さて、高濱文治郎が勘当となり、深夜に故郷岡山より逐電致した翌日です。文治郎の父、高濱文左衛門は直ちに、次男、文治郎を勘当した旨を、

藩内の目付役に届け出て理由は『不孝』と致しまして、すんなり是は受理され対外的には実にスムーズに事は進みますが、流石に家庭内は収まりません。

朝起きたら突然、次男が勘当され既に家には居ないのですから、内儀のお峰、長男の文之助、三男の勝三郎から文左衛門は質問責めです。

文左衛門は色々と悩んだ末、其の日の夜に内儀のお峰と家督を継ぐ長男の文之助に対しては、今枝要と文治郎の間に起きた事実を語ります。

一方、今枝家の方はと見てやれば、後楽園裏の林で今枝要と仲間藤八が高濱文治郎に襲撃された為、池田玄蕃の隠居所で開催された茶会で、

唯一要の父、今枝将監だけが迎えの駕籠が参らず、将監は提灯持ちの仲間を玄蕃より借りて、一人自宅へと徒歩で帰るハメに成りました。

其れは其れは大層なご立腹で、門迄来るとお伴の借用仲間に礼を延べてから一分銀を心付に渡し、自ら玄関を開けて室内へと上がります。

長い廊下を奥へと進むにつれて、怒り心頭に発し御内儀の初枝様が、此の突然の主人のご帰宅にやや驚いた様子で声をお掛けに成ります。

初枝「アラ、旦那様!何時、お帰り遊ばされて居たのですか?!」

将監「コリャァ!奥や、何故、儂には迎えの者を遣さぬのじゃぁ?甚だ不都合千萬、お陰で池田玄蕃様の別荘では大恥をかいた。」

初枝「イヤ、旦那様。倅の要と仲間の藤八に迎えの駕籠を付けまして、一刻半も前に行かせまして御座いまする。」

将監「フーン、左様かぁ。其れにしても、儂は歩いて帰って来たが、何故、要や藤八と出逢わんのじゃぁ?不思議な事も有るもんだ。

要の奴は道に迷ったのかな?藤八が付いていて何故迷うのじゃぁ。其れとも何処ぞで油を売っておるのか?!愚かしい倅にも困ったモンじゃ。」

そう謂って将監は寝室に下がると、愚かしい倅の事などすっかり忘れて床に着いて眠って仕舞います。他方、要と藤八はと見てやれば、

後楽園裏の林の、権現様のご霊舎傍の道端で、高濱文治郎に襲われ気を失い、松の根方を枕に伸びて居ましたが、夜露が口鼻に入り漸く目が覚めます。

藤八「若旦那!しっかりして下さい。」

要「オーッ、藤八。」

藤八「若旦那、判っていますか?アッシ等を襲った曲者、彼奴は高濱文治郎の野郎ですぜぇ!貴方、本当に判ってますか?此の意味を。」

要「エッ!何んだ、判るハズ無かろう。」

藤八「此の様子だと若旦那もアッシも、全く油断成りませんよ。文治郎の野郎に又何時襲われるか?!」

要「ウーン、どうにも危険な事だ!困った、困った。」

藤八「時に、もう大旦那様を池田玄蕃様の別荘へお迎えに行っても無駄足でしょうから、取り敢えず、急いでお屋敷へ引き返しましょう。

ですが、迎えに行けなんだ理由、若旦那は何んて仰いますか?絶対に大旦那様も御内儀も、お二人共カンカンに怒ってらっしゃいますよ。」

要「其れは正直に、高濱文治郎に六尺棒で折檻され襲われたと申し述べるだけじゃ。本当の事だからのぉ〜。」

藤八「だから若旦那は放っとけないやぁ。そんな事正直に話したら文治郎が怒り心頭の理由を次に尋ねられますよ、何んと答えるんです?」

要「オー、。」

藤八「其れに襲われた事をチクって文治郎にバレたなら今度こそ命は有りませんよ。だから、此の遅れた理由は全て此の藤八めにお任せ下さい。」

要「判った、藤八。宜しく頼んだぞ。」

そう噺が纏まりますと、二人は後楽園裏手から武者小路の屋敷へと戻る途中、田圃に入り藤八の指図で顔や身体を泥塗れにしてから帰宅致します。

藤八「ヘイ、奥様、只今帰りました。」

初枝「之れ!藤八。何が只今帰りましたです。旦那様は遠の昔にお帰りとなりご就寝です。汝と要は一体!今の今迄、何をしておったのです。」

藤八「良くぞ!聴いて下さいました御内儀様。旦那様をお迎え上がる途中、後楽園裏傍を通り掛かった所で、反対側から提灯の灯りが見えました。

何分狭い道由え、私も若旦那も端に寄って相手を先に通してやろうと致しますと、相手は妙齢な非常に美しい女人で、つい二人共之に見惚れていると

突然、其の女に田圃の中に引き込まれて、何が何んだか分からない内に、泥塗れにされて気が遠くなり再び気が付いたら、アッシも若旦那も、

田圃のど真ん中で重なり合って寝ていて、ご覧の通りの酷い有様で、恐らく権現様のご霊舎に住み付いた狐か何かに馬鹿されたんだと思います。」

初枝「本当に馬鹿だねぇ〜、あの辺りは確かに狐に摘まれた噺を能く聴くけど。」

と、この日の出来事は『狐に摘まれた!』と謂う事で深い詮議やお咎めは無く穏便に済まされ、仲間の藤八は今枝要と一緒に居ると、

此の先、碌な事は起こらないし、兎に角、馬鹿は死なゝきゃ治らないと思いますから、直ぐに何処かへ姿を眩ませて仕舞います。

又、今枝要はと申しますと暫くは文治郎に六尺棒で殴られた怪我が癒える迄、床に潜り高濱文治郎の影に怯えながら暮らして居りましたが、

軈て風の噂で、文治郎が不孝を理由に勘当となり城下を処払に成ったと知り、是ならば大丈夫と其後は林正雄道場へ剣術の稽古を致す様に成ります。


然るに噺は変わって備前國御野郡岡山を跡にした高濱文治郎は、先ずは漠然と目指す先を江戸表に定め、一路播州路を過ぎて大坂へと参ります。

更に京都から大津へは東海道筋を東へと下りすが草津からは中仙道を下りまして、柏原峠から関ヶ原、強者共の夢の跡、是より木曽路へと御嶽、大湫、中津川、

山越谷越え信州路、追分、沓掛、軽井沢、碓氷峠を一越えすれば、其処は上州安中村で御座います。猶も下って上州、武州、泊まりを重ね日を重ね、

特に此の間の旅には語る様な事も無く、高濱文治郎は岡山を出て十八日目に漸く、武州は熊谷宿へと辿り着き江戸表まで十里手前に差し掛かります。

まだ日も高いので文治郎はもう少し先まで此の日の内に幾らかでも進もうと足を進めます。そして辿り着いたのは四里八丁名代の熊谷堤防(ツツミ)。

丁度堤防の傍に地蔵堂が見えて参りまして、頃は夕陽が沈み掛けて長い影が伸びている。辺りに人家は無く、文治郎、こんな事なら熊谷宿で旅籠へ入るベキだった。

そう後悔しましたが、後の祭です。地蔵堂の前迄来ると辺りは完全に日が沈み真っ暗闇に包まれます。『仕方ない!今宵は此の地蔵堂で夜露を凌ごう。』

そう思った高濱文治郎、地蔵堂の中へと這入ろうと致しました、其の時、大きな声で叫ぶ『助けて!!』と謂う声を聴き付けて、其の人を救ける事に相成ります。

さて、其の人とは、上州桐生に絹屋権左衛門と謂う大きな機屋(はたや)が御座います。此の権左衛門には権三郎と謂う倅が御座いまして、

この親子は代わる代わる江戸表へと商用に頻繁に出掛けますので、馬喰町一丁目に在る旅籠、武蔵屋吉兵衛方を定宿と致しておりまして、

其の離れの建屋を別金を支払いまして我家同然に利用しております。或時絹屋権三郎は江戸での商いを終えて集金した五百両の金子を持ち、

しっかりと胴巻に金子を入れ肌身離さず、板橋宿から中仙道を羽生へと帰る道中でした。偶々、戸田の渡しで舟に乗り遅れて次の舟を待とうと、桟橋の舟小屋へ這入りますと中に三十前後の男が先客で居り、いたく腹を押さえて苦しそうにしています。

権三郎「如何なされました?」

男「いえ、疝気が出た様で、腹と腰辺りが、痛くて痛くて。」

権三郎「そいつはお気の毒に、薬が御座います。熊の肝(い)です、之をお呑み下さい。」

男「忝い。」

と、そんなやり取りをして、舟が来る迄、その男に水と薬を与えて、権三郎は疝気の介抱をしてやりますと、男は少し楽に成った様子で噺始めます。

男「私は上州沼田の者で、江戸へ人足として出稼ぎに来ております。母が急病で倒れたと村から知らせが来て、慌てゝ戻る途中なんです。」

権三郎「其れは心配ですね。私は桐生まで帰る道中ですから、途中まで同伴致しましょう。さぁ、舟が来ました、乗りましょう。」

男「ご親切に、有り難う御座います。」

と、二人は『旅は道連れ、世は情け。』と連れ立って、舟賃も男が恐縮しますが権三郎が出してやり、舟へと乗り込みます。

漸く、舟は対岸に着きまして、其の夜は鴻巣に在る江戸屋長兵衛と謂う旅籠に泊まる事に致します。此の江戸屋の主人長兵衛は先年身罷り、

今は後家のお仲と謂う女房が跡を継いで切り盛りしており、権三郎は父親の代から此の江戸屋長兵衛を江戸帰りの定宿にしていた。

お仲「アラ!絹屋の若旦那、良くぞお越し下さいました。さぁさぁ、お這入り下さい。之れ!早くお足をお洗いして。お荷物をお預かりして。」

女中「ハイ、女将さん。」

権三郎「時に、お仲さん。実は連れが一人ある。そちらも宜しく頼む。」

お仲「アラ、お珍しい。さぁ、貴方もお上がり下さい。」

権三郎「此の胴巻はお主に預けて於く。」

お仲「ハイ、確かにお預かり致します。オイ、お清!絹屋の若旦那様が、お湯を使われるから湯殿へ案内しなさい。お連れさんはお部屋へお通しゝて。」

権三郎「イヤ、私は。貴方もどうですか?風呂に一緒に這入りませんか?」

男「イヤ、私は疝気が出たばかりですから、様子を見て後から這入ります。遠慮なくお先にどうぞ。」

権三郎「では、お言葉に甘えて、私はお先にお湯を頂戴します。」

そう謂うと、権三郎は女中のお清に案内されて、風呂場の方へと向かいます。

お仲「お美代、お竹、調理場に夕飯の方もお二人さんの分用意する様に伝えなさい。急いでお呉れ!アタイは若旦那をお背中を流しに。」

そう謂うと女将のお仲、自らが権三郎の背中を流しに湯殿へと這入ります。

お仲「若旦那、湯加減は如何ですか?お背中をお流し致します。」

権三郎「之は之は、女将自らが背中を流しに来て呉れるのかい?こいつは珍しい。」

お仲「シーッ、声を抑えて下さい。外に聴こえ無い様にお願いします。胴巻の金子は私が確かにお預かり致しました。

ところで、あのお連れさんは若旦那の古いお知り合いご友人ですか?其れとも、ご商売のお付き合いが有る方でしょうか?」

権三郎「イヤ違います。実は戸田の渡し場で、カクカクしかじか云々かんぬん、そう謂う訳で熊谷宿辺りまでご一緒する積もりだ。」

お仲「成る程、やっぱり!!」

権三郎「何んだ?やっぱりッて。」

お仲「あの野郎はですねぇ〜若旦那。中仙道界隈じゃ有名な護摩の灰、其の主領で富士太鼓ノ留吉って奴の手下で、倶利伽羅ノ伊之助ッて悪党なんです。」

権三郎「えぇッ!!」

お仲「お金は妾が責任を持ってお預かり致しますから大丈夫ですが、奴等は万一仕事の段取りに狂いが生じたと気付いたなら、貴方を全力で殺しに掛かりますよ。

お弁当を拵えて差し上げますから、早く裏口よりお逃げないませ。そして、決して妾が貴方様を逃したなどと口外なさいますな、奴等は必ず仕返しに来ますから。」

権三郎「ウム、お仲!能く知らせて呉れた。」

そう謂うと、ブルブル震えながら絹屋権三郎は竹の皮に包まれた握り飯の弁当を背負って、鴻巣の旅籠、江戸屋長兵衛の裏口から飛び出して行きます。

一方、部屋に残された倶利伽羅ノ伊之助は、待てど暮らせど湯から権三郎が戻りませんから、流石に焦れて、女中を呼んで問正しいます。

伊之助「オイ、姐さん!絹屋の若旦那は?まだ、風呂なのかい?!」

女中「ハイ、湯殿から出て来られないから、まだ、お湯をお使いだと思います。」

伊之助「そうかい、若旦那は長湯だなぁ〜。」

女中「もう時期お上がりに成ると思います。」

さぁ、そう謂われて倶利伽羅ノ伊之助は仕方ないと半刻ばかりは待ちますが、流石に様子がおかしいと思いまして、湯殿を覗きに行くと蛻の殻!

『畜生!江戸屋の女将の仕業に違いない』そう確信した倶利伽羅ノ伊之助は、江戸屋を飛び出して鴻巣宿に来ている主領の富士太鼓ノ留吉の元へと走ります。

留吉「本当か?」

伊之助「本当です。絹屋の若旦那、権三郎に目を付けて江戸は両国から千住、板橋と尾行(つけ)て、懐具合は五百両は堅いと見立てが付いて、

その上で戸田の渡し場で、上手く仕掛けて旅の道連に成り澄ましたんですから、間違い有りません。鴻巣の江戸屋の女将が権三郎の野郎を逃したに違いない。」

留吉「又、あの女将かぁ〜、あの女には越後新潟から来た縮緬問屋の隠居老人の時も、煮湯を飲まされているからなぁ、畜生!もう我慢成らねぇ。」

伊之助「併し、親分。あの江戸屋の女将、お仲の兄貴は、江戸の両国で『に組』の成田屋富五郎ッて火消の頭ですぜぇ。」

留吉「江戸屋のお仲を強姦(おかし)て殺して有り金全部盗んでも、江戸屋ごど全部火を点けて灰に仕ちまえば暴露る心配は無ぇ〜よ、伊之助。」

伊之助「火付けまでやるんですか?!」

留吉「当たり大前田の栄五郎よ!だから、伊之助、貴様は逃げた絹屋の若旦那を追い掛けて、羽生に着く前に叩き斬れ!野郎の口を塞ぐんだ。

俺は鴻巣に居る仲間を集めて江戸屋を襲う。お前も絹屋を殺したら江戸屋へ来い。お仲の身体をご馳走させてやる。宜いなぁ!抜かるんじゃないぞ!」

と、悪い相談が纏まりまして、倶利伽羅ノ伊之助は中仙道を羽生へ向かった絹屋権三郎を追って正に脱兎の如く駆け出します。すると、

先に逃げて居た絹屋権三郎は走り詰めで、例の高濱文治郎が先に這入って寝入って仕舞った地蔵堂へと到着し、是で一安心と背中の弁当を使い始めます。

熊谷堤防(ドテ)の地蔵堂の前、ここで漸く絹屋権三郎に倶利伽羅ノ伊之助が追い付くので御座います。さぁ追い付かれた権三郎は驚いた。


人殺し!誰か助けてぇ〜


伊之助「絹屋の若旦那、無駄な事はお止めなさい。こんな刻限に誰も熊谷堤防なんぞ通りませんよ。呑気に握り飯何ぞ、頬張りやがって!」

権三郎「人が病人だと思うから親切にしてやれは恩を仇で返しやがって江戸屋の女将から聴いて全部知っているんだぞ、此の護摩の灰めぇ!」

伊之助「安心しろ!江戸屋には今、親分の富士太鼓ノ留吉が手下を連れて乗り込んでいる。女将のお仲を強姦(手籠)にして、金目を奪うと火付して逃げる算段に成っている。」

権三郎「何んだと!此の鬼畜めぇ〜。」

伊之助「俺も早く貴様を殺して、お仲を御相伴に預かる約束に成って居るからなぁ〜、とっとと仕事を済ませて鴻巣へと戻らねば。」

そんな捨て科白を吐いた倶利伽羅ノ伊之助は、長脇差をズラっと抜いて、月灯りに段平をギラギラ言わせて権三郎を真一文字に叩き斬ろうとした其の時、


待てぇ〜!待て、待て、待てぇ〜!


っと叫ぶ大きな声が轟き、地蔵堂の扉が、観音開きに左右同時に開くと、中から六尺を越える雲を突く大男が勢い宜く飛び出して参ります。

伊之助「何んだ!!貴様は?!」

文治郎「問われて名乗るも烏滸がましいが、拙者は備前國は岡山藩浪人、高濱文治郎と申す。拙者、お二人の噺は全て聴かせて貰いました。

鴻巣宿の江戸屋なる旅籠に放火(つけび)を致し、其の女将を強姦し(おかし)剰え金品を奪うと聴いては捨て置く訳には参りません。」

権三郎「へぇ、私は上州桐生の機屋で絹屋権三郎と申す商人に御座います。実は道中戸田の渡し場にてカクカクしかじか云々かんぬん。どうぞお救け下さいませ!」

文治郎「合点!承知ノ助に御座る。」

伊之助「何をごちゃごちゃ抜かしてやがる。二人纏めてあの世へ送ってやる!覚悟しやがれ、泰平楽野郎!」

そう叫ぶと倶利伽羅ノ伊之助は抜身を持って高濱文治郎目掛けて大上段から斬り掛かりますが、所詮、護摩の灰の生兵法で御座います。

簡単に素手で受け留められて手刀で脇差を地びたに叩き落とされると、肩車に抱え上げられて、二回、三回と投げ飛ばされたら気絶致します。

権三郎「お武家様、本当に貴方は私の生命の恩人です。鴻巣の江戸屋が此の此の悪党の仲間に放火される恐れが御座います。どうか救けて下さい。」

文治郎「フン、承知致した。では直ぐに鴻巣の江戸屋へ拙者をご案内下され。」

高濱文治郎は倶利伽羅ノ伊之助を縄で縛り上げて地蔵堂の中へ転がすと、絹屋権三郎の案内で鴻巣の江戸屋へと駆け付けるのだった。

森閑の宿場内は誰一人起きて居る気配はなく、針一本落としても音が轟く草木も眠る丑三つ刻、文治郎と権三郎は江戸屋の裏口へと参ります。

権三郎「良かった!未だ、放火(つけび)はされておりません。」

文治郎「アレを、雨戸が蹴破られて、中には灯りが点いている様子です。貴方は此の裏口で待って居て下さい。拙者が独りで乗り込みます。」

権三郎「大丈夫ですか?独りで、役人を問屋場へ呼びに参りましょうか?」

文治郎「いや、江戸屋の女将が心配です。直ぐに拙者が助けに参ります。」

権三郎「併し、今度の相手は一人じゃ無いはずです。本当に大丈夫ですか?」

文治郎「心配には及びません。先程痛め付けて縛り上げた、倶利伽羅ノ伊之助みたいな輩が十人、二十人と束になっても何の問題も有りません。拙者にお任せ下さい。」

権三郎「判りました。宜しくお願い致します。」

そう謂って高濱文治郎は、絹屋権三郎を江戸屋の裏口へ待たせて於いて、自分は一人、江戸屋の中へと潜入致します。

一方、富士太鼓ノ留吉一味はと見てやれば、江戸屋の女将お仲を始め、女中や下男の奉公人計六人を全員縛り上げて、兎に角、金品を捜索しております。

五人の手下は手文庫、火鉢の抽斗、箪笥、長持、押入、物置と部屋の隅から隅まで一文残さず探し廻ります。そりゃぁ〜無駄に長い時間を労す。

留吉「ヤイ!江戸屋お仲!貴様には越後の新潟から来た縮緬問屋の御隠居の爺、三衛門翁の時もそうだった、金目の物を全てカッ拐ったら、

強姦(おかし)た跡は、あの世行きだからな!野郎ども、ビタ一文残さず探し出して巻き上げろ。尻(ケツ)の毛まで抜いてやるんだ!」

手下「ハイ、合点だ。」

そう謂って掻き集めたお宝を荷造りして、愈々、庭に其れを積み始めて居りまして、親分の富士太鼓ノ留吉は両掛けに腰を下ろし、

ちゃぶ台には酒肴を並べてお宝を満足そうに眺めながら、呑み始めて居ります。お仲は其の直ぐ傍に縛られて不憫な姿で置かれて居ります。

さて、高濱文治郎、留吉一味の油断をしている所を突いて素早く部屋に上がり込み、障子の陰から中へ這入る機会を今か今かと伺って居ります。

先ず文治郎は、中の敵が六人で有る事を確認、次いで細紐を襷十字に綾なすと、最後に父より頂戴した粟田口忠綱の一刀を抜身に持ちます。

さぁ勢い宜く障子を蹴破り部屋ん中へ飛び込むと、我らが高濱文治郎、バラバラバラバラ、十軒先にも轟く様な大声で腹の底から叫びます。

文治郎「やぁーやぁー吾こそは、備前岡山の浪人!高濱文治郎と申す者也。己れ憎っくき盗賊原の振る舞い!イザ、片っ端から斬り捨てゝ呉れん、覚悟!」

さぁ是を聴いた酒盛り最中の富士太鼓ノ留吉は、ギョロッと其の大きな目で瞬きすると、右手に持った盃を文治郎へ目掛けて投げ付け啖呵を切ります。

留吉「エぇー、誰だぁ?小癪なぁ〜、人が心地よく呑んで居る所へ無粋な奴めぇ!ヤイ、野郎共、此の生意気な武士を叩き殺して仕舞え!」

手下「ヘイ、合点です。」

お宝の荷造り、荷運びを中断し、五人の手下は脇差や匕首を鞘払い!ギラギラと刃を輝かせて、文治郎に斬り掛かりましたが

所詮、盗賊、護摩の灰の剣術では、一刀流の道場で師範代を勤めた高濱文治郎にして見れば、赤子の手を捻るより簡単でアッと言う間に峰打ちで、

肩の骨、鎖骨、肋骨を砕いて気絶させて仕舞います。そして立ち上がり脇差を取り、ズラりと抜いた富士太鼓ノ留吉と正対し、刀を交える事には成りますが

是も全く敵では御座いません。峰打ちながら、袈裟掛けに一太刀打ち込むと、鎖骨が折れた留吉は刀を捨てゝ、地びたに野田打ち廻り苦しみます。

文治郎「権三郎殿!悪党退治は終わりました。コイツらを縛り上げるのを手伝って下さい。そして縛り上げたら、鴻巣宿の問屋場か?番屋に行って、

八州廻りの上役人を呼んで来て欲しいのです。コイツらはどうせ、中仙道を荒らし廻るお尋ね者でしょう?早く上役人に引き渡してお仕置きに致しましょう。」

権三郎「ハイ、承知致しました。慶んでお手伝いさせて頂きます。」

そう謂うと、裏口で待機していた絹屋権三郎も手伝って悪党六人を縛り上げ、江戸屋の女将、お仲と奉公人達の縄目も解いてやるのでした。

そして、鴻巣宿の問屋場へと権三郎が走りまして、事の次第を最初から物語りまして、熊谷堤防(ドテ)の地蔵堂の倶利伽羅ノ伊之助と、

鴻巣宿は江戸屋に富士太鼓ノ留吉一味、合わせて七人の悪党が縛り上げられてコロがって居る事を告げますと、上役人達はビックリ致しまして彼等を引き取りに駆け付けます。

更に、後日の噺には成りますが、富士太鼓ノ留吉と倶利伽羅ノ伊之助の二人は鴻巣の代官の吟味後に、唐丸籠に乗せられて江戸表に送られ厳しいお仕置きを受ける事に相成ります。


お仲「旦那様、貴方様のお陰を持ちまして、大変な難儀を逃れる事が叶い。本当に江戸屋が大事に至らず有難う存じまする。さて、此の跡、何方へ向かわれますか?」

文治郎「拙者は此の跡、江戸表へ向かう所存で御座る。」

お仲「其れでは岡山のご領主松平内蔵頭様の江戸藩邸にご逗留でしょうか?!」

文治郎「イヤ、拙者は既に藩を浪人の身で、父親からも勘当を受けている。由えに江戸での滞在先はまだ決めて御座らぬ。」

お仲「若し、急がぬ旅で御座いましたなら、この江戸屋に暫くご逗留なさいませ!女主人の妾が切り盛り致す旅籠由え、物騒に御座います。是非とも用心棒に。」

文治郎「イヤ、折角の頼みなれど、拙者は是非にも江戸表にて、剣と漢を磨きたく。」

お仲「其れならば、妾の兄が両国米澤町にて、鳶の頭を致して居ります。成田屋富五郎と申して『に組』の火消しの頭領で御座いまして、

界隈では知らぬ者は御座ませんから、之へお手紙を添えます由え、どうかお訪ね下さいませ。兄も貴方様を捨て置きませんから。」

さぁ、高濱文治郎、左様な無頼の徒を頼る積もりはないと思いつゝ、折角、お仲が渡す紹介状のお手紙を有難く受け取りまして、

文治郎「其れは千萬忝い、お手紙頂戴仕る。」

と、是を大切に懐中へ仕舞います。すると、丁度そこへ番屋から帰った絹屋権三郎が、江戸屋へと帰り着きまして、こちらも文治郎に言上致します。

権三郎「之は文治郎殿、悪人達は無事に上役人に引き渡しましたからきっと厳しい罰が与えられましょう。ところで、高濱様は江戸表へは何時お立ちですか?」

文治郎「絹屋殿、お手数をお掛けしました。拙者は明朝、明け前の七ツには鴻巣を立ち、江戸表へと参る所存です。」

権三郎「ならば、是非、江戸での滞在には馬喰町一丁目に在る武蔵屋吉兵衛と謂う旅籠をお使い下さい。其の武蔵屋には絹屋専用の離れ座敷が御座います。

之は私と父が江戸へ商用に参る際にしか使いません由え、始終空き部屋に成って御座いますから、私が紹介状をお書きします。

之を吉兵衛さんに見せて頂けば、お好きな時にお好きなたけ、武蔵屋に滞在できますから、お気遣い無くご利用下さい。

それ位のご奉仕は命の恩人の高濱文治郎様に対しては、当然の事で御座います。どうか、江戸表で住まいが見付かる迄ご利用下さいませ。」

そう絹屋権三郎からも紹介状を受け取ってしまった高濱文治郎、さて、江戸表へと向かう道中、どちらへ滞在するか?と思案いたしますが

さて、この二つの紹介先、火消し『に組』の成田屋富五郎と、旅籠『武蔵屋』吉兵衛との間に、高濱文治郎を挟んで一騒動が起きるのてすか、

其れは、又、次回のお楽しみと相成りまして、今回は鴻巣と熊谷で起きた騒動までと致します。それでは続きは次回の乞うご期待!!


つづく