文政六年十一月。吉之助と志乃の夫婦に立ち入った意見をした帰り道、本所側の吾妻橋の袂に有る腰掛飲食店『龍門』で、

今度は食い逃げしようとする神田で長屋住まいの唐獅子ノ伊之松と謂う博徒と、龍門の店主権十とが揉め事が居る。

権十「だから旦那、酒が五合、鰤の刺身と鮪ブツ、穴子串が三本、冷奴と茗荷の糠漬〆て一朱と百十文に成ります。勘定を払って下さい。」

伊之松「だから払いたいが持ち合わせが無いと云ってるじゃねぇ〜かぁ。持ってるのは船賃の二十五文だけなんだ。又来るから今度ん時に一緒に払うから。」

権十「其れはいけません。掛けでの商いなんて腰掛飲食店がやる訳ないでしょう。うちは皆んな現金だ。常廻りの上役人や岡ッ引きの親分だって現金なんだ。」

伊之松「ヤイ!貴様は訳の判らない唐変木だなぁ?銭を持っていないモンは払えないベラ棒めぇ〜、汝は俺様を知らねぇ〜のかぁ?泣く子も黙る神田界隈じゃ一寸有名な唐獅子ノ伊之松とは俺様の事ッたぁ。」

権十「唐獅子だか狛犬だか知りませんが現金が無いと云うなら選択肢は二つに一つです。食い逃げで番屋へ行くか?何か抵当(カフ)を預けて貰うか?この二つに一つどっちになさいますか?」

伊之松「何だとぉ〜、呑み屋のツケに抵当を取るとは巫山戯た事を云うオヤジだ。糞ッタレ、こうしてやる!!」

そう謂うと唐獅子は狂った様に目の前の皿や小鉢に猪口を、権十へ目掛けて投げつけるのだった。一方権十はと見てやれば伊之松の余りの剣幕に恐れを成すと外へ逃げ出して仕舞う。

さぁ権十に逃げられた伊之松は怒りの鉾先を今度は女房のお夕に向けて、罵声を浴びせて更に乱暴に器を片っ端から投げ付けるのである。併し、店内の客は触らぬ守に祟り無し、

誰もが一切助けてやろうとはしないので、唐獅子ノ伊之松は益々増長して腰掛や飯台までも抱え上げて、其れを壁にぶつけては奇声を上げて手が付けられなく成る。

そう!そんな場面に、丁度船を吾妻橋で降りた業平文治が出会して、黒山の人集りで龍門の店ん中からドカン!ガッチャン!と消魂しい物音がするので伊之松に声を掛ける。


お若けぇ〜の、お待ちなせぇ〜!


と、二人の間に這入らずにはおられなかった業平文治、龍門の店に這入り怒りに任せて暴れている唐獅子ノ伊之松を止めに掛かります。

伊之松「誰だぁ〜貴様?!唐犬ノ権兵衛か?!」

文治「捻くれた野郎だやぁ〜其処は幡随院長兵衛か?だろう。」

伊之松「貴様は幡随院長兵衛ッて貫禄じゃねぇ。権兵衛だって勿体無い。俺は神田界隈じゃぁブイブイ云わしている唐獅子ノ伊之松ッて者だ。お前さん名前は?!」

文治「俺は此の先、本所業平橋の文治ってモンだが、取り敢えず、俺の顔を立てゝ今夜の所は頭を冷やして冷静に成って帰って呉れ。

俺が立て替え於いてやるから、後日払いに来なさい。龍門の店主の権十と女将のお夕さんには俺が付き添ってやるから謝ってから帰れ、宜いなぁ?!其れで文句は無いだろう。」

伊之松「貴様!何様だ。俺に指図しやがって、歳は貴様の方が五つか六つ、若いだろう!?どう見ても二十四、五の雛(ひよっこ)の癖しやがって舐めんなぁよ若造。

貴様みないな色白で背の高いモヤシ野郎に遅れを取る唐獅子ノ伊之松様じゃねぇ〜、表に出ろ此のタコ。足腰が立たない様に可愛いがってやるから覚悟しやがれ!!」

そう謂うと唐獅子ノ伊之松は先に表に飛び出して行く、猶も業平文治は暴力での解決を回避すべく説得を試みたが、伊之松は文治を完全に読み誤り弱い相手と見くびった。

伊之松「謝るなら、お前の方こそ今のうちだそ!今、此処で地びたに土下座して謝るなら、許してやっても宜いぞ!止めるなら之が最後だ。此のモヤシ野郎!」

そう謂い終わる前に唐獅子ノ伊之松は殴り掛かりましたが、業平文治の敵では有りません。簡単に拳を交わされて、いつもの様に文治に伊之松は肩車され地面に叩き付けられます。

一瞬呼吸が出来なくなる程の衝撃で叩き付けられますから、背中に穴が空いたか?と、思う程の痛みが後からやって来ます。是を二回、三回と皆んなやられて気絶しますが、

唐獅子ノ伊之松は二回目を上手く受け身して、吾妻橋を浅草の方へと夕間暮れの中、独り逃げ去ります。併し、業平文治は敢えて是を追わず逃します、母親に謂われた無益な喧嘩だから。

文治「権十大丈夫か?あの野郎が呑み喰いした分と、壊した食器、飯台、腰掛の弁償代に取り敢えず、アッシが三両立て替えてやるよ、だから、気を落とすな!権十、お夕さんも。」

権十「済まない、親分。助かるよ、本当にアンタは頼りになる。本所の誇りだ。」

お夕「親分、何んか食べて呑んで行きなよ。」

文治「そうかい、有難たい。鮪ブツとおでんに熱燗で二合貰おう。」

お夕「おでんは何にする?有るのは、ガンモにハンペン、ちくわぶと大根、そして蒟蒻だね。」

文治「じゃぁ全部、一つずつ貰おう。」

お夕「ハイ、畏まりました。」

そう謂って業平文治は龍門の店内で飲食を始めた。直ぐに二合の熱燗とおでんが出て来て、文治は是を頬張りながら舌鼓を打った。

文治「権十、おでんはお前さんが仕込むのかい?!」

権十「いいえ、アッシは魚の方の仕込みがあるんで、おでんはお夕に任せておりやす。」

文治「美味いなぁ、このハンペンとちくわぶは。アッシは岡山の生まれだから、江戸に来て初めて食ったハンペンもちくわぶも。お夕さんのは格別に美味い。」

お夕「有難う御座います。親分に褒めて頂けると鼻が高いワ。」

権十「馬鹿野郎、親分さんのお世辞だ。」

文治「違うぞ!権十、お夕さんのおでんは最高だ。」

お夕「そう謂って下さると拵える励みに成ります。」

と、そんな噺をしておりますと、突然、表が異常に騒がしくなるので業平文治も表に出てみると、さぁ〜大変!表は大捕物に成っております。

そう!先程、たった半刻前に吾妻橋を渡り浅草方面に逃げた、あの唐獅子ノ伊之松が六尺棒を持った役人集団に追われて吾妻橋へと帰って来たのです。


伊之松は龍門を逃げ出して浅草見附へと向かいます。さて、此の見附=見張り所と謂う意味の地名で、江戸市中には江戸城を警護する『江戸城三十六見附』が存在しました。

まぁ、現在も地名として残るものには、四谷見附や赤坂見附などが有りますが、江戸時代には三十六見附が存在しましまが全ての地名に『見附』が付く訳ではありません。(下記詳細)


.浅草見附

.筋違見附

.小石川見附

.牛込見附

.市谷見附

.四谷見附

.喰違見附

.赤坂見附

.虎ノ門

10.幸橋門

11.山下橋門

12.数寄屋橋門

13.鍛冶橋門

14.呉服橋門

15.常盤橋門

16.神田橋門

17.一ツ橋門

18.雉子橋門

19.竹橋門

20.清水門

21.田安門

22.半蔵門

23.桜田門

24.日比谷門

25.馬場先門

26.和田倉門

27.大手門

28.平川門

29.北桔橋門

30.西の丸大手門

31.西の丸玄関門(二重橋)

32.坂下門

33.桔梗門

34.下乗門

35.中之御門

36.中雀門


此の三十六見附は、江戸城周辺の見張り所で枡形門が有る二十六箇所に、要所の十箇所の見張り番小屋を追加して三十六箇所と定められた。

実際には江戸市中には此の三十六の二倍位の見張り所は存在していたが、徳川幕府の創世記に呼ばれた語呂の良い三十六見附が特別にこう呼ばれたのである。

そして三十六見附の一つで映え有る一番目に数えられる『浅草見附』には、上役人の見張り番が詰めている番小屋の玄関正面に、弓矢・鉄砲が飾り付けられている。

因みに現在も『浅草見附』の石碑が両國橋を渡った神田川沿の浅草橋駅辺りに建てられているので、伊之松は吾妻橋を渡り大川沿に両國方面へと下って浅草見附へと来ていた。

さて、展示品の鉄砲を唐獅子ノ伊之松は、出張の上役人がまさか?!と油断している所へ突然現れて是を盗んで持ち去るもんだから、浅草見附の見張り小屋は蜂の巣を突いた様に成る。

さぁ突然這入って来た無頼漢が、鉄砲を持って逃げる訳だからまぁビックリしますよ。だから少し遅れて上役人達は六尺棒を持って是を追う!追う!大追跡の始まりです。

伊之松は浅草見附から両国橋方面へと逃げ、橋を渡る積もりでしたが、川の向こうからも役人が来るので大川沿に浅草雷門の方へと逃げるのです。そして吾妻橋で業平文治と再会です。

エーイッと此の唐獅子ノ伊之松が盗んだ此の鉄砲。盗んだダケでは発砲する事は不可能です。だって火薬と弾丸(タマ)が無ければタダの筒に過ぎません。

其れを知ってか?知らずか?唐獅子ノ伊之松は、鉄砲を抱えて吾妻橋の橋の上、業平文治に向かって鉄砲で殴り掛かりますが、文治に簡単に態を交わされます。

『身に掛かる火の粉は振り払わねばならむ。』そう思った業平文治は大刀を抜いて正眼に構えて、伊之松の鉄砲を刀で受け止めて、機会を狙って峰打ちにしてやろうと闘う最中に、

唐獅子ノ伊之松を追って来た役人が吾妻橋に追い付いて来て、御用!御用!と連呼して二人をお縄に掛けて捕らえ様と致しますが、実に対象的な二人で御座います。

我らが業平文治は全く役人達に逆らう積もり無く、無抵抗で縄目を受けて素直に浅草見附の番屋へ同道致します。

が、一方の唐獅子ノ伊之松は鉄砲を振り回して激しく抵抗し、役人達から六尺棒で何度も打擲されて気絶を致しお縄に着きます。

さて其の夜は浅草見附の番屋の牢に二人は止め置かれて、翌朝早くから吟味前の取り調べと調書作成が行われます。業平文治は素直に事の次第を語りますが、

一方の唐獅子ノ伊之松は全く支離滅裂で、特に浅草見附の見張り所から展示品の鉄砲を盗んだ理由などは意味不明で、撃てもしない鉄砲を盗んだ動機は謎のまんまでした。

更に翌日の朝まで唐獅子ノ伊之松の方は、厳しい取り調べが続けられ二人は有楽町の北町奉行所へと移送されて、北町奉行榊原主計頭忠之様のお裁きを受ける事と相成ります。

此の榊原忠之と謂う御奉行は中々由緒ある家柄で、旗本織田信義の四男である織田信昆の三男として誕生した。つまりあの織田信包から七代の子孫に当たります。

そして榊原忠尭の養子となり織田姓から榊原姓に変わる事になります。此の榊原家は徳川譜代四天王の一人、榊原忠勝を開祖とする超一流の名門の旗本で、

忠之自身も文化文政時代に、徒士頭、西ノ丸目付、小普請奉行と昇進し、主計頭に叙任。文化十二年には勘定奉行に、文政二年閏四月には北町奉行に栄転しています。

そして榊原忠之の奉行としての働きで有名なのがスピード裁判、集中審理の原則です。彼が奉行に成る前の先人達なら七、八年掛かる吟味を忠之は三、四日で終え十日目にはお裁きを謂い渡す。

また、在任中に捕まった大物の罪人には鼠小僧次郎吉、相馬ノ大作、木鼠吉五郎などなど、世間を大いに騒がせた規模の大きい吟味も多数担当しました。

中でも特筆すべきは木鼠吉五郎の吟味で、どの様な拷問に掛けても自白しない吉五郎に対し、榊原忠之は老中に対し『察斗詰』を申請し是が認められて異例の自白無し処刑に漕ぎ着けます。

そんなスピード名奉行が吟味しますから、業平文治が悪くないのは火を見るよりも明らかで、事件の発端は唐獅子ノ伊之松が起こした龍門での食い逃げで、文治は其の仲裁人だったダケ。

店内で皿や小鉢、挙句に腰掛やら飯台まで投げて暴れる伊之松を文治が力で抑え込むと、逆恨みをした伊之松は何故か浅草見附の鉄砲を盗み、其れを持って文治に殴り掛かったのである。

結局、北町奉行所へ移送された翌日両人は一緒にお白洲に呼び出され、吟味与力よりお裁きが謂い渡され揃って無事釈放と相成りましたが、お解き放ちの前にタップリお説教を喰らいました。


一方、本所業平橋の文治の屋敷に文治が上役人に捕まり縄目を受けて引っ立てられたと謂う知らせが這入るのは翌日の朝五ツ前の事だった。

権十「御免下さい!誰かいらっしいますか?」

取次「ヘイ、どなた?こんな朝ッぱらから。」

権十「アッシは吾妻橋で腰掛飲食店の龍門をやっている主人の権十と申します。親分の事で一寸ばかり立川ノ岩松兄ぃにご伝言が有りまして。」

取次「岩松兄ぃに分かりました。こちらでお待ち下さい。兄ぃはまだ朝飯の最中で。」

そう謂うと取次の若衆は権十を玄関口の角部屋に待たせて、立川ノ岩松を呼びに台所へ行くと岩松は食事を済ませて莨の煙を揺らしていた。

取次「岩松兄ぃ、龍門の大将が親分の事で話が有ると玄関に来ています。」

岩松「権十が?何んだろう?借金か?親分はそんな人じゃねぇ〜し。兎に角、今直ぐ行く。」

そう謂ってキセルを灰吹きにコツンと叩いて火玉を落とすと、立川ノ岩松は玄関先の角部屋で待つ権十に会いに行った。

岩松「権十、どうした?親分の噺ッて何んだ?」

権十「文治親分が、昨日、うちの店に来て大変な事に成って………。」

岩松「何んだってぇ〜。」

権十の口から昨夜の事件が語られます。是を聴いた岩松が成田屋富五郎と天野光雲斎の所へ知らせに走り、町役五人組を連れて面会並びに釈放の嘆願を致しますが、

どちらも叶えられずに、富五郎と天野光雲斎は業平橋の文治の屋敷を訪れた。それはいずれ文治の母、お峰に文治が吾妻橋で喧嘩して上役人に捕まった事が知れるなら、

他人からの噂噺で其れを知るよりも、富五郎と天野光雲斎の口から真実を隠さずに話した方が、お峰の気持ちが楽になると思ったからである。

天野「峰殿、気を確かに拙者の噺を聴いて貰いたい。実は昨夜、文治郎殿がカクカクしかじかで、浅草見附の番屋の牢屋に入れられた。喧嘩両成敗で縄目は受けたが、

悪いのは相手の神田に住む無頼漢、唐獅子ノ伊之松って賭博打の方だ。普通なら喧嘩位で牢屋に入れられたりしないが、伊之松の野郎、浅草見附に飾ってある鉄砲を盗み、

其れが原因で上役人が捕縛に駆出されて、事が大分大袈裟に成って牢屋に放り込まれて取り調べを受けている。今月は北町奉行所の月番だから有楽町へ近日中に移されます。」

富五郎「天野先生の謂う通りです。文治の兄弟は何も悪い事はしていないし、其れに今度の北町奉行の榊原の旦那は名奉行だし、お裁きが頗る早い。跡二、三日もしたら戻りますよ。」

お峰「親分さんも先生も文治郎を贔屓目に見て下さるから、左様に仰るのも無理は御座いませんが、妾は節に母として縄目の恥辱を受けるなど、高濱家の恥晒しと失望致しております。

日頃から、江戸表に来てからは猶の事、辛抱が肝心ですよ、堪忍するのが大切ですよと口酸っぱく謂い続けてきましたがこんな役人に我が子が縄目を受けるなど、死んだ主人に顔向けが出来ません。」

富五郎も天野光雲斎も、更に業平文治を庇う様な弁護に努めたが、お峰の頑なゝ態度を懐柔するのは困難でお峰は席を立ち、文治が兼ねて用意した父文左衛門の仏壇の位牌に手を合わせ始めた。

そして、成田屋富五郎と天野光雲斎が警戒している中、一瞬の隙を突いて懐剣を取り出し喉を突こうとしましたが富五郎が取り押さえ、手にした匕首を奪い取った。

富五郎「お母さん!馬鹿な真似は止めてください。若し貴女が自害したら、文治の留守に母親を死なせた事に成る、兄弟分のアッシと先生は切腹して死んで詫びる様です。

そうなったら、文治が何んて思うと思いますか?文治自身が両親と兄弟分、四人を殺した罪を背負って生きて行く事に成るんですよ。死んだ方は無責任ですよ!楽しやがって。」

天野「富ッ、一寸謂い過ぎだ。俺は武士だから母上のお気持ちは宜く分かる。其れでも峰殿、牢屋から文治さんが釈放されたら、叱るのも母である貴女の義務です。

文治殿がただの無頼漢や道楽者に成らぬ様、躾をするのも母たる貴女の責任です。そして、彼が立派な侠客として高濱家の誇りと思える人物に成るまでは江戸に居なきゃ成りません。」

お峰「其れでは流石に息子が赤子の様ではあーりませんかぁ、失礼ですよ!天野様。そして富五郎殿の想い!確かに頂戴しました、もう、馬鹿な真似は致しません。」

こうして、此の件は一旦収まりまして、兎に角、業平文治が釈放されるまでは、お峰も待つ身で御座いまして、出て来たら説教してやる!と、怒りを溜めて御座います。

そして吾妻橋で捕縛されて四日後の朝、業平文治は唐獅子ノ伊之松と一緒に有楽町に在る北町奉行所から釈放されました。文治の迎えには立川ノ岩松と若衆二人と成田屋富五郎、

其れに富五郎の子分の亡霊ノ金太と鬼ノ喜蔵、そして菩薩ノ富十も付いて来ていた。一方、唐獅子ノ伊之松の方はと見てやれば、舎弟分の丑松と云う若衆一人だけでした。

富五郎「飛んだ災難だったなぁ〜兄弟。」

文治「全くだ。三方一両の損なら我慢出来るが、俺一人三両損だ。」

岩松「上手い事謂いますね親分。其れにしても、神田の連れに聴いてみたんですが、あの唐獅子ノ伊之松って野郎、一匹狼と謂えば格好良さげに聴こえますが鼻摘まみ者の腐れ賭博打らしいですよ。」

金太「其れの野郎が、浅草見附の鉄砲なんぞ番屋から盗むから事が大事に成り、上役人が二十人も出て捕り方連れて出張ったらしいです。」

富市「而も、盗んだ鉄砲は関ヶ原前の徳川家(とくせんけ)の武器庫に眠っていた骨董品ですよ?弾丸(タマ)が出るかも怪しい代物を盗みやがって馬鹿もいい所だ。」

富五郎「ただ、兄弟!高濱のお母さんが大変なご立腹だ。業平橋に戻ったら直ぐに謝れよ。自害しようとなさった位の落ち込み様だったから。」

文治「本当ですかぁ?!成田屋の兄貴。面倒掛けて申し訳ない。それと皆んなにも迷惑掛けて済まん。此の通りだ。」

そう謂って出迎えに来て呉れた全員に深々と頭を下げる業平文治でした。

天野「そうだ芝口の尾張屋の旦那と吉之助さんも出迎えに来たいと謂って呉れたが、商人のあの二人にはご遠慮をとお願いした。だから帰る前に芝口の尾張屋へは挨拶に行って呉れ。」

文治「何から何まで!先生、本当に済いません。」

こうして業平文治の釈放を出迎えた面々は、尾張屋へ寄り汐留桟橋から船で本所吾妻橋へと着くと龍門にも顔を出して、権十とお夕が呑んで行けと云うのを振り切って帰宅するのでした。

文治「母上、ご心配をお掛けしました。文治郎、只今戻りました。」

お峰「文治郎!此方に来なさい。そして父上の位牌に手を合わせて、自らの無礼と恥辱を悔いて謝りなさい。決して今回の縄目を受け、高濱の家名に泥を塗った事は許されませんが、

兎に角、父上に謝る所から始めなさい。母は本当に悲しいです。父は貴方の起こした間違いで結果的に殺された様な物です。そして今回の事では妾も自害する所でした。

寸出の所で富五郎殿に止められ天野様にもお諫め頂いて、自害を思い止まりました。貴方のせいで母は自害しようと思ったのですよ。貴方はもう少しで父も母も死なせる所だったのです。」

文治「母上、本当に申し訳ない事をしました。返す言葉も有りません。そして確かに父親殺しの文治郎で、此の事は一生背負って生きる覚悟で居ます。今回の事も高濱の家の恥晒しですが、

私は困った人を見ると放っては置けない性分で、弱い人を助ける為に、多少暴力を振るう事は有りますが、弱い者を虐めたり決して金子を得る為にはやりません、義侠の為だけです。」

お峰「文治郎、貴方は母の謂いたい事が一つも分かって居ませんネ。なぜ、貴方は暴力に頼るのですか?辛抱、堪忍が出来ずに話し合いではなく喧嘩、私闘を演じるのです。」

文治「話して判る相手には云って聴かせますが、弱い者を虐める様な輩には、往々にして言葉が通じません。其処で萬止むを得ず力を行使致します。最後まで話し合う努力は尽くして居ります。」

お峰「文治郎、アンタと妾では料簡が違う様ですねぇ。もう宜しい。妾も最後にお仏壇の前で手を合わせて明日にでも岡山へ帰ります。」

そう謂ってお峰は仏間へと這入り、仏壇の前で手を合わせ始めます。すると、業平文治に虫が知らせると謂うのか?妙な胸騒ぎを覚えるので御座います。

母の所へ行け!と謂う予感を信じてお峰の居る仏間へ這入って見ると、お峰が正に喉を匕首で又刺そうして御座います。『駄目だ!母上。』そう叫んで間一髪!文治はお峰から匕首を奪い取るのでした。

文治「判りました。もう、貴女の頑固さには敵いません。私は貴女の望み通り、弱い人困っている人を助ける道楽を止めに致します。堪忍の二文字に生きる事とし喧嘩は一切致しません。

そうなると、もう業平文治として侠客の道を極める事は出来ませんから、本日只今より武士浪人に戻り『高濱文治郎』を再び名乗る事に致しますが、父上の遺言通り忠臣は二君に仕えずを貫き通します。」


さぁこうして母お峰の諫言を全て聴き入れる覚悟で、業平文治は又、浪人侍高濱文治郎に戻る決意を致しまして、事実上一家は解散し、唯一、壱の子分の立川ノ岩松だけを残し、

他の子分たちは成田屋富五郎の子分として鳶や町火消しに成る者や、完全に気質と成って職人か?夜鳴蕎麦やの様な屋台担ぎを始める者も現れます。猶侠客同士の付き合いも絶縁します。

さぁ、其れでも業平文治で売り出し中の突然の一家解散ですから、世間は勿論渡世の面々も業平文治が高濱文治郎に成ったなど知りませんから、連日弱い者困っている者が助けを求めて参りますが、

是を文治郎は岩松に命じて全て門前払いに致します。さて今は蓄えが多少有りますから浪人をして無職無収入でも、母と岩松を食わせて行けていますがいずれ銭儲けを始めないと干物に成ります。

客A「あのぉ〜、親分さんにお願いしたい事が御座いまして、連日うちの店に来る旗本奴、次男三男の連中が。」

岩松「申し訳ありません。人助けはもう止めたので、お引き取り願います。」

客A「何故止めたんですか?!」

岩松「親分が一家を解散しまして、侠客業平文治はもう居ないんです。」

客A「エッ!亡くなりましたか?」

岩松「いいえ、生きてますが業平文治と謂う侠客は廃業です。」

客A「本当ですか?」

岩松「本当です。だからお引き取り下さい。」

客A「嗚呼、困った!困った!」


客B「文治親分にお願いが御座いまして浅草の広小路で夜鳴の屋台にミカジメを払えと謂うゴロ付きの極道者(ヤクザもん)が居てまして是非親分に口利いて退治して貰いたいんです。」

岩松「済いません、親分は仲裁とか間に這入る交渉事からは一切手を引いたんです。申し訳ない、お引き取り下さい。」

客B「判りました、ただでとは謂いません。それなりに謝礼をお支払い致します。」

岩松「業平文治は銭金で動く親分じゃありません!!」

客B「イヤ、其れから困っている弱い者を助けて下さい、宜しくお願い致します。」

岩松「其れが駄目なんです。業平文治は高濱文治郎に成って母親孝行優先で、他人の人助けは廃業しました。」

客B「何んですのん?!其の親孝行で廃業って意味不明ですよ。立川の兄貴。」

岩松「そりゃぁ〜そうだろう、取次役の子分のアッシが意味不明なんだから。」

そんな人助けのお断りに立川ノ岩松が励んでいる間に巨悪が蔓延る様に成って、愈々、次回は大団円となる予感の『侠客 業平文治』で御座います、次回を乞うご期待!!


つづく