ねる。何故、汝は播磨守晴明殿を問答で勝たせぬ為だけでなく、以前より妖術を用いて、播磨守殿の命を狙った?!」
酔巖「とある御方より、依頼を受け、黄金を二百五十匁で播磨守晴明の殺害、呪殺す約束を致しました。」
さぁもう此の後に及んでは、悪党の両人、基方卿も道萬も逃げ出す訳にも参らず、只々、震えて下を俯きます。
頼光「其の依頼主は茲、禁中鳳凰殿に居るか?!」
酔巖「ハイ、居りまする。」
頼光「誰だ、名指し致せ。」
酔巖「ハイ、大納言基方卿に御座います。」
基方「何を申す!麿は、麿は貴様など知らぬぞ。」
酔巖「旦那、基方卿。往生際が悪るう御座いますぜ。私が東山如意ヶ嶽の貫空庵に隠し持つ黄金の刻印を見れば、直ぐに裏は取れます。
二百五十匁もの黄金ですから万一盗まれた金なら司廳に盗難届けが有る筈だ、併し基方卿は其の様な届け出はなされていない後暗い金の証拠だ。」
基方卿はグウの音も出ず、更に深く鶴の様な長い首で項垂れるのだった。そして、司廳から警護に着いて居る、蔵人頼村と中将仲平に捉えられた。
実頼「では、酔巖とやら関白より一つ伺いたい儀之有り。」
酔巖「何ん也とお伺い下され。酔巖、降参申したからは全て包み隠さず申し上げ奉りまする。」
実頼「では、日輪を双つに致したるが貴殿の仕業だと謂う証拠を具体的に示して貰いたい。汝、どの様な方法で呪を掛けたるや?!」
酔巖「ハイ、我が先祖は藤原為景の家に生まれ時平公に仕えておりました由え、関白殿下とは遠く縁続の家系であり、仇であり敵対する菅原道真公が、
未だこの世に有る時には、菅公を暗殺致さんと時平公の命を受け患者と成った事が有り、父は筑前國に御座いましたが…延喜三年二月二十五日の事、
筑前國配所たる天拝山に菅公籠り給いて、一心に祈る姿を見て、我が父は菅公に心を奪われました由え、後に時平公を裏切り菅公に仕えまする。
ご存知の通り菅原道真公は此の時の天地の神を祈り、其れが為、京の都に雷と地震が起こる事夥しく、更に延喜三年八月十五日には、
再び山に篭り給いて神々に祈ると、雷雨の大嵐が起こり、悉く菅公と敵対した時平公方の面々を天災が襲い天罰の如く罰を与えて廻りまする。
此の菅公の秘術奥義を我が父が伝承し、叡山の真教阿闍利の徒弟となり、修行の末に之を会得致し我が家の奥義と致して亡くなります。
軈て、私も此の秘術を学び奥義を極めんと致しましたが、道半ばに悪しき友と交わり堕落致し、叡山での修行を止め俗世に交わります。
即ち、此の菅原道真公よりの秘術奥義を阿した妖術を用いて祈る事で、京の都に天変地異を招き、遂には日輪を双つに致す凶変を招いたので御座います。」
実頼「成る程、相判った。では頼光!苦しゅうない、調べを続けなさい。」
頼光「さて、酔巖とやら、お主は何処の生まれで、どの様な経緯で京の都へやって来たのだ?!」
酔巖「相州鎌倉の武士、為景公子孫の家に生まれましたが、次男坊で十五の時に部屋詰めの暮らしに見切りを付けて、先に申す様に叡山へ修行に這入りました。
併し、之も十年とは続かず山を下り西へ旅をしながら祈祷や妖術を独学で学び、土塀や天井から忍び込む『家尻切り』の独り働きの盗賊と成り、
尾州を中心に三河、美濃辺りを広く荒らし廻りましたが、徐々に取締りの手が伸びているのを感じまして、七年ばかり前に京都へ参りました。
軈て東山の如意ヶ嶽に庵を構え『貫空庵』と名付け住み着く様に成ります。京でも、妖術と祈祷を用いては、暗殺、窃盗を生業に暮らして居ります。」
頼光「そんな筋金入りの悪党が、何故、素直に悪事を白状致し仲間を売るのだ。」
酔巖「之でも武士で御座る。負けを認めたからは、潔く罪を白状致しどんなに重い罰でも甘んじて受ける。花は櫻木、人は武士である。」
頼光「酔巖、最後に今一度尋ねる。之なる朱箱、邪正明断の箱を播磨守晴明殿の屋敷より盗め!と命じた者が之なる鳳凰殿に居るか?否や?」
酔巖「居ります!」
頼光「其れは誰だ、指差してみよ!酔巖。」
酔巖「其れはアレなる、蘆屋道萬清太に御座います。」
道萬「何を申す!関白殿下、之は播磨守晴明の自作自演に御座います。酔巖の黒幕は晴明です。晴明の陰謀に御座る!!」
酔巖「火傷に懲りず二度も手下が悪事を致しても反省の色無く三度目の悪事に手を染める道萬清太!恥を知れ、貴様と儂更に基方卿を加えた三人が一蓮托生なるは吟味すれば一目瞭然。」
道萬「黙れ!拙者は知らぬ。貴様など知らぬ。黙れ!黙れ!黙れ!」
酔巖「哀れなるや、蘆屋道萬清太。基方卿共々、重き罰が待っておる、地獄へ堕ちる前に、閻魔様に舌を抜かれるぞ!貴様。」
頼光「さぁ卜部、大宅、蘆屋道萬清太も基方卿と一緒に蔵人、中将に従い司廳の牢屋へ連れて参れ。酔巖共々更なる厳しく吟味を致す。早く連れて行け! 実頼公以上で御座います。」
実頼「安倍播磨守晴明、貴殿の勘文こそが是で有り、正義は晴明に有りと知れた。本日の問答は安倍晴明を是とし、蘆屋道萬清太を非と致す。之にて散会と致す。」
一同「御意に御座います。」
こうして、二通の勘文が招いた『双子日輪問答』の幕は閉じた。酔巖が捕らえられたお陰で、安倍晴明の病も七日の後には全快したが、
司廳の牢屋送りと相成った三人の悪党、大納言藤原基方卿、蘆屋道萬清太、そして貫空庵酔巖の詳細な吟味と事件の顛末は次回のお楽しみで御座います。
つづく