小野道風朝臣に麗景殿放火を止められて、敢えなく召し捕りと成り司廳へと連行された園田藤九郎頼長は名前を三葉五郎利貞と偽りまして、

本来は陰で糸を引くのは大納言藤原基方と陰陽頭天体博士の蘆屋道萬清太ですが、是も又源満仲満政兄弟であると偽り両兄弟を道連れに死を覚悟致します。

此の吟味を一方で担う担当は司廳に外勤している大納言基方公ですから、兼ねての算段通り藤九郎は源氏の兄弟を道連れに死ぬ料簡であると、

北叟笑み乍ら左馬頭満仲満政兄弟に『御所大内放火の疑い在り。』と上位を笠に着て、司廳の評定所への出頭を求めまして、是より厳しい吟味を加える所存であります。

当然満仲満政兄弟は身に覚えの無い罪状を書き連ねた書状を検非違使が、大納言基方名義で司廳へ出頭し吟味を白洲で受けよと命じますが、併し其れ成りの抵抗を見せる事に成ります。

検非違使(けびいし)は朝廷の律令制下の令外官の役職である。「非違(不法、違法)を検察する天皇の使者」の意味が御座います。

検非違使庁の官人。佐と尉の唐名は廷尉。京都の治安維持と民政を所管した。又此の時代後期には令制國にも司廳が置かれるように成りました。

さぁ渋々司廳の白洲へと引き出された左馬頭満仲満政兄弟は、流石に未だ罪人では御座いませんし、官位も武門の上位なれば縁側の上座位置に控え、

更に後方の御簾内には両左右大臣など上官は姿を現さず、陰より吟味評定の様子を傍観しておりまする。此の白洲に正面に着座致すは吟味首座の大納言基方公。


基方「如何に、武門を司る勇満仲満政兄弟に問い正す儀之有り。包み隠さず有体に申す様に。」

満仲「如何なる事に候らわん也。我ら兄弟、天地神明に誓い、此の呼び出しに在る様な陰謀は一切知り置かぬ。」

基方「ならば、証人を之へ引ッ立てぇ〜!!」

大納言基方公の号令で、吟味与力と数人の検非違使に引き連れられたのは、蓑虫の様に丸々と縄目に掛けられた、三葉五郎利貞と名乗る園田藤九郎頼長が白洲へ引き出された。

基方「さぁ、左馬頭満仲満政兄弟に対し尋ねる。此の者、三葉五郎利貞を存じておろう?」

満仲「いいえ、誰に御座いますか?我ら兄弟、見た事も無い輩に御座いまする。」

満政「兄の申す通り、一切知りません。」

基方「オイ、五郎利貞!満仲満政の兄弟は、貴様を知らぬと申しておる。之れや如何に?!貴様偽り者なるか?!」

そう大納言基方公が五郎利貞、こと藤九郎に強く物申すと、縄を打たれている藤九郎は面を上げて満仲満政の兄弟の方を睨み附けて喋ります。

藤九郎「嗚呼、情けなや。彼かる姿に成り検非違使より縄目を受けたるを見て、後難を畏れる余り知らぬ存ぜぬとは情け無い。拙者、御家人の三葉五郎利貞に御座いまする。

折角の御下知を給わり小生命を掛けて御所大内へと忍入り係る禁中に放火致したのに宿直の小野道風朝臣に怪力を以って取り押さえられ、係る姿に相成り申した。

エーイ情け無や!知らぬ存ぜぬと之でも仰るか?!漢にしてやると仰せ由え、命懸けの働きを致せしに事破れ仕損じて露見せなば知らを切るとは重ね重ねに情け無や!」

満仲「黙れ曲者。其方、三葉五郎利貞と名乗りしが、御家人だ、士分の一員だ!と申すが我、一向に見知らぬ由え『知らぬ!』と有体に申しておる。

貴様などゝ主従の契りを結んだ覚えは無く、ましてや、大内へ忍込み放火を致せと指図した覚えも無い。濡れ衣も甚だしい謂い分にして言語道断也。」

藤九郎「アレ?此の後に及んで死を覚悟の上の拙者の謂い分を聴いても、今だに知らを切り通しまするか?拙者に向かって命じた事をお忘れですか?!

『貴様如きが武官奉公を続けても、官位昇進の望みは薄く、茲らで大きな仕事を成して漢に成れ!』と仰り、禁中放火と大極殿の御宝を盗む計略を打ち明けられた事を。

只今に成って掌を返すが如く、知らぬ!存ぜぬ!と仰るのは余りに情け無う御座る。長年仕えた五郎は殿への恩義と信じて成した事なれば、誠に悲しゅう御座いまする。

確かに火責め!水責め!瓢箪責め!の苦しい拷問の末に、吐かぬと誓った約束を破ったるは此の五郎なれどにしても、余りに薄情に御座いまする!満仲様、満政様。」

と、役者顔負けの猿芝居で、白洲吟味の上で号泣して源満仲満政兄弟を、全く身に覚えのない罪に陥れて、巻き込んで同罪の死刑に致さんと藤九郎、一世一代の大芝居で御座います。

基方「如何に満仲!之まで御所大内の武官の頭として勤めに励みし貴様は、陛下より莫大な恩恵を被りながら、此の様な輩を使い禁中に放火を致し御宝、金銀を盗む企てを致すとは、

言語道断空前絶後の大罪である。速やかに罪を認めるならば、貴様達兄弟のみを死罪と致し源氏一族は流刑追放で済ませて進ぜる。併し、知らを切るなら火責め!水責め!瓢箪責めに致すぞ。」

満仲「喩え拷問と謂われとも、身に覚えの無き事は知らぬとしかお答え出来兼ねます。火責め!水責め!瓢箪責めだと陛下、イヤ関白殿下が仰るならば慶んで受けますし、

何より其の白洲に居る曲者、三葉五郎利貞なる人物をよーく吟味して下されぇ。我ら兄弟、此の者を家来に持った覚えは断じて御座いません。」

基方「ならば引き続き三葉五郎利貞は水責めを続行致す。満仲!満政!貴様等兄弟が白状する迄は此の場で五郎利貞が嘘を申しておると謂う以上、永遠に水責めは続くのだ!やれ。」

大納言の下知で白洲の脇の御庭、お廣敷に植えられた松の枝に三葉五郎利貞こと、園田藤九郎頼長を逆さ吊りにして、又大きな盥が持ち込まれて水責めが始まった。

藤九郎の叫ぶ声が御簾内に迄聴こえて来る、『馬頭満仲殿、満政殿のご兄弟!本当の事を白状して下さい』是を繰り返し藤九郎は叫び続けますが、勿論身に覚えの無い兄弟は黙ります。

一刻半、藤九郎には水責めが続けられたが、流石に『馬頭満仲殿、満政殿のご兄弟!本当の事を白状して下さい』と叫ぶ声に覇気は無く、御簾内迄は届かなく成った。

流石に此の儘水責めを続けていると、藤九郎の命が無いと感じた吟味役の与力風間平左衛門が忖度し、この日吟味の白洲で御簾内最高位の左大臣藤原師祐公に対し、

風間「左大臣、本日は間も無く当司廳の評定所閉門の時刻と相成り申す由え、本日の白洲での吟味を終了と致したく存じ奉りまする。」

師祐「左様かぁ、司廳の評定所閉門ならば仕方ない。追って沙汰致し評定吟味の続きは平左衛門と大納言基方の両名で相談致し執り行うが宜しい。」

基方「では風間氏、吟味を之にて打ち切るので有れば、源満仲満政兄弟は此の儘屋敷へ帰さば、逃亡の恐れ之れ有り。さすれば同兄弟は評定所の牢屋に留め置くのが宜しかろう。」

そう謂うと大納言藤原基方は、強引に源満仲満政兄弟を、評定所の牢屋に入れ様と致しますが、流石に是は左大臣師祐公より異議が出ます。

師祐「基方殿、其れはまだ放火の指図をしたと吟味が確定せぬ内に、牢屋に武門の勇を留め置くのは如何なものが?!」

基方「併し左大臣、兄弟に逃亡の虞れ之れ有り、牢屋に入れて監視致すが一番かと存じ奉りまする。」

師祐「逃亡云々と申すならば、大納言源高明殿、貴方は満仲の御内儀の父親、即ち舅ならば其方の屋敷にて、満仲満政兄弟を預かり置いて貰いたい。之で宜しいかなぁ!基方殿。」

基方「左大臣のお考えと有らば基方、異存御座いません。」

こうして、源満仲満政兄弟は満仲の舅である源高明の屋敷へ預かりの謹慎となり、高明には兄弟を逃す様な真似を致さぬ様釘を刺して預けれる左大臣師祐公でした。


そして翌日、大納言藤原基方と司廳の吟味与力風間平左衛門との間で三葉五郎利貞が起こした禁中放火事件並びに、源満仲満政兄弟の関与に関する評定吟味の進め方が話し合われます。

風間「三葉五郎利貞が起こした御所大内の麗景殿への放火に、源満仲満政兄弟の関与が有りや?無しや?此の吟味、如何致す所存ですか?大納言基方卿。」

基方「風間殿、容疑者が三人在るからは『三ツ穴責め』が宜しかろうと、某は思いますが如何でしょうや?!』

風間「『三ツ穴責め』と謂うのはあの火責めと申すか?煙責めと申すな?あの『三ツ穴責め』でしょうか?」

基方「ハイ左様。其の『三ツ穴責め』に御座いまする。」

さぁ大納言基方が吟味与力の風間平左衛門に提案したのは、司廳の評定所が行う拷問の中では、瓢箪責めの次に過酷な拷問として知られる『三ツ穴責め』で御座いました。

この『三ツ穴責め』とは穴を正三角形の頂点に三ツ掘り、穴の深さは二尺程で底に筵を敷き拷問相手の罪人を此の筵に座らせてから、半身は穴の中へ埋めて仕舞います。

臍から下が穴に埋められ身動きが出来ない状態にしたら、三角形の中心と周囲に藁と大鋸屑、粗朶を山積にし是に火を点け、燻し乍ら炎の熱が顔面に届く様な距離に焚火します。

穴に埋められた罪人は、炎の熱さと煙の生き苦しさを同時に受けて悶絶しまして、大抵の罪人は四半刻も『三ツ穴責め』を受ければ全部白状すると謂われる恐ろしい拷問です。

基方「左大臣師祐公、吟味与力の風間殿と協議の結果、『三ツ穴責め』にて三葉五郎利貞、及び馬頭満仲満政の兄弟の三人に拷問を加えて白状させる所存に御座います。」

師祐「相判った!然して、拷問は誰が行い誰が見届けて執り行う?!」

基方「其れは勿論、司廳の役人が全て執り行い見届けまして、某と風間氏も立会いまする。」

師祐「其れは遺憾。拷問と其の準備は評定所の役人で構わぬが、見届人は関白殿下並びに左右大臣と大納言以上の御仁を二十人ばかり集めて、公正に誰からも何処からも文句の出ない遣り方で致さねばならん。」

基方「其れでは本日只今からの拷問が無理に成りまする。」

師祐「即座に拷問を執り行うのが目的ではないぞ!基方。公正に誰からも何処からも文句の出ない遣り方こそが肝要也。関白殿下以下揃う日時を調整致し『三ツ穴責め』を執り行いなさい。」

基方「ハイ、畏まりました。仰せの通りに執り行い奉りまする。」

『三ツ穴責め』で白状させる事は左大臣師祐公より許可は頂戴できたが、司廳の役人だけで執り行うのには難色を示された為、満仲満政兄弟を拷問に見掛けて殺す訳には行かなく成った。

関白殿下を始め二十人からの官位上位の朝廷の大臣が集まり拷問を見届けさせねばならぬと謂うからだ。司廳の役人だけで拷問するのなら、其の匙加減で満仲満政兄弟を殺せたのに

結局、五日後に司廳の評定所の馬場の脇に在る御廣敷に正三角形を描き、『三ツ穴責め』の準備が始められた。注意深く臍迄三人が埋まる深さで穴は掘り進められて、

粗朶で山を拵えて、その隙間に藁と大鋸屑を撒き其の上で火を点けるのである。さて、三つの穴の塩梅を確認した役人が穴に筵を敷いて『三ツ穴責め』の準備は整いました。

さぁ御廣敷には拷問を吟味監視役用の雛壇が築かれて、其処には関白太政大臣藤原忠平殿下を筆頭に左大臣師祐公、右大臣藤原仲平公、大納言源高明卿、

大納言兼民部卿忠家殿、大納言兼御歌所別当師忠卿などなど、名門中の名門百官百司の方々が雛壇に二十二名が並び、其の最下段に『三ツ穴責め』の差配役として、

大納言藤原基方卿と司廳吟味方与力の風間平左衛門が控えており、雛壇に百官百司の方々が着席なさるのを待って、拷問を受ける吟味の対象である三人が引き摺り出されます。

先ず、三葉五郎利貞こと園田藤九郎頼長が穴へと入れられて、足首と膝上辺りを針金で強く縛られたまんま臍迄穴に埋められます。更に腕も後ろから針金で自由を奪われます。

続いて兄源満仲、最後に舎弟の満政が同じ様に針金で縛られて穴へと埋められ、腕も藤九郎同様に後手に針金での縄目を受け、全く身動きが取れない状態に成ります。

基方「では、御所大内に於ける麗景殿放火の儀についての吟味を執り行います。事前に左大臣師祐公よりの御沙汰に従い、吟味は拷問『三ツ穴責め』を用いて執り行い奉りまする。

火責め煙責めの陣を司る評定所の吟味方は全員配置に附き準備に係り下知を待ち候へ。では関白太政大臣藤原忠平殿下、拷問開始の号令を賜りたく宜しく奉りまする。」

忠平「ヨシ、拷問の儀について天下許す。」

粗朶の山に火が点けられた。藁と大鋸屑が最初は燃え上がり白煙を吐いた。徐々に粗朶にも炎が燃え移りパチパチと爆ぜる様な音を立て始めて、次第に黒煙と共に火の粉が舞うのだった。

途端に穴に埋められた三人は苦しみ始める。三角形の中央で火柱が高く上がり三人の顔を焼くと、更に三角形を囲む様に円を描く外周の炎はモクモクと灰色の煙を吐き三人を苦しめた。

藤九郎「オイ、武門の誉、総領たる六孫王経基様の御子息なれば、此の後に及んで知らを切るは武士として恥ずかしゅう御座る。潔く白状下されぇ〜。」

満仲「どんな拷問を受けても、身に覚えの無い罪を白状など出来ぬ。其が武士の一分なれば当然だ!決して白状など致さぬ。」

満政「拙者とて兄に同じく!身に覚えは御座らん!」

基方「エーイ、強情な奴等め。司廳評定所の面々は大団扇にて炎を三角の内側へ煽れ!始めよ。」

大納言基方の下知により、六人の精鋭が巨大な団扇を使って、外側の円を描く炎に向かって風を送り始めた。一段と高い紅蓮の炎が上がり三人を焼かれる苦しみが襲う。

基方「どうだ!まだ、強情を張る積もりか?焼き殺されても吐かぬ所存か?!」

藤九郎「嗚呼、ご主人様!早く白状下されぇ〜。焼き殺されてまする。白状願いまする。」

満仲「お前などから『ご主人様』と呼ばれる筋合いは無いし、拙者は大極殿から御宝物を奪う計画など立てゝは居らぬ。由えに白状など致す道理は御座らん。」

満政「拙者とて兄に同じく!全く身に覚えは御座らん!」

基方「猪口才なぁ!焼き殺しても構わん、煽げ!以っと強く煽いで罪を白状させるのだ!」

そう基方が命じると巨大な団扇の使い手が更に四人増やされ十名の精鋭が煽ぎ始め、三人の髪の毛がパチパチと音を立てゝ焦げて悪臭を放ち始めた。すると其処へ人影が現れるのでした。

晴明「安倍播磨守、晴明に御座います。只今、唐土より帰朝致しました。某晴明が帰朝したからは、源満仲、満政兄弟の吟味、某に一任願いとう存じまする。」

そう叫ぶ人が雛壇の前に歩み寄りますから、百官百司の方々は安倍晴明の方を注目致し、目を白黒させて驚きます。此処へ現れた晴明の姿はと見てやれば、


白き行衣を着なし其の下には鼠色の木綿の単衣を着込んで御座います。更に旅帰りのまま現れた様子なのは白い手甲脚絆に草鞋履き、髪髭は伸び放題。

そして其の手には朱塗の大きな箱を携えて、幣束を手に致して佇んで居るので御座います。さぁ此の様子を見た左大臣藤原師祐公が晴明に対しお言葉を掛けられます。

師祐「おーぉいと不思議なるや?、係る折りに晴明!能く帰朝致した。此の上無き幸いじゃぁ。苦しゅうない、之へ参れ。」

晴明「左大臣、暫くお待ちを。」

そう謂うと晴明は未だに燃え盛る紅蓮の炎を睨らんで額に幣束を押し当てゝ何やら呪文を唱えると直ちに炎は弱まり、遂には消火されて仕舞います。

苦しみ抜いた三人は焼かれる前に火が消されて命拾いしますが、是には大納言基方が激昂致しまして、激しく異議を唱えるのです。

基方「ヤイ、晴明!何んたる所業ぞぉ。今少しで罪人が白状致さんと謂う場面で、勝手に火を消すとは無礼千万なるぞ!」

晴明「小生は唐土より緊急帰朝致したのには、ちゃんと訳が御座います。小生、現在は城荊山にて易道殿社神道を伯道老人と仰る仙人様から教えて頂いており、

其の伯道仙人様から『大恩有る武門の勇士、源満仲満政兄弟の御身に良く無い事件が降り掛かる。』との予言を頂戴し、修行を一時中断し帰朝した次第に御座ます。」

基方「唐土の仙人如きの手を借りずとも、儂の『三ツ穴責め』で、悪人共を簡単に白状させられたのじゃぁ。貴様の出る幕など無い。下がって居れ下郎めぇ。」

師祐「口が過ぎるぞ、基方。此の御所大内への放火の一件は麿が関白殿下より、評定吟味の一切を任されておる。其の麿が播磨守に任せると謂うて居る。

其れに唐土より帰朝致す折りに、播磨守は唐土の仙人より満仲満政兄弟の係る一大事を予言され、而も的中して帰朝しておる。晴明!お主には此の評定吟味への秘策は御座るのか?」

晴明「ハイ、伯道仙人からは此の箱と秘術を授かった上で帰朝致ております。由えに拷問などは用いずとも、此の邪正明断の箱にて、悪事を立ち所に暴いて見せまする。」

師祐「何ぃ〜、邪正明断の箱と申したなぁ?!其は如何なる箱じゃぁ?」

晴明「ハイ、此の箱は幣束を持ち祈りながら、秘密の呪文を唱えると、箱の中から罪人の悪事が聴こえて参ると謂う、実に不思議な箱で御座いまして、立ち所に悪事を暴く事が出来まする。」

師祐「誠であるか?関白殿下、如何でしょう。播磨守晴明めに、此の邪正明断の箱による吟味を行わせて、三葉五郎利貞の犯した悪事の黒幕を追求させたいと存じまするが、如何でしょうや?」

忠平「相判った師祐殿。安倍晴明による放火の黒幕吟味、天下許す!」

此の様にして、左大臣が推挙して関白殿下が許すと謂うので、安倍晴明が邪正明断の箱を使っての吟味を拒む事が出来ない大納言基方は、雛壇へと下り席を晴明に譲る事になる。

併し、席は譲ったものゝ、内心三葉五郎利貞こと本名園田藤九郎頼長の悪事が、箱を使い総て暴かれるのでは?と、気が気では御座いませんし、最悪の場合の言い訳を考えておりました。

晴明「評定所の上役人の方々、先ず穴に埋められた三人を外に出して下さい。」

謂われた役人達は臍迄埋められた三人の腕を戒められている針金を解き、穴に有る土を除き身体を穴から引き出した後、足の自由を奪っていた針金も取り除かれます。

晴明「満仲殿、大丈夫ですか?痛む所は御座らぬか?」

満仲「何の之れしき其よりも能く唐土から戻られた。本に千里眼を操る仙人が、唐土には生出に成るのじゃぁなぁ?!」

晴明「ハイ、城荊山と申す秘境中の秘境にて百年以上修行を成し、神に一番近い存在と成られた御仁なれば、大日本で起こる事を唐土に居ながらにして手に取る様に判る御方だ。」

満仲「左様だったかぁ、有難や!有難や!」

晴明「満政殿、貴方も大丈夫ですか?」

満政「ハイ、髪は焦げて少し火傷致しましたが、アロエなど塗り於けば大事有りません。其より播磨守殿が帰朝頂ければ『地獄に佛』で御座る。早く箱とやらの秘術をお見せ下さい。」

晴明「相分かりました。直ぐにお見せ致しましょう。」

そう謂うと安倍晴明は、朱塗の邪正明断の箱を八足薹の上に置き、此の側に三人を座らせて、幣束を手にして箱の置かれた八足薹を挟み、三人とは対峙する様に晴明も座りました。

さて、茲までの安倍晴明の一連の言動を、かなり懐疑的に見ていた三葉五郎利貞こと園田藤九郎頼長は、軽蔑するような薄ら笑いを浮かべて、流し見る様に晴明を睨み附けます。

晴明「さて、貴方。三葉五郎利貞殿と名乗られたそうだが、此の名前も、生國の武蔵國高座郡と謂うのも、全て嘘偽りと箱が申して居りますが、如何かなぁ?!」

藤九郎「ハハハハッ!笑止。生國も名前も嘘偽りと断言なさるからは、何んぞ確かな証拠を見せて下さい。」

晴明「宜しい、では貴方が嘘偽りを申した証拠を先ずはお見せ致しましょう。茲に邪正明断の箱の上に之れなる幣束を置きます。之れを手に取り額に頂く、此の仕草を各人行って下さい。

嘘偽りを言わぬ者は私がやるのと同じく、額に幣束を頂く事など容易なハズですが、嘘偽りを申す者は此の幣束が重く感じ、箱から手に持つ事すら出来ないので御座います。」

さぁ、安倍晴明がそう謂うと、幣束を朱塗の箱の上に置きまして、先ず自らが幣束を取り額に頂く仕草を行って見せます。是に続いて満仲が更には満政も幣束を額に頂く仕草を致します。

さて、満仲満政兄弟が簡単に箱の上から幣束を取り額に頂いて見せましたから、自分に出来ぬハズが無いと鷹を括り藤九郎も幣束を持ったのですが


重い!鉛の様に重い。


藤九郎は邪正明断の箱に置かれた幣束を持とうと致しますが、何十貫有るんだ!そう感じる位の重さに驚きを隠せない様子で、狼狽の色が其の顔から十分に伺えます。

晴明「どうしましたか?五郎利貞殿。二人は簡単に幣束を額に頂く事が出来ましたよ。貴方は如何なさいましたか?箱の上から全く手に取れない様子ですねぇ〜。」

藤九郎「そんな!馬鹿なぁ……………。」

晴明「どうしたんです。箱が貴方の嘘を見破った様ですねぇ。さて先に申した通り、貴方の本当の生國と名前を、拙者が箱の力で詳らかに致して見せましょう。」

そう謂うと安倍晴明は藤九郎が持ち上げられなかった幣束を持つと、其れを額に頂き呪文を唱えて、時折り幣束を藤九郎の方へ祓う仕草を致します。すると!


生國は相州鎌倉

鎌倉の郷士園田頼重の倅で

名前は園田藤九郎頼長


と、箱の中から声が聴こえ、関白殿下をはじめ雛壇の面々の耳にも是が届きます。

晴明「ホー、貴方は藤九郎殿と謂うのが本名で、鎌倉の郷士の息子さんですか?成る程。さて、自ら白状する気に成りましたか?

今、本当の黒幕の名前を自らの口で白状なさるならば、罪一等を減じて斬首ではなく、切腹として武士の一分は保たれる配慮を致します。」

そう謂って安倍晴明は園田藤九郎頼長に自白の機会を与えてやろうとしますから、さぁ大納言藤原基方は気が気ではありません。

ところが!園田藤九郎頼長は腐っても武士でして、其の場にて舌を噛んで自害するので御座います。恩義ある雇主、大納言基方と陰陽頭の蘆屋道萬清太の二人を詮議に掛けない為に。

こうして前代未聞の御所大内に於ける禁中放火事件は、安倍播磨守晴明の活躍で、源氏の総領六孫王経基の倅、満仲満政兄弟の冤罪は晴れたが、

其の放火犯人、園田藤九郎頼長を背後で操っていた大納言基方と陰陽頭天体博士、蘆屋道萬清太の二人を、評定所にて裁く迄には至らなかった。


斯くして、安倍播磨守晴明は再び唐土の地に戻り、城荊山にて中断していた易道殿社神道の修行を、伯道仙人から受ける事に成ります。

そして、修行は是より十五年続けられて、伯道仙人から秘術、奥義の限りを吸収した晴明は四十五歳と相成って大日本へと帰國致します。

年は変わり星は流れ十五年と謂う長い歳月を唐土での修行に費やした晴明は、余りに長く唐土の、城荊山の風土や食べ物、水に身体が馴染んで居た為か?

大日本へ戻った途端に、体調の不良を訴えて患い附く事と相成ります。身体に痛みを覚え、発熱し食事さえも思う様には喉も通りません。

一同の者の心配は尋常ならず、殊に御子息の吉平は何容易ならざる事態と案じ、仕切に神信心致しますが、余り芳しい成果は上がりません。

次第次第に安倍晴明の病状は重くなるばかりで、関白太政大臣藤原忠平殿下を筆頭に左大臣師祐公、右大臣藤原仲平公、そして舅の大納言源高明卿などなど見舞いに訪れます。

当然、此の噂は御所大内中に広まりますから、安倍播磨守晴明の天敵、大納言基方と蘆屋道萬清太の耳にも這入り、二人は今度こその思いで晴明を祈り殺さん!と日々密談を致します。

併し、道萬の呪いは全く通用しない事は明白で、唐土での修行を終えた晴明を祈り殺すなど無理なので、新たなる刺客を二人は探すのでした。そして二人が白羽の矢を立てたのが、

茲最近、東山の如意ヶ嶽と謂う人里からはやや離れた所に庵を構え、其れを『貫空庵』と呼び自らを『酔巖(すいがん)』と名乗る、五十五、六歳の悪僧で御座います。

さて、性懲りも無く大納言藤原基方と蘆屋道萬清太の二人、今度は安倍晴明の病気に附け込み、生臭坊主の酔巖を利用して、

是を亡き者にする陰謀を巡らすので御座いますが、其のお噺は次回申し上げる事と致します。では乞うご期待!!


つづく