安倍仲麿の末裔で保名の倅・尾花丸は、六十代醍醐天皇に仕えた陰陽頭天文博士、加茂保憲の娘を母に持ち、今、安倍家再興の為、

又京の三條坊門の小野参議好古卿の謹慎を解く為に、今上天皇・朱雀院の御悩を自らの祈祷により全治平癒させ様と京都の街に来て居た。

着古した襦袢一枚、シゴキの一本帯に素足のまんま、三条の好古卿の邸を飛び出した尾花丸。何処で拾ったか?自ら拵えたのか?

手には幣束を持っていてピョコンピョコン、と跳ね乍ら祭囃子の様な調子を取って歩きます由え、跡から跡から童が尾花丸に続きます。

尾花丸を先頭に三条から加茂川沿に上るうちに列は五人、十人、二十人と、軈て御池通を西に折れ烏丸御池に着くとアッと謂う間に五十人。

そして、広い四角で大きな声を発しながら、烏丸の通りを御所に向かって上り始めますと、更に四方から子供ばかりか大人まで集まり始めます。


忽ち去るべき災難を 知らざる事の哀れさよ。 奈良の都の其の時に 彼の唐土に遣いして! 故郷を慕いし彼の國の、 

土に成れど魂魄は、天津御空に留まりて、 我を助けて日の本に、 祈りの師こそ我也や! 祈りの師こそ我也や!


独り先頭に立って大きな声で唄う尾花丸を、跡から付いて従う金魚の糞の連中は、只の通行人ばかりで御座いましたが、遂に、

巡礼の白装束で金鈴を振る二、三十人の集団が此の最後尾に『何だろう?奇態な声で語り掛ける奇童也!』と思いつゝ従います。

又尾花丸は烏丸通りを丸太町へと上りまして、更に広いこの十字路でも、又も大きな声であの言葉に独特の節を付けて唄います。


忽ち去るべき災難を 知らざる事の哀れさよ。 奈良の都の其の時に 彼の唐土に遣いして! 故郷を慕いし彼の國の、 

土に成れど魂魄は、天津御空に留まりて、 我を助けて日の本に、 祈りの師こそ我也や! 祈りの師こそ我也や!


さぁ場所は烏丸丸太町。此処まで何度も耳にした『♪ 忽ち去るべき災難を、』の呪文の様な歌を童は覚えて仕舞い、

尾花丸の唄声に合わせ、是を跡に続いて合唱する様に成ります。つまり尾花丸が『♪ 忽ち去るべき災難を、』と唄い出すと、

一拍有って五、六十人の童が声を揃えて『♪ 忽ち去るべき災難を、』と跡から続くので御座います。さぁ、こう成ると大人も続き始めます。

どんどん尾花丸の一団は自然と組織化されて行き、『♪ 忽ち去るべき災難を、』の唄声に調子を合わせて、鈴を鳴らし銅鑼を叩く奴まで現れます。其れは実に閧の声と思うばかり!

遂に一団は陽明門前に着き、此処でも『♪ 忽ち去るべき災難を、』と大きな声を轟かせて居りますと、此処へ一台の牛車が通り掛かります。

是は護衛の家来十四、五名を従えて参内を致す途中の大納言藤原基方様で御座いまして、さぁ、大納言の目に尾花丸の一団が留まります。

基方「何んじゃ!あの怪しげな集団は。御君御悩に付き、歌舞音曲祭囃子や行列の類は畿内禁止令を出して有るハズ。其れを。」

家来「御意に御座います。」

基方「ならば!上役人に彼等も取り締まる様に下知致せ。誠に目障り千万、不愉快である。」

家来「ハッ、実に遺憾に存じ奉りまする。」

と、大納言藤原基方の命に依って御所の役人が出張って参ります。そして、尾花丸が率いる妖しい一団を取り締まろうと致します。

さぁ大納言藤原基方は、此の役人、雑式部達がどの様に妖しい一団を扇動する童子を縄目に掛けるのか?暫し高見の見物と牛車を停めて観ております。


雑式頭「其れでは大納言様が直々に。」

役人「ハイ、陽明門前で其の妖しい一団が、銅鑼や鈴を鳴らし囃子立てゝ騒ぎを起こし、陰陽頭天文博士で有らせられる蘆屋道萬清太様の祈祷の邪魔であると。」

雑式頭「で、其の妖しい一団の首謀者は誰なのじゃぁ?!」

役人「其れが……妖しげな童子で御座いまして、六つか?七つの童で、頭は紅くポワポワと猩々の如く、顔だけは大きく造りは大人帯で御座います。そして


忽ち去るべき災難を 知らざる事の哀れさよ。 奈良の都の其の時に 彼の唐土に遣いして! 故郷を慕いし彼の國の、 

土に成れど魂魄は、天津御空に留まりて、 我を助けて日の本に、 祈りの師こそ我也や! 祈りの師こそ我也や!


と、大きな声で節を付け囃子立てるので御座います。又其の童子は竹の先に紙を付けた神主が用いる幣束の様な物を振り回し、

之に調子を合わせて行列に加わりし、童や大人が跡を付ける様に合唱致します。又、調子に合わせて銅鑼や鈴を鳴らすので御座います。」

雑式頭「其れは不埒な輩じゃぁ。陰陽頭天文博士、蘆屋道萬清太様の祈祷の最中に囃子立て、是へ来て『祈りの師こそ我也や!』とは不届至極、

喩え若年の童子とて容赦は要らぬ!大納言様の下知なれば、縄目に掛けて引っ立てよ。そして厳しく取り調べよ!背後で糸を引く者の有るハズじゃぁ。」

さて此の平安時代の京の都の治安取締役を『雑式部』と申します。天皇を頂点に官位を持つ朝廷の官人、貴族の有位者の下手働く実務者を差します。

此の雑式の頭に、大納言藤原基方公が命じたのですから、直ぐにまぁ江戸時代だったら足軽とか仲間(ちゅうげん)クラスの下っ端が、

五、六人狩り出されて少し迷惑そうにして、六尺棒の様な捕り方道具を片手に、尾花丸の一団を捕まえ様と出て参ります。

一団「♪ 祈りの師こそ我也や!祈りの師こそ我也や!」

雑式「之れ!之れ!騒ぐでない!騒ぐでない!」

一団「♪ 忽ち去るべき災難を、知らざる事の哀れさよ。」

雑式「止めよと申し取るのが判らぬか!悪童めぇ!」

一団「♪ 奈良の都の其の時に、彼の唐土に遣いして!」

雑式「止めんと有らば、此の棍棒で打擲致す!覚悟しろ!悪童ども。」

さぁ、雑式が持参した棍棒を振り回しますと、何んか楽しい行列だと、ブレーメンの音楽隊的な乗りで参加していた童も大人も、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出します。

併し、独り取り残された首謀者の尾花丸は、其れでもお構いなしで、例の呪文の様な唄を唱え続けておりまして、雑式達を無視し続けます。

雑式「オイ、チビ。お前だ!お前。先程来無視して唄う先頭のお前だ!止めろと謂うに止めず不届な奴めぇ!」

尾花丸「別段、態と知らぬフリ聴こえぬフリをした訳では御座いません。只々、止めろッと謂われても! 今では遅過ぎた。」

雑式「お前、西城秀樹かぁ?!ワレ、何者?」

尾花丸「何者江戸川乱歩。」

雑式「混ぜ返すな、童子。童だからと容赦はせんぞ!だから、何者じゃワレ!」

尾花丸「オジサン、お前さん!あんまり頭良く無いなぁ?馬鹿だろう?」

雑式「馬鹿とは何だ!馬鹿とは、役人をつかまえて。」

尾花丸「だ・か・ら『ワレ、何者?』って英語にするとWho am I?って事だぞ、ワレ=我。馬鹿か?其れとも哲学者か?オッさん。」

雑式「何を古典的な漫才のボケカマシとんねん、ワレ!ワレは上方弁ではYouになんねん、其れを小ボケに使いやがって!早よう、名を名乗れ!ただし赤胴鈴之助とか謂うなよ!ボケ。」

尾花丸「問われて名乗るもおこがましいが、生まれは伊勢國は津の安倍野。十歳の時に親に離れ、身の生業は陰陽師、安倍仲麿の血を引いた安倍童子尾花丸たぁ〜俺のこった!!」

雑式「白浪五人男で来たなぁ〜、童子。津から来た尾花丸が、なぜ、妙チクリンな唄を大声で唱えて京の街を練り歩く?その訳をお頭がお尋ねになるさかい、正直に答えて呉れ。」

尾花丸「お前の頭と謂うのは誰だ?」

雑式「雑式頭の山村道玄様だ。」

尾花丸「其の道玄様が一番偉いのか?」

雑式「イヤ違う、雑式部を御支配されているのは大納言藤原基方様だ。」

尾花丸「其の大納言が『旦那』で、雑式頭の山村何某は『仲買』、差し詰雑式のお前さんは『小売』だ。」

雑式「なんでワレ、態々町人に喩える、雑式だがワシ小売ではあらへん!生意気な童子じゃ。ほんまに口が減らぬやっちゃぁ。」

尾花丸「兎に角、其の大納言が私の唄、言葉の意味となぜ私が京都市中を之を唱えて練り歩くのか?理由(ワケ)を教えて欲しいのなら、

教えを乞う訳だから、私の方から出向いて教えて差し上げるのは人の道に反しませんか?普通は師に教えを乞うのなら弟子が出向いて習います。」

雑式「己は本まに口の減らん奴や。どうしてもワシ等に同道センと申すなら、しゃぁ〜ない、力尽くで首に縄付けても連れて行くでぇ。」

尾花丸「首に縄を付けられても、私は断固行きません。」

さぁ、此の同道せぇ!厭です行きません!の争いが、更に二、三回御座いまして、雑式は遂に尾花丸の襟首を掴み強引に抱え上げて仕舞おうとしましたが、

いやはや尾花丸も小童とは思えぬ怪力で抵抗し、その場を動こうとは致しません。さぁ、困った雑式は棍棒でも攻めますが、

是を尾花丸は手に持つ竹の幣束で是に応戦致しまして、此の騒ぎを聴き付けて来た野次馬ん中を巧みに逃げ回るので雑式達も苦戦を致します。

さぁ、此の様子を観ていた大納言藤原基方と雑式部頭の山村道玄は、歯痒くて仕方ない様子となり遂に生捕を断念し新たに下知を飛ばします。

基方「ヤイ、童子一人に大人が五人係りで捕まえられぬとは道玄!殺しても構わぬ。早よう此奴を斬り捨てなさい。」

山村「宮本氏、細川氏、大納言様より斬殺やむなしとの下知が下されました。あの無礼者を成敗しなさい。雑式共は下がりなさい。」

雑式部頭、山村道玄は大納言配下の近衛係、宮本忠助と細川胤興と謂う若侍に命じ、鞘払いした大刀を下げて群衆の中へ斬り入ります。

さぁ、棍棒を振り回し雑式共が童を追い回して居る場面では、平気で観ていた京の街の人々も、近衛武士が大刀を抜いて現れては、

流石に、そうそう近くで見物とは行きませんで、素早く遠巻きに潮が引く様に去って仕舞いますが、恐いが観たい!十分に白刃からは間合いを取り、

野次馬達は離れた安全な所から此の捕物の結末を固唾を飲んで見守ります。ビュンブンビュンブン。と大刀の風切り音をさせ間合いを詰める二人。

さぁ、絶体絶命の安倍童子、尾花丸は幣束の竹竿では白刃には太刀打ち出来そうにありませんし、二人係りの挟み撃ち、彼等には隙も有りません。

すると、突然。尾花丸が手に持った幣束を置いたので、降参するかと見てやれば左に在らず、いきなり御所の方に向かって大きな声で訴えて始めます。

尾花丸「今日帝の御悩を理由に静寂に務めるを旨とする時節に、御所と目と鼻の先で白刃の鞘を払うと云うは不届至極。何者の狼藉かは存ぜぬか、召し捕られよ!召し捕られよ!」

さぁ、尾花丸に斯様に謂われて俄に慌てたのは大納言の家臣にして、近衛係の侍二人。歌舞音曲ですら禁止にしている御所の前で刀を抜いた二人で御座います。

このまま抜身で居ると、自分達が事情を知らない役人連中から召し捕られ兼ねないので、直ぐ様刀を鞘に納めて仕舞います。まぁ、出て来た事すら恥ずかし気です。

一方、近衛武士の白刃を食い止めた尾花丸でしたが、童子ですから逃げ回るにも限界が御座います。体力も既に尽き欠けて居る處なれば逃げ出す次の算段に掛かります。

丁度そこへ御所を出て烏丸の通りを下る立派な牛車がハイホー!ハイホー!と先を払いながら進んで参ります。此の牛車の中には関白藤原忠平公が在わしまして、

正に帝のお見舞いと蘆屋道萬清太の祈祷の激励を済ませて屋敷へと帰る道中ですから、是は好都合!『助けてぇ!人殺し!』と尾花丸、叫び声を上げて助けを求めます。

さて此の関白殿下。彼の『天神記』で有名な関白、藤原時平公、この人の御子息が忠平公なのです。時平公は菅原道真、醍醐天皇、宇多上皇を敵に回し、

藤原一族の為に私利私欲の政治を行なった大悪党の様に言われていますが、忠平公の方は父上とは真逆で、情に厚く文智に長けた立派な関白として歴史に名を残して居ります。

さて、関白藤原忠平公、牛車の窓より外を見遣りますと、六、七歳の童子が二人の武士に刀を抜かれて追い廻されて居りますから、是は只ならぬ事!と感じます。

更に、其の侍は同門の大納言藤原基方の近衛武士と顔を見れば分かりますし、遠からぬ所に基方の牛車も停められておるので、関白殿下何事だ?此の騒ぎはと訝しく思われます。

忠平「之れ!弾正。牛車を基方殿の其れの脇へ付けて、あの紅い髪の童子を守って差し上げなさい。」

弾正「畏まりまして御座います。」

そう忠平公がご命じになりまして、忠平公の牛車は大納言の牛車の脇へと停まり、是で両者は窓越しに会話が出来る距離に相成りました。

忠平「基方殿、如何なされた?御所の真ん前で白刃を抜いて騒ぎを起こすとは言語道断!大納言ともあろう御方が、万民に示しが付きませんぞ。歌舞音曲すら禁じておる折りに。」

基方「へぇ。」

忠平「へぇでは無いぞ、此の童子が如何なる狼藉を働いた?刀を抜いて二人係りで殺す程の狼藉とは如何に?!」

基方「御所の真ん前に於いて、宜しからぬ唄を唱え民心を惑わし扇動致します、止めよと命じましたが、是を無視致し狼藉を繰り返す由え、已む無く成敗致さんと刀を抜かせました。」

忠平「左様では有るまい。麿は俄に信じ難いぞ!基方殿。あの童子は六つか?七つぞ。其れを元服はとうに過ぎた近衛の武士二名を使い、白刃を向けて成敗するなど聴いた事がない。

之れには浅からぬ理由(ワケ)が有るに違いない。宜しい麿が自ら彼の童子に問い正して見ん。オイ、誰か?!あの童子を此処へ連れて参れ、麿が直々に問い正す。」

さぁ!大納言藤原基方と謂えども、関白藤原忠平公のご命令と成れば逆らう事は出来ません。尾花丸は関白忠平公の家来に連れられて、其の牛車へと招かれます。

関白家取次「関白忠平公よりの命にて其方に尋ねたき儀之有り、左すれば御車まで同道願いたい。尊き御方由え心得て参られよ。」

尾花丸「畏まりました。太政大臣忠平公と申さばこの上無き天上人、慶んでお連れ願いまする。」

さて、此の時代の関白太政大臣ですから、喩え牛車の中の様な狭い空間でも、直接人と話すなど有り得ないのですが忠平公は尾花丸を見るなり決断致します。

忠平「汝は何者か?姓名は?何と申す。イヤ、直接で良い、弾正貴様は要らぬ、下がれ!下がれ!」

コソコソと耳打ちして会話を補佐する係りの松永弾正秀長は牛車から追い出され、関白忠平公は尾花丸と直接対話を致します。

尾花丸「関白忠平公、取次役を用いず直接対話にして下さり誠に有難う存じます。私は勅命を受け唐土へ渡った安倍仲麿の子孫、安倍保名の息子尾花丸に御座います。

祖父は元陰陽頭天体博士の加茂保憲に御座います。依って生まれたのは伊勢國津で安倍野と謂う所で御座います。」

忠平「何んじゃ、安倍仲麿の血統であるのかぁ、父は安倍保名と申すのか?で、歳は幾つじゃぁ?!」

尾花丸「十歳に御座います。」

忠平「基方が申すには、其方、何やら奇なる唄を唱えるとか、烏丸丸田町に百人を越す民を一瞬にして集めた唄、麿も聴いてみたい!唄って給もれ。」

尾花丸「唄う事は吝かでは御座いませんが大納言様がなさる様に、腕尽く力尽くで無理矢理にでも唄の訳を謂えと迫られますと、童とて抵抗したくなる、臍が曲がりまする。」

忠平「麿は無理強いはせんが其の唄を聴いてみたい。只それだけじゃぁ。唄うては呉れまいか?尾花丸。」

尾花丸「ハイ、早速唄わせて貰いますが、些か道具が必要で御座いまして、二尺ばかりの竹竿と紙が要り用になりまする。」

忠平「紙と竹竿で何んと致す?」

尾花丸「紙を菱形に繋ぎ御幣を造り、竹竿の先に之を取り付け幣束を拵えるのです。」

忠平「ホーッ、幣束のぉ〜。」

尾花丸「さぁ出来ました。関白殿下の前で恥ずかしいのですが、唄わせて貰います。狭い御所車の中由え、少し手加減して踊りまするが。」


忽ち去るべき災難を 知らざる事の哀れさよ。 奈良の都の其の時に 彼の唐土に遣いして! 故郷を慕いし彼の國の、 

土に成れど魂魄は、天津御空に留まりて、 我を助けて日の本に、 祈りの師こそ我也や! 祈りの師こそ我也や!


尾花丸は狭い車内なのに、器用にしゃがみながら幣束を振りながら唄います。そして、是を真剣に聴き入る関白藤原忠平公で御座います。

忠平「此の唄と踊りは、祖父や父に薦められ教えられた物であるか?!」

尾花丸「いいえ左様であ有りません。之れは人に教えられた物にあらず、我が心底より湧き出でた唄に御座いまする。」

忠平「どう謂う訳じゃぁ、もう少し詳しゅう教えて呉れ。」

尾花丸「承りますれば、今上天皇・朱雀院様は御悩深く霊寺霊山に於ける祈祷祈念では全快平癒とは成らず、この度は陰陽頭天体博士、

蘆屋道萬清太殿を御所に招かれての祈祷祈念を行われておる様子ですが、未だ功験無いとお聴き致します。即ち道萬清太如き者は真の祈り、其の法を知らぬ未熟者。

只私欲我流の祈りを無駄に続けおりあれでは御悩平癒とは成り難し、依って若し手前に祈祷の機会をお与え下るならば、七日の内に御悩平癒させて見せましょう。」

忠平「蘆屋道萬清太は祈祷の道を違えておる由え、帝の御悩平癒は無いと謂うのだなぁ。して汝に其れを任せなば、一週にして御平癒させられると申すかぁ?!」

尾花丸「御意に御座います。」

忠平「理由(ワケ)が知りたい!有体に申せ、童子。」

尾花丸「其れは喩え太政大臣忠平公にも、此の場では申し上げられません。帝の御前にて手前が祈祷致す際に初めて知れる秘技に御座います。」

忠平「其れで汝は京での仮家は何処だ?!」

尾花丸「ハイ、些か縁有りて三条坊門の小野参議好古卿様のお屋敷に厄介になって御座います。」

忠平「好古の邸に居ると申すか?!」

尾花丸「左様に御座います。依って、お呼び出しの際は三条坊門の小野参議好古卿様宅にお遣いを下されば、何時々々(いつなんどき)罷り出て御祈祷致しまする。」

此の様にして安倍童子、尾花丸は関白藤原忠平公との縁を見付けて、三条坊門の小野参議好古卿の屋敷へと帰りますと、この日の出来事を好古卿へ報告致します。

さぁ是を聴いた好古卿は目を丸くして驚きまして、さて!本当に御所より尾花丸を迎えに来るのか?翌日は朝からドキドキハラハラで御座います。


さて一方、関白藤原忠平公の方はと見てやれば、早々に尾花丸の出生並びに血筋が誠に安倍仲麿の血統なのか?此の詮議を家臣に命じまして畿内では加茂保憲一族をも調べます。


ただ安倍仲麿は此の時已に百二、三十年も前の人物で血統を辿るのは容易な作業では無い。其れでも詮議させると忠平公が決めたからには家臣は畿内に伊勢にと大忙しと相成ります。

其れも踏まえて、忠平公は尾花丸と出逢った翌日、参内の太政大臣、左大臣右大臣、並びに大納言、中納言が一同に会した政の席で尾花丸と蘆屋道萬清太の噺を切り出します。

忠平「蘆屋道萬清太を招いて帝の御悩を祈祷にて平癒させんと、我々に進言致したのは大納言殿、貴方でしたなぁ?!

其れが五日、十日、今日で十四日。二週経ちましたが御悩の平癒は愚か、良くなる兆候すら見えません。大納言殿!如何に?」

基方「関白殿下、祈祷などゝ申すものは、三七・二十一日で満願を迎える物であと一週お待ち下されば蘆屋道萬清太が必ず、平癒させて見せます。」

忠平「其れは大きく出ましたね、大納言殿。若し万一功験無く終わった時は、大納言!貴方が生贄になるとでもおっしゃいますか?」

基方「イヤ、左様な約束は。」

忠平「ならば、蘆屋道萬清太は祈祷の法を知らず我流の誤った道の祈りを連日無駄に捧げていると申す奇童が現れた事を汝は如何に思われる?」

基方「あの様な何処の馬の骨とも知れぬ子供の申す言葉を関白殿下は信じておられるのですか?!」

忠平「確かに十歳の子供ではあるが、中々噺を致してみると大人にも負けぬ弁舌確かな童子であるし、両親や祖父も陰陽道に明るい。

又其の血筋は安倍仲麿の血統なれば、祈祷など出来て当然。各々方、如何でしょう?童子に祈祷させる事に異存御座いませんか?」

さて、この日の参内では、いみじくも当代陰陽頭天体博士の蘆屋道萬清太の意見も、ゆはり聴いた上で判断する事と相成りました。

さぁ、此の蘆屋道萬清太と謂う人物ですが、是又中々の食わせ物、野心家で御座いまして一癖も二癖も在る悪党で御座います。

朝廷中枢に居る大納言藤原基方とは古く深い付き合いで、朝廷の政を催事や祈祷、易学から則ろうと企んでいるので御座います。

道萬清太「忠平公、いきなり私を退けてその安倍仲麿の末裔とか申す童子と置き替えると謂われましても乱暴過ぎまする。何の官位もない童子を帝の側に置くのも如何な物か?!」

忠平「併しのぉ〜、其の童子は必ず帝の御悩を七日間の祈祷にて平癒させると宣言いたしておる。而も道萬清太、貴殿の祈祷が何故駄目か?之を指摘いたしおる。」

道萬清太「判りました。では!其の童子と之より祈祷と神道に関する問答を行い、どちらが帝の祈祷を続けるに相応しいか?白黒はっきりさせましょう。」

忠平「其れは良い考えである道萬清太、大納言殿、お主はどうだ?問答勝負は?」

基方「殿下、道萬清太殿からの提案で御座るなら、私に異存は御座いません。」

忠平「ヨシ、そうと決まらば麿は、直ぐにも三条坊門の小野参議好古卿へ、此の事をお伝えせねば、では又吉日を選んで祈祷問答の日時をお知らせ致します。」

さぁそう謂うと関白藤原忠平公は、使者を立てゝ三条坊門の好古卿屋敷に居る尾花丸に、祈祷問答勝負を伝えます。

さぁ、悪企みの大納言藤原基方と、インチキ祈祷師の蘆屋道萬清太は、関白殿下が席を外した大内裏の控え間で人払をしてコソコソ密談の最中でした。


基方「問答など自ら提案し大丈夫なのか?」

道萬清太「問答由え、問が判らぬ今は何も答えも無いと謂うのが正直な気持ちだが、相手は安倍仲麿の末裔とは謂え、十歳の童子ぞ?!問答して負ける道理は無い。」

基方「だがのぉ〜、殿下が仰る通りで尾花丸は予も見たが並の十歳の童子ではないぞ!其れ成りに準備、怠りなく頼んだぞ!道萬清太。」

道萬清太「任せて呉れ、貴殿に恥をかかせる様な失態は致さぬぞ。」

こうして、陰陽頭天体博士の蘆屋道萬清太と、官位も無く名も無いただ安倍仲麿の末裔と謂う尾花丸との『祈祷問答』が開かれる運びとなり、

其の日時は天慶元年三月十五日。八ツ未の上刻と定られまして、前日十四日の辰刻過ぎに大内裏より関白殿下の使者が参り、是を小野参議好古卿へと知らされます。

好古卿「其れにしても、尾花!汝の幸運の相には驚かされる。易学の範疇を越えた福に取り憑かれておる。普通、大納言に睨まれた時点で凡人なら人生は終わる。

だが其れを貴様は関白殿下の目に留まり、幸運の糸を手繰り寄せて、安倍家の再興と私の閉門謹慎の赦免も成るかも知れぬ。誠に有り難いぞ!尾花丸。

其れに明日の問答当日は儂も、関白殿下の思し召しで御所の問答対決には案内される事に相成った。必ず勝てよ!尾花丸。貴様の命運に全てが掛かっている。

ヨシ、尾花丸!今宵は明日の問答勝負に備えて、儂が仮想・蘆屋道萬清太を務める。だから模擬問答をやって明日の本番に備えよう!!」

尾花丸「好古卿、其れは有り難い限りですが、問答で蘆屋道萬清太が想定問答通りの問いを出すとは思えません。腐っても鯛。陰陽頭天体博士は伊達じゃ有りません。」

そう謂われて、小野参議好古卿は尾花丸に嗜められて仕舞います。そして結局その日は早目に布団に入る尾花丸で御座います。さぁ、烏カァ〜で翌朝は愈々問答当日。

凡人ならばどんな問いを相手が出して来るのか?想定を立てながら対策を考える物ですが、尾花丸は泰然自若、大胆不敵な奴で御座いまして好古卿も舌を巻いて居ります。

天慶元年三月十五日、未の上刻。大内裏には紅白の式幕が四方に張り廻らされ『祈祷問答勝負』が愈々始まろうとしていた。

関白藤原忠平公の肝煎の問答だけあり、名だたる名門と官位の高い連中は勢揃い。そんな中謹慎中の身で有り乍ら関白殿下の御意向で、

三条坊門の小野参議好古卿も尾花丸と共に御所へ招かれて、この日ばかりは久しぶりに烏帽子を被り装束付け帯刀しての参内と相成ります。

一方、安倍童子尾花丸はと見てやれば身なりを変えて出る衣装は御座いません。津の安倍野を出た時の衣服の儘で、

着古しの襦袢に帯代わりのシゴキ素足に藁草履を履いて、頭はポワポワの紅い髪の毛を後ろを結び、好古卿の跡に従い御幣を手に参内致しました。

さて当日は百官百司の方々、何れも大内に罷り出たる事にして、清涼殿にて問答勝負が執り行う事と相成り、正面には関白太政大臣藤原忠平、

左大臣藤原師祐、右大臣藤原仲平、大納言源高明、大納言兼民部卿忠家、大納言兼御歌所別当師忠、是を始めとして摂関家清華の人々、左右に居流れて、

暫くします内に大納言藤原基方も参内を遂げて、陰陽頭天体博士、蘆屋道萬清太、烏帽子を頂き、大きな御幣を手に禮服を着し、悠々と罷り出る姿は、

流石一見識御座います。時に清太今年二十六歳、眼光鋭く安倍童子など敵にあらず!一瞬に説き伏せてやる!の心底、好古卿に於いては右手の方に居りまする。

さて其の時関白殿下の目配があり、大納言忠家卿是へと進み出ると、問答勝負の当事者、並びに見届け人数多内揃うを確認し声を掛けます。

忠家「参議好古、安倍童子罷り出て居るか?」

好古「殿下のお言葉に従い、尾花丸を連れて罷り出て奉る。」

忠家「何れへ差し置かれしぞ。」

好古「無官の者由え、階梯を昇るに能わず。依って階下に控えさせて居り申す。」

さぁ、此の遣り取りを見た主催者でもあります関白藤原忠平公が一言助言なさいます。

忠平「アぁ、イヤ好古、今日は蘆屋道萬清太との問答勝負当日、一人は高き所に在って片方は階下に在るのは、些か問答するのに不都合ならん。

平時は許されぬとは思えど、本日は問答勝負が何より大切。なれば今日一日、目線の高さを合わせ問答勝負に挑む事を、麿が許す!」

さぁ、関白藤原忠平公より許しが出た事で、道萬が二重壇の此方に控え、尾花丸は十八段の階梯の傍の所で蹲って居りますから確かに是では問答に成りません。

顔の見える高さに合わせて、互いに問答できる環境となる様に『大内昇殿許す!』と相成りましたが、さて問答勝負の行方は次回のお楽しみで御座います。


つづく