文政九年の春。尾張屋吉之助が本所龜井戸の天満宮で行った『業平文治武運長久祈願』にて、偶然、七日間の武運長久祈願の楽日に現れた、文治の実弟、中山勝三郎と出逢います。
此の勝三郎は高濱家から中山家へと婿養子に出され、作州勝山藩二万三千石の領主三浦志摩守の家来、中山重左衛門と謂う方の娘と結婚し、行く行くは中山家の家督を継ぐ事に成ります。
勝山藩の領主三浦志摩守のご先祖と申しますのは、其住古、治承四年八月に兵衛介源頼朝公が伊豆石橋山にて挙兵した際に、一番馬で馳せ参じた、和田小太郎義盛の祖父、相模國三浦郡、
衣笠城々主三浦大輔義澄と申す名高き武将で御座いまして、実に御歳百と六歳までの長寿で知られる豪傑で有りましたが、遂には頼朝公挙兵の折り其の衣笠城で名誉の戦死成されました。
其の三浦大輔と謂う横浜DeNAベイスターズの監督みたいな名前の武将を祖先に持ち、石高は二万三千石の小藩なれども、源氏の本流に近い名門中の名門で御座いまする。
然るに今般徳川家十一代将軍家斉公より、御老中へ向けての御沙汰是有りまして、全國諸大名は家宝を持って江戸表へ下り、其等宝物を千代田のお城へ一同に集める下知が下ります。
さぁ、全國の諸大名は我こそが、一番の宝物を早く将軍家に御上覧に供じようと競い合う訳で、勝山藩三浦志摩守も先祖代々に伝わる『重宝天國宝剣』を御献上する事を決めました。
又此の宝剣を江戸へ一日も早く届ける事で、家斉公のご機嫌麗しく三万石への御加増を下され給わろうと目論んで、家中での協議を重ねまして、愈々宝剣を将軍様へ御献上の段と相成り、
領主三浦志摩守様より、此の『重宝天國宝剣』を江戸表へと移送しての、将軍家斉公への御献上と謂う大役を仰せ遣ったのが、中山重左衛門と勝三郎の親子だったので御座います。
中山親子は是を謹んでお受けになり、御宝剣を預かると家へと持ち帰り、御宝剣を唐櫃(からびつ)ん中に納めて外には七五三(しめ)を張りまして、是を大切に床間へ置きます。
又御宝剣の脇には御神酒を上げて、御燈明も焚き他ならぬ有難がり様で大切に一晩この床間で保管致します。翌朝の明六ツに出立つする心算で、七ツ半には唐櫃を担ぐ人足が参ります。
茲で中山重左衛門、勝三郎の親子は、目出たく出立つ祝いの御神酒を呑み干し、イザ出立つ致さん!と、床間へ唐櫃を取りに向かってビックリ仰天致します。何と床間の壁が切り破らて居る!
慌てゝ唐櫃はと見てやれば、七五三を解いた痕跡が見られて、蓋を開けて見ると中に有るはずの『重宝天國宝剣』が盗まれて有りません。さぁ親子は驚いた何てもんじゃ御座いません。
重左衛門「之は間違いなく、昨晩、盗賊が侵入致し大切な宝剣を盗まれたに相違なし!此の上は御殿様への申し訳に切腹致すより他有るまい。」
義父、重左衛門はかなり錯乱致し、双肌を既に脱いで、矢継ぎ早に腹を斬る勢いなので、勝三郎が慌てゝ止めに掛かります。
勝三郎「まぁ、父上早まっては成りません。死ぬばかりが忠義で無し、死ぬるは後からでも叶いまする。御止まり下さい。今は先ず宝剣を誰が盗んだか?どうやったら取り戻せるのか?
此の方法を詮議致し、一刻も早く宝剣を取り戻す算段を致しましょう。其れには親子二人だけで思案するより、お隣屋敷の浅井新十郎殿にも相談致してお知恵を拝借致しましょう。」
そう婿養子の勝三郎から謂われて、死ぬのを思い止まり、停止していた思考を必死に動かし始めた重左衛門は、婿養子の勝三郎と二人して早朝より隣り屋敷を訪ねるのだった。
重左衛門「カクカクしかじか、云々かんぬんなのだ、浅井氏。」
浅井「其は其は御災難で御座いましたなぁ。壁を破り押入り、床間の唐櫃より宝剣を盗むからは、間違い無く中山殿の屋敷に『重宝天國宝剣』がある事を存じておる者の犯行ですなぁ。
又金目の物を目当てに忍込んだにせよ、将又中山殿に怨恨が有り盗んだにせよ、盗賊は勝山藩の領内では宝剣を売捌く事は出来ないので、間違い無く隣國・他國へ持ち込んだ上で行うでしょうから、
今は兎に角、賊の跡を追うて宝剣を見附出すのが何よりも先決です。跡の事は万事拙者にお任せ下さい。御殿様及び國家老様へは某からよーく謂い含めて於きまする。」
重左衛門「嗚呼、何から何まで種々のご配慮を給わり千万忝く存じ上げまする。惜しからぬ命なれど今は『重宝天國宝剣』を取り戻して帰國致す所存なれば浅井殿、何卒全体留守を宜しく頼み申します。」
こうして、中山親子は作州勝山の地を離れて、父中山重左衛門は西国四国九州を巡り、一方の婿養子、中山勝三郎は東国を巡りまして、三浦家の宝剣を探す旅を開始致します。
此の『重宝天國宝剣』探しの途中で、江戸表に立ち寄った中山勝三郎が、龜井戸天神の『業平文治武運長久祈願』で尾張屋吉之助と出逢ったと謂う訳で御座います。
其の上で、事の次第を龜井戸天神での祈祷の後に、中山勝三郎は全てを尾張屋吉之助に打ち明けたので御座います。
吉之助「左様で御座いましたかぁ、其は大変な災難に御座いますねぇ〜。其れで、貴方は何故?業平橋の親分、イヤ高濱文治郎さんが江戸表に居るとご存知なんですか?」
勝三郎「実は作州勝山を出た跡、最初に訪ねた先が備前岡山で御座いまして、流石に実家を直接には訪ね辛く、宝剣探して廻る内に兄文治郎が岡山を浪人と成った後は、
茲、江戸表に居るらしいとの噂を耳に致しまして、江戸表に着いてからは方々を尋ねて廻りまして、品川、神田と廻り両国で本所の文治親分が元は武士でと伺いまして…。」
吉之助「成る程。文治郎さん、業平文治親分は有名でしたから…カク謂う私も文治郎さんに命を助けられた一人でして、之も何かのご縁ですから、此の私が文治親分に代わりまして、
其の『重宝天國宝剣』とやらを詮議致すお手伝いをさせて頂きましょう。ところで、勝三郎さんは今、江戸の何方に滞在しておられますか?是非私、尾張屋吉之助の家をお頼り下さい。」
勝三郎「私は芝は露月町備前屋彦兵衛と申す旅籠に厄介に成っております。取り敢えず、一旦宿に戻りまして、尾張屋さんをお訪ね致しまする。本当に親切に有難う御座います。」
そう謂って中山勝三郎は龜井戸で尾張屋吉之助と別れたのに、三日が過ぎて四日目を迎えたのに、なぜか?本所相生町の『屑屋 尾張屋』へは現れ様とはしませんでした。
さて、噺は少し変わりまして、『重宝天國宝剣』を盗みし者について、此の辺りで語る事に致します。其れは同藩に仕える医師で倉田玄龍と申す人物で御座います。
此の玄龍、酒を呑まなければ、実に人品宜しく猫の如く大人しい奴ですが、佐のさ節に唄われます様に『♪お酒米の水、人は狂気水と謂う〜』では有りませんが、
玄龍は本当に酒癖の悪い奴にて、度々、其の事を中山重左衛門から屋敷に呼び出されては、口説々々と説教されますから、是を鬱陶しく怨みに思い遺恨を募らせて居りました。
まぁ全くの逆怨みでは御座いますが、同じ呑み仲間の足軽奴の仲間(ちゅうげん)大野林蔵と共謀して『重宝天國宝剣』を天切りならぬ壁切りを働き盗み出したので御座います。
併し、『重宝天國宝剣』は余りに珍しい鎌倉時代の名刀ですから、容易に刀屋や質屋に持ち込む訳にも参らず、売り先に困り果てゝ造りを変えて玄龍が自身の指料に致します。
そして…何喰わぬ顔をして、藩医として岡山藩で医師を続ける積もりでしたが、中山重左衛門と勝三郎親子が『重宝天國宝剣』を探す旅へと藩を出て仕舞うと玄龍のタガが外れます。
まぁ連日の様に酒を呑むと方々でしくじる玄龍で御座いますから、自ら世間を狭くして…備前岡山には居られない空気を自ら創る結果と相成ります。そして仲間の大野林蔵を連れて江戸へ。
此の倉田玄龍には、江戸表で古着屋を営む名崎屋惣右衛門と謂う遠い親戚の叔父を頼って、備前岡山を出て、泣け無しの十一両と二分、一朱と百二十文を持って江戸表を目指します。
さぁ、三・七、二十一日が過ぎて江戸表に着いたが、所持金は二両一分と三朱に二百文。玄龍の叔父の惣右衛門は因業なんてもんじゃぁない酷い赤螺屋の滲ッ垂れのケチ代表。
朝は暗い七ツ刻に叩き起こされて、玄龍は惣右衛門が仕入れて来た古着を一日中洗い針させられ日没後の五ツ迄コキ使われます。一方器用じゃない大野林蔵は力仕事。
朝は薪割り、昼に成ると家の掃除と洗濯。更に仕入れ先廻りをさせられて、風呂敷に七、八杯の古着の山を屋敷迄何度も往復となり、帰りは同じく夜五ツを過ぎる事に成ります。
さぁ是でも腹一杯飯が食えるとか、日に二分位の給金が貰えるならば、我慢の仕様は有りますが…二食の粗末な飯に給金など一切無しですから、是は二人共殺されると思います。
林蔵「こんな事は謂いたくはないが、お前さんの叔父さんの惣右衛門さん、吝とか因業とか謂う次元ではなく、ありゃぁ人間じゃない鬼とか悪魔だぜ、玄龍さん。」
玄龍「嗚呼、同感だ。俺とお前で何処か店(タナ)を借りて二人で暮らそう。このままだと身体を壊して死んで仕舞う。」
林蔵「二人で暮らすと謂ったって、何を生業に暮らすと謂うんだ!玄龍さん。」
玄龍「俺が医者をして二人で、暮らそう。」
林蔵「医者をやると言っても、藩に雇われている医者なんて、殆どが世襲で江戸屋敷に藩医の空きなんて!有るのか?」
玄龍「藩のお抱え医師に成る積もりなどない。町医者を開業するのさ!何処か店を借りて。」
林蔵「町医者?医者を始めると謂うが、落語『死神』じゃないんだから、簡単じゃないぞ!医者の道具や医学書、其れに薬の仕入れも必要だぜ?」
玄龍「其は叔父さんに借金して、月々月賦で返す事にする。どうせ、店を借りるにも保証人が要るから。」
林蔵「叔父さんに借金するって、幾ら借りる積もりだ!玄龍さん。」
玄龍「そうだなぁ、五十両はないと町医者は始められないだろうなぁ。」
林蔵「正気か?玄龍さん。あの叔父さんが五十両なんて!?貸して呉れると思うのか?!」
玄龍「駄目元だ!兎に角、借金を申し込んでみるさぁ!」
さぁ、倉田玄龍、古着屋の名崎屋惣右衛門に其の夜、何処か賑やかな通りに店を借りて、町医者を開業したいと談判致しますが…。
惣右衛門「何ぃ〜、店を借りて町医者に成るだぁとぉ〜、幾ら貸せと謂うんだ、玄龍。」
玄龍「ハイ、五十両ばかり貸して下さい。」
惣右衛門「何を田分けた事を謂い出すんだ!此の世間知らずが、田舎の!たった二万三千石の吹けば飛ぶ様な小藩の藩医をやっていた貴様が開業して、誰が診て呉れとやって来る?
来るのは銭を持たない貧乏人の長屋連中とか、近郷近在の百姓位が関の山だ。銭なんて取れずに大根や南瓜を代わりに貰う様に成り、五十両の元手など返せる訳が無い!此の馬鹿チンが!
やるなら盲目(めくら)のフリをして、按摩医者をやるのがお似合いだ。元手は笛と杖が有れば直ぐに出来るし、住むのも裏長屋で十分だし、基金に五両貸すから之で始めろ!」
そう謂い包められて五両の金子を持たされ大野林蔵と二人して、もう冷たい秋風が身に染みる江戸の街に、玄龍は放り出されて仕舞います。
こうして玄龍は芝か神田、日本橋辺りで開業する積もりが、夢破れて江戸市中の場末、千住に裏長屋を借りて三文笛を夜中ピーッと吹いて、偽盲目の按摩稼業を始めるので御座います。
今日も今日とて千住大橋の周囲を、旅籠の客や金持ちの屋敷から声が掛かれ!っと祈りながら笛を吹いて『按摩で御座い!』と流しておりますと大きな屋敷から女中が飛び出して来ます。
『按摩さん!』と、呼び止める女中の声に立ち止まって、玄龍は女中が出て来た大きな屋敷を見て〆子の兎!と思います。何故なら此の屋敷が千住一番の金萬家質屋の衣笠屋だからです。
玄龍「ハイ、按摩で御座います。」
女中「さぁ、按摩さん。家のご主人が良治を頼みたいと仰るもので、呼び止めました。こっちへ来て下さいなぁ、按摩さん。」
そう謂うと女中は、玄龍がてっきり盲目と思いますから、手を引いて足元に気を付けてと謂い乍ら広い間口から御店の中へと招き入れます。
さぁ、日頃から薄目を開けて見る訓練をしている倉田玄龍は、女中のリードで長い廊下を奥へと進み、必要は有りませんが"らしく"杖を使いながらの歩みで御座います。
すると、居間へと通されて、床間を背に致して長火鉢を挟んで、還暦を過ぎた禿頭を光らせた主人らしい衣笠屋藤右衛門と、其の隣には二十歳凸凹の粋な年増で美人が座って居ります。
此の娘の如く歳の離れた美人は、外妾(めかけ)として黒板塀に囲われいましたが、先の本妻さんが亡くなった為、つい最近外妾から本妻に直された新米内儀の御新造です。
女中「旦那様、按摩さんをお連れ致しました。」
藤右衛門「さぁさぁ、此方の部屋で早速、良治をお願いします。腰が悪くて悪くて…宜しくお願い致します。」
玄龍「ヘイ。では診させて頂きます。此の辺りは痛みますか?」
藤右衛門「いいえ、其処は痛く有りません。」
玄龍「では此方はどうですか?あぁ、痛いですか?茲も痛いですか?そうですかぁ、之は腰を打つとか捻りで起きた外傷ではなく、腑が弱っている様です。
一応、飲み薬を差し上げて置きますが、お酒は極力控えて、塩辛い物も余り口にしないで下さい。一通り揉み良治も致しますが、食べる物に気を付けて下さい。」
そう謂うと藤右衛門の前身を丁寧に、一刻程揉み良治する玄龍でしたが、藤右衛門も其の丁寧で親切にして、痒い所に手が届く玄龍の良治を大変気に入ります。
藤右衛門「按摩さん、貴方のお名前は?」
玄龍「ハイ、拙者は倉田玄龍と申します。」
藤右衛門「苗字帯刀が許される身分なんですか?江戸のお生まれ何んですか?」
玄龍「いいえ、苗字帯刀は確かで御座いますが、拙者は江戸生まれではなく、作州勝山の三浦志摩守様にお仕えする藩医をしていたのですが…酒の上でしくじりまして浪々の身となり、
作州から江戸へ出て参ったのですが、町医者を始めるにも元手が無く、今は盲目のフリを致しまして按摩の揉み良治を致して居ります。そして此のお屋敷の裏に在る長屋に住んで居ります。」
藤右衛門「其の様なご事情がお有りでしたかぁ〜。之で何故貴方の良治が上手い事に合点が行きました。では、玄龍殿、また明晩も良治に来て下さい。」
玄龍「ハイ、慶んで!何刻に呉れば宜しいでしょうか?」
藤右衛門「そうですねぇ、五ツ半頃にお願い致します。」
玄龍「ハイ承知しました。又明晩五ツ半にお邪魔致します。では、御新造さんも失礼致します。」
と、良治代に一分を貰い小躍りして長屋へ帰ると林蔵に是を噺まして、太いご贔屓が出来た事を慶ぶと、もう、三日と開けず倉田玄龍の衣笠屋詣でが始まります。
さぁ、是で地道に一分貰いながら、月に十日から十二日は衣笠屋へと通ったなら、二両二分から三両は固定給に成る訳で、楽に叔父さんに借金を返して生きて行けますが、
まぁ元より料簡が宜しくない倉田玄龍は、まず衣笠屋藤右衛門の目を盗み、御新造のお乃生(のぶ)に間男致しまして、此の毒婦を味方に致します。
そして、お乃生が藤右衛門の目を盗んで、衣笠屋の店のお金を、最初(ハナ)は三両五両の端金だったが、どんどん大胆に成りまして、今では十両、二十両と大金を抜き始めます。
是をお乃生は間男相手の倉田玄龍に貢ぐのですから、途端に玄龍と大野林蔵の暮らしぶりは派手で贅沢に成ります。すると、お乃生が玄龍に一つのお願いを持ち掛けるので御座います。
お乃生「玄龍先生、家の人を早く殺(や)って下さらない。一層毒を盛って殺って貰いたいワぁ、アタシ。」
玄龍「其は駄目ですよ御新造。もう、還暦を過ぎていますから、藤右衛門さん。時期にお迎えがやって参りますッて。無理に危ない橋を渡る事は有りませんッて。」
そう倉田玄龍に謂われたお乃生は表面上は衣笠屋藤右衛門に甲斐甲斐しく仕える妻を演じて、一歩裏へ廻ると玄龍と逢瀬を重ねて間男しております。
そして年が明けて文政十年。今で云う所のインフルエンザが前年極月辺りから猛威を振るい、是に藤右衛門が掛かり、高熱を発して激しく咳込み、二十日足らず床に着くと急死致します。
蕭やか(しめやか)に衣笠屋藤右衛門の葬儀は執り行われ、初七日、三十五日、四十九日と法事も済みまして、藤右衛門は旦那寺の墓へと眠り、この間はお乃生も潮らしくしていたが…。
夫衣笠屋藤右衛門が墓に這入って仕舞った後は、連日連夜、間男相手だった倉田玄龍を家に呼んでは酒宴三昧の日々が続くので、流石に大番頭の佐助は店の行く末が不安に成ります。
佐助「女将さん、今は貴方が此の衣笠屋の大将何んです。ただ、大将の貴方がまだ二十歳そこそこで独身で居ると、商売がやり難くて…だから養子を取って貰えませんか?
勿論、養子は女将の気に入る方を御選びに成って構いません。そうして頂かないと、跡継ぎも生まれず衣笠屋は当代で滅びます。そう成ると手代や小僧は暖簾分けに預かれません。
だから、何とぞ女将さん!養子を入れて、此の千住一番の衣笠屋を安心出来る身代にして下さい。何とぞ、養子を迎えると、誓って下さい、お願いします。」
お乃生「番頭さん!ヤサ佐助ドン。貞女は二夫に見えず!です。妾は一生独身、後家を通す所存なれば、婿養子ではなく、いずれ子供を養子に迎えて衣笠屋を継す所存です。」
『貞女は二夫に見えず』と謂う事だけは立派なお乃生ですが、貞女では無く毒婦でして全く行動が伴いませんから、佐助はとある所にお乃生に婿養子を取らせるべく相談に出向きます。
さて、其れは何処?と謂うと例の作州勝山藩、その領主三浦志摩守の江戸上屋敷へと参りましと、此の上屋敷で江戸詰めの留守居役を勤める重臣、三浦三左衛門と面会致します。
さて此の三浦三左衛門は志摩守の親戚筋で、何んと衣笠屋の女主人となったお乃生の実の父親で御座いまして、三左衛門が江戸表に赴任した際は内儀の政乃と生まれて未だ二歳のお勝を、
國元の勝山に残して単身赴任を致しており、其の単身赴任中に仲働きの女中、お松が御手付きに相成りまして生まれたのが、お乃生なので御座います。併し………。
此のお松を孕ませた噂が國元にも広まり御内儀の政乃様の耳に這入り、政乃様は娘お勝を連れて江戸表に参り、是は一寸した修羅場と成るのですが、結局女中のお松には手切金をやって、
産まれたばかりのお乃生は腹は卑しき腹なれど、胤は三浦三左衛門で御座いますから、江戸藩邸で三左衛門の部下、山岡作左衛門の幼女として育てられて、ふとした縁から衣笠屋の、
外妾(めかけ)として囲われの身と成るのですが、僅か二年の後には本妻が他界した事もあり、外妾のお乃生を本妻に衣笠屋藤右衛門が直すと謂うので衣笠屋の女将と相成ります。
そんな縁続きで、虎ノ門に在る勝山藩の江戸上屋敷へとやって来た衣笠屋の番頭佐助は、三浦三左衛門を捕まえて、お乃生の婿養子の件を切り出した。
佐助「三浦様、実は御新造、お乃生様の事でご相談が御座いまする。」
三左衛門「おぉ、佐助殿。この度は藤右衛門殿を亡くされて、衣笠屋も大変で御座ろう?お乃生の後見役、本当にご苦労様で御座る。其れで、其のお乃生の事で相談とは?如何に。」
佐助「ハイ、実は御新造、お乃生様に婿養子をお取り頂きたいと、再三ご相談申し上げておるのですが、『貞女は二夫に見えず』などゝ申されて拒まれるので御座います。」
三左衛門「其れは武士の娘ならば、当たり前ではないかぁ。忠義に厚いは我が娘らしくアッパレと思うぞ!儂は。」
佐助「武士の御内儀で有れば、左も有りなん!と謂えますが、お乃生様は衣笠屋と謂う商人の家の御新造で、まだ二十歳で御座います。
商人の店と謂う物は男主人有ってこそ、商いが成り立ちますし、其の働く旦那様を内助の功で支えるのがお乃生様のお役目に御座いまする。」
三左衛門「判った番頭さん。では明日、千住の店に午刻の頃参り、お乃生と昼食など食べながら婿養子の噺をしてみよう。」
佐助「有難う御座います、では明日午刻に店でお待ち申して居ります。」
そう謂う約束で、佐助は虎ノ門の勝山藩上屋敷を出ると、芝口からは船に乗り、千住大橋の橋場へと帰り着くのだった。
翌日、午刻より四半刻前に三浦三左衛門が、千住の衣笠屋に現れた。先ずは佛間に這入ると亡き主人、藤右衛門の位牌に線香を上げ拝むと、番頭佐助の案内で二階へと上がった。
やや遅れてお乃生も二階へやって来て料理が運ばれ酒が用意されて、暫くは和やかに昼食を三左衛門、お乃生、そして番頭の佐助で取っていた。そして頃合いを見て三左衛門が切りだす。
三左衛門「時にお乃生、お前が婿養子を貰わぬと申して佐助が儂の所へ泣き付いて来ての〜。此の衣笠屋の身代を守る為に、婿養子を貰って呉れぬか?佐すれば実子が跡継ぎに成るぞ!」
お乃生「其の噺なれば既に済んだ噺に御座います。『貞女は二夫に見えず』妾は一生涯独身、後家で通す所存です。衣笠屋の跡継ぎは息子を養子に迎えて継ぐ事に致します。」
三左衛門「考えは変わらぬか?お乃生。」
お乃生「ハイ、武士の娘に御座いますから、二言は御座いません。」
三左衛門「仕方ないぞ!之は。佐助!お前の方が諦めて呉れ。」
佐助「ハイ、仕方御座いません。」
こうして、婿養子を迎えさせたい番頭佐助の思惑は崩れて、お乃生は後家を通す事と相成ります。さぁ、本日急に決まった父と娘の話合い、当然、倉田玄龍は知りません。
だから何時もと同じ流れで裏木戸を開けて、一階の相引き部屋に潜んで居りますと、梯子段をトントンと降りて参る足音を聴いた玄龍、是はお乃生に違いないと部屋の障子戸を開けます。
併し、実は憚りを使う為に二階から降りて来た三浦三左衛門でして、是と玄龍が不意に鉢合わせ致すので御座います。当然玄龍の方は三左衛門が勝山藩の重役ですから知っておりますが、
一方の三浦三左衛門の方は國元の藩医の顔など、二十年も会って居ないのですから、覚えては居りません。なのに玄龍の方は焦りの色を見せてややオロオロ致しますから声を掛けます。
三左衛門「お主、見掛けぬ顔だなぁ〜、さて何者?!」
玄龍「私はタダの按摩に御座いまする。」
三左衛門「何だ、左様であるかぁ〜。」
玄龍「では、失礼致します。」
そう謂うと此の日は衣笠屋には長居は無用と感じました玄龍は、倒けつ転びつ(こけつまろびつ) 洋々に長屋へと帰り着くと、大野林蔵に此の事を相談致します。
玄龍「大変だ。今、衣笠屋へ行くと勝山藩の江戸留守居役、三浦三左衛門様に遭って仕舞うだぞ。」
林蔵「其れで?『重宝天國宝剣』について、何か訊かれたのか?」
玄龍「イヤ『重宝天國宝剣』の噺は出なかったが…白こい風に、按摩か?と惚けられた。あの人は殿様に近い人間由え、儂を知らぬハズは無い、態と惚けたに違いない。」
林蔵「何故、三左衛門様が惚けたりするのだ?!」
玄龍「其は油断させる為に違いない。」
林蔵「近く召し捕りに来るのか?」
玄龍「左様、油断ならぬ事態だ。之は先手を打って三浦三左衛門殿を殺(や)る算段をした方が宜しかろう。林蔵!手を貸せ、宜いなぁ。」
林蔵「ハイ、合点です。」
と、浅はかな二人は三浦三左衛門を殺す算段を始めますが、此の続きは次回のお楽しみと相成ります。乞うご期待!!
つづく