【はじめに】

陰陽師と安倍晴明が一大ブームに成ったのが、1990年代で野村萬斎の主演で映画まで作られたのが2001年の事である。

私はこの映画を撮影中の岩手県の水沢に在る『藤原の里』を何度か訪れた事が御座います。平安時代の古都の映画セットと、

鎌倉、室町時代の『砦』の映画セットが敷地内に御座いまして、広いけど深くない映画用に造られた池なども御座いまして、

近所に本物が在るにも関わらず造って仕舞った中尊寺の金色堂が実に印象的で、残無いペンキ色した黄金が忘れられません。

そんな『陰陽師/陰陽道』の主人公安倍晴明、源頼光、袴垂保輔などの伝記を少しばかり詳しく講釈でお聴かせ致します。

講釈の講演から起こした速記本、大正十年春の講演を編集した作品で、演者は講釈師・寶井琴窓で、発行元は博文館です。

【本編】



抑も人皇六十代、醍醐天皇の御宇、陰陽頭天文博士加茂保憲の塾に、安倍仲麿の末裔で保名と謂う者が在りました。

然るに、保憲の娘にして葛子と謂うのが御座いまして、此の葛子と保名は深い仲と成りまして、其れが表向きに成ります。

父、加茂保憲は役職を免じられて仕舞います。其の当時の恋愛事情由え、國のある意味中枢を担う陰陽頭天文博士、

其の娘が父親の弟子と自由恋愛でくっ付き合うとは強烈なスキャンダルで、加茂保憲は京都の碁盤の目の内に住う訳には参らず、

親子打揃って伊勢國の津に御座います『安倍野』と謂う所へ移りまして、少々知己も御座いますから其れを頼り居を構えます。

軈て保名の子を葛子が宿して居ると知れますと、保名も『安倍野』へと参り婿となり一緒に暮らす運びと相成りまする。

そして間もなく葛子に保名の男児が出生致しまして、加茂保憲は大変慶びまして、勿論、保名と葛子の絆は猶一層深まります。

さて此の産まれた男児が実に尋常では御座いません。産まれ付いて歯が二枚生えてデカい顔、真っ赤なポワポワの毛が頭を覆う獣、まるで猩々で御座います。

さぁ是を見た母親の葛子は男児の誕生を喜ぶ反面、尋常ではないその容姿に行末を案じて胸を痛めていたが父、保憲は違った。

流石、陰陽頭天文博士である保憲は、自分の孫の容姿が尋常ならざる事を吉兆と捉えて慶ぶのである、畢竟名だたる偉人は、

産まれた時より凡人とは異なり、何処か尋常ならざる容姿で在る事を知っているからである。是は唐土でも天竺でも、そして日本でも。

此の陰陽道の真理は更に先々の時代が証明する事となり、喩えば太閤秀吉。彼は猿面だと謂う多くの説と、栗原太閤記では犬面とある。

猿面であろうと犬面でも、どちらにせよ秀吉は尋常ならざる容姿には違いない。又蜀の劉備玄徳は耳と手が異常に長かったらしい。

其の耳は耳たぶが肩にまで届く位に長く、又彼の手は立った状態のまんま、自分の膝小僧を掴める程長かったらしい。

たがら、劉備の前に煙草入れや財布を迂闊に置くと直ぐに盗まれたそうです。まぁ此の様な凡人と外観の異なる偉人傳を上げたら切りがない。

どうやら多くの歴史に名を残す様な偉人は共通して、尋常ならざる容姿を有している様で、保憲は自らの孫・尾花丸が異相で在る由え、

『之れは末々が楽しみじゃぁ!』と、頼母しく思いまして尾花丸に大層愛情を注いでやるので御座います。ところが………

尾花丸は兎に角悪戯好きで、六歳を迎え保憲が手習や素読を教えては見るのですが全く理解いたしません。そして七歳を迎えますが全く読み書き出来ぬのです。

其の代わりと謂うのも変ですが、普通の子供は六、七つでは全く興味を示さない川狩りや野遊びを致し蟲などを獲る事を大変好み、

是を観て父親の保名は飛んでもない『うつけ者』じゃぁと落胆し尾花丸の将来を悲観し、師匠である博士保憲の職を奪う様な、不義の恋で生まれた我が子、尾花丸。

其れがあの様な『大うつけ』とは天罰に相違ない。嗚呼、この『大うつけ』が安倍の家の跡取りかと思うと悲しいと鬱ぎ込む保名。


其の内に帝が崩御なさいまして、六十一代朱雀天皇の御世と相成り、二度の改元有って『天慶元年』を迎え尾花丸は十歳と相成ります。

そして加茂保憲と安倍保名親子、並びに尾花丸には別段噺となる事件は御座いませんが、朱雀院様は愈々健康が優れず、

已に玉體危うからんと、最悪の事態に備えて日本國中六十余州霊山霊場に於いては、何処も帝御悩御平癒の祈祷を致し、

又ある典榮頭、薬師を追々都へ集めて、様々に手を盡し奉るも少しの功験無く、遂に薬は勿論湯水も喉を通らぬ事態と相成り、

其れが為都では一切の歌舞音曲を停止致し、四園は粛々寂々として、宛ら灯火の消えたるが如き静寂に包まれております。

茲で陰陽頭天文博士、蘆屋道萬清太と謂う者に仰せ付けられまして、帝御悩御平癒の祈祷を致しましたが是又功験無く、

近頃、其の道萬清太の祈祷が上手く利かぬとの噂が遠近に知れ渡り、愈々、朱雀院も寿命が盡きる日も遠くはないと囁かれ始めます。

さて、相も変わらず安倍家の総領尾花丸は、日がな野山を駆け巡り、服は着ずに裸體で陽を浴びて真っ黒の肌で御座います。

又已に十歳だと謂うのに背はチビて六つか?七つにしか見えません。其れなのに顔ばかりはデカくて鼻が高く目がギョロっとしております。

更に頭髪は紅くポワポワして猩々如く、読み書きは出来ず祖父や両親の教えは一切無視し聴き入れる積もり無く天真爛漫に生きております。

そんな尾花丸が今日も今日とて、慌しく家に立帰りまして向こうに居りました保名が、又悪戯坊主が帰って来たか、何故こんな馬鹿が倅、

と、声にぞ出しませんが心に呟く保名、其の心配は又別段で御座います。そんな尾花丸が珍しく家に帰るなり家人に物申します。



尾花丸「お父様、此方へ来て下さい。申し上げたき儀が御座います。お母様も、祖父様も、ご一緒に私の噺を聴いて下さい。お願いします。」

保名「如何致した、皆を一つ所に集めて何んと致す。親の謂う事には従わず、動ともすれば川で魚獲りに興じ蟲ケラを捕まえ遊ぶ。

其ればかりか衣服は着ず、裸體を剥き出しで川中や野山緒方を遊び歩くと謂う。其方が悪戯放蕩三昧する倅があらんや!

喩え何が有ろうとも、貴様は紛れも無く陰陽頭天文博士加茂保憲の孫ぞ!某、安倍保名の倅ぞ!そう謂う家に生まれながら

貴様は何を謂うても聴く耳を持たず、何故?自ら考えようとしないのだ?どうして、祖父や両親の謂う事を解ろうと致さぬのだ。」

尾花丸「ハイ、今日まではご両親の仰る事を肯きませんし、祖父様の種々の教えも一切用いませんで恐れ多い事でしたが、

本日只今からきっと改心致しまする。就いてはどうぞ!私の願いを叶えて下さい。私は是より京の都へ馳せ参じまする。」

保名「何んだ?どうした?夢でも見たか?薮から棒が出たみたいに突然、三人集めて京都へ行きたいと抜かしやがって一体何しに行く積もりだ。」

尾花丸「承りますれば、当今御悩日々重らせ給いて霊寺霊山に祈祷の勅命下れど是又功験無く、只今では薬師のお薬も喉を通り給わぬと、

之一大事なれば、就中今頃陰陽頭天文博士、蘆屋道萬清太が御所へと出仕致し祈祷を試みるも功験無く、今より一週りも時過ぎなば、

恐れ多くも玉體に係せ給う事態に陥ると承りまする。手前の考えますに蘆屋道萬清太は法を知らず且つ、偽りの祈祷祈念を用いるに相違なく、

由えに拙者、京都へ馳せ参じ、正しく法並びに祈祷致し朱雀院の御悩を全治奉らん!左すれば安倍保名の家を再興し、

祖父様の只今都より追放の身を労しく存じますれば、元の陰陽頭天文博士の地位回復致し、どうぞご意見なさらず直ちに某を京へ上らせて下さい。」

さぁ碌に物謂わぬ自然児が如き我が子が、突然、流暢に理路整然と語り始めますから父保名も母葛子も暫し呆然として言葉も出ません。

今まで単に腕白な悪戯坊主、親や祖父の小言も聴かぬ大うつけの放蕩息子と決めて掛かっていたが、余りに立板に水な其の言葉に澱みが御座いません。

是を聴き奇異な気持ちに陥った加茂保憲は、暫く尾花丸の顔をじっと見詰めて考え込んで居たが漸く口を開き孫に問うのだった。

保憲「童子や、汝は何者かに謂われて此処へ参ったのか?又其れとも、汝の心底より出た考えで、都へ上り帝の御悩を平癒致す所存であるか?!」

尾花丸「イエ、人から教わるのを手前が苦手なのは祖父様が一番ご存知のハズ。私の考えに御座います。」

保憲「ならば、朱雀院の御悩が為、博士蘆屋道萬清太が都にて祈祷致した事は誰から聴いた?」

尾花丸「原中で野遊びをしていても、往来の旅人の会話に耳を側立てみますれば、一月ばかり前から朱雀院様の御悩愈々重く、

日本全國六十余州の霊寺霊山に祈祷の勅命下れど是又功験無いと謂う噂が耳に這入りますし、本日は遂に三人連れの旅人が、

帝の容態は余談を許さぬ事態と相成り、勅命により蘆屋道萬清太が御所へと出仕致し祈祷を試みるも功験無しと聴きました。」

保憲「能在る鷹は爪を隠すと申すが、汝は隠し過ぎじゃ。だが、蘆屋道萬清太にも敵わぬ祈祷を汝に何故出来る?

此の元陰陽頭天文博士の儂にすら俄に思い付かぬ祈祷祈念を何故汝に出来るのじゃ?其れで帝の御悩を完治奉ると胸を張る自信の源は何んじゃ?」

保名「そうだ!お祖父さんの仰る通りだ。我々三人に是非、京に上りどの様して帝に祈祷し、其れがどうして汝の功験と知らしめるのか?謎を説明して呉れ。」

尾花丸「お父様、お祖父様の前だからと謂って物語る訳には参りません。機に臨み變に応じるは京に這入ってから私自身が手続きを持って致し秘策は此の心底に。」

安倍保名は父として保憲の塾で陰陽道を学んだ先駆として、いやいや十歳の我が子にはと思いますから、さて色を変えて問うてみます。

保名「其れでも父は汝に問うてみる。汝は字も碌に読めず書けずの十歳の童子に過ぎず、其れが京都へ上り帝の重き御悩を平癒させるなど、

いきなり成し遂げんと欲す試練にしては大き過ぎると父は案じる。少なく共三、四年祖父と父を師に学問を納め、然る後に京へ上と致せ。」

尾花丸「恐れながら、遅効は失敗に等く朱雀院の御悩は手前が学問を納める迄待っては呉れません。此の機を逃せば安倍家の再興は無く、

帝が御崩御なさる前に、京都へと上り御悩を私の力で全治させぬ限り名誉の回復はなく、其の為には今正に京へ旅立つしか御座いません。」

そう答える尾花丸の言葉には一切の振れは無く理路整然と保名の問いを跳ね返します。其れでも父保名は質問の角度を変えて押したり引いたり、

執拗に意見を繰り返したが尾花丸は丁寧に反論して行く、其れを傍で観ていた祖父の加茂保憲が、能く々く考えた様子で口を開いた。

保憲「もう宜かろう!保名。尾花丸は奇童、いや怪童じゃぁ。貴様や儂とは器が違う。尾花丸!爺さんが許す、今直ぐに京都へ立て。

尾花丸「有難う御座います、お祖父様の仰せの通り今より京へ上りまする。」

保名「併し、今より京へ上ると謂えど伊勢から京へは遠い道のりだぞ、其れに頼る先も無かろう?如何に致す。」

保名は考えた。尾花丸も保憲も直ぐに京へ上ると謂うが、道中は勿論京都に着いてからだって真面に頼る身内親戚は無い、如何に!?

保名「父上、こう致したら如何がでしょう。三條坊門小野参議好古卿宛の書面を持たせて、尾花丸を送り出すと謂うのは?

好古卿は我等に好意的で能く世話を焼いて下さいました。元来慈悲深く至って情けの有る御仁ならば、必ず尾花丸の面倒も観て下さいます。」

保憲「オーッ、其れは良い處へ心附いた。コレ童子、之より京都へ上ったなら三條の坊門小野参議好古卿と謂う御人をお訪ね申せ。

好古卿へは手紙を持たせてやるから其れを見せて帝への席巻をお頼みしなさい。跡は貴様の心底に在る秘策で心任せに致すが宜い。」

尾花丸「有難う存じます。縁無き橋は渡り難しと申します。只今より都へ上り帝の御悩平癒を祈願致しますとは申せども、

頼り無くして平癒の祈祷など有り得ず、誠、絵に描いた餅が如く終わる處を、三條の坊門小野参議好古卿への架橋、

お祖父様からの書面を持たせて下されば、其の傳手(ツテ)を以って御所へと参り、祈祷致す事も出来ようと存じまする。

お祖父様、ご機嫌宜しゅう!ご両親様もご機嫌宜しゅう!某、尾花は必ず、日遠からずして皆様への吉左右をお届け申します。」

そう各々への惜別を告げた安倍の童子、尾花丸は一本の書面を授かり懐中に仕舞い薄着一枚着込むと、他に替え着や路銀を持つで無し、

粗末な藁草履を突っ掛けて、伊勢國津は安倍野の家を飛び出すと、西を目指し京へと上る其の後ろには両親と祖父が御見送り。

夫婦は未だ我が子が京都を目指す姿を、夢見心地でぼんやりと眺め、祖父は誕生の折りを思い出し尋常ならざる姿に感謝致します。


さて、誰に教えられた訳でなく安倍童子は、何故か?横道に逸れず分かれ道に迷わず真っ直ぐ最短で京都の街は三條大橋の袂へ着きます。

是より先は人に尋ね乍らに参るよりありません。さぁ十歳には成る尾花丸ですが世間に移る姿は六つか?七つで御座います。

其の癖、顔は大きく一尺八寸も御座います。目はクリッと大粒で鼻は鷲鼻で高く、口も大きく唇も厚い。人相は大人帯て御座います。

其処へ髪の毛は紅くポワポワした猩々が如く、獣の様で目立ちます。そんな童子がチョコまかチョコまか、人形浄瑠璃の様に動きます由え、

童子尾花丸の跡を多くの子ども達が、ゾロッカゾロッカ、金魚の糞の様に付いて廻りますから益々目立つ存在ですが本人は気に致しません。

尾花丸「御免なさい。少々お尋ね申します。」

通行人「何んですか?」

尾花丸「一寸、道を教えて下さい。三條の坊門と申す所はどの辺りでしょうか?」

通行人「坊門ハン謂うたら、此の加茂川沿いに上んなさると。」

尾花丸「のぼる?って何を。」

通行人「アンさん何処の御人です?京の御人やあらしまへんなぁ?上る・下る位慣れてもらわんと、道教えるん往生しまっせぇ〜、実際。」

尾花丸「貴方は京の方やから直に知れましょうがコッチは田舎者やさかい、一寸上がる謂われても分からしまへん。」

通行人「イケズ謂うた訳違いますから、揶揄わはって真似されタラ困ります。所と町名を全部頭から尻尾まで謂うて呉れまッかぁ?」

尾花丸「三條の坊門小野参議好古卿様のお屋敷へ行きたいんです。」

通行人「嗚呼、小野参議ハンのお屋敷ドシたら近くまでワテが行きますさかいに、一緒に来ヨシなぁ、連れて行ッたりますさかいに。」

尾花丸「如何もご丁寧に有難う存じます。」

と、道を尋ねた四十格好の地元民に連れられて、安倍童子、尾花丸は目的の小野参議好古卿の屋敷前までやって参りましたが

通行人「和子(童)ハン、あの屋敷が小野参議ハンのお宅ですけどまぁだぁ閉門蟄居が続いとぉるさかいなぁ〜。」

尾花丸「閉門蟄居と仰いますと?」

通行人「イヤ、謹慎させられてハルんよぉ、参議ハン。お気の毒に。」

尾花丸「何故、好古卿は謹慎なんぞに成ったんですか?!」

通行人「ワテも詳しゅうは知らんのですけど、もう十年も前からですワぁ、この屋敷。昔々、陰陽頭天文博士加茂保憲ハン謂う方が居はって、

其の娘子と書生の弟子が悪い事をして、其の責めを父の保憲ハンも受けて加茂の親子と書生は都から追放されて、ワテも細かい噺は知りまへんけど、

其の儀に触れて小野参議ハンにも連座で罰が下り閉門に成ったと噂では聴いとります。けど、京都の三條坊門の小野参議好古卿ハン謂うたら

もう、神様か佛様かと謂う位に慈悲深い御方で、誰一人悪く謂う人など居てへんのに未だに閉門は解かれへんとは、ほんまに殺生な噺ですワぁ。」

尾花丸「ホォ〜ッ、左様で御座いますかぁ、有難う存じます。ところで閉門と謂う事は屋敷への出入りは全く出来ないんでしょうねぇ?!」

通行人「ハイ、閉門仕立の謹慎が謂い渡された十年前はお役人サンが門の所に居てハッて、厳しゅう人の出入りを見張ッてはりましたが

もう今は謹慎とは名ばかりで、小野参議ハンも用がお有りやと、門の脇に在る潜り戸から出入りしてはるし、差し支えあらへん様子ドス。」

尾花丸「左様ですかぁ。其れでは好古卿を訪ねて行っても、留守と謂う場合も有るって事ですよね?」

通行人「其れはあらしまへん。小野ハンは滅多に外へは出はらしませんし、殆ど毎日書斎にお籠されてゝ、写経と読経で経文と睨めっこしてハリますえ。」

尾花丸「そうで御座いましたかぁ、お噺によりますと閉門と謂っても極軽い処分の様ですね。色々と教えて頂き、大きに有難う御座います。

まさか蟄居閉門の身で有らせられるとは、私、夢にも思いませんから、若し知らずに此処へ来ていたらきっと逢ずに帰った處でしょう。」

通行人「なら、逢うて行かはりまっか?!」

尾花丸「ハイ、折角此処まで来て逢わん訳には参りませんので、一寸お邪魔して閉門中の好古卿にお目に係ります。」

通行人「おもろい和子やなぁ〜、閉門の御人に逢う奴がおますかいなぁ。」

其内に道を教えて呉れた親切なお節介な通行人は行って仕舞いまして、安倍童子は好古卿邸の門の前に来ては、中の様子を伺っております。

さぁ門からは永らく慎まれて居た様子が観て取れまして、殊に門の関根に生い茂る雑草が是を物語ります。慎重に童子が少し空いた潜り戸の隙間から中を覗き見ますと、

庭の大きな植木が枯れ果てた様子、更にズンズンと奥へと這入りますと、尾花丸は竹格子で罰印の封印が成された玄関へと到着します。

尾花丸「エェー御免下さい。お頼み申します。誰か?ご在宅でしょうか?」

取次「ハイ、一寸お待ち下さい。」

そう返す言葉が奥から聴こえて、中から四十半ば過ぎの男が現れた。髭はボーボー生え放題、見るからに見窄らしい形(ナリ)をしています。

着物はヨレヨレ所々穴が空き破れ目が目立ち、而も明らかに寝間着なのである。閉門中とは謂え、京都を追放された祖父や両親より酷い。


取次「何処から来た?童べ。当家はご覧の通り謹慎中だ。由えに人の出入りは禁じられておるがどんな用が有って参られた?」

尾花丸「貴方は小野参議様のご家来ですか?」

取次「左様、正しく某はご当家の家来に御座る。して、汝は?何処から参られた?!」

尾花丸「貴方は名無しの権兵衛さんですか?貴方様が先にお名乗り頂けぬ内は、私も名乗る訳には参りません。」

忠澄「之は一本取られたのぉ〜、童べ。某は当家、好古卿の御用人を務めます『橘ノ野干兵衛忠澄』と申す者である。」

尾花丸「へぇ〜、野干兵衛忠澄様。その割に長髪の立派な癖ッ毛や如何に?頭は禿げの薬缶では御座らぬとはマカ不思議。」

忠澄「大きなお世話だ!にしても、猪口才な小僧だ。何処より参った?」

尾花丸「伊勢國津は安倍野から参りました。元陰陽頭天文博士加茂保憲の孫、父は其の弟子安倍保名で御座います。名は尾花丸と申します。

遠路津より参りました、どうかお殿様にお目に係りまして、少々お頼み申したい儀が有り、又お噺致したい事が有って参りました。」

忠澄「少し待って居なさるように。」

そう謂い残すと橘ノ忠澄は奥へと這入って行きます、處が小野参議好古卿は長い閉門の謹慎生活で、頭も髭も手入れなど致さぬまゝ、

在るに甲斐無きお姿にて、もう日がな一日書斎にて書見をなさいますのが日課。其処へ忠澄が珍しく慌てた様子で飛んで参ります。

好古卿「どう致した?!」

忠澄「ハイ、只今、奇童が一人見えました。」

好古卿「キドウ?!岡本か?」

忠澄「違います。其れは今年生誕百五十年の時代劇作家です。」

好古卿「では?」

忠澄「歳の頃は六、七歳に見えますが物謂いは大人帯びて御座して、顔が大きく宛然(まるで)猩々の如き風貌なれど………。」

好古卿「さて、いずれから参った?!」

忠澄「ハイ、伊勢國津の安倍野からと申しております。」

好古卿「津の安倍野から?!」

忠澄「本人は元陰陽頭天文博士加茂保憲様の孫、父上は其のお弟子、安倍保名殿だと申しており、尾花丸と名乗りまして殿に聴いて頂きたい噺が在ると。」

好古卿「ホウ、加茂保憲殿と謂えば先帝時代は実に高名な陰陽頭天文博士。些細な間違いで失脚し都落したが、あくまでも其れは当人の落度ではない。

まぁ斯く申す好古も其の所為で大いに迷惑被ったのだが、確かに津の安倍野に居る由しは承知している。其の保憲が孫が来たと申すなら逢わねばなるまい。」

忠澄「畏まりました、直ぐに連れて参ります。」

そう謂うと橘ノ忠澄は玄関脇に待たせている安倍童子、尾花丸を呼びに戻ったが、彼の姿が其処には御座いません。

忠澄「ハテ!?奇童めぇ〜、何処へ行った?居んで仕舞うたか?」

尾花丸「薬缶様、此方へ上がらせて貰いました。」

忠澄「何を勝手に屋敷に上がり込んでおる!某が同道致せ!と、命じてから上がるモンだ、無礼な奴めぇ。」

尾花丸「イヤ、好古卿は必ず私にお逢い下さると確信が御座いましたから、手間を省き上がりました。」

忠澄「手間とか関係ない!礼儀の問題だ、此の横着者めぇ!さて?履物は如何致した?玄関には無い様だが。」

尾花丸「履物など最初(ハナ)から無い。」

忠澄「無いって。。。裸足で来たのか?!」

尾花丸「薬缶様、津から京まで裸足な訳はないでしょう。私の両親や祖父は鬼じゃ有りません。最初は藁草履を履いておりました。

ただし、道中草履がチビて無くなり、大津と石山の間位、近江國と京都の國境辺りで私は裸足に成ったと謂う訳で御座います。」

忠澄「馬鹿者!裸足の理由など、どうでも良いワぁ。其れより汝、裸足で地びたを歩いたまんま屋敷に上がるとは、どう謂う料簡なんだ!」

尾花丸「イヤ、お気遣い無く。歩く内に泥は落ちます由え。」

忠澄「馬鹿者!其の落ちた泥で、部屋が汚れて仕舞うではないかぁ?!」

尾花丸「部屋が汚れる?!もう、充分、汚れていますよ、薬缶の旦那。」

忠澄「兎に角、殿が奥でお逢いに成るそうだから、桶の水をやるから足を綺麗に洗ってから上がりなさい!!」

尾花丸「ハイ判りました。有難う御座います。」

忠澄が汲んで来た桶の水で足を洗い終えて、安倍童子は奥の部屋へ通されて、三條坊門小野参議好古卿との対面を漸く果たせたのである。


好古卿「ヤァ、其方が伊勢國津の安倍野から参った尾花丸と申す童子は。」

そう謂って好古卿は尾花丸の様子を凝視する。確かに忠澄が申す通りの奇童である。保憲の追放を招いた胤ならば十歳のハズだが

好古卿「其方は元陰陽頭天文博士の加茂先生の孫で、其の娘子と安倍保名の間に出来た倅だと謂うのは誠であるか?!」

尾花丸「ハイ、初めてお目に係ります。好古卿で有らせられますか?尾花丸に御座います。以後、お見知り置かれて御厚情の程をお願い致します。

さて我が親共の不埒不義により、好古卿に於いても係る閉門謹慎の由しを、私、京に参り初めて知り、両親並びに祖父に代わりましてお詫び乍ら罷り越して御座います。

就いてはこの度当今の御悩日に々に重らせ給ふ由しを承り、当代陰陽頭天文博士、蘆屋通萬清太、御所へ出仕致し平癒を願い祈祷を致すも、

祷れど祷れど其の功験無く、又日本國六十余州の霊寺霊山に於いても同じく祈祷致すと雖も、其の功験無き由し、

手前は彼の唐土へ佛法の為使えし『安倍仲麿』の血統にして、祈祷祈念の秘法が伝承する家に育ちました由え、此の度の天子様御悩に就き、

平癒の為の祈祷を成して安倍家の再興致し、従って小野参議好古卿の閉門も解けまする様計らいまする心底に御座いまする由えご安心下さいませ。」

好古卿「オーッと謂う事は、君は加茂先生から易学、兵法、陰陽道の真髄を授かった神童なのか?!」

尾花丸「いいえ、其れは違います。其れどころか私は文字一つ読むことの出来ません。」

好古卿「何ぃ〜、文字一つ知らぬ其方が、どうやって帝の御悩を祈祷により平癒出来ると謂うのだ?舌長な事を謂うにも程がある。

もう太平楽を聴かせなくても宜いから、取り敢えず今夜はもう遅いので、当屋敷に一泊して行きなさい。そして明日早朝津に帰りなさい。」

尾花丸「お言葉ですが私は態々京都まで来て、こんな荒れ果てた邸に泊まりに来た訳では有りません。此処が閉門とは知りませなんだが。」

好古卿「併し、年端も行かぬお主が天子様の御悩を平癒させるとか、秘技秘策の祈祷祈念を致すとは俄に信じ難いぞ!尾花丸。」

尾花丸「無理も有りません、好古卿。其れに就いては内々にお知らせしたい儀が御座いますが、壁に耳有り薬缶に目有り、薬缶払いを。」

好古卿「何んだ?!其の薬缶とは?」

尾花丸「いいえ、其の薬缶、土瓶のやかんでは無くですねぇ、人の様な野干兵衛の事で御座いまして、人払いを願います。」

好古卿「オーッ、洒落であったか。之れ薬缶の忠澄、予と童子の密談である席を外しなさい。」

忠澄「畏まりました、御意に御座います。」

と、仕方が御座いません、橘ノ野干兵衛忠澄は席を外し別の部屋へと呼ばれるまで退散し控えて御座います。

是により安倍童子、尾花丸は小野参議好古卿に密々(ヒソヒソ)と何事か申し上げて、茲に相談の決まりましたる物と見えて、

此の後、尾花丸は京都の街を是より頻繁に徘徊致し、図らずも茲に大内裏/平安宮に於いて、彼の蘆屋通萬清太との問答対決を致します。

さぁこれから、安倍童子こと尾花丸が畿内を徘徊しながら自らが安倍仲麿の末裔である事を利して秘策に打って出て、あの大納言藤原基方、

この講釈の中では尾花丸、安倍晴明の仇役として活躍する人物と、愈々、次回出逢いまして初対決の場面へと繋がるのですが、今回はもう時間が一杯一杯、次回を乞うご期待!


つづく