両國の首尾の松辺りで、夜網を打って魚捕りをしていて身投げした柳橋の芸者、志乃を救けて仕舞った業平文治は、其の身投げ心中の相方に成るはずだった吉之助、
彼が奉公している芝口の小間物屋、尾張屋へ出向き主人の八右衛門に直談判し、吉之助が帳簿に穴を空けた四百両の返済を、月賦にする事を認めて貰うのだった。
吉之助の方は老舗の小間物屋尾張屋八右衛門の人徳も有り、又業平文治に対しても頗る好意的だったのも相俟って、思いの外其の交渉は円滑に進んだのだった。
そして一夜明けた今日は志乃側の番、交渉する相手は志乃の母親にして、柳橋では一、二を争う因業婆なだけに、流石に業平文治も周到な作戦を用意した。
兎に角、業突く張りの婆が相手、困った時は力よりも金が物を謂うと考え、文治は五十両と謂う金子を懐中に、志乃の母お久羅の居る柳橋裏河岸にある戸倉屋へ。
文治「御免なすって!どなたか居なさるかい?」
女中「ハーイ、どちら様でしょう?」
文治「お尋ねしますが、町芸者の志乃さんの母上で、お久羅さんと謂う方は此方にいらっしゃいますか?」
女中「ハイ、お久羅さんは居ますが、どう謂うご用件でしょうか?」
文治「ヘイ、娘の志乃さんの生死に関わる事で伺いました。是非、お久羅さんに会わせて下さい。」
女中「其れは其れは、ではお上がり下さい。お久羅さんのお部屋へ案内致します。」
文治「では、失礼致します。」
そう謂うと業平文治は子分の岩松を連れて、女中の案内で中へと通され志乃の母親、お久羅の部屋へと這入ります。中は六畳の間でお久羅は長火鉢の前に座っていた。
女中「お久羅姐さん、お客様です。志乃さんの事で大事な噺が有るそうですワよ?!」
お久羅「アンタ!どなたですかぁ?!」
文治「へぇ、お初にお目に掛かります。アッシは本所業平橋の業平文治ってケチな野郎です。そして、コイツはアッシの子分で岩松と申します。
実は娘さん、志乃さんの事で大事な噺が御座いまして、出来れば其方の女中さんには席を外して頂きたいのですが宜しいでしょうか?」
お久羅「では、みどりチャンご苦労様、もう、下がっていいワよ。では、親分さんとお連れさんは中へどうぞ。」
そう謂ってお久羅は文治と岩松を部屋に招き入れ、そして女中のみどりに対しては席を外す様命じた。
文治は布団を当てゝ火鉢を挟みお久羅のトイ面に座り、一方岩松は少し離れて直に畳に座って居た。
お久羅「今売り出し中の業平文治親分が、柳橋の芸者置屋に何の御用ですか?」
文治「お久羅さん、気を確かに持ってアッシの噺を最後まで聴いて於くんなさい。」
お久羅「と、謂うと…まさか!志乃の身に、何かあったんですか?志乃は生きているんですか?!親分。」
文治「だから、落ち着いて聴いて下さい。一昨日の夜の事です。アッシは趣味の夜網に大川へ舟を出して、首尾の松の下で投網を打ったら網に土左衛門が掛かって…、
陸に引き揚げて星空の下、照らして見たら友禅の鮮やかな着物姿の若い女で、どう見ても町芸者だから方々置屋に聴いて廻って、漸く此の戸倉屋の志乃さんだと判り知らせに参りました。」
お久羅「其れで志乃は土左衛門って…、死んだんですか?志乃は一昨日の八ツ過ぎに此処を、三味線の稽古へ行くと浅草の師匠ん家に行き、其の師匠ん家を七ツ過ぎに出たッきり帰って来ないんです。」
文治「川ん中から投網で引き上げた土左衛門ですから、直ぐに医者には診せましたが…意識が無く今も寝た切りで、医者の見立てゞは持って跡三日、今日明日の内には佛に成ると言われました。」
お久羅「なぜ、志乃は身投げなんかぁ?!」
文治「其れはアッチにも判りません。志乃さんは何も喋りませんから、だって土左衛門が志乃さんと判るまでに一日掛かった位ですから、兎に角死ぬ前に志乃さんを引取って下さい!お母さん。」
そう謂われた因業婆のお久羅は仕舞った!と謂う顔をしたかと思うと、突然泣き崩れお前は朝鮮の葬式に居る『泣き女か!』と突っ込みたくなる位に突然オイオイ声を出し泣き叫び出します。
文治「どうしました?お久羅さん。気を確かに!志乃さんの身柄は私が此方に駕籠に乗せて運びますから、最後の親子の別れを親子水入らずで…志乃さんが生きている内にして下さい。」
お久羅「そう謂われても、私は志乃に養われている身。銭の蓄えなど無く借金する宛も有りません。此処に土左衛門の志乃を連れて来られても…此処で志乃が死んだら葬式も出せません。」
文治「困ったなぁ〜。」
そう謂って業平文治は暫く腕組みをして、ジッと考え込む様子で居ます。一方、寝た切りの志乃を引き受けたくないお久羅は文治の顔色を伺いながら相変わらず嘘泣きを続けていますが…。
文治「じゃぁ〜宜うガス。アッシが志乃さんの最期は看取る事に致します。そしてこうなったら俺も漢だ、俺が打った投網に掛かった縁も有るから志乃さんの葬式は私の方で出しましょう。」
お久羅「本当ですか?!親分さん。噂通りの人情家ですね、親分は。」
文治「其れと、之はこんな時に失礼に当たるかも知れませんが、お久羅さん、蓄えも無く銭を借りる先も無いと露頭に迷われたご様子。志乃さんダケが支えてだと仰るのなら……………。
其れならばここに五十両の金子が御座います。之を汝に今後の暮らしの糧として差し上げます。其の代わり志乃さんの月命日にはお墓にお線香を上げて菩提を永年供養してやって下さい。」
お久羅「エッ!本当ですか?ご、ご、ご五十両頂けるんですか?葬式も墓も親分が面倒見て下さって、其の上墓守したら五十両!遣ります。イヤ、是非やらせて下さい!五十両の墓守。」
文治「では、之が其の五十両です。」
そう謂って業平文治が懐中から五十両、二十五両の切り餅を二つ取りだして、お久羅の目の前に置くと、さっきまでの泪が嘘の様に黒く悪い笑いが顔面を支配し目玉は算盤に成っていた。
文治「但し一つだけ。今は寝た切りで瀕死の土左衛門の志乃さんですが、万一、死なずに蘇生する事が有った場合、五十両を貴方にお渡しゝた以上志乃さんは貴方の元へは返しません。
之だけはご承知於き頂きたい。喩え、其の段に成ってやっぱり志乃を返して呉れとか謂われても、其れは通りませんので悪しからず。」
さぁ、そう謂われてお久羅が今度は考えた。なかなか、直ぐに『ハイ!』と云って五十両を受け取ろうとは致しません。万一、生きて居るなら三千石のお世取様の御生母なのだから…。
お久羅「あのぉ〜、文治親分、こうは出来ませんか?一旦五十両は妾が受け取り、万一志乃が蘇って生きる事が出来た暁には、妾が五十両返せば志乃は返すと謂う事で如何でしょう?親分。」
まぁ〜、流石!柳橋で一、二の業突く婆の云う事は身勝手で御座います。呆れ果てゝ暫く、業平文治が返す言葉も出ない様子に、控えて居た子分の立川ノ岩松が代わりに、遂に我慢出来ずに爆発致します。
岩松「ヤイ!此の因業婆、親分から娘さんが土左衛門に成ったと聴かされた直後は介抱出来ません、葬式も出来ませんとピーピー泣いてやがった癖に五十両と謂われた途端に泣き止んで、
掌返した様にニコニコして五十両で墓守しますと云い出す始末。其れが万一蘇生し娘が生きる噺になると、五十両は一旦貰うけど万一娘が生きられたら今度は娘と五十両を交換だと云う。
ヤイ!鬼婆の糞婆!娘の志乃さんは犬や猫じゃないんだぞ。人間を物みたいに扱いやがって…俺も一寸前まで親不孝の連続だったから、人にあんまり偉そうな事は謂えないが其れにしても酷い!」
そう謂って立川ノ岩松がお久羅婆さんに掴み掛かろうと致しますから、流石に業平文治も是を放っては於けず、間に這入って岩松を止めて乱暴は止めさせます。
文治「止めろ!岩松。」
岩松「だって、こん畜生を生かして置く必要は有りませんよ、俺がチャッチャッと締め殺してやる!」
文治「馬鹿止めろ。お前さんの気持ちは重々分かるが婆さんを殺しても問題解決に成らん。さてお久羅さん、お前が五十両で手を打たないなら此の噺は無しだ。土左衛門を駕籠で此方へ届ける。面倒は見て呉れ!!」
お久羅「イヤ!其れ困ります、親分さん。」
文治「土左衛門の志乃さんは介抱しない。葬式も出したくない。けれど五十両は欲しい。更には万一蘇生して生き返ったら娘は返せ!
之じゃぁ〜随分と虫が宜過ぎるぜぇ、お久羅さん。五十両か?其れとも土左衛門の死に損なった志乃さんを引き取るか?二つに一つだ!」
お久羅「ウーン!判りました、親分さん。五十両で手を打ちます。志乃は親分さんの方で好きにして下さい。」
文治「ヨシ、噺は決まった。さぁ五十両、受け取ってくんなぁ。但し、口約束で跡で揉めたくないから、此の念書に一札署名して印形か母印を押して呉れ。」
お久羅「ハイ、承知しました、親分。」
こうして業平文治は、心中のもう一人の片割れ芸者の志乃についても、業突く張りで有名な母親を五十両の金子で、半ば強引に説得してみせた。
此の時業平文治は後にあの様な三十六人斬りとなる業平文治伝説の大事件へと繋がるとは夢にも思いませんから、愛でたい事だと慶んでおりました。
其の数日後、業平文治は吉之助と志乃、更には成田屋富五郎も伴って、八ツ前時に両國橋に近い大川と神田川が合流する橋場から舟に乗りました。
舟は芝口の橋場、つまり現在の汐留や浜離宮の在る海沿で舟を降りて、芝口一丁目つまり現在の新橋駅周辺まで歩き尾張屋八右衛門を訪ねました。
文治「こんにちは!御免下さい。」
小僧「いらっしゃいませ、どちら様でしょうか?」
文治「八ツ半過ぎに旦那とお約束が御座います。八右衛門の旦那に、本所業平橋の文治が来たとお伝え下さい。」
と、文治が小僧を相手に丁寧に話しているのを帳場越しに番頭の治兵衛が見付けて、帳場を飛び出し慌てた様子で駆け寄って参ります。
治兵衛「之は之は業平橋の親分さん、ようこそ!本日はお日柄も宜く…、定吉!お前は向こうに行ってなさい。小僧の分際で何んですかぁ〜、業平橋の文治親分に口を利くなど十年早い!
親分、只今は小僧が無礼を働き大変失礼致しました。主人の八右衛門から親分の本日のお越し、重々給わっております。さぁ皆さん奥へどうぞ!私治兵衛がご案内致します。」
文治「之は之は、ガッカリの番頭さんじゃないですかぁ〜。」
富五郎「文治、何んだ其の『ガッカリの番頭さん』ッて。」
治兵衛「文治親分、ご冗談ばっかり…。ささぁ、皆さん、旦那様がお待ちです。下足は此方に預けて私に同道願います。」
そう謂って四ったりを番頭の治兵衛が尾張屋の広い離れの屋敷に案内して呉れた。其れは広大な庭の敷石の上を歩いて竹林の中にひっそりと建っていた。
八右衛門「イヤーようこそお越し下さいました、文治親分、そして富五郎親分も。お待ちしてました。」
文治「お招き有難う御座います。早速で恐縮ですが、吉之助さんは紹介には及ばないと思いますが、其の吉之助さんのお相手の、此方が志乃さんです。」
志乃「志乃で御座います、お初にお目に掛かります。宜しゅうお願い申します。」
八右衛門「どうも、吉之助の伯父の尾張屋八右衛門です。」
文治「そして、こっちがアッシの兄貴分で、町火消し『に組』の頭で成田屋富五郎です。」
富五郎「お初にお目に掛かります、成田屋富五郎です。以後、御見知り於き願います。」
八右衛門「イヤ、此方こそ宜しくお願い致します。小間物屋を営みます尾張屋八右衛門です。」
吉之助「旦那様、この度は帳簿に穴を空ける使い込みをしまして、本当に申し訳ありませんでした。心を入れ替えて真人間になり、旦那様への孝行が出来る様に死ぬ気で働きます。」
八右衛門「吉之助、済んだ事はもう兎や角謂う積もりは有りません。折角、文治親分が間に立って下さったのだから、其の顔に泥を塗る様な真似は仕たく有りません。貴方も親分に感謝なさい。」
吉之助「ハイ、旦那様!有難う御座います。文治親分、富五郎親分、有難う御座います。此の御恩は一生忘れません。」
文治「では蟠りなど取除き終えた所で本題に入らせて頂きます。まずは吉之助さんの借財の件から、此方からの提案に成りますが、吉之助さんは背負い小間物の行商から商売を始めます。
基本的に尾張屋さんのお客様には手出しは致しませんから、最初の三ヶ月は返済出来ないと考えておりまして、更に四ヶ月目以後も半年間は返済出来る金額は月賦で一両と相成ります。
つまり、最初九ヶ月間は商売のお試し期間でゆっくりとした返済に相成ります。そして十ヶ月目からは月賦三両とし、背負い小間物の行商の期間は之を継続させて頂きます。
併し、此の月賦三両では四百両の返済に十二年も掛かるし、後に相談させて頂く利息分を含めると十五年以上に成る計算です。そこで背負い小間物から小間物屋への転身が急務に成ります。
間口二間の小さな店でも表通りに構えて販売できれば、店番は妻の志乃さんが遣りながら、吉之助さんは今まで通り背負い小間物で稼げば、月賦の金額が五両、拾両と増額出来ます。
如何でしょう?尾張屋の旦那。アッシと富五郎兄ぃも吉之助さんの商いの跡押しをして、一日も早く背負い小間物だけでなく、店構えの小間物屋にしますからどうか月賦は此の条件で。」
八右衛門「判りました。月賦の条件は其れで結構ですか、一つ私の方からも提案が有ります。吉之助が背負い小間物の行商をしている間、志乃さんはどうなさる積もりだい?」
文治「特に何も、吉之助の女房に収まっている積もりでしたが、旦那がそんな謂い方なさると謂う事は何か?腹に一物お在りなさるご様子ですね?何でゲしょう?謂っておくんなさい。」
八右衛門「ハイでは、志乃さんには小間物屋の商売を覚えて貰う為に、尾張屋で働いて貰う事に致しましょう。丁稚奉公ではなくちゃんと給金も払います。品物を覚える所から始めて、
一寸、私なりに考えが在りましてね。勿論、帳面の付方から店頭接客のコツなど、商いのイロハもお教えしますが、志乃さんには化粧の仕方と髪型と櫛、簪の選び方を店頭指導して欲しいんです。」
志乃「店頭指導って…、妾は何をするんですか?」
八右衛門「志乃さんが柳橋の町芸者として培った技を生かして、お客様の顔に合わせた化粧の仕方をお教えして、代わりに定期的に必ず尾張屋で化粧水、白粉、口紅、黛はお買い頂く、
また、髪も同じ理屈です流行りの結い方に合った櫛、簪を志乃さんがお客様にお見立てして、実際にカツラなども用意して、其の髪型に合った櫛、簪のご購入を提案するのです。
こうい化粧やお洒落の見立てや指南は、他の小間物屋と尾張屋の差別化に繋がると確信します。大きな商売繁盛のキッカケに成る可能性を秘めた、尾張屋の新しい商売戦略に、
是非、志乃さん!貴方の力が必要です。貴方が化粧指南して尾張屋の客にしたら幾ら?髪型を提案し櫛や簪を見立てゝ売ったら歩合を幾ら?と謂う具合に報酬を出しますから是非お願いします。」
志乃「旦那の仰る事は判りますし夫吉之助の贖罪になるのなら慶んで、その化粧指南役と櫛や簪のお見立役を引き受けさせて貰います。尾張屋の旦那様、未熟者ですが宜しく御指導願います。」
文治「では次に利息の件をご相談させて下さい。此方は五割の利息で総額六百両の弁済ではどうか?と考えますが、尾張屋の旦那!如何ですか?」
八右衛門「志乃さんが尾張屋の化粧指南と櫛や簪のお見立役をして下さるなら、利息は要りません。弁済は四百両で構いません。」
文治「併し、其れでは十年以上掛かる月賦の条件以上の甘えに成ります。せめて、中を取って五百両と謂う事でどうですか?!」
八右衛門「判りました。其れでは弁済総額五百両と謂う事で合意致します。尚、仕入れの件も尾張屋が協力しますから、又、別途吉之助!お前が一人で店に来なさい、治兵衛に噺を通して於きます。」
吉之助「有難う御座います、旦那様。」
文治「では、以上で吉之助の弁済の件は合意が取れたので、尾張屋の旦那、面倒でも借用書の態で念書を作成しますので署名と印形をお願いします。」
八右衛門「承知しました。内容を確認の上、署名と捺印致します。」
さて、なんやかやと八ツ半に始めた作業は暮六ツ過ぎ迄掛かりましたが、是で吉之助の使い込みの一件は落着し業平文治も肩の荷を下ろします。
八右衛門「さて皆さん。無事に念書の調印が済んだ事ですし、吉之助と志乃さんの結婚と新しい商いの門出を祝して宴席を設けています。此の離れの奥に準備させているので、どうぞ!」
こうして、尾張屋からは主人の八右衛門と内儀のお静様、更には番頭の治兵衛、吉之助と志乃、そして文治、富五郎、岩松の面々が揃って宴席は四ツの鐘まで続いた。
こうして、吉之助と志乃夫婦は業平文治の世話で本所業平橋からは大川の対岸、浅草花川戸に在る次郎兵衛長屋に新居を構え背負い小間物の商売を始めます。
さぁ最初(ハナ)三ヶ月は苦戦するのかとは思いの他、まず兎に角、尾張屋へ奉公に出た志乃評判が鰻登りです。『柳橋の元芸者の販売員』が評判に成ります。
若い娘さん向けの化粧指南が兎に角、長蛇の列です。八右衛門が朝迎えの舟を浅草の橋場へ出す程の大盛況で、軈て客一人一人に化粧指南していては捌けが悪いと、
遂に、化粧指南は個別指導から化粧指南教室に成り、個別指南は有料にしないと収拾が付かない程で、なんと!一月目の志乃の歩合給は二十二両。
尾張屋は創業以来初めて化粧品が、他の小間物を差し置いて一番の売れ筋となり、実に五百両以上の売上、前月比十七倍を記録します。是は嬉しい悲鳴で八右衛門も…、
治兵衛「旦那様!あの志乃と謂う娘は何んですか?化粧水と紅が仕入れが追い付きません!又、黛なんてお歯黒じゃないんだから、あんなに売れる物じゃないのに…。」
八右衛門「そうですね、異常です。今月は我慢して下さい。来月は人を二十人ばかり奉公人を増やしますから、裏の竹藪を伐採して奉公人の寮を新たに建て増しゝましょう。」
さあ翌月、ここで思わぬ事態が起こります。芝口に強烈な美のカリスマ、化粧指南『志乃』が現れて江戸中の評判に成ると、化粧指南は受けられずとも同じ化粧品ダケでも使いたい。
そう考えるのが人情です。併し、品川や高輪、神田なんてご近所に住んで居る人は尾張屋へ行けるけど、浅草・両國界隈の人にとっては芝口は遠い。
ところが!化粧指南『志乃』の旦那は、浅草花川戸に住んで居てしかも、背負い小間物の行商人だと世間が、是を知って仕舞ったからさぁ〜大変。
朝ッパラから花川戸の長屋へお客がやって来て、やれ化粧水だ、白粉だ!紅だ!黛だ!と買いに来るのです。ウーン、仕入れを増やさないと…。
結局、翌月は志乃の歩合が三十五両で、背負い小間物とは名ばかりの、花川戸の長屋で店番していた吉之助の上がりが七両二分二朱と二百十五文。
さぁ三ヶ月目、遂に尾張屋へ、八右衛門が注文したお試しの流行りの髪型カツラが尾張屋に届くと、更に志乃のお見立販売が大評判となります。
猫も杓子も鼈甲櫛に銀の簪!
此の当時髪型は灯籠鬢という横に張り出し透けた感じの鬢が主流の時代、尾張屋は髷も島田髷や勝山など横に広くて大きい髷にする一方、
髱の方は鬢の張り出しと反比例して概ね小さい膨らみか、全くないものとなるかあるいは後ではなく下の方に膨らむようにして、尾張屋発信で抜き衣紋が行われるようになった。
遂に、三ヶ月目志乃歩合は奉公人、前人未到の八十八両。八右衛門をして末廣がりの縁起物と謂わしめる快進撃だった。兎に角、志乃には天性の売り上手の魂が宿って居た。
此の月、尾張屋は創業以来、元禄時代の売り上げ新記録を初めて文政五年の年末に更新する事になり、奉公人一同に金一封!一律三両を配ると謂う快挙となる。
さぁ、ここで次に何が起こるか?!其れを敏感に感じ取った吉之助は、業平文治の家へと駆け込みます。
吉之助「親分!商いの事でご相談が御座います。」
文治「どうした?吉之助。志乃と夫婦喧嘩でもしたか?」
吉之助「いいえ、そうではなく…商いが上手く行き過ぎて難儀しています。」
文治「噺が見えないなぁ〜、どうした?吉之助。」
吉之助「其れが…、カクカクしかじか、云々カンヌン。」
文治「エッ!!背負い小間物しかしていないのに、既に借金を百二十両返済した?!お前、押し込み強盗でもやらかしたか?!」
吉之助「違います。全ては志乃の働きなんですが、来月、津波の様に鼈甲櫛と銀簪が売れるのは必至です。化粧品で経験済みだから謂いますが、親分!二年前倒しで店を探して下さい。」
もう、次に何が起きるか?夫婦には予測が付いておりました。江戸中に芝口発信で、鼈甲櫛と銀簪が流行ります。そして背負い小間物の自宅では捌き切れないのも一目瞭然で御座います。
吉之助に頼まれた業平文治が必死に探した結果、京橋五郎兵衛町に居抜で手頃な物件を見付けて来まして、浅草花川戸から京橋五郎兵衛町へと夫婦は家移り致します。
更に、開店前の三週間。志乃は尾張屋の奉公人に対して、化粧指南の特訓と櫛や簪を髪型や服装に合わせて見立るコツを教える様に成ります。立つ鳥跡を濁さず。
自分は、五郎兵衛町の店が立ち上がると芝口の尾張屋へは来れなくなるので、兎に角、残りの時間を後進の指導に向けると謂う、志乃なりの八右衛門への孝行でした。
八右衛門「志乃さん!本当に有難う御座いました。貴方が残して呉れた化粧指南と櫛・簪の見立ての技術は、尾張屋の新しい伝統となり、尾張屋志乃の名前は伝説に成ります。」
志乃「旦那様、本当に有難う御座います。吉之助さんの京橋の店が落ち着いたら、また、月に何日かは尾張屋で、化粧指南と櫛や簪の見立ては妾にもやらせて下さい。」
八右衛門「嬉しい事を言って呉れますね、お前さんは、店が開店したら切磋琢磨して、互いに小間物屋同士、良い好敵手に成りましょう。まだまだ、尾張屋は負けませんよ。」
志乃「旦那!本当にお世話に成りました。」
文政六年三月十五日。吉之助と志乃店は京橋五郎兵衛町で産声を上げた。屋号は『浮浪屋三五』(はぐれやさんご)。独自の頭の飾り物と尾張屋ブランドの化粧品販売の店である。
店は志乃と二人の奉公人が切り盛りし、吉之助は主に仕入れを担当する。江戸は勿論だが日本国中腕の宜い飾り職人の噂を聴くと、吉之助は何処へでも飛んで行って直に職人と交渉する。
そんな二人の『浮浪屋三五』は江戸ではなかやか評判の小間物屋へと成長し、五百両の弁済も五年と掛からず終えて仕舞う。そんな様子を陰から見ていた業平文治は、
もう是ならば此の二人は安心だ!間に這入って骨を折った甲斐があったと、一時は大いに喜んだ業平文治でしたが…所謂、女子と小人は養い難し。とは能く言った物でして、
この大成功で心得違いをした志乃が、この跡、業平文治が伝説の三十六人斬り!そんな大事件を引き起こすので御座いますが、其のお噺は後述させて頂く事として…。
さて、噺は大きく変わりまして、備前國御野郡岡山西山下、此の在で八百屋渡世を営む小八は、業平文治が侠客と成ってからも、頻繁に手紙の遣り取りを致して居ります。
そして、其の暮らしぶりを高濱家のご内儀、小峰に其の手紙を見せながら報告するのが、今では高濱家の恒例の行事でありまして逞しく成る息子を母の小峰は陰ながら慶んでおりました。
一方、岡山藩に在って業平文治と因縁浅からぬ存在は次席家老、今枝将監の次男、要で御座います。生まれ付きの白痴由えに実に短絡的な浅はかな男では御座いますが、
所が『馬鹿の一つ覚え』なのか?白痴の今枝要は林正雄先生の道場で剣術に打ち込み二年半、其の腕前をメキメキと上達させていて、是が当人の劣等感を払拭し宜くない自信を生んでいました。
そんな或日、今枝将監の下役に八百石取りの中井平左衛門と謂う方が御座いまして、其の娘子の沙久様は今年御歳十八歳の評判の器量良しで御座いますが、この沙久様に要が懸想致します。
早速、父である今枝将監を通して中井平左衛門の娘、沙久に求婚致しますが、平左衛門も白痴に娘をやるのは忍びなく、直ぐに娘の婚約噺を進めて『娘には既に婚約者が在るから』と、
今枝からの縁談を断ろうとするねですが、其の婚約者に選ばれたのが、高濱文之助、高濱文左衛門の長男、業平文治の兄である。中井平左衛門の動きは素早かった。
中井「そんな訳で、どうかお主の息子、文之助殿に我が娘、沙久を嫁に貰っては呉れまいか?どうじゃ!高濱氏。」
文左衛門「其れは願ってもない良縁。此方こそ、謹んで…。」
中井「其処でじゃが、実は云々かんぬん、今枝様の要坊ちゃんが…。」
文左衛門「其れは誠ですかぁ!!」
と、高濱文左衛門は喉まで出掛った次男、文治郎、業平文治と要の噺を、中井平左衛門に聴かせるか?悩む位に迷いながら、堪えて二人の縁談を前に進めますが…。
さぁ〜、腹の虫が治らないのが今枝要で御座います。吉備津神社の祭禮でのお絹の件では、舎弟の文治郎に邪魔されて、今度は中井家の沙久の事では兄の文之助に邪魔をされた。
もう、こうなると今枝要は高濱の家憎しが積もりに積もって、是を剣の道に心血を注ぐ事になり、林道場での稽古が鬼の如くな頑張りでして、是は只ならぬと周囲が虞る程の邁進です。
さぁ、そんな中、文政六年の三月は領主である松平内蔵頭様は江戸からお國詰めへと変わる、所謂、國詰めとなる年でありまして、剣術の指南番である林正雄先生に御前試合開催の、
命令が下りまして、林先生も、二年ぶりの此の御前試合の準備に余念が有りません。備前國岡山藩家中に御触れが有り、若い藩士は皆んな!此の機会を出世の糸口にと狙って御座います。
つづく