御所清涼殿、祈祷問答は此処で幕を開けた。開始前に一悶着あり、其れは官位の無い尾花丸は十八段の階梯の下、地びたに這いつくばって居るのに対し、
一方の対戦相手、蘆屋道萬清太は階梯の上、二重壇の此方に控えて居るのだ。互いの顔も見えぬ位置に控えし二人。是では問答どころではない!と、
関白殿下の鶴の一声、此の祈祷問答の最中は『大内昇殿許す!』と謂う事で、付添人の好古卿は大いに喜びまして階下まで降りて、童子は?と探しますが…。
童子の姿が有りません。ハテ?!と、周囲を探しておりますと、尾花丸、階梯の裏に潜ずり込み足を投げ出して悪戯遊びに興じて御座います。
好古「之れ!童子。」
尾花丸「テヘェッ!」
好古「コレ、関白殿下の思し召しにより『大内昇殿許す!』と仰せじゃぁ。さぁ、早く之を昇れ。」
尾花丸「左様に御座いますか?然らば皆さん出ましたかな?」
好古「何んだ?!其の出ましたとは?宜いから私に付いて参れ。」
流石に、蘆屋道萬清太を是以上待たすのも失礼に感じた好古卿が先に階梯を昇りますと、跡を童子が付いて昇るのですが…相変わらず遊び半分で御座いまして、
段飛ばしにピョコンピョコンと跳ね乍ら上がります。又見た目はどう見ても十歳には見えない六、七歳の童子が御幣を手に振りながら戯れて昇って来る光景に、
蘆屋道萬清太は益々イライラさせられて、先程来の闘志を通り越して、怒りにも似た強い殺意の念が目の奥に宿りメラメラと炎を上げて、星飛雄馬が如し!
道萬「殿下、恐れながら道萬清太、些か申し上げ奉りたい儀之れ有り。」
忠平「何んじゃぁ申せ!許す。」
道萬「今日私と祈祷問答を致すと謂う其方の童子、如何なる者かと思えば取るに足らぬ『うつけ』にて、斯かる姿で大内に罷り出て、我と問答致さんとは、
余りと云えば余りな所業、此の様な躾すら済まぬ『うつけ』と問答など行う価値が有ろうや?依って問答を始める前に、彼の者の身上を調べるが先とお見受け致します。」
さぁ、此の蘆屋道萬清太の発言を傍で聴いて居りました、大納言藤原基方が是に対し便乗し、批判を展開致します。
基方「手前も道萬に同意いたします。先に安倍童子の身の上を調べてから、祈祷問答をするのが正しい手順かと存じ上げまする。」
忠平「イヤ駄目じゃ、其の儀は相成らん。恐れながら十善萬乗の君の御悩日々に重らせ給うの今日、我等に時間の余裕などない。即ち童子なり道萬なりのどちらかゞ、
真の祈祷を用いて御悩の平癒さす事ぞ一信に重し、彼の身上を調べるよりも、祈祷問答にて『真の祈祷が成せる者はどちらか?』此の解を導き出す事こそ急がれる。
由えに童子の身の上を調べて明らかにするは後日で構わぬ。イザ此の場で童子に尋ねたき儀之有るならば道萬は問答の中で尋ねよ。左すれば童子は一々道萬の問いに応じ答えよう。」
さあ、関白殿下よりその様に謂われた蘆屋道萬清太は、益々、険しい顔になり安倍童子、尾花丸の目を睨み返して質問致します。
道萬「如何に童子!汝大胆にも帝の御悩平癒の為祈祷成さんと京へと罷り越し、京都の街を徘徊し傍若無人の唄を唱え衆人を惑わし、
『♪ 祈りの師こそ我也や!祈りの師こそ我也や!』などゝ唄うは如何なる事ぞ!殊に天地卓越する此の蘆屋道萬清太に、祈祷問答を仕掛けるとは大胆不敵の極み。
童子ならば何をしても、何を謂うても許されるとなどと思うな!此の田舎生まれの『うつけ』童子が!自らの愚行を恥じて早々に此の場を立ち去れ!此の愚か童。」
尾花丸「之れは道萬殿、大変異な事を申される。『天地卓越する此の蘆屋道萬清太』と私には聴こえましたが、誠、本心なのでしょうか?
之れ迄帝の御悩退散の祈祷を二週も続けて何の功験も無く、イヤ!御悩は日々重く成っておるのに天地卓越すると自称するとは之れ如何に?」
道萬「之れは不届な一言。我は陰陽頭天体博士と謂う官位を朝廷より頂戴しておる。由えに天地卓越すると謂うて何の憚る事のあらんや!」
尾花丸「品形同位は分かれる所なれども、心というは同じ心也けり。」
道萬「何が謂いたい!」
尾花丸「ドン突きまで語らねば判らぬ様な御仁なれば、祈祷も此の程度なのだと伺い知れるワぁ、蘆屋道萬清太!!
汝の衣装は確かに立派であるし官位も高い。其れに比べるならば手前は官位無く貧しく見窄らしい汚れた服装に違いない。
だが、今問題なのは帝の御悩であり其れを一刻も早く全治平癒させたいと願う心だ。其の心は貧しく官位無き手前も、
富める官位高き汝も同じではないのか?今正に其の心を見せて祈祷問答を行わんと謂う場面なのに天地卓越する力など、
貴様に在ろうはずがない。二・七十四日間も祈祷した癖に御悩平癒どころか悪くするばかりの無能が天地卓越する力などゝ口にスナ!
さぁ、祈祷問答を始めよう!汝如きの質問など私は毛程も恐れはしない。さぁ神道の神々への問答を始めましょう、イザ勝負だ!愚者道萬。」
道萬「然れば童子に問う、汝は京を徘徊した際に『我を助けて日の本に、祈りの師こそ我也哉!』と申していたが之れや如何に?」
尾花丸「然れば、我は安倍仲麿の血統にして祈祷祈念は安倍家傳来の法なり、殊に神代の昔、天兒屋根尊より始まれる………。」
道萬「黙れ!釈迦に説法じゃぁ、して汝は如何なる神を祈る。」
尾花丸「第一番に大己貴尊(大国主神)を念じ猶天地神明を祈らずと云う事なし。」
道萬「して其の祈祷の真とは如何に?!」
尾花丸「真無きが由えに祈祷は行う物也。と、謂うても汝如き愚者には理解は出来ぬかぁ〜。即ち、祈祷は功験を得る為に行う物に有らず。
我は祈祷成すに於いては必ず功験無きと謂う事無し。之れ即ち祈祷の極意にして真也。凡そ祈祷の行術たる心、此処に有りて之こそが又態を生み共に之れ有り。
蘆屋道萬清太!汝の祈祷には、態有れど其処に心は有りなんや?真の心有りせば、御悩の平癒無くとも重くは成らぬ物。即ち、汝の祈祷には心無く法を知らず。」
道萬「童子!態有って心無しとは之れ如何に?!」
尾花丸「愚かなぁ…、其のドン突きの真理まで十歳の童子の口から聴かねば祈祷一つ満足に出来ぬとは…そんな御仁が陰陽頭天体博士とは…
然れば汝は之まで祈祷を成す際、形・様式は有れど術は盡さず、所謂『佛造りて魂入れず。』心の入らざるが由えに、少しも其の術の功験無し。
凡そ天地神明、森羅万象、この世に生を受けて営む物は心有りて態を成す。就中人と謂う物は天地の霊物として心・態・術の働きを最も第一と成す。」
道萬「天地霊物とは之れ如何に?」
尾花丸「然れば天に五行、地に五行。之を合わせて五倫五體、即ち人也。胸中に天地の道理を弁えるが由えに霊物となる。
即ち、汝も我も霊物なれど汝は悲しきかな心無くして祈るが由え、其の祈りに功験が宿る事は決して御座らん。」
さぁ蘆屋道萬清太は童子、尾花丸から決定的な言葉を刺され、真っ赤な顔となり、祈祷問答は愈々、核心に迫るのである。
道萬「我に心無くして祈るとは如何に?!」
尾花丸「然れば也。只今申す通り安倍家傳来の祈祷祈術の秘傳之有り。即ち春夏秋冬の間にも祈祷の理(ことわり)は篭れり。
然らば天理の道地に基づき、祈祷を成すが由えに心・體・術の調和こそが功験を導く術であり之れを知らぬ汝に功績は御座らぬ。」
道萬「然らば天地陰陽の春夏秋冬に祈祷有りとは如何なる事也?!」
尾花丸「其れこそ、正に『妙』也!!」
さぁ、是を聴いた蘆屋道萬清太は嘲笑し、此の童子が突然『妙』などゝ実に曖昧な、古の先人が最も嫌う言葉を口にした事に安堵を覚え、反撃に出るのである。
道萬「汝、慚々にして其の真を吐いたり、今此の場に傳者神道の問答を成す際に、汝、佛語を以って答えるは奇怪なり。
其れこそ『妙』なりしとは如何に?取るに足らぬ愚者が大内の政の様子を探らんとする、正に密偵の行いに相違無し!
さぁ!近衛武士の者どもよ!此の偽善者の化けの皮は剥がれたぞ、必ずや佛僧の黒幕が潜んで居るに相違無い。彼の異端の小僧を引っ立てゝ吟味せよ!」
と、蘆屋道萬清太が『妙』の一言に鬼の首を獲ったかの如く威丈高に叫び、遠巻きに祈祷問答を見学する近衛武士を嗾けて、
他の人々も何事やらんと見て居りましたが、お前はもう!既に問答に負けている、と謂われた尾花丸は全く動じる様子が有りません。
尾花丸「アッイヤ、道萬殿!貴方は何故、我『妙』成りと申したる、ただ一言『妙』を之れ佛語成りと断定なさる。初めて聴いたり。如何にして『妙』が佛語なるや?」
道萬「笑止。然れば昔天竺に於いて釈尊年三十年にして修行成就なし、壇特山を出でゝ一切衆生を成佛させんと、華厳、阿厳、方等、般若と四體の説法、
年積りて法華に至って、終いに成佛の骨髄を現し給い、一句一字の『妙』の深き意味を籠められたり。故に法華教を大乗の妙典と謂わんや!
今、我々は神道に於ける天文歴道、祈祷の秘密、秘技を論じ問答致しておる。汝!如何に言句に詰まり問答の答に窮したにせよ、佛語を以って答えるとは奇怪邪道なり。
最早汝が如き口先ダケの小僧を相手にしている程、陰陽頭天体博士は暇ではない!之れ以上祈祷問答を続けるには及ばぬ、近衛武士の諸君!此の佛法小僧を引っ立てよ。」
と、蘆屋道萬清太は自らの問答の勝利を宣言し、清涼殿の片隅に控える近衛武士に尾花丸を召し捕れと促します。又是に同調するが如く大納言藤原基方も声を上げます。
基方「愈々童子の心底解ったり。オイ、誰か在る童子を即刻引っ立てゝ番所へ連れて参れ!」
尾花丸「ハハハハッ!ヒッヒッヒぃ〜。」
基方「何が可笑しい。狂ったか?童子。」
尾花丸「蘆屋道萬清太、陰陽頭天体博士が聴いて呆れる。愈々、浅才が此の所に露見致した。愚か者とは見抜いて居たが…白痴と謂うても過言に非ざる也。
只今、手前が『妙』と謂う言葉を口に致したら、其の『妙』の一字を以って佛語なりと断定し、強引に祈祷問答の勝利を宣言するとは笑止千万。
剰え、大納言様を促して近衛武士に召し捕れと下知するは卑怯なり、道萬!貴様こそが邪智倭奸の曲者と覚えたり、必ず『妙』の一字は佛語にあらず。」
道萬「何ぃ〜、『妙』の字が佛語に有らずとなぁ?!」
尾花丸「如何にも佛語に有らざる事、此の場で語り聴かせん。」
道萬「然らば、承わらん。汝、又汝の答に些かの曇り有らば直ちに問答は終了じゃぁ、汝は即刻引っ立てゝ吟味と致す。」
さぁ、売り言葉に買い言葉。両人の問答は白熱し、声は荒く大きくなり過ぎて御座います由え、問答の主催関白藤原忠平公が口を挟みます。
忠平「ご両人!帝の御前では御座らぬが、御所の大内ですぞ、声が大き過ぎる。又荒く乱暴に御座る。今少し冷静に、静かに問答を願う。道萬、貴殿も穏やかに童子の言葉を聴く様に。」
そう謂われて蘆屋道萬清太自身、ハッと致しまして思わず頭を下げ関白殿下に会釈致します。又一方小野参議好古卿はと見てやれば、
此方も心穏やかでは御座いません。童子が如何に答えるかとハラハラドキドキ、道萬は『妙』の一字を突破口に、佛語だ!邪道だ!曲者だ!と童子を責めます。
明らかに相手は若年だ!と上から目線で侮り、蟻の一決!とばかり『妙』の一文字で横車を押す勢いでしたが、尾花丸と謂う童子は只者では御座いません。
尾花丸「道萬殿、貴方は今当代の陰陽頭天体博士であらせられる。なのに『妙』の字の本質、真実、正体をご存知ない、由えに之れを其の浅知恵で佛語と断定なさる。
抑も、『妙』と謂う字は、之容易ならざる文字にして、天地神明森羅万象、『妙』ならざるは無し、詰まり天地の皆全ては『妙』により司られ『妙』に依って生まれる。
先ず天の『妙』とは春来なば暖かく、夏と成り暑く、秋の訪れに涼しく、冬の到来で寒くなる。春夏秋冬には『妙』が在る。
同じく、日は照り月は潤い雲は雨を呼び風は其の雲を払う。露は濁りて霜となり、雨は冷やされ雪、霰、雹となる。
之こそが陰陽道で云う『妙理』に他ならずや!又一方の大地の『妙』は人間を始めあらゆる形在る物を生じ、身近に喩えるならば米は陽に生じ麦は陰に生じる。
此の陰陽の『妙』こそが世の道理の源であり、由えに寒國には良い人参は出来ず、又暖國ならざれば穀物は実らず、之れ即ち『妙』なり。
天子は上に在し(ましまし)て天地の事を知ろし召して司る、故に徳を以って民を治め給うのである。即ち之れぞ御威勢の『妙』なり。
太政大臣摂政関白には、國家の民を治める法式を定め秩序を生む、之即ち有識の『妙』である。武家ならば國郡を固め守り、忠の一字を頭に頂き、
乱るゝ時は武を以って治むるが、平時より武道を教え鍛錬し、論語庶子より忠孝を広め常に導き給うのも文武の『妙』に他ならず。
百姓は天の時を知り種を蒔き耕作を成す。そして豊かな収穫を迎えるは鋤鍬の『妙』なり。職人は無より一切を造り出す、大工の鋸、鍛冶屋の水加減、左官の泥鏝先、桶屋の箍(タガ)締め、染屋の色味、之皆職の『妙』なり。
商人は売買を専ら成す、金銀を自由に扱い、諸品を交易し遠國より特産品を集め諸國へ之を広める、之商人の『妙』で御座る。
盲人(めくら)の『妙』は杖に有り、乞食の『妙』は蒲鉾小屋を拵える『妙』が有り、女郎にも『妙』はありますが、恥ずかしくて此処では言えません。
他に人間以外にも鳥類には鳥類の、畜類には畜類の、ミミズだってオケラだって、アメンボだって皆んな皆んな、其々の『妙』が必ず有るのです。
未だ手前の証明は足りませぬか?汝は未だに『妙』は佛語唯一の物だと云い張りますか?そしてまだ、貴方の力で帝の命を救えると謂い張りますか?
余り帝には残された時間は多く有りません。故に『妙』に関しての問答は此の辺りにしたいと願います。勿論『妙』以外の祈祷問答が有るならば其れはお受け致します。
又、ただし叶うならば、ここらで我に帝の御悩を平癒させる祈祷の儀を仰せ附けられたく、猶問答を続行とあらば、問いに応じてお答え申さん。」
そう力強く尾花丸が宣言する姿を見た、清涼殿の百官の面々、悉く驚き、歳は漸く十歳という童なのに能く喋る小僧だと、感心感嘆致して居りますと、
一方の問答の相手蘆屋道萬清太も余りの事に、魂を抜かれた傀儡が如く静寂に沈みました。稍在って道萬は頭を上げて正気を取り戻したか?前を見ます。
道萬「汝、口から生まれて来た様な童子なり。口が横から裂けた儘、言葉の洪水が湧き出るが如く申し述べる所は誠に奇なり。第一に恐れ多くも玉霊のお疲れ一方ならず、
之を汝若輩の身で祈祷すると宣い、御悩を平癒し奉らんと宣言致すとは…大胆不敵。兎に角、何等の神を以って、汝は祈祷致すお積りか?其の辺を承知して於きたい。」
尾花丸「大国主神、少彦名神、天照大御神を詔り奉るは勿論の事、猶其外一の大神を祈り、而して必ず御悩の平癒奉らん。」
道萬「其外一の大神をも祈ると申すなら、具体的に其外一の大神とは如何に?!」
尾花丸「ハハハハッヒヒヒヒぃ〜。」
道萬「コレ!童子、何が可笑しい。早く問答に応じお答えなされよ。」
尾花丸「然ればなり、其れは何度も申しておる通り安倍家の秘傳にして、御悩を祈祷致す際にはご披露致す所存なれど、此の場にて公のには出来かねまする。
どうしても汝が知りたくば、安倍童子門下の徒弟となり修行なさるより他に方法は御座らん。門弟と成るのであればお語り致すが…。」
流石に蘆屋道萬清太、此の答には怒りを新たに致しまして、又声を荒げると関白殿下の御前なれば具合が悪く、努めて冷静に問い返します。
道萬「愈々、妖しき童子也。確信に触れると秘傳だ!秘術だ!と抜かしおって、問答を堂々巡りに陥らせ居る。万一、帝の御前にて御悩平癒の祈祷成さば、
悪魔邪神を祈りて、御霊を奪うに相違ない!何者か黒幕有りて、藤原家の栄華を妬む仇の陰謀に相違なし、近衛武士よ!直ちに安倍童子を召し捕り吟味致せ!」
再び、『妙』は佛語と因縁を付けた際に同じく、道萬、今度は秘傳を明かさないのは、帝を呪い殺す口実で反藤原の回者だ!と謂って近衛武士に縄を打たせ様と致します。併し!
好古卿「蘆屋道萬清太!言葉を慎みなさい。いみじくも関白殿下が『大内昇殿許す!』と仰せられて開かれた祈祷問答だぞ!貴様に安倍尾花丸を裁く権限など無い。
何を勝手に貴様如きが近衛の兵を動かし、安倍仲麿の末裔に縄目を掛ける事など出来る物かぁ!全てを判断し下知を下されるのは関白殿下だ、下がれ此の下郎。」
さぁ蘆屋道萬清太も小野参議好古卿もその場に立ち上がり、双方睨み合いながら正に一触即発、公家なれば喧嘩を我慢しましたが、武士だったら…、関白忠平公が間に這入ります。
忠平「双方とも、止めよ!」
そう謂うと忠平公、扇子を投げて道萬と好古卿の間に置きます。是を境界として争うな!とね仲裁、と、同時に裁定を下すので御座います。
忠平「安倍童子、尾花丸。汝の申す事一理ある。していと面白し。麿は童子に理を覚えたり。一同は如何に?!」
さて、大納言藤原基方の一派以外の一同からは強い声で『御意に御座います。』との返事がなされます。
忠平「ヨシ、然らば安倍童子、尾花丸に之より三日間の祈祷を申し附ける。其の間天子様のご様子を診て、平癒の望み有りと薬師が申さば、改めて祈祷続行を申し附ける。
併し、三日間の祈祷で何ら功験無き時は覚悟致せ、小野参議好古伴々、極刑火炙りと致す由え覚悟して掛かる様に。宜しいか?各々方。」
此の忠平公の言葉に、尾花丸は全く臆する事なく是を大いに喜びまして、逆に付き添いの好古卿の方が飛んだ飛ばッちりでして…
尾花丸「殿下、有り難き御裁定を賜り恐悦至極に存じ奉ります。ただ、私は無官無位なれば御所への立入、御清間でのご祈祷は叶わぬ身分に御座います。
依ってお許し在らば、手前は三条坊門の小野参議好古卿のお屋敷に在って先ずの三日祈り、守札など納めまする。
然して三日、御悩平癒の兆候無くば、手前は如何なる処分に預ります。決してお怨み申しません。」
忠平「宜う申した、尾花丸。道萬、貴様は之より三日祈祷を停止すべし。替わって安倍童子、尾花丸が相勤める。宜しいなぁ!」
さて一同、誰もが是で解散か?と思った所で、もう一悶着御座います。忠平公のお言葉の後、突然、尾花丸が立ち上がり道萬の前に立ち語り掛けます。
尾花丸「蘆屋道萬清太殿、問答の最中の数々のご無礼をお許し願います。年齢が一回り以上十六も上の御貴殿に悪口雑言を吐き遺憾に存じまする。」
道萬「いいえ、某の方こそ大人気なく近衛武士に召し捕れ何ぞと勝手に下知致し、脅かす様な行為を致し面目次第もない。遺恨に成らぬ様にしたいものじゃ。」
尾花丸「決して遺恨に成らぬ良い方法が御座いますが、如何ですか?道萬殿、一口乗りますか?」
道萬「一口乗る?何の事である?童子。」
尾花丸「簡単な道理に御座います。若し之れより三日の祈祷で、私が帝の御悩を和らげられたならば道萬殿、貴方は私の弟子になる。
逆に私の祈祷が全く功験無く終わり三日で私が祈祷師を頸に成ったなら、私が貴方の弟子になり一生貴方にお仕えする。如何ですか?」
道萬「???」
尾花丸「何を固まっておられます。私は真剣に申し上げております。此の祈祷の結果次第で師弟に必ず成る訳ですから遺恨など残りません。正しく一石二鳥に御座る。」
道萬「判りました。其れにしても奇異なる童子だ。」
こうして酷い小僧が在ったもんで、祈祷の結果次第では陰陽頭天体博士を我が弟子にしようと謂うのである。そんな約束成立となり両人は別れて帰路に着きます。
蘆屋道萬清太と大納言藤原基方は、祈祷問答の結末に少なからず面白くない二人で御座いまして、基方の屋敷へ二人参りて反省会で御座います。
基方「嗚呼、忌々しい。本日の祈祷問答は何だ!道萬。」
道萬「イヤ面目次第も御座らん。童と思うて少し見縊った(みくびった)。あそこまで弁が立つとは畏れ入谷の鬼子母神よ。(京の都ではイマイチ受けない)」
基方「其れより問題は今日より三日の祈祷よ。三条坊門の好古卿の屋敷より祈って、御所へ祈りが届くものか?届かぬものか?」
道萬「其れは届くと確信するから、童子、自ら無官無位と態々振って願い出ておる。」
基方「ならば届くとしてだ。道萬、貴様、まさか指を咥えて見ている積もりではないよのぉ〜。忠平公は祈祷中止とは謂われたが童子の妨害をするなとは謂われていない。」
道萬「確かに、私に童子の如く遠くで祈り御所へ念力が届くのなら妨害も出来ますが…枕元で祈祷の利かぬ某が、ガチに遠隔祈祷勝負して童子に勝てるハズが御座いません。」
基方「そんな事を自慢げに宣言スナ!!」
道萬「さすれば、某に勝機を見出すならば、即ち、隠密の力を借りて、喩えば童子の祈祷平癒の為のお札を剥がし、代わりに我が呪いのお札に摺り替えるしか無いと考えます。」
基方「隠密のぉ〜。正攻法に陰陽道で勝負しては勝てぬのは、祈祷問答の結果でも明らか。仕方ない『草』に頼ると致そう。」
道萬「大納言様、お札は陛下ご自身に遊ばせられるに相違ないが、さらば其のお札を如何に貼り替えるか?其れが問題で御座る。」
基方「お札を最後は陛下に遊ばすとは申せ、御清間へは童子も好古卿も這入れまい。然れば、取次が必要になる。そこが狙い目よのぉ〜、草を放つ。」
道萬「兎に角、陛下に遊ばすお札を、貼り替えさせて下さい。然れば…。」
基方「お札を貼り替えると謂うは簡単だが…道萬誰にやらせる?石川五右衛門級の忍びが必要だぞ!」
道萬「魔道の邪気を祈り呪われたお札を創り、草を用いて御遣水から御清間へと潜り込ませ、お札を摺り替えさせまする。」
基方「して、其の摺り替える役、誰に任せる?」
道萬「左様、上総國の住人にして忍びの極意を知る山村伴蔵を用いんと心底に御座います。」
基方「上総國と申さば平良兼殿の家来か?」
道萬「御意に御座います。」
基方「口は堅かろうのう?万一、露見しても白状致さぬ良き草を選ばれよ。」
道萬「承知仕ります。」
そんな悪い相談が反省会と称して行われて、大納言藤原基方が屋敷へ帰って行くと、蘆屋道萬清太は透かさず、悪巧みの実行へと取り掛かります。
さて此の山村伴蔵、上総は大多喜の住人で良兼公に仕える優秀な忍びでしたが、道を誤り盗賊の仲間となり、関東では名の知れた大盗賊なれど、
名が知れて有名に成れば成る程商売が仕辛いのが盗賊で御座いまして、数年前に京へと流れて参りまして、道萬の食客『草』として飼われております。
兎に角、盗み殺し何でも御座れの大悪党で、陰陽頭天体博士、蘆屋道萬清太の政敵天敵を何人も殺し、道萬の欲しい秘傳書や家宝を盗みます。今の道萬の地位が有るのも伴蔵様々です。
さて、大納言藤原基方が帰りますと、道萬は四方の座敷に居ります家来に御人払いを命じまして、二十畳はある大広間にポツンと座布団を二つ中央に置き、一人山村伴蔵を招き入れます。
這入って参りました山村伴蔵。六尺三寸と申しますからジャイアント馬場並の大男で、皮膚は赤銅色にして両眼の鋭さは丸で猛禽類、鷹の如く、一癖有りげな人物です。
道萬「伴蔵、もそっと前へ進め。」
伴蔵「先生、かように広い部屋を態々、二人で使うと成ると、又、宜からぬお仕事でしょうか?」
道萬「宜からぬとは人聴きの悪い…だが出世に関する大切なお仕事には相違ない。」
伴蔵「ホーぉ。陰陽頭の従四位下から?正四位の卿と成られまするか?!」
道萬「馬鹿を申せ。其の程度の出世ならば態々、伴蔵!其方には頼み申さん。従三位中納言には成れる。イヤ、上手く行けば正三位大納言も夢ではない、大出世じゃぁ。」
伴蔵「誠ですか?其れは凄い大仕事だ。」
道萬「俺が大納言に成った暁には、伴蔵!貴様を従三位中納言にしてやる。山村中納言だぞ!伴蔵。」
伴蔵「其れで、道萬様。某は何を居たさば宜しいのでしょうか?」
道萬「其れはカクカクしかじか、云々かんぬん致して呉れ!失敗は許されぬぞ、伴蔵。大納言と中納言であるからなぁ。」
伴蔵「万事承知仕りました。」
道萬「万一、しくじり取り押さえられても、決して身分を明かして成らぬぞ!」
伴蔵「左様な童子と謹慎の身の好古卿如きに見破られたりは致しません。」
そんなやり取りが有りまして、蘆屋道萬清太は尾花丸が祈祷を始めるのを待って、そこで尾花丸が用いるお札を悪用し、帝の御悩を悪化させる算段を山村伴蔵と企みました。
山村伴蔵は三条坊門の小野参議好古卿の屋敷を見張り、恐らくは好古卿自らが使者と成って、尾花丸のお札を御所へ届けるに違いないと睨んでおります。
軈て、閉門中の屋敷から好古卿が出て来たかと思うと三条通りを烏丸方面へと歩き始めますから、間違いなく御所へと向かっていると分かります。
時刻は五ツ戌刻、夜の烏丸通りを伴蔵は先回りをして御所の見張りの手薄な智門東側から塀を乗り越え、御遣水辺りからまんまと中へ這入りました。
さて此の山村伴蔵、以前は蘆屋道萬清太の護衛係りとして御所へは頻繁に出入りする身分ですから、御所へ一旦忍び込めば中の様子は熟知して御座います。
主殿寮の東側は塀が低いのでコレを軽く打越し、又嘉陽門の南側の塀には鍵の無い通用口が在る事も存じており、是に通じる麗景殿の庭口から御廻廊へと容易に忍び込めました。
こうして伴蔵は誰からも目撃されずに、まんまと御清間へと忍び入る事に成功致します。事前に関白忠平公からのお達しで御清間は出入禁止と成っており、
中には誰も居りませんから、山村伴蔵は堆く積まれた荒衣の影に隠れて其の時を待ちますと、御清間の次の間、鳳凰間にどうやら好古卿が来た模様で、
関白忠平公と取次の役人が好古卿から直々に尾花丸が創りし祈祷の守札を三方に頂いて、正に御清間の朱雀院の寝所の八足臺に其れを供え様と致しております。
是ら一連の作業は御所にて神事に携わる按司の典侍が執り行います由え、喩え関白殿下とて三方の上の守札には触る事すら許されません。
三十六畳の御清間には先程申した通り荒衣が大量に敷き詰められて、正面に八足臺を置き、三十六燈明が照らされて、実に綺麗な光景です。
さて、ゆっくりと三方に頂いた守札を按司の典侍が八足臺へと供え、何やら詔りを唱えて、更に二拍一礼。厳かに八足臺にお札が奉納されますと按司の典侍も退室致します。
又御清間はただ一人、荒衣の中へ身を潜めます山村伴蔵ダケに御座います。次の間、鳳凰間の人気を伴蔵が気にして御座いますと、尾花丸の守札が供えられたので、
次の間からも人の気配は無くなり、あとは陛下をお迎えするのみで御座いますから、山村伴蔵の方もお札の摺り替えを急がねばなりません。
荒衣を踏み締めつつ、伴蔵は八足臺の傍まで近寄り、安倍童子、尾花丸の守札と道萬が邪神の呪札に摺り替え様と手を伸ばしますと、
折りからガーラッガラガラッと突然の振動雷電致し、百千の雷が頭上より落雷したが如き雷鳴が轟きます。流石百戦錬磨の山村伴蔵も、七、八間後ろへ飛び退く有様で御座います。
不思議な事も在るものだ、天井下の屋内、而も御所の御清間内で、振動雷電致すとは…、俄に信じられない様子の山村伴蔵。
暫く呆然とした伴蔵でしたが、中納言・大納言には代えられません。欲が勝って臆病が引っ込み、気を取り直し八足臺の上のお札を取り、
其の札の表書を、懐中から出した道萬が創った呪札の表に書写します。其れを急いで八足臺の上に置き、さぁ帰りは何処をどう通ったかも判らぬ程、
山村伴蔵は頭が真っ白に成りながらも、蘆屋道萬清太からの密命を成し遂げて、道萬屋敷へと立ち帰ります。そしてカクカクしかじか云々かんぬんと報告すると、是を聴いた道萬は大いに喜びます。
つづく